ジャーナリスト、北角裕樹さんに聞くミャンマー情勢の変遷と、セルフドキュメンタリー『夜明けへの道』が示した映画監督の決意


 2021年2月1日、ミャンマーの軍事クーデターにより突如日常や自由を奪われ、指名手配となった映画監督による、自身の逃亡生活と決意を記録したセルフドキュメンタリー『夜明けへの道』が5月4日(土)より第七藝術劇場、5月17日(金)より京都シネマ、以降元町映画館他全国順次公開される。

 エンターテインメント作品を多く手がけるヒットメーカーのコ・パウ監督の日常が激変した軍事クーデターの日。抗議デモの先頭に立ち、今までの成功と決別して解放区へ変装しながら逃亡。国民解放軍と共に闘う一方、独立メディアを立ち上げる。どの瞬間も、自身をカメラで記録し、現地の悲惨な現状も映し出している。クーデター前の民主主義より、さらによい社会を作り上げる強い意志を、まさに命がけで宣言しているコ・パウ監督から目が離せない。

 本作の日本公開を支援しているのは、2014年にミャンマー・ヤンゴンに拠点を移し、クーデター前からコ・パウ監督と親交があったジャーナリストの北角裕樹さん。自身もクーデター発生後、2回にわたり不当に拘束され、約1か月間インセイン刑務所に収監された経験から、解放・帰国後もミャンマー情勢について情報発信している。来阪した北角さんに、現在のミャンマー情勢やコ・パウ監督をはじめとするミャンマーでの文化人による政治行動についてお話をうかがった。



■2011年の民主化以降、表現活動の盛り上がりを見せたミャンマー

――――最初に、北角さんが2014年にミャンマーへ拠点を移された経緯について教えていただけますか?

北角:もともと日経新聞で12年間記者をしていましたが、当時から海外で取材をしたいという願望がありました。のちに民間人校長として大阪の公立中学校にいた時期もありましたが辞めることになったとき、もう一度報道に戻ろうと思い、海外で取材をできるところを探すために旅行した中で訪れた国の一つがミャンマーでした。とても人がいいと思える国である一方で、ミャンマーは過去に選挙結果を反故にしたことのある国でもあるのです。

翌年の2015年に予定されていた選挙で、選挙結果がきちんと反映されるのか、また反故にされるのかを自分の目で追ってみたいと思い、2014年から現地で1年間、雑誌の編集長をしたのち、独立してフリーで活動するようになりました。


――――なるほど。当時は雑誌や新聞、テレビ局など、軍事政権下では認められなかったメディアが続々誕生していたのでしょうか?

北角:軍の流れはありますが、2011年に民政移管し、文民の政治が誕生したことで、表現の自由が広がってきました。軍事政権時代は検閲が厳しく、日刊紙が出せなかった。つまり、今日起きた出来事を明日の新聞に載せるという仕事をしている人はいなかったわけですが、自由化以降は新聞も続々創刊し、週刊誌や民放のテレビ局も増えるなど、一気に盛り上がってきたんです。それを実際にやる人が足りないぐらいの状況でしたが、僕のようなフリーの外国人ジャーナリストやミャンマー人ジャーナリスト、あとはコ・パウさんなどの映像作家たちも含め、みんなが非常にいい仕事をしていた。今まで検閲で描けなかったような少数民族問題も、今ならできると奮起した人が非常に多く、僕もその環境が刺激になったので、クーデター前まで彼らと一緒に仕事をしていました。


――――本作のコ・パウ監督にとっても人生の中で表現の自由を手に入れ、貪欲に作品作りに取り組まれていたんだと思います。コ・パウ監督をはじめとするゆるやかな表現者たちのグループの中に北角さんもいらっしゃったと?

北角:業界としての成長はまだこれからの部分がありましたが、彼らは非常に仲が良かった。映画祭を中心にした独立系映画人のグループもあり、彼らは発表の場が限られているのですが、映画人の集まる場所では存在感を示していました。自分たちのやりたい企画を立てて映画を撮るということも軍事政権時代はできませんでしたから。



■「何か不正や許せないことが起きた時、芸能人や責任のある人が声をあげることは義務」

――――ちなみに、コ・パウ監督はミャンマーではどのように認知されている映画監督なのでしょうか?

