等身大の女性を細やかに描く『ナナメのろうか』『ある惑星の散文』深田隆之監督インタビュー〜深田隆之監督特集〈生活の記憶、記憶の記録〉開催に寄せて
ベルフォール国際映画祭の国際長編映画部門で上映された『ある惑星の散文』が今年公開されたばかりの深田隆之監督による中編、『ナナメのろうか』が、現在全国順次公開中だ。老人施設に入った祖母の家を片付けにきた姉妹が、昔に思いを馳せると共に、生き方が異なる現在を露わにし、すれ違いながらもお互いを求める記憶と記録の物語。第70回サン・セバスティアン国際映画祭サバルテギ・タバカレラ部⾨正式出品作品としてインターナショナルプレミア上映された本作が、11月17日(木)19時より、東京の新文芸坐で『ある惑星の散文』と2本立て特別上映される。深田隆之監督、『ある惑星の散文』主演の富岡英里子さん、中川ゆかりさん、『ナナメのろうか』主演の吉見茉莉奈さんが上映後舞台挨拶を行う予定だ。
深田隆之監督特集〈生活の記憶、記憶の記録〉開催を前に、深田監督に上映作品についてお話を伺った。
※2023年4月1日(土)よりシネ・ヌーヴォにて1週間限定上映、順次、出町座、元町映画館にて公開決定!
■映画との関わりを持ちながら上映活動
――――最初に映画についてどこで学ばれたのですか?
深田:最初に映画の方向に進もうと思ったのは高校3年生のときです。アニメーションや絵を学ぶ美術大学に進むため、美大専門の予備校に通っていたころに、同じ学校ながらほとんど話をしたことがなかった夏井祐矢さん(現在、深田監督作品を配給する合同会社夢何生代表)と出会ったのです。週に1度、中嶋莞爾監督の授業で映画を観て、感想を書いているうちに、映画に興味を持つようになり、東京造形大学の映画専攻(現在は造形学部映画・映像専攻領域)で諏訪敦彦監督に学びました。
卒業したのは2011年、東日本大震災が起きたために卒業式がなくなり、そのままフリーランスとして活動をはじめたので、当時はアルバイトをしながら企業の仕事をしたりと、とにかく必死でしたね。その後、2015年ぐらいから企画をはじめ、その翌年に撮影したのが『ある惑星の散文』になります。
――――『ある惑星の散文』は、卒業してから少し時間が経ってから制作した作品だったんですね。オリジナル脚本で、作るのにパワーが必要だったと思いますが。
深田:卒業してからずっと、映画との関わりを持ち続けていました。横浜のジャック&ベティが主軸になって開催していた「横浜みなと映画祭」のスタッフをしたり、2013年から貨物船の中で映画を上映する「海に浮かぶ映画館」を主宰したり、上映活動の方を先に始めていたんです。観客にどうやって映画を届けるかを試行錯誤しましたが、やはり自分で映画を作りたいという想いが強くなり、『ある惑星の散文』を作り始めました。
■複雑な街の歴史がある横浜・本牧から得たインスピレーション
――――『ある惑星の散文』の着想はどこから得たのですか?
深田:2014年にアートプロジェクトがあり、横浜を歩き回ったときに、本牧を初めて訪れたんです。そこで、ここなら何か撮れるかもしれないと思ったのが大きかったですね。本牧は元々、漁村だったのですが、戦後アメリカ軍に接収され、アメリカの文化が入ってきたため、70年代にはカウンターカルチャーの台頭もあり、東京よりも熱いスポットと呼ばれていた。そこから衰退し、今や名前を聞くことも珍しくなってしまった。そういう複雑な街の歴史があり、今は人も少なくなっている。それら全てを含めて面白い場所だと感じました。
――――『ナナメのろうか』にも共通することですが、二人の女性が主人公で、女性が観ても自分たちの物語だと共感する描き方をされていますね。
深田:今はジェンダーギャップの問題がやっと言われ始めましたが、『ある惑星の散文』を作っているときは、シスターフッドという言葉もまだそんなに聞くことがなかった時期です。僕自身もそこまで意識していないのですが、脚本を書いていると自然に女性にフォーカスしてしまう部分があります。ただ僕はシスジェンダーの男性ですし、もちろん女性のことを全てわかっているということではない。ただ重要なのは、2作品とも俳優たちが役に対して真摯にアプローチしてくれたからこそ、現実と地続きにどこかに存在している女性として体現できたのではないかと思っています。
――――『ある惑星の散文』の場合、本牧がSF的に見えたり、セリフではない言葉がとても効果的でしたが、どのような狙いがあったのですか?
