昔親しんできた漫画の原点、山本周五郎「菊千代抄」を映画化した『華の季節』片岡れいこ監督インタビュー


 山本周五郎の「菊千代抄」を映画化、京都府亀岡市での撮影も話題の『華の季節』が、10月13日(金)より京都シネマ、10月14日(土)よりシネ・ヌーヴォXにて公開される。

京都出身の片岡れいこ監督が、江戸時代の設定を明治初期に置き換え、後継ぎを求める良家に女に生まれ、男として育てられた珠緒と、その秘密を知りながら珠緒を見守る晃士郎のふたりを、緑豊かな自然と共に描く、現代的なジェンダーのテーマを内包したラブストーリーだ。

本作の片岡監督にお話を伺った。



■「菊千代抄」と出会い、「自分で表現したい!」という気持ちに駆られる

―――原作の山本周五郎「菊千代抄」にいつ出会い、どこに心を掴まれたのか教えてください。

片岡:30代半ばに当時勤務していた出版社の社長から「あんちゃん」という山本周五郎の短編集を紹介されたのですが、その中に収録されていたのが「菊千代抄」でした。周五郎の作品はもちろん、どれも素晴らしいのですが、「菊千代抄」だけ特別な胸の打ち方をしました。それは客観的な評価というより、「自分で表現したい!」という気持ちに駆られるものだったんです。周五郎の作品にしては決闘など男性的な要素が少なく、女性に焦点を置いており、むしろ異色作だと思います。


―――女性に焦点を置いた作品なら、むしろ今フォーカスされるタイミングなのかもしれませんね。

片岡:「ベルサイユのばら」や「リボンの騎士」で育った世代なので、もともと漫画家になりたかったんです。わたしが「菊千代抄」に出会ったのは時系列的には後ですが、昔親しんできた漫画の原点だったと思います。「菊千代抄」を読みながら涙がボロボロ流れ、自分で映画化できればと思ったものの、現実的に映画監督をするのは無理だろうなと諦めていたんです。このように、本当に自分の手で映画にできるとは感無量です。


―――読んだ当時は、まだ映画の仕事はしていなかったのでしょうか?

片岡:「いつか映画にしたい」と周りには伝えていましたが、この人生では無理かもと諦めモードだったんです。実は大学時代に映画研究会に所属したのですが、当時はフィルムでの撮影だったので難しすぎたので、ビデオカメラでミュージックビデオを作っていました。映画は憧れのままだったのですが、デジタル化で撮影も簡単になり、他にもさまざまな奇跡が重なって、映画化が実現できたのは嬉しいことですし、上映できることになったのは本当に嬉しいですね。


―――設定が江戸時代の原作を、時代を置き換えて脚本にすることが大変だったと思いますが?

片岡:この映画を作るにあたり、わたしがあまりにも多忙だったので、中学時代の同級生、清水正子さんと相談し、脚本の初稿を書いてもらいました。文学作品に精通し、着付けなどにも詳しいので、美術や衣装のことも考慮し、せめて明治の初期ぐらいに設定すれば良いのではないかと提案してくれました。他にも原作では菊千代のことを慕い続けてきた男性の心理が最後の言葉でしか表現されておらず、そこが文学上の遊びの部分でもあり、映画で自由に表現できる場所なので、セリフではなく映像でどのように見せているかを注目していただきたいです。



■好きになった瞬間を意識的に描く

―――他に、映画版ならではの見どころは?

片岡::原作は夜な夜な悪夢にうなされたりするような主人公、菊千代の精神的な葛藤を描くシーンが非常に多いのですが、本当はハッピーエンドの話なのに映画でそこを突き詰めると重たい感じになると思い、脚本ではそこは最小限にとどめました。また、原作では明確に表現されなかった「いつ好きになったのか」という瞬間を映画では大事にしたいと思い、晃士郎が珠緒を女性として意識した瞬間を、花を使って表現しています。


―――映画の中で、花の存在は非常に大きいのでは?

片岡:ビジュアルのテーマが欲しいなと思い、女性を象徴するものとして花を使っています。7歳から20歳ぐらいまでの話なので、季節を選ばずに華やかな花を探したところ、たどりついたのがゆりでした。『華の季節』という題名が浮かんだのも、映画の中で花を大事なものを象徴するものとして使っているからです。



■ロケ地、亀岡の魅力と今後の展開

―――亀岡でのロケですが、本当に自然が豊かな場所でロケ地としても非常に魅力的ですね。

片岡:亀岡市は京都、大阪のベッドタウンでもあり、実は緑も多く住みやすい。加えて、亀岡は武家屋敷が多く、今もそこで住んでおられる方が多いので、五月人形ではなく鎧兜が置かれているような文化なのです。一般の方には知られていないけれど、素晴らしい文化があることを多くの方に知っていただきたいですね。


―――最初から亀岡での撮影を考えていたのですか?