北角:コ・パウさんはミャンマー映画界では5本の指に入る第一線の映画監督です。作品のテイストは幅広く、映画の冒頭で登場するようなドタバタコメディやしつこいぐらい同じことを繰り返すような笑いも現地では人気が高いです。かと思えば、農村が抱える問題に挑戦する社会派の作品もあります。


――――映画ではデモの先頭に立って、軍事政権への反対を表明するコ・パウ監督の行動が市民たちを引っ張っていますが、それはミャンマー映画人の全体的な傾向でもあるのですか?

北角:コ・パウさんは、もともと政治的な映画人として目立っていたわけではありません。民主化した時代でも映画の検閲はありましたし、軍に経済を支配されているので、映画界でも軍関係のお金による援助が大きかった。映画の中に「民主主義の時代でも完全に自由ではなかった」というコ・パウさんの言葉が出てきますが、映画監督や俳優たちはその辺のバランスを考えながら行動していたわけです。ミャンマー人の中でも有名人や社会的に影響力の強い人には「何か不正や許せないことが起きた時、芸能人や責任のある人が声をあげることは義務である」という考え方があります。コ・パウさんと同様に、軍事クーデター直後にデモをした芸能人たちをじっくり見ると、今までは決して反体制派ではなく、むしろ体制とうまくやっていた人たちの顔が多く見受けられました。


――――なるほど、軍事クーデター以前は表現の自由を得るために、映画人も軍とうまくバランスを取っていたんですね。

北角:そうなんです。ただコ・パウさんと一緒にデモを行っていた映画監督のルミンさんは、コ・パウさんのように逃げきれず、軍に捕まってしまいました。彼は、実は僕と同じ獄舎にいたのですが、ある日休み時間に通路で話したとき、突然「日本の芸能人は、政治的な発言するよな?」と聞かれ、驚いて返事に窮したことがありました。ルミンさんは取り調べで「芸能人はエンターテインメントだけやっていればいい。政治に関わるべきではない」と言われたそうで、それに対して「世界中で芸能人は声を上げているじゃないか!」と非常に憤り、僕に同意を求めていたわけです。だからミャンマーの映画人たちも、クーデターのような未来を奪われるような状況になった時点で初めて、声を上げるに至ったということだと思います。


――――コ・パウさんは、逃げ続けながら、軍への抵抗行動を続けていますが、北角さんは連絡を取り合っているのですか?

北角:コ・パウさんは解放区からFacebookなどへ情報発信をしているので、目に付いたときに連絡を取っていたのですが、ある日、自分の撮った作品を海外でも観てほしいというお話をされたことがあり、協力者を探したことがありました。最終的には在日ミャンマー人コミュニティの方々が日本から世界各地で上映会の輪を広げてくださり、『歩まなかった道』というフィクション映画が、世界中でヒットしたのです。この噂を聞きつけた配給会社、太秦の小林三四郎社長が『夜明けへの道』の配給を名乗り出てくださったことで全国劇場公開が実現し、僕も支援しています。



■コ・パウさんだから撮れた国軍兵士が主人公の『歩まなかった道』と『夜明けへの道』

――――『歩まなかった道』が敵側である国軍の兵士が主人公なのに驚きました。

北角:実話に基づくフィクションで、コ・パウさんの状況でなければ撮れない映画です。主人公を演じるのがモデルになった国軍の元兵士で、彼は市民の弾圧を命じられ、それを苦に逃げて抵抗軍の兵士になっています。自分の体験を演じてもらうだけでなく、コ・パウさんと活動をしている抵抗軍が実際の装備で、自動小銃を打つシーンもあるんですよ。逃げ続けるのは本当に大変だけど、そんな状況でも自分の映画を撮りたいし、そのためにも闘っている。そんな状況です。


