この面白さを届けたい! 100年前のサイレントコメディ映画を発掘、配給へ『NOBODY KNOWS チャーリー・バワーズ –発明中毒篇–』神戸映画資料館田中範子支配人インタビュー
バスター・キートン、ローレル&ハーディ、そしてチャーリー・チャップリンとサイレントコメディー界の御三家を横目に、とんでもない発明を繰り返す逸材を発掘!神戸映画資料館初配給となる『NOBODY KNOWS チャーリー・バワーズ –発明中毒篇–』が、10月8日(土)よりシネ・ヌーヴォ、順次、京都みなみ会館、元町映画館にて公開される。
サイレント映画からトーキーに移る直前に制作された1926年から1928年の短編劇映画4作品と、1910年代の短編アニメーション2作品の計6作品を一気に鑑賞でき、チャーリー・バワーズの訳のわからない面白さになんだかハマってしまうスペシャルプログラム。アニメーションから出発したこともあり、コマ撮りアニメと実写を融合させた近未来の憧れ発明品(割れない卵や、ネコが生まれる木など)やその顛末は、観る者の想像のはるか斜め上をいく独自の世界観に満ちている。キテレツだけど、どこかシュールでリアル。アクションやストーリーで惹きつける御三家とは全く別路線を突き進み、気がつけば長年消えた存在とされていたチャーリー・バワーズをぜひ目撃してほしい。
神戸映画資料館の田中範子支配人に、お話をうかがった。
――――現在、関西のミニシアターでは楽士によるピアノ伴奏付きのサイレント映画上映が定期的に開催され、観客にもだいぶん馴染みが出てきていると思いますが、神戸映画資料館はその先駆け的存在ですね。
田中:確かに15年前ぐらいは今のような状況ではなかったですね。当時は神戸映画資料館や、その前身となるPLANET studyo plus oneのように、サイレント映画マニアの方を対象としなければ成立しなかったと思います。しかも今のようにピアノ伴奏が付くのではなく、本当に無伴奏でサイレント映画を上映していましたね。無音の方が、修行僧のように真の映画好きの見方であると思われていたのです(笑)。でも、実はその逆で、伴奏付きの上映の方が本来の形であり、それが弁士の方や楽士の方の頑張りによってここ数年、特に関西で定着し、盛り上がってきたと思います。
■最初から考えていた劇場展開
――――チャーリー・バワーズのことはこの作品集で初めて知りましたが、神戸映画資料館とチャーリーとの出会いは?
田中:毎年1月に神戸映画資料館と旧グッゲンハイム邸を会場にして、神戸クラシックコメディ映画祭を開催しているのですが、2021年開催時に、神戸クラシックコメディ映画祭実行委員長のいいをじゅんこさんが、この作品を取り上げてくださったのです。わたしは会期中に映写室から初めてチャーリー・バワーズの作品を観たのですが、その瞬間に「これはすごいじゃないか!」と。しかも、そのときは柳下美恵さんが、作品の面白さを引き立たせる素晴らしいピアノ生伴奏をつけてくださり本当に感動したのです。オーソドックスな感じではなく、かなり弾けた感じの音楽でした。映画ファンでなくても、チャーリー・バワーズの面白さは伝わるはずなので、何とか劇場公開作として展開できないかと、最初から思っていました。
――――チャーリー・バワーズの面白さとは、具体的にどんなところですか?
