普遍的な美と言葉を追求し続ける服飾ブランドmatohu、その仕事と哲学に迫る 『うつろいの時をまとう』三宅流監督、服飾デザイナーの堀畑裕之さん、関口真希子さんインタビュー


日本の美意識を手掛かりに、独自のスタイルを表現する服飾ブランドmatohuに密着、日常の美やそれを服に落とし込む仕事ぶりを映し出すアートドキュメンタリー『うつろいの時をまとう』が、4月21日(金)より京都シネマ、4月22日(土)より第七藝術劇場、5月13日(土)より元町映画館にて公開される。

監督は『躍る旅人 能楽師・津村禮次郎の肖像』『がんになる前に知っておくこと』などの三宅流。服飾デザイナー、堀畑裕之さんと関口真希子さんが2005年に設立した「matohu(まとふ)」にて「かさね」「なごり」などの言葉をテーマに発表してきた「日本の眼」シリーズや、それら創作の源になった美を探す旅にも触れる。また地方で伝統的な技術を継承している職人たちとの共同作業も映し出し、服が出来上がるまでの工程を体感できるのも大きな魅力だ。一枚の服に織り込まれた物語から、日常の美に気づかせてくれる。美しさの新しい視点を与えてくれるドキュメンタリーだ。

本作の三宅流監督と出演の堀畑裕之さん、関口真希子さんにお話を伺った。



■matohuが使っている開かれた言葉を手掛かりに映画を作る(三宅)

―――三宅監督がmatohuの服を知ったのは、前作『躍る旅人 能楽師・津村禮次郎の肖像』の撮影時だそうですね。

三宅:ちょうど前作撮影中のとき、津村禮次郎さんの古希を祝う記念能が国立能楽堂で行われたのですが、伝統的な能衣装に合わせてmatohuさんが作られた衣装を着ておられたのです。撮影後に津村さんから現代のデザイナー(matohu)が作った衣装であることを伺い、ビックリしました。和をテーマにした服飾デザイナーは決して珍しくないのですが、表面的な和の理解では到達できないような強度で作られていることに驚きを覚えたのが、matohuに興味を持つきっかけとなりました。


―――映画を撮るにあたって、着目したことは?

三宅:matohu公式サイトに書かれていた「かさね」「無地の美」「ふきよせ」「ほのか」というテーマの中でそれぞれ言葉がたくさん書かれていて、それがとても緻密な言語空間を成していました。それらは、決して難解な言葉ではなく、開かれた言葉で書かれていたので、映像のイマジネーションを掻き立てるような言葉だったんです。僕自身、それまでファッションにはそんなに詳しくなかったけれど、そこに書かれているmatohuの言葉を手掛かりにすれば、映画ができるのではないかと思いました。


―――matohuが大切にしている言葉が、映像のイマジネーションに繋がったんですね。

三宅:Tokyo Docsのプレゼン企画に選ばれたので、当初は国際共同制作を目指していたのですが、アート系の企画は逆風と指摘され、企画がその場では通らなかった。でもちょうど「日本の眼」の最後のテーマである「なごり」の制作がはじまるタイミングだったのです。クリエーションを撮ることができる非常に大事な機会なので、この先どうなるかはわからないけれど、まずは1シーズンを追ってみようというところからスタートしました。


―――ドキュメンタリーの被写体になることに関して、最初はどう思われましたか?

堀畑:僕たちが映画になるというよりは、ブランドの仕事ですから、今までもTV取材を受けたこともありましたし、よかったら撮ってくださいとお伝えしました。三宅さんは、5年間の中で、最初は一人でカメラを携えてこられ、ものづくりの色々なプロセスや業界の仕組みなども含めて取材をしてくださいました。その中で、三宅さんが掴み取られたmatohuの仕事を、アート的な視点でまとめた映画だと思います。

関口:わたしたちがやってきた一つひとつのテーマを、三宅さんが理解し、それを映像で表現することで、初めて映画をご覧になる方もテーマを理解し、感動してくださる。映像の力はすごいなと思いました。



■普遍的な美しさの世界を日本人の目線で言葉や服にし、伝えていく(堀畑)