――――コ・パウさんは解放区で独立系メディアを立ち上げ、また映画を国外で上映することで、世界に支援を訴えており、まさに映画人ならではの闘い方だと感じます。

北角:コ・パウさん自身は、その場その場で仲間たちとできることをやっていったと思うのですが、例えば逃げているとき、しかも多くの場面ではひとりです。映画では子どもとモバイルで話す場面も登場しますが、セッティングしておかなければ子どもの顔が映るように撮れない。コ・パウさんが洗濯したり、料理したりするシーンも、音も含めてきちんとした画角で撮れないと映画にならない。そこは彼のプロとしての意地が垣間見えますね。


――――ちなみに、北角さんは『夜明けへの道』をご覧になって、どんな感想を持たれましたか?

北角:武器を手に取る決断をしなければならない彼の表情であったり、気持ちの変遷が伝わり、胸が痛くなります。それを映画人として、映画を作ることでやり遂げたのは、本当に尊敬します。



■実現を目指すのは「連邦民主主義」

――――未来への希望を持ち、闘っていることがよくわかります。コ・パウさんが理想として掲げていた連邦民主主義について、教えていただけますか。

北角:人によって幅広い考え方がありますが、ひとつは、自分たちの未来は自分たちで決めるという考えのもと、自分たちで民主主義を作るという考えです。彼らが「連邦」と呼んでいるのは、ミャンマーは長い間、少数民族との対立が長期間続いており、お互いに仲が悪い状態でしたが、それらの様々な民族と一緒に国を作ることだと、僕は理解しています。コ・パウさんはヤンゴンの方なので、解放区に行くまで少数民族について知らないことが多かったと映画でも語っています。特に彼が撮影していたカレンの地域は、長年国軍と戦ってきた地域なので、逆の立場からも見ることができたのだと思います。


――――連邦民主主義が実現すれば、2010年代の軍の影響下にあった民主主義をよりアップデートしたものになる気がしますね。

北角:いつか国を作り直さなければならない時が来ると思いますが、そこで少数民族の人たちともっと一緒になれるのかとか、本当に民主主義的な体制にできるのかが課題になるはずです。そういうときにコ・パウさんが本当にやりたかった芸術や、武器ではないソフト面が重要になるはずです。今もそうですが、彼のようなオピニオンリーダーが政治について訴えていくのは本当に重要ですし、争いが終わった後に、より彼本来の映画監督としての役割が重要になると思います。


――――クーデターから3年経ち、日々状況は変化していると思いますが、今のミャンマー情勢について教えてください。

北角:2023年末から民主派が国軍地域を制圧し、形勢が逆転し始めたと聞いています。一方で戦闘が激しくなっているので、250万もの避難民の人たちが家を失ってしまったとか、経済的にもインフレが進み、仕事を失う人が増加したり、農村部では避難していたために種蒔きができず収入が途絶えてしまうという話も多く聞きます。やはり戦時下で状況は悪化し、苦しんでいる市民が増えているのは間違いないです。



■日本は表現の自由もあり、寄付も集まる重要な場所

――――そうなると、より一層海外からの支援の重要性が増しますが、日本は国としては軍をミャンマー政府と認めている状況ですね?

北角:軍とのパイプを維持するという姿勢ですね。ミャンマー市民からすれば、日本のそのような態度は、国軍をバックアップしていると見られても仕方がない。ただ、在日ミャンマー人など市民レベルでは日本からの支援が非常に大きいのです。例えば上映会の売り上げは世界の中で日本がダントツで一位です。理由として、タイは隣国なのでミャンマー人が多いけれど、自由度が低いし、政治的なことをするとタイのミャンマー人が迷惑を被ることにもなりかねない。シンガポールにもミャンマー人がたくさんいらっしゃいますが、実際には支援をやりづらい。そういう視点で見ると、日本は表現の自由もあり、ミャンマー人も多く、寄付もそれなりに集まるという重要な場所になっているんです。日本に暮らしていると気づかないけれど、世界的に見てあまりそういう国はないんです。


