人生で悩んでいても「長生きしているといつか光が射し、希望が見える」 『94歳のゲイ』吉川元基監督インタビュー
長年、孤独の中で生きてきた高齢の同性愛者、長谷忠さんを丹念に取材し、日本で同性愛が「治療可能な精神疾患」とされた歴史も紐解くドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』が、2024年5月18日(土)より第七藝術劇場、シアターセブン、5月24日(金)よりアップリンク京都、6月8日(土)より元町映画館他、全国順次公開される。
監督は、MBS毎日放送でドキュメンタリー番組「映像」シリーズのディレクターを務める吉川元基。社会から存在を否定された辛い過去を経て、今、自分らしく前向きに生きる長谷さんに寄り添う一方、世代によって違う同性愛者の置かれた環境も感じとることができるだろう。本作の吉川元基監督にお話を伺った。
■90代のゲイ、長谷さんと出会い「伝えなくては」と思った
―――吉川さんは2022年にドキュメンタリー番組「映像」シリーズのディレクターを担当される前から、ドキュメンタリーに携わってこられたそうですね。
吉川:この作品は2022年6月にテレビ版の『93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて』を放映しましたが、取材は2022年以前に行っていましたし、報道記者時代にはドキュメンタリー、3作品に携わっていました。当時は大阪西成区のあいりん地区を取材することが多く、高齢者のボランティアをされている団体の関係者から、90代のゲイの方がこの地区に住んでおられるという情報を教えていただいたのが長谷忠さんのことを知るきっかけでした。長谷さんは地域でもよく知られている方だったので、その後、直接ご自宅に伺い、お話を聞かせてもらうようになったのです。
―――長谷さんの存在を知り、会うという行動を起こす時点で、今まであまりLGBTQ当事者の方をしっかり取材し、報道する機会がなかったという何かしらの潜在意識があったのでしょうか?
吉川:僕自身、もともとLQBTQを専門に取材していたわけではなかったのですが、90代のゲイの方がいらっしゃると聞いたとき、個人的に驚きました。著名人ではいらっしゃるけれど、一般の方の中では聞いたことがなかったんです。でも、その驚いたという感覚を突き詰めると、ゲイの方の数は今も昔も大きく変わらないはずなのに、なぜか高齢のLQBTQ当事者の姿が見えない現状が浮かび上がります。つまり、かつては社会から、その存在すらなかったように抹殺され、自分のセクシュアリティを隠したまま異性愛者として人生を歩んできた人がたくさんいるのではないか。そして、視聴者のみなさんも同じような感覚を持っている方が多いはずなので、長谷さんのことを伝えなくてはいけないと思ったのです。
―――長谷さんと、どのように信頼関係を築かれたのですか?
吉川:最初は僕自身のことや結婚、子どもの有無などの質問をされ、人間性を観察しているようでした。長谷さんは「僕は妻や子どももいないから、ちょっと僕のことをおかしいと思うやろ?」と聞いてこられる、どのように返事をするかで自分自身が試されていると感じた時期もありました。何度かご自宅に通い、お話をさせていただくうちに、僕自身の本音や生き方をさらけ出した上で、自然と距離感を縮めていきました。
―――吉川さんも諦めずに食らいついたのですね。
吉川:どうしてもドキュメンタリーを作りたいと告げたとき、長谷さんは「僕には恋人も家族もいないから、どんな風に描かれても喜ぶ人も悲しむ人もいない。だから取材をしてもらって構わないよ」とおっしゃった。長谷さんの人生そのものを捉えた言葉ですし、そういう言葉で取材の許可を得たのは初めてだったのです。実際に取材をはじめてからも、長谷さんの人生は後世に伝えるべきだと強く思いました。
■「同性愛は治さなければいけない」と思われていた時代を紐解く
―――長谷さんの取材を通じてその人生を描くだけでなく、隠された存在にされてしまった歴史的背景や、日本初のゲイ専門雑誌「薔薇族」も取り上げています。何を手がかりに調査を進めていったのですか?