深田:『ある惑星の散文』を作っていた当時は、セリフではない言葉を映画に取り入れたいという気持ちがありました。テキスト朗読と本牧の風景を重ね合わせることで、現実の場所をただ映すだけでは表現できないニュアンスが浮かび上がるのではないか。それを映像表現として試しています。
■映像と音があるからこそできる物語表現
――――セリフだけだと現実的すぎるところを、散文の語りが入ることで、少し客観的に見えたり、観ている側が適切な距離感を持って作品と向き合える気がします。
深田:ドラマをどう語るのか考えたときに、映画という表現を、ただドラマを語るだけの装置にはしたくない。例えば、脚本に書かれた関係性の変化を上手に見せていくなど、自分はそういうものを見たいわけではないという感覚がどうしても強かったです。『ある惑星の散文』の制作を振り返ると、映像と音があるからこそできる物語表現をやろうとしていたのだなと思います。
――――富岡英里子さんが演じる脚本家のルイは、恋人に撮られる側から、別れた後は自分が撮る側へと転換し、彼女の未来にも繋がっていきますが、カメラで撮った映像や、撮るという行為にさまざまな意味を持たせているのでは?
深田:ルイはいわゆる脚本家的な動きとして、最初は監督であり恋人でもあるアツシに判断を委ねる立場でしたが、次第に自分の目で主体的に世界を見始めるという構成は、脚本段階で強く意識していました。
あと、フィルムは一度撮ると基本的に上書きませんが、ルイがハンディカムで回している小さいDVテープは上書きができるメディアなんです。撮影当時はすでにあまり使われなくなっていたけれど、すごく面白いメディアだなと思い、記録と記憶の問題として使用したという経緯があります。
――――大きな不幸が起きたわけではないけれど、夢破れ、行き詰まっている。そんな停滞している人を描いていますね。
深田:当時、僕自身が停滞期だったので、それがそのまま映画に出ていると思います。一般的な映画では最後のシーンでルイとメイコが出会い直し、むしろそこから映画が始まると思いますが、この映画では彼女たちの物語が始まるまでのちょっとした一歩を映画のゴールにしたいと最初から考えていました。
■閉館したシネコンで撮った、希望を見出すシーン
――――中川ゆかりが演じる精神疾患により舞台俳優活動を離れたメイコが、廃館になったシネコンを兄、マコトと訪れるシーンはある意味クライマックスですが、最初から構想していたのですか?
深田:名画座がロケ地になるケースはよくありますが、閉館になったシネコンがそのまま残っているケースはなかなかない。独特の色使いが印象的だったので、直感的にここを使いたいと思い、それならばどんなシーンができるかを考えました。スクリーンも座席もないけれど、ここでメイコが少しでも希望を見出せるようにと。ライターの月永理絵さんが、「この映画は音の映画だ」と書いてくださったのですが、それまでのシーンはずっとノイズがあるのに、シネコンの中ではほとんど無音になり、いきなり外界から遮断され、メイコだけの空間になる。映像と音で物語を表現する上で、本当に重要なシーンです。
――――『ナナメのろうか』は、祖母の家がもう一つの主役ですが、深田監督ご自身のお祖母様の家だそうですね。
深田:小さい頃からよく通っていた祖母の家でロケを行いました。数年前まで祖母が暮らしていたのですが、今は老人施設に入居し、空き家になっている状態でした。洋風と和風が混ざっているような、不思議な雰囲気の祖母の家を記録しておきたかったのです。
■濱口監督の現場で痛感した「時間をかけることが重要」
――――撮影は濱口竜介監督の『偶然と想像』で助監督を務めた後だったそうですが、濱口監督の現場を体験することで、この作品に反映させたことはありましたか?
深田:濱口さんの代名詞のように知られているのはリハーサルでの本読みという手法よりですが、演出家である濱口さんと俳優の皆さんがきちんと時間を重ね、信頼関係を築くという繊細なプロセスの方が重要で、それが現場に良い影響を与えていたという感覚がありました。創作には時間をかけることが重要で、何かを作るときに時間をかけなければ真にいいものはできないということを学びました。
予算がある程度確保されていてもスケジュール的には厳しい現場が多いですし、衣装合わせで少し本読みの時間をもらえるぐらいで、撮影現場に入る前にリハーサル期間をとるのは本当にまれなのです。それでは映画は作れないということを再確認しましたね。
――――『ナナメのろうか』は登場人物が姉妹のふたりだけなので、リハーサルをしっかりされたのですか?
深田:かなり時間を取りました。7日間の撮影の前に、7日間のリハーサルをしました。最初の4日間は稽古場で、雑談もしつつ本読みをしたり、真っ白なスペースで演じてみる。後半3日間は撮影する家に行ってリハーサルをしたのですが、通常はなかなかできないです。今回は、祖母の家での撮影という環境を最大限に生かしました。
■リハーサルで試した喧嘩のシーン
――――結婚して子育て中の姉、聡美と、シングルマザーになることを決意した作家の妹、郁美。正反対の境遇を生きる姉妹は、観客が思いを重ねたくなるのでは。
深田:制作期間が短かった中で、姉妹の喧嘩シーンのセリフはほぼ変わっていないんです。かなり勢いで書いたところがあり、その勢いをそのまま保持している。僕もちょっと不思議に思うシーンでお互いに言っていることが噛み合っていないし、セリフだけ読むと、姉の方が怒っているように見えるのですが、本編では諭すような口調になっています。実は稽古期間に、3人で様々なパターンを試してみたのです。感情の乗せ方を変えて姉がもっと怒っているバージョンもやってみたのですが、それで気づいたのは姉妹それぞれの感情は本来複雑なものだということでした。怒っているという一つの感情だけではなく、含みがある表現になっているのです。
――――姉妹で遊びを楽しんでいるシーンも印象的でした。『ある惑星の散文』も兄妹の公園シーンがありましたが、意識的に取り入れているのですか?