――――そういう自覚は全くなかったですが、日本が市民レベルで一番の支援国になっているのなら、本作の上映でさらにミャンマーの今を知るきっかけにしてほしいですね。

北角:現体制下で、この作品をミャンマー国内で公開するのは絶対無理ですが、日本には独立系のミニシアターやイベントスペースを使って上映する文化が豊かであるし、そういう場所が彼らの発表の場にもなっています。今回上映させていただくことは、本当に貴重な機会だと思っています。



■現在苦境にあるミャンマー人映像作家たちを直接支援できるプラットフォームづくり

――――ありがとうございます。ところで、北角さんが帰国後立ち上げた一般社団法人Docu Athan(ドキュ・アッタン)の設立経緯や活動内容を教えていただけますか。

北角:僕は外国人だったので、捕まってから1ヶ月で解放されましたが、僕のジャーナリストの友人は今も刑務所の中にいたり、コ・パウさんのように逃げ続けなければいけない状況の人もいます。自分が早く外に出たからには、次は自分が支援する番だと思っていました。ミャンマーではもう一人、ドキュメンタリー作家の久保田徹さんが、デモの取材中に拘束され、彼も3ヶ月後に解放されたのですが、ふたりで自分たちだけの問題ではないと意見が一致したのです。そこで、僕たちの縁のあるドキュメンタリー作家や映画製作者たちを支援するために、ミャンマーの映像を日本語字幕をつけてサイトで公開し、作家たちに直接支援できるプラットフォームをウェブ上に作りました。他にもカメラを現地で貸し出したり、緊急で病院に行く必要ができた人や急遽逃げる必要ができた人にお金を送金したりしています。みんな、ミャンマーの現状を伝えるべく頑張っているので、その活動をできる限り支援していきたいと思っています。


――――北角さんや在日ミャンマー人のみなさんらが継続的な支援をされている一方で、ミニシアターでも香港、ミャンマー、ウクライナ、ガザと民主主義を揺るがし、人権侵害する出来事や、軍事介入などが起きる度に、現地から届いたドキュメンタリーを上映してきましたが、それぞれ時が経つと、どうしても忘れられがちなのが現状です。

北角:日々新しいニュースが報じられると、過去のものと思われるのは致し方ないですが、この映画の中に、頑張っている人がたくさん出てきます。でもこの作品を観ていただくと、映画関係者だけでなく、ミュージシャンや若者など様々な人が登場します。そういうところで、窮地にある自分たちの仲間がこんなに頑張っていると知っていただき、共感していただいて、ご覧になった方自身の次のステップに繋がればと思っています。


――――最後に、コ・パウさんは意義のある生き方として、家族と別れ、逃げながら抵抗軍として軍と戦い、自由のある未来を目指しておられますが、北角さんご自身が思う意味のある生き方とは?

北角:平和になったミャンマーで、新しくメディアを作るとか、映画を作るという盛り上がりをもう一度作りたいですね。僕は一度ミャンマーで捕まったので、現体制下ではミャンマーに戻れませんが、平和になったときには僕も、コ・パウさんも戻る時期が訪れると思います。そのときが来れば、仲間と一緒に取材をしたり、記事を書いたりしたいですし、それができる政権が誕生するように、遠くから支援していきたいと思います。

(江口由美)



<作品情報>

『夜明けへの道』(2023年 ミャンマー 101分) 

監督・脚本・撮影・音楽・歌手:コ・パウ

2024年5月4日(土)より第七藝術劇場、5月17日(金)より京都シネマ、初夏、元町映画館他全国順次公開

※第七藝術劇場で5月4日(土)の上映後、コ・パウ監督のリモート舞台挨拶予定

公式サイト→https://yoake-myanmar.com/

(C) Thaw Win Kyar Phyu Production

※本作の興行収入より映画館への配分と配給・宣伝経費を差し引いた配給収益の一部は支援金とし、コ・パウ監督らを通じてミャンマー支援にあてられる。(公式サイトより)