片岡:京都市内でロケ地を探していたのですが、なかなか撮影に協力していただけるよい場所がみつからなかったんです。たまたま転居した先が亀岡だったので、神応寺へ挨拶に行くと、近くの石庭や毘沙門でよく撮影が行われていることや、フィルムコミッションが力になってくれることを教えていただき、大正池や様々な施設を教えていただきました。映画を作ることを通して亀岡市を盛り上げていきたいですし、亀岡市、京都市の後援をいただき、亀岡を舞台にした次回作に向けて走り出したところです。


―――女に生まれながら、男子誕生の験担ぎのため、男子として育てられた主人公、珠緒の人生を思うと、みていて胸が苦しくなりますね。

片岡:珠緒の気持ちはどうなのかと深く自分の中で思いを巡らすのですが、ジェンダーという言葉がない明治時代の話を、あえて現代で蘇らせることにより、みなさんのフィルターを通して感じられることがあれば、作った意味があるなと思います。



■撮影で成長した主演、松本杏海

―――明治時代は、女性が男性の決断に従わざるを得ない部分が非常に多いし、子どもを産まなければ価値がないと言われていました。そんな中、珠緒のように本当は女であることを知っても、男のまま生きていきたいと思うことは当時としては自然な感情だったのでしょう。一方で、体はどんどん女性の体になっていく。複雑な内面の葛藤を表現するために、珠緒役の松本杏海へどんな演出をしたのですか?

片岡:前作『ネペンテスの森』のオーディションに来てくださったとき、松本さんはまだ15歳で目力もあり、ぴったりだと思って主演に選びました。ただ、今回は少し大人びた魅力が必要な役だったので声がけしなかった。すると、自らオーディションのことを知り、ひとりで申し込んできたんです。最終選考で今回もわたしが松本さんを選んだので、原作では2歳だった男性との年齢差を、今回は10歳差の設定に変えました。撮影で松本さんはとても成長したと思います。ただ、夜のシーンや夢に出てくるシーンなど、原作ではかなりリアルな描写だったので、そこは悩みましたね。


―――事細かに肌を露わにして描かずとも、ニュアンスが伝わるような描写でしたね。

片岡:演出の仕方に悩みましたが、「お風呂に入って、気持ちいいな〜という表情をしてみてください」という風に声かけし、そういう表情を大事にして演じてもらいました。一方、封建的な時代だからこそ、しっかりとしなければいけないと強気で振る舞う描写が、本当は優しい人物なのにきつい印象を持たれたのではと、最後まで悩みもしました。ただ、この時代の振る舞いを理解していただければという想いがあります。


―――実際に長い間映画化したかった作品が完成し、ご覧になった時の感想は?

片岡:時代劇ということで、印象的な陰影の撮り方をしてほしいとリクエストしました。また縦横の構図や、障子や襖で閉ざされた空間が多いのですが、珠緒の閉ざされた状況が示されていますし、主人公の心情が浮き上がるような光を作ってほしかったので、大事なところだけ光を当ててもらっています。



■明治時代に、愛だけで結ばれている夫婦の姿を見せたかった

―――後半、分家をした珠緒が田んぼ道で、貧しい夫婦と出会うくだりは、男として家を守るため、まっすぐに生きてきた珠緒が新しい価値観に目覚めるきっかけとなる重要なシーンですね。

片岡:あの時代の女は道具のように扱われたり、愛情もないのに結婚させられ、離婚もできない状況でした。その中に純粋に愛し合っている夫婦で、身分など関係なく愛だけで結ばれている夫婦の姿を見せたかったんです。実はわたしが小説を読みながらボロボロ泣いたシーンで、本当に大事でした。珠緒は本当に恵まれた身分ですが、求めているのに一番足りないものをまざまざと見せつけられる。そこで珠緒は母のことを思い出すのです。母に愛されていたことを。


―――監督が思う一番の見どころは?

片岡:『華の季節』なのに華やかなシーンがないので、原作にはないけれど絶対に入れたかったシーンを最後に入れています。そこが一番見せたかったところでもあります。ジェンダーの問題でいえば、珠緒は女性として生まれているのに男性として生きることを強いられ、葛藤を重ねながら最後は本来の自分らしさを手に入れます。自分らしさは誰かに押し付けられるものではないという部分に共感していただけるのではないでしょうか。

(江口由美)


『華の季節』(2023年 日本 107分)

監督:片岡れいこ 脚本:清水正子、片岡れいこ

出演:松本杏海、難波江基己

10月13日(金)より京都シネマ、10月14日(土)よりシネ・ヌーヴォXにて公開