―――堀畑さんは学生時代に哲学を、関口さんは法律を学んだ後、文化服装学院で出会い、2005年にふたりでmatohuを立ち上げるにあたり、着物との出会いが大きかったそうですね。

堀畑:文化服装学院で学んだのち、企業で5年ほど洋服(西洋服)の仕事をしてきました。当時、関口がアンティーク着物を着ていたので、僕も着るようになったのですが、改めて着物が持っている身体的な心地よさと、着物が持っていた美意識や長く続いてきた伝統を、鳥の目線で俯瞰的に見ることができたのです。そこに新しい服を作るにあたっての大きなヒントがあるのではないかと思ったのが、matohuをスタートするきっかけになりました。ブランドのコンセプトとして日本の美意識をテーマにはしていますが、もっと普遍的な美しさの世界を探求しています。世界中の人がいいなと思えるようなものを日本人だったらどのように見てきたか。それをトレースして、言葉にするだけでなく、服や、服をまとうことによって伝えていく。それがmatohuの仕事です。



■独自の美意識が残っている衣服の文化を切り分けるのはもったいない(関口)

―――関口さんが着物を好きになったきっかけは?

関口:子どもの頃から着物のタンスを開けて眺めているのが好きでした。昔は普通に着物を着て過ごしていたのが、日本の文化ですごく大事だったと思うのです。わたしは大学卒業前後には家に帰ったら毎日着物に着替えていたし、外出時にも着ていました。でも文化服装学院にファッションとして着ていくと、「洋裁の学校であり、和裁を教えていないので、着物を着てはいけない」と言われ、線引きをされているようで、衝撃を受けました。

日本の衣服の文化はとても深くて豊かですし、それは日本のものづくりを支えている人たちが布地を作り始めたからであり、今、日本でものづくりをするなら、それにコミットして作るべきだと思うのです。また、洋服のコーディネイトと和服のコーディネイトが色の合わせ方一つをとっても全く違うように、独自の美意識が残っている衣服の文化を切り分けているのはもったいないという思いもあり、日本の衣服の文化につながるブランドを目指しています。

堀畑:和ブランドやジャポニズム、または文化的な保守主義者と言われることもありますが、ファッションの一つの楽しみ方と捉えています。普遍的に移ろっていく世界に対し、日本人ならこういうところを愛でてきたという目線をMatohuは大事にしてきたし、少し見方のレイヤーを変えると、見えてくる景色が違ってくると思うのです。それをうまく伝えられるかどうか、まさに綱渡りの状態でもあります。ブランド立ち上げ当初にデザインし、ずっと同じ型紙で布地を変えて作り続けている「長着」も、着物のエッセンスは取り入れていますが、もっと普遍的な開かれたものにしたいという想いがあるとずっと言い続けているし、そうすることの大事さにも気づきました。



■工房での撮影を経て、自分の中で腑に落ちる体験が大事だった(三宅)

―――テキスタイルを作るにあたり、質の良さにこだわるだけでなく、柄も含めて、しっかり物語があるのに感動しました。職人の手仕事も丁寧に映し出していましたね。

三宅:職人がものづくりをしているのを撮るのは好きで、少しずつ布が織り上がり、テキスチャーが見えてくる過程は撮りながら感動を覚えました。ろうけつ染め作家、中井由希子さんの工房でも長時間撮らせていただきましたが、水を打ったように静まりかえる空間で作業をされる中、布と筆が擦れる音や、吊ってある布を返すときの軋みの音が聞こえるのです。工房で撮影するというのは、そういう場に立ち会える、とても幸せな時間でした。紡ぎ出された言葉が職人たちのものづくりの中でできあがっていく。それらすべてが合わさって、自分の中で腑に落ちていく。そういう時間を撮影しながら体験し、編集する段階でもそこで得た感覚はとても大事でした。


―――堀畑さんと関口さんが街を散歩しながら、落ち葉のふきよせに目を留め、そこに美を見い出す姿は共感を呼びます。

三宅:「ふきよせ」という言葉を発見するくだりは、僕が感動した話のひとつです。言葉が後から降りてくる時間を、どのように映画で表現するか。それは本作の中でも大事なシーンでした。また「無地の美」も、コンクリートの染みと思ったらそうとしか見えないものが、そのフレームを外すと別のものとして見えてくる。それは、自分の問題意識の中でもシンパシーを感じるところで、撮れてよかったと思います。



■「日本の眼」シリーズを経て、見えている風景がより重層的で豊かになる(堀畑)

―――毎シーズン、コンセプトを決め、それを服に落とし込んで売るファッション業界の変わらない流れは、作り手や消費者にとって負担になっているのではないですか?