田中:おかしなことが次から次へと起こるのですが、観たことがないタイプの面白さ。へんてこな発明品の機械が出てきたり、ちょっとシュールな展開が起きますし。古い映画だけど面白いというより、今こそ面白さが発見されるのではないでしょうか。さんざん、とんでもないことが起きて、びっくりするぐらいあっけなく終わる展開も、ゴダールみたいですよね。
■今でもどのように撮ったかわからないマジカルショットの連発
――――バスター・キートンのように体を張るわけでもなく、チャップリンのように痛烈な社会批判をするのでもなく、ただただびっくりさせられます。アニメーションとの融合も特徴ですね。
田中:コマ撮りアニメーションが多用されており、パンフレットに寄稿していただいている専門家の方ですら、今でもどうやって撮ったのか分からないようなマジカルなショットがたくさんあるそうです。チャーリー・バワーズは新聞漫画家からキャリアをスタートしており、その後アニメーション工房でアニメーターとして働いてから、1920年代後半にようやく実写映画に進んだと、その経歴も異色です。
――――1920年代後半といえば、モノクロやサイレントの映画から、カラーやトーキー映画に変わる直前ですね。
田中:チャーリー・バワーズは、トーキー直前なのに時代の流れと逸れるような作品づくりを一生懸命やっています。それも、60年代に再発見されるまで忘れられた存在になっていた理由かもしれません。
――――チャーリー・バワーズはアメリカ人ですが、今回作中のテキストがフランス語のものが多いですね。
田中:フランスで彼のフィルムがたくさん発見され、当時は現地で結構人気があり、フランスでは「ブリコロ」という愛称で親しまれていたとの記録も残っていました。今回は『怪人現る』と短編アニメーションの『オトボケ脱走兵』が、アメリカで発見されたフィルム(英語字幕)です。
■前年の上映会で手応え、若い世代も来場
――――サイレント映画なので、字幕と音をつけての配給になります。しかも初配給ということで、結構勇気が要ったのでは?
田中:準備を進めているときは、これはいけるだろうという思いがありました。というのも、昨年11月に東京はアテネ・フランセ文化センター、大阪はシネ・ヌーヴォ、そして神戸は当館と3館で上映会をし、手応えを掴めていたのは大きかったですね。東京では満席だったことに加え、ぜひ観てほしいと思っていた若い年代で、アートや音楽に興味のありそうな方々が来てくれたので、それはすごく嬉しかったですね。
――――音楽はその時から現在の塩屋楽団+Solla(柳下美恵)によるものだったのですか?
田中:はい。劇場公開用は短編アニメーション2本を新たに加えたので、そちらは新たにOTOWA-UNITさんに音楽を担当していただきました。そのほかは今回の公開に向けてミックスをブラッシュアップしたり、字幕の見直しを行っています。
■塩屋楽団とSolla(柳下美恵さん)による収録秘話
――――塩屋楽団の森本アリさんは、管理人をされている旧グッゲンハイム邸で以前からサイレント映画上映を積極的に行っておられますが、どのような経緯で担当されることになったのですか?
田中:初めて観たときの柳下美恵さんによる伴奏が素晴らしかったので、柳下さんに入っていただくことに加え、今回は合奏による伴奏にしたいと思い、森本アリさんに打診しました。実は、わたしもアリさんもこんなに大変になるとは思わず、気軽に考えていたんです。柳下さんだけが大変さを分かっておられたようで、この日程でできるかしらと最初からおっしゃっていましたね。
――――生演奏ではなく、収録するのが大変だったと?
田中:合奏ですし、即興的なやりかたではダメでした。最初は何回かリハーサルして、映像を観ながら生録音でほぼ一発撮りというイメージだったのですが、 実際はベースラインを演奏する人がまず録音をし、そこに他のメンバーが音を乗せていくやり方で収録しました。旧グッゲンハイム邸のスタジオで映像を映しながら、重ねたり、音を引いたりしながら試行錯誤しました。
――――映像の解釈がつける音に影響を与えるのでは?
田中:わたしも収録現場に立ち会って、演奏家とは違う立場で意見を出しました。例えば『全自動レストラン』で前半にレストランが爆発し、丸焦げになってしまうシーンがあり、割と悲壮な音楽がついていたのです。でもチャーリー演じる主人公はすぐに立ち直り、「1週間後には立て直す」と宣言していた。ですから悲壮な音楽はすぐに切り上げ、またやるぞという感じの音楽にしてもらうように変更してもらいました。全然へこたれない主人公ですから(笑)
――――生音上映も考えておられますか?
田中:演奏者は二度とこの演奏を再現できないとわかっているので、ぜひ劇場公開版をご覧になっていただきたいですね。
■チャーリー・バワーズを紐解く世界初の冊子づくり
――――チャーリー・バワーズ作品初の劇場公開にあたり、充実した内容のパンフレットも作っておられますね。
田中:この作品を紹介してくださったいいをじゅんこさんは、作品解説やチャーリー・バワーズのフィルモグラフィを担当してくださいました。またバワーズの時代のコメディ映画界を解説していただいています。かねひさ和哉さんにはウォルト・ディズニーなど、同時代のアニメーションの解説をお願いしました。チャーリー・バワーズが自分のことを発明家と称しているのがよく分かるような、チャーリーが書いた特許申請書も掲載しています。論考や資料を揃え、チャーリー・バワーズに関する世界初の本格的な冊子になったのではないでしょうか。
――――卵からミニカーが生まれるというのにも驚きました。
田中:卵から孵化してくる感じのキモかわいさが、なんとも言えないですね。卵を産みすぎた鶏が瀕死の状態で横たわったりするのは、ルイス・ブニュエルのようでもありますし。何度か爆発するシーンがありますが、音を控えめにしている効果があるにせよ、あまりにもリアルな惨状ぶりで、一瞬笑っていいのか不安にもなったりします。
■アニメーションで有名だったバワーズ
――――ちなみに、チャーリー・バワーズのことは日本で知る人はほとんどいなかったのでしょうか?
田中:かなり映画のことをご存知の方でも知らない方が多いです。逆に「マット&ジェフ」というシリーズものを手がけていたこともあり、アニメ史には名が残っているので、アニメーションの専門家はご存知の方が多かったです。ですから60年代から70年代にかけて劇映画が発掘された際に上映されたのは、アヌシー国際アニメーション映画祭だったので、あくまでもアニメーション界の人という捉えられ方がされてきたのでしょう。
――――チャーリー・バワーズは「監督」とクレジットされていない作品もありました。どう見ても監督・脚本も兼ねていると思うのですが。
田中:チャーリーが制作の中心にいることは間違いないでしょう。しかし自分が出演をし、かつコマ撮りアニメーションで特殊なことをやろうとすると、一人では絶対に無理なので共同監督を立てているのだと思います。
■サイレント映画の枠に収まらない魅力
――――フランスで60年代に発見され、世界的に作品を発掘する機運が高まり、今はチャーリー・バワーズは知られる存在となったのですか?
田中:海外では、映画祭で上映される機会はあるのですが、一般の人が名前を知るというレベルではまだないのが現状です。ポテンシャルのある作家なのに、ちょっとチャーリーの力を見くびっているのではないかと思ってしまいますよね(笑)。久々に、サイレント映画の新人が約100年越しで登場したわけですから、ぜひ注目してもらいたいですね。一方で、サイレント映画の枠に収まらない現代的な魅力があります。
――――最後に、これからご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
田中:フィルムアーカイブ事業を行なっている当館が、日本初紹介となるサイレントコメディの革命児的存在、チャーリー・バワーズを初劇場配給としてご紹介できるのは、願ってもないことです。シンプルに「面白いものを観たい!」という気持ちで、ぜひ体験していただきたいですね。このビジュアルにビビッときたら、絶対楽しいハズ!
(江口由美)
<作品情報>
『NOBODY KNOWS チャーリー・バワーズ –発明中毒篇–』(6作品 計106分)
『たまご割れすぎ問題』(1926年 23分)
『全自動レストラン』(1926年 23分)
『ほらふき倶楽部』(1926年 21分)
『怪人現る』(1928年 22分)
『とても短い昼食』(1918年 6分)アニメーション
『オトボケ脱走兵』(1918年 6分)アニメーション
10月8日(土)よりシネ・ヌーヴォ、順次、京都みなみ会館、元町映画館にて公開
配給:プラネット映画保存ネットワーク
提供:Lobster Films
企画協力・日本語字幕:いいをじゅんこ
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