吉川:映画で登場する大阪公立大学の新ヶ江章友先生いわく、ドイツの精神科医、クラフト=エビングによる論文『変態性欲心理』が同性愛を病気とみなしたのが始まりであるということで、僕も論文を読み始め、そこからどのように日本で翻訳され、同性愛=病気という誤った認識が広がるに至ったのかを徹底的に調べました。また、当時の同性愛者が自身のことをどのように発信していたか、マスコミはどのように表現していたのかを探るため、100年以上前の論文や雑誌から掘り下げていきました。
―――論文が書けそうな貴重な調査ですね。
吉川:実際に100年前まで調べている研究者は少ないです。作品の中で登場した「同性愛は社会を破壊する」という文言を雑誌でみつけたときは、こんな表現をされていたのかと驚きました。「治療法」が記されている箇所も映画で登場しますが、50代のゲイの当事者の人にお話を聞いたとき、ご自身が20代のころは「治療しなければいけないと思った」そうです。「同性愛は治さなければいけない」と思わされていたことを実感しました。
―――映画では長谷さんの転機も映し出しています。94年の御堂筋で行われたデモに当時50代後半の長谷さんは参加されていましたが、自らがゲイであることをはじめて行動で示した形になるのでしょうか?
吉川:当時の長谷さんは、このままゲイであることを隠し続けて生きるのは何か寂しいと思ったそうで、59歳のとき御堂筋のデモに参加しています。ちょうど世の中の性的マイノリティへの見方が変わりつつあったときなのですが、周りは20〜30代の人たちばかりだったことから、最初は活動に参加していたものの、徐々に足が遠のき90代に至ったそうです。「生まれた時代が早すぎた」とおっしゃっていましたが、周りと生まれた時代や育った環境が違う中で、自分だけ疎外感を味わっていたと。
■雑誌「薔薇族」によって救われた人は日本中、世界にもいた
―――ずっと家族とも離れ、職場の人とも交わらず、孤独に生きてきた長谷さんにとって、あまりにも突然の時代の変化や、昔を知らない若い人との交流は難しかったのでしょう。ところで長谷さんは「薔薇族」を読まれていたのですか?
吉川:71年創刊なので、長谷さんは購読されていたけれど、既に40代でした。「薔薇族」は文通欄があり、そこでゲイの仲間や恋人と知り合うことができるのですが、やはりそこにも年齢が書かれているので、自分の年齢ではと積極的に出会うアクションを起こさなかったそうです。でも長谷さんは「薔薇族」によって救われたとおっしゃります。本屋に雑誌「薔薇族」が並ぶのなら、この本を買い求める読者層がいるわけで、そのことを知ることができたことが救いになったのだと。
―――雑誌や文通欄から、自分と同じ仲間の存在を感じたということですね。
吉川:「薔薇族」創刊者で編集長の伊藤文學さんから、雑誌のバックナンバーを100冊ぐらいお借りし、文通欄を一冊ずつ読んでいったのですが、おっしゃる通り、雑誌や文通欄から他にも仲間がいることを知った人が、地方に行けばいくほど本当に多いんですよ。当時、投稿し、仲間や恋人を募った人の想いが詰まっています。北海道から沖縄まで、また海外からも投稿されていたので、すごく求められていた雑誌だったのだと痛感しました。
■梅田さん急逝前の言葉「長谷さんの人生をもっと全国に広げて」
―――長谷さんの心の支えだったのはヘルパーの梅田政宏さんです。突然亡くなられ、撮影中、本当に様々なことが起きていたことも実感したのですが。
吉川:梅田さんは長谷さんにとってかけがえのない人であることがわかりましたし、当時56歳だったので、90代の長谷さんとはまた違う時代を生きてきた人です。梅田さんが、自分はゲイで男二人生活をしていることを長谷さんに告げたとき、長谷さんは男二人で生活しているということに、ものすごく驚かれた。その二人の会話から、時代の流れがすごく見えたと思います。
―――梅田さんは、テレビ版放映時はどんな感想をおっしゃっていたのですか?