深田:『ナナメのろうか』と『ある惑星の散文』は僕の中でも同じ系統に属していて、『ナナメ〜』の方がよりブラッシュアップしたという感覚があります。遊びって、俳優が演技というものから少しだけ離れ、その俳優だけが持つ身体性が現れてくる所作、動作だと思うのです。走る、歩くにも通じますが、そういうものをどこかで観たいという欲が強いんでしょうね。
■登場人物の人生を予感させる、広がりを持った終わり方
――――後半は大きく物語が動きますが、意識したことは?
深田:子どもの頃、祖母の家に泊まりに行ったとき、昼間は遊び場もあってどこにでも行ける気がしたのに、夜になるとどこか怖かった。その記憶から着想しています。大人になって一個人となり、生きるスタンスが変わってきた二人のすれ違いを、夜のシーンで表現しています。また、広がりをもった終わり方はどうしても意識する部分がありました。この先には、僕たちは観ることができないけれど、この人たちの人生があるという終わり方をどうしてもしたくなるのです。
――――郁美が童謡を口ずさんでいるのは、『ある惑星の散文』の言葉の代わりのように見えました。
深田:昔、「おかあさんといっしょ」で歌われていたような曲です。僕は大学時代も映画を作っていたのですが、当時も子どもの歌を映画に取り入れていたので、むしろつい出してしまうぐらい、僕の中の定番モチーフです。変にまとめる方向になることを警戒していたので、『ナナメのろうか』で久しぶりに、ここなら使えるかなと挿入しました。
――――劇中の写真も深田監督のお祖母様のものですか?
深田:そうです。実は写真を挿入するかどうか、悩みました。というのも、物語上では写真がなくても成立するのですが、姉妹の時間の中に、あの写真の時間という異層の時間軸を入れ込みたかったのです。僕の祖母は姉妹のつながりがとても強かったので、祖母の写真を入れることで、過去だけれど未来にも見えてくるような、聡美と郁美の姉妹の時間だけではない広がりのイメージが生まれるのではないか。そんな狙いがありました。
■視線を活かしたくなる吉見茉莉奈と、表情から嗅ぎ取りたくなる笠島智
――――聡美を演じた笠島智さん、郁美を演じた吉見茉莉奈さんのキャスティングについて教えてください。
深田:吉見さんは僕が最初に舞台でその演技を見たとき、面白い存在感を発しておられると思い、今回オファーしました。ふっと振り向いたときなど、目が強い印象を与える方です。後半も吉見さんの視線をどう活かすかを考えて編集を変えた部分もありましたし、そこが魅力的な俳優だと思っています。
笠島さんは草野なつか監督の『王国(あるいはその家について)』や杉田協士監督の『ひかりの歌』に出演されたのを拝見していましたが、オファーするずっと前にお会いしたとき、ご本人は映画で見ていたすっと感情を消したような表情ではなく、とてもよく笑う方だったんです。笠島さんにはこんな表情があるのかと思ったのが心に残っていました。感情の節目で何かを抱えているような表情をされるので、観客として役の感情を想像したくなる。一方で明るく振舞っている部分も映すことで、姉の聡美をより深い人物にしてくれるのではないかと思い、オファーしました。ご覧になった方からは、姉の方が実は闇が深いというお声もいただきます。
――――聡美を見ていると、子育てで一時的にキャリアを中断させられた30代の自分を見ているようでした。
深田:笠島さんが演じることで、100%不満を抱えているわけではないけれど、なんとなくシコリが残っている感じをすくい取れるのではないかという狙いもありました。
■記憶や記録の関係をより掘り下げたい
――――『ナナメのろうか』は祖母の記憶や、祖母の家が持つ記憶を記録したような作品ですが、記憶と記録は深田監督の大きなテーマと言えるでしょうね。
深田:新文芸坐で11月17日に『ナナメのろうか』『ある惑星の散文』を2本特別上映するにあたり、劇場が「生活の記憶、記憶の記録」というタイトルをつけてくれました。なるほど!と感動するぐらい素敵なタイトルです。おそらく「このテーマを撮ろう」と思って映画を撮っている監督はそんなに多くない。僕もいつの間にか、記憶や記録の関係にフォーカスしていたのですが、この1年である種自覚的になってきたので、これからはより掘り下げたい。そして映画表現のアプローチを突き詰めていきたいと思っています。
(江口由美)
<作品情報>
『ある惑星の散文』(2018年 日本 98分)
監督・脚本:深田隆之
出演:富岡英里子、中川ゆかり、ジントク、渡邊りょう
公式サイト → https://www.forgotten-planets.com/
『ナナメのろうか』(2022年 日本 44分)
監督・脚本:深田隆之
出演:吉見茉莉奈、笠島智
0コメント