無限ループの「男ムラ社会」に一石を投じる!『裸のムラ』五百旗頭幸男監督インタビュー


 前作の『はりぼて』で富山市議たちの不正を究明した取材の裏側や自らにカメラを向けた五百旗頭幸男監督の石川テレビ移籍後第一弾となるドキュメンタリー映画『裸のムラ』が、10月14日(金)から京都シネマ、10月15日(土)から第七藝術劇場、今冬元町映画館 にて全国順次公開される。

 コロナ禍の石川に漂う空気を多彩な切り口で映し出す本作では、7期28年の長期県政に蔓延るメディア側も含めた忖度の空気をはじめ、自由を求めて移住したバンライファーや、インドネシア人の妻と3人の子どもたちと暮らすムスリム一家など、少数派ながら個性豊かな生き方をする人たちに密着。五百旗頭監督が「男ムラ」と語るように、女性活躍とは名ばかりの男ムラ社会による政治が脈々と続いていることを痛感させられる。

 一歩離れて見ると滑稽に映ったり、女性たちの扱いに憤りを感じるものの、実際それは日本全国、どこでも大差はなく続いており、結局自分たち有権者も見逃していることを痛感させられるのだ。

 本作の五百旗頭監督に、お話をうかがった。



■出発は、忖度の強度の違いに覚えた違和感

――――石川テレビ移籍早々に、また見どころ満載のドキュメンタリーを作りましたね。

五百旗頭:昨年5月にドキュメンタリー番組「裸のムラ」を製作し、映画化の過程で長編のテレビドキュメンタリー番組を作るにあたり、本編中のバンライファーパートを抜き、県政とムスリム家族を対比させ、「日本国男村」というタイトルでオンエアしたのが今年の5月でした。


――――前職の富山から、石川に移ってみて、地域性は相当違ったのですか?

五百旗頭:そうですね。富山県政を長期間取材し、当時4期16年の石井県政でしたが、石川県に来たら、7期28年の谷本県政でした。旧自治省出身は同じでも在任期間が違うので、僕の肌感覚として、富山と石川で忖度の強度が全然違ったのです。また、コロナ第一波で緊急事態宣言が発出されていたこともあるでしょうが、メディアへの警戒心も石川は強烈なものがありました。この2点は決定的に違いました。自分の感じたちょっとした違和感が、僕の場合は出発点になることが多いので、今回もそれを見逃さずにウォッチし続けた結果、できたのが『裸のムラ』ですね。



■議会取材で撮れた「とんでもないもの」

――――なるほど、ウォッチし続ける中で印象的だったのが知事席の壇上に置かれた水差しです。

五百旗頭:昨年春の議会取材時に、1時間ぐらい早く着いていた和田カメラマンが始まる前の様子を撮影していたのですが、後でプレビューするととんでもないものが取れていました。氷が入った水差しの外側が水滴だらけになっていたのを、とても丁寧に拭いている職員の方の姿を見て、これが長期政権にへばりついた忖度なのかと思ったのです。そこからはずっと水差しが出されるのを狙って撮っていきました。


――――知事が変わってからの水差しを置くシーンで、同じことをしているようでも、明らかに緊張感が取れていました。ちなみにバンライファーの中川さんやヒクマさんなど、政治家以外の方々とはどのように知り合ったのですか?

五百旗頭:ムスリムの松井さん家族との出会いは、僕が石川テレビに移籍したての2020年4月に、デスクから取材しないかと声がかかったのがきっかけでした。当時はニュースも世の中の関心もコロナ一色で、これまで差別を受けてきた少数派の方たちが何か困っていないかを、こちらから聞きに行ってみようと。



■コロナ禍でむしろ「居心地がいい」

――――コロナ禍で社会的弱者の声を届けようとされたのですね。

五百旗頭:早速松井さんに取材をさせていただくと、意外にも「何も困っていない」とおっしゃった。今までは自分たちに差別の矛先が向いていたけれど、コロナでそれどころではなくなったので、とても居心地が良いというのです。その視点は僕にはなかったので、引き続き取材を続けたいと思いました。もう一つは妻のヒクマさんが、日本について語る言葉の強さですね。端的に日本社会の病巣を語るので、このご家族やイスラームコミュニティは引き続き取材を重ねようと思いました。


――――県政とは関係がないように見えた松井さん一家が、大きな役割を果たすことを見越していたと?

五百旗頭:コロナという未知のウイルスが到来し、日本社会や人間の本質がむき出しになっている空気を描くためには、何が必要なのか。県政と、男性中心のムラ社会から追い出されたムスリムコミュニティーは対比になると思いました。それに加え、同調圧力の強いムラ社会において、その圧力を気にせず自由な生き方を貫く人を石川県内で探し、見つけたのが、バンライファーの中川生馬さんでした。その時は、まだ何のイメージも湧いていませんでしたが、引き続きこれらを取材し続けていけば、何か形になるという手応えはありました。この3つはそれぞれ単独でも描ける被写体ですが、関係していないように見える3つが合わされば、すごいものになるかもしれないという予感は最初からありました。


■本来の報道機関のあり方を受け継いでいる会社

――――なるほど。特に長期体制で忖度が強い県政に切り込むことに対して、会社側から何か指摘を受けることはなかったのですか?

五百旗頭:入社時に、これから県政を厳しく追及し、作品として描くとき何か指摘を受ける可能性はあるのかと役員に直接聞きましたが、「何もない」と言われ、実際に今も米澤利彦プロデューサーから背中を押してもらい、基本的に自分のやりたい表現をさせてもらっています。上層部が腰を据えており、本来の報道機関のあり方を受け継いでいる会社だと思います。同業他社の人には「よくあんな取材ができましたね」と言われますが、そういう状態こそが正常ではないですよね。



■バンライファーの生き方を通して見えたこと

――――五百旗頭さんはテレビ局の社員として作品を作り続けていますが、組織に属さないバンライファー、中川生馬さんの生き方はどう映りましたか?

五百旗頭:根本的に僕にはできない生き方をしている人なので、そこに対するリスペクトは常にあり、だからこそ興味を持ったわけです。でも一方で、自分ではやりたいと思わない(笑)。中川さんは僕がどんな質問をしようが、考えを理解して取材を受けてくれているし、何か改善してほしいことがあれば向こうからも意見を出され、話し合いを重ね、納得した上で映画にも出演していただいている。意見を持たないことが罪という考え方の人なので、こちらが厳しい質問をしても、飄々と返してくれる。そこに中川さんの本質が見えますね。為政者の言葉の軽さや対応のちっぽけさと、市井の人たちの対応の肌触りの対比を観てほしいです。


――――対比はこの作品を鑑賞する上でのキーポイントですね。

五百旗頭:同じバンライファーでも、中川さんのように自由に生きている人と、自由に生きたいのに他府県ナンバーのため村の人の目から逃れられないバンライファーもいる。色々な対比を盛り込み、矛盾を浮かび上がらせ、何も変われない人間といろんなことに通ずる普遍を感じ取ってもらえればという意図で全体を構成しています。


■忖度なく思いを口にするヒクマさん

――――映画全体としては日本男村社会を改めて叩きつけられ、腹ただしい箇所も多々ありますが、ヒクマさんは数少ない女性登場人物の中でもその存在感が際立っています。

五百旗頭:ヒクマさんは全く忖度なく、思っていることをストレートに口にする。日本人ではなかなかできないことです。また今まで取材を快く思っていなくても場に合わせて対応する子どもたちを見てきたのですが、ヒクマさんの娘、カリーマさんが明らかに嫌そうな態度を示すのは、かえって新鮮でした。カリーマさんの受け答えが、ずっと差別を受けてきた日本社会との距離や、その時の僕との距離を表していると思うのです。松井さんとヒクマさんには、事前にカリーマさんへ差別のことを聞いていいかと確認していますし、細心の注意を払って映画で使わせてもらっています。加害性や暴力性が伴う取材において、質問者の僕が映らないのはフェアではないので、事前にカメラマンに確認し、僕も映るようにして誕生したシーンです。