吉川:関西で放映の2日後、梅田さんにお会いしたとき、非常に喜んでくださいました。梅田さんが「キラキラしたゲイ」と表現されていた著名人ではなく、社会でふつうに生活しており、本当の自分を隠してきた人を取り上げてくれてありがとうと言ってくれたのです。それに加えて、梅田さんは「長谷さんの人生を関西ローカル(MBS)だけでなく、もっと全国に広げてほしい」とおっしゃった。僕もテレビ番組の「映像」シリーズだけで終わらせるのはもったいないとお話し、その日の夜、一緒に出かける約束をして、カメラマンの予定を確認するため会社に戻りました。それが梅田さんとの最期で、結局夜になっても連絡が取れず、翌朝に梅田さんが夜倒れて亡くなられていたことを知ったのです。
■長谷さんに老後のロールモデルを重ねたボーンさん
―――梅田さんが亡くなる直前まで連絡を取っておられたのですね。
吉川:梅田さんが亡くなったことで、長谷さんの様子がすごく変わってしまった。とても落ち込まれ、自分の生きがいを失くしたような状態になってしまい、このままだと作品が出来上がったとしても悲劇でしかないと思った。そのときに東京から長谷さんに会いにきたのが、ボーン・クロイドさんだったのです。
―――長谷さんにとって、救世主のような存在が現れましたね。
吉川:関東ローカルでの再放送をご覧になってこられたそうで、そういう風に番組が人と人とを繋ぐんだと、僕も非常にびっくりしました。ボーンさんご自身もゲイですが、やはり90代のゲイの方は見たことがなかったそうで、会いに来るという行動を起こしたのも、自分の老後のロールモデルがないので知りたいという思いが強かったのだと思います。
―――人生の最終章に突然パッと恋の花が開いたかのようで、映画のトーンも変わってきました。
吉川:長谷さんは壁に自分の好みのタイプの男性の切り抜きを貼っているのですが、一番大きい写真と似た人が現れたので、長谷さんもビックリされたと思うし、僕たちも正直驚きました。ボーンさんと出会ったことで、映画も全然違うテーマの作品になりました。
■長谷さんが若き日に綴った言葉「性に対して一生の恨み辛み」
―――長谷さんの表現者としての功績やその作品の紹介も重要ですね。
吉川:長谷さんが書かれた小説は6冊ありますが、広く読んでもらうためというよりは、自分は他の人とは違うということを記録するために書かれた一面があります。あと60年代に長谷さんが書いていた詩も取り寄せられる分は全て読ませていただきました。やはり、自分のことを言葉で表現されてきた方だと実感しましたし、取材をする中で長谷さん自身の記憶が飛んでしまう部分もあったのですが、それらの小説をもとに質問し直すと、当時の気持ちが蘇ってくることもあり、僕自身が取材する上でも非常に重要なものでした。
―――特に印象的な箇所は?
吉川:作品でも引用していますが、「性に対して一生の恨み辛み」と書かれていたのです。それは当時の偽らざる気持ちですが、今の長谷さんは性に対してそういうことはおっしゃらない。だから、当時はすごく人生に対して悲観されていたことがわかります。今の長谷さんからは想像できない一面を見た思いがしました。
―――同性愛者との出会いという点では、ゲイバーに足を運ぶ人も多いと思いますが、長谷さんはそういう出会い方もあえてされなかったと?
吉川:長谷さんはお酒を飲まれないのですが、お酒が嫌いというより、お酒の席が嫌いだったそうです。やはり当時そういう場ではすぐに「結婚はしないのか」とか、恋人の話になってしまうのが嫌で、そこをずっと避けてきた結果、お酒を飲まないようになったことになったそうです。ゲイバーや銭湯に行ったことがないというのも、長谷さん曰く「自分は内気だった」とおっしゃるのです。一歩踏み出すことができれば良いのですが、その一歩が非常に高いハードルであり、長谷さんのように一歩を踏み出せない人が本当にたくさんいると思うのです。
―――確かに、長谷さんのような人の方が実は多いのかもしれません。ところで、非常にストレートな表現のタイトルですが、これはテレビ放映時から迷いなく決めたのですか?
吉川:取材の途中ぐらいからこのタイトルでいこうと決めていました。この作品を語る上で、年齢は非常に大きいと思うので、年齢とセクシュアリティを入れた直球のタイトルにしています。テレビ版はどうしてもLGBTQに絞った話になってしまうのですが、映画にしたことにより、生きるとはどういうことなのかを伝え、より普遍的な話として受け取っていただけるものになったのではないかと思います。
■長谷さんから学んだ「長生きをしたらいいことがある」
―――長谷さんのこれまでの生き方と、取材を受けはじめてからどんどん新しい扉を開いていく