堀畑:デザイナーが自分のオリジナリティやクリエイティビティを内面から絞り出して葛藤する世界は確かにあるし、ものを作るときに苦しみがあるのは事実ですが、デザインの一番基になるコンセプトを体験するのはむしろ喜びが大きいです。「こういうものが美しい」と気づく瞬間は、デザインをしているかどうかに関わらず、誰にとってもうれしい発見だと思うのです。

日本人が今までやってきたモノの見方や楽しみ方にヒントがあり、ほとんどの人がそれを忘れてしまっているので、もう一度掘り起こしたい。それは「侘び寂び」や「幽玄」などという固定化した言葉ではなく、少し違う見え方の言葉があるのではないかとずっと思っていたので、それを見つけて服にしていこうとしたのが、2010年代に行ってきた「日本の眼」シリーズでした。



―――2020年に開催された展覧会「日本の眼」のベースとなった考えですね。

堀畑:7年間かけて17回行ったのですが、モノの見方の「眼」がシリーズを行うごとに増えてくるので、見えている風景が、より重層的になっていく感じがあるのです。自分たちが生きている世界や時間はひとつしかなくても、もっとたくさんの世界を味わえるし、実際に旅をしなくても日常の中から感じられる。それこそが、人が生きる上での豊かさなのではないかと思うのです。それをみなさんとシェアするのが僕らにとってはMatohuという服の仕事だったのですが、今回映像にしていただくことで、ご覧になったみなさんも腑に落ちる感覚がいくつも味わえるのではないでしょうか。

関口:「ふきよせ」という言葉があることで、知っていたけど意識しなかったことが、改めて人生を豊かにしてくれる。「すごく綺麗なふきよせを見たの」と教えてくれるお客さまもいらっしゃるんです。

堀畑:モントリオール国際芸術映画祭に三宅監督が本作で参加された際、意気投合した作家の方が、ご自分も同じように道の落ち葉や壁のシミを美しいと感じていたとおっしゃっていたそうです。それは日本人に限らず、みなが感じていることだと思うので、それを切り取ったことで世界中の人と共感しあえるのは、素晴らしいことだと思います。


■日本と海外をバランスよく取り入れることを目指す「手のひらの旅」(関口)

―――「日本の眼」に続いての新シリーズ「手のひらの旅」は、地方を旅しながら、その土地の伝統的な職人技に目を向けた、とても興味深いコレクションになっています。

堀畑:「日本の眼」はコンセプトを巡る旅であり、ある意味自分たちで設定できるものでした。一方、旅というのは自分たちが予期しないものに出会う過程そのものが面白いし、新しい視点をもらえます。そこで手仕事に焦点を絞り、手のひらから出発して、手のひらに戻ってくる旅はどうだろうかと考えました。旅をしてものづくりに出会い、実際に作ったものをみんなで使ってみるというコンセプトです。持続してきたものを、どのように次に繋げていくかという旅でもあります。関口の言った素晴らしい手仕事は、世界でも消えつつある危機にあり、できれば日本を超えて、より広い世界に広がっていければいいなと思っています。そこでも日本の感性を持ちながら出会っていくので、いろいろな確執やぶつかりはあるでしょうが、それをどのように消化し、腑に落ちる形にしていくのか。それがライフワークのようにこれから続いていくのではないでしょうか。

関口:日本の中でも、土地ごとに知らないことがまだまだたくさんあり、それを追求するだけで一生かかってもやりきれないぐらいなので、日本と海外をバランスよく取り入れながらというスタイルがちょうどいいのではないかと思っています。

堀畑:コロナ渦で県外へ出られなくなったとき、初めて東京を旅しました。東京はかつての空襲で全て焼かれ、景色も大きく変わってしまったけれど、そんな中でも目を凝らすと歴史の層がちゃんと積み重なっているのが見えてくる。そのように今、見えている世界を縦の時間軸で見ていくことを学ぶと、地方都市に行ったときも一見同じように見えて、そうではないことがわかってくる。そういう時間軸のレイヤーで見ていくのが面白いですね。


―――伝統を繋ぎながら革新し続けていることが、本作や、実際にmatohuの服に触れてみて感じられました。映画でも同じことが言えるのではないですか?