■無限ループを示した政治家たちのアーカイヴ映像

――――後半、アーカイヴ映像を使ったパートでは、時間が遡り、90年代に来日したまだ若いプーチンが、柔道部の高校生と交流し、投げ飛ばされるという今では考えられないようなシーンもありましたね。

五百旗頭:石川の県政を描くのに、やはり森喜朗さんは外せません。普通はだんだん現代になる構成になると思いますが、谷本VS馳の権力闘争を描きながら、そこに森さんをうまく絡ませたい。そして最後はオリンピック問題を取り上げたい。実際は時間を遡っているにも関わらず、過去に行けば行くほど、どんどん勢いを増していくので時間が進んでいるようにも見えるのを生かしたシーンになりました。結局ループ現象で、ぐるぐる回っても何も変わらない。それが感じとれるのではないでしょうか。


――――前作の『はりぼて』は、自分たちにも矛先を向けているのが印象的でしたが、今回も自分をさらけ出すことは意識的にされたのですか?

五百旗頭:『裸のムラ』というタイトルにあるように、僕も裸のムラの住人だし、取材側もある程度裸にならなければいけないという意識は、最初から持っていました。中でもさきほどもお話したカリナさんへの取材が、一番僕自身がさらけ出されている気がします。ただ、想像以上に「イヤな監督」と思われているようで、そんなつもりはなかったのにと少しショックではありました。でもそれも受け止めなくてはいけませんよね。



――――鋭く切り込んでいくのが、五百旗頭監督の持ち味ですから。

五百旗頭:『はりぼて』は不正を暴くために、僕も食らいついて追求する様子が映されていましたが、今回は空気を映すというコンセプトではじまったので、テレビ番組版はあまり僕の出演がなかったんです。でも『はりぼて』を観ている視聴者の方から、もうすこし僕が質問しているところを観たいとのお声をいただき、映画化にあたって少し意識はしましたね。


――――音楽もラテン系から和太鼓まで多彩で、映像の強度が増していましたね。

五百旗頭:音楽プロデューサーの矢﨑裕行さんは『はりぼて』も担当してもらいましたし、本作を入れて8作目のタッグになります。僕の作品をすごく理解してくれ、今回の曲に関しては若手作曲家の岩本圭介さんが手がけた曲に、言葉ではない、これは何なんだという、混沌としたものを表現してくれました。「日本国男村」の祭り事のようなものも混ぜながら、映画を観た上で音楽をつけてもらい、映像のブラッシュアップに合わせて、音楽もブラッシュアップしてもらう。音楽が全てではありませんが、作品の色を作るものでもあるので、大事に作ってもらっています。


■変わらないムラ社会を目の前にして

――――ありがとうございました。最後にこれからご覧になるみなさんにメッセージをお願いいたします。

五百旗頭:この映画で描いていることは、おそらく多くの人が知っていたでしょうが、見て見ぬふりをしてきた世界です。知らないふりをしてきたことで、ずっと繰り返されてきたムラ社会を描いています。それを観たら、みなさんの心の中がざわつくと思いますが、結局ムラ社会は変わらないな〜と思うのか、それともその先どうするのかを考えてもらいたいですね。何もしなければ、無限ループ状態が続いていくと思いますし、さりとて、そう簡単に変わることもできない。僕自身も「嫁」という言葉を使い、妻から指摘され、なかなか変われないことを実感しましたが、そこを意識し続けることで、少しずつでも変わっていくかもしれない。そんなことを色々と考えていただければと思います。

(江口由美)



<作品情報>

『裸のムラ』

(2022年 日本 118分)

監督:五百旗頭幸男 

プロデューサー:米澤利彦 

音楽:岩本圭介

音楽プロデューサー:矢﨑裕行

(C)石川テレビ放送

公式サイト⇒www.hadakanomura.jp