三宅:映画はインフラにより観る側の感性も変わっていきました。リュミエール兄弟が歴史上初めて映画を上映したとき、観客が驚いて逃げ出したというのも、それまで映画というものを見たことがなかったからですし、その後ジョルジュ・メリエスが『月世界旅行』など定点で記録しているものを撮っていき、そのうちD・W・グリフィスらがモンタージュを発見していきます。ロシアのセルゲイ・エイゼンシュテインは『戦艦ポチョムキン』をはじめとする作品群でモンタージュ理論を確立しましたが、アンドレイ・タルコフスキーはモンタージュ万能主義を否定し、ショットそのものの中に多義性が存在すると考え、長回しを多用しはじめる。そんな風に一周回って、作り手も映像に対する感性を養いながら進化していくのです。これから映画館だけでなくサブスクやYoutubeで映像を観てきた世代がどんな感性で作っていくのか。そのせめぎ合いでもあるし、一方で流されすぎると表現として弱くなってしまう部分もある。自分の原点を大事にしながら、今どうあるべきかを作り手としても常に考えなくてはいけないでしょうね。



■時間をかけて生まれてくる新しい価値を待つ(堀畑)

―――matohuは「纏う」と「待とう」のダブルミーニングとのことですが、待つというのをあえて入れた理由は?

堀畑:服が消費される現状に対して「ちょっと待って」という呼びかけで、自分たちが服の仕事をする上で常に疑問に感じていたことでした。単なる呼びかけだけでなく、時間をかけて生まれてくる新しい価値があるのではないかと。

関口:ワインでもそうですが、時間こそが美味しくするものも多いと思うのです。布を1本1本織っていくのも時間がかかるし、糸を作るのはもっと時間がかかります。

堀畑:それに人類が農業を始めたときから、タネを蒔き、収穫を待っていたわけで、未来に対して希望を持つというのが待つことの意味だと思うし、一つのメッセージになると思います。本作のタイトルも、うつろいの時をまとうという意味と、そういうものが生まれてくる美しい瞬間を待つというダブルミーニングになっています。「うつろいの時」という言葉が人生を表していて、その命の時間を纏っているのが僕たち一人ひとりではないかと、この映画を観て感じました。


■服作りや着ることを通して、人間の営みの深いところで何かを感じ、共有したい(堀畑)
衣服は命に直結する、本当はもっと大事で深い存在(関口)

―――ありがとうございました。最後にお二人にとって「服」とは?

堀畑:衣食住と言いますが、最初に「衣」がくるのには意味があります。毎日衣服を着たり、着飾ったり、それに喜びを感じるのはとても人間らしい営みだと思うのです。だからこそ映画になったとき、みなさんが身近に感じやすいのではないでしょうか。僕らは服を作る仕事を選びましたが、単に流行のものを作るのではなく、衣服を着ることや作ることを通して、人間の営みの深いところへ常に自分たちが降りていき、何かを感じたい。そして感じたことをみなさんと共有していきたい。それが最初から変わらぬ志です。

関口:映画に出てくるボロもそうですが、衣服は命に直結するものです。日常生活の中でさほど感じることはないかもしれませんが、本当はもっと大事な存在で、深いものだと思うのです。一枚の服の可能性を考えながら、丁寧に糸から服を作っていくことを心がけたいし、それを伝えていきたい。matohuで、その両方をきちんと果たそうと思っています。

(江口由美)


<作品情報>

『うつろいの時をまとう』(2022年 日本 96分)

監督:三宅流 出演:堀畑裕之、関口真希子、赤木明登、津村禮次郎、大高翔

4月21日(金)より京都シネマ、4月22日(土)より第七藝術劇場、5月13日(土)より元町映画館にて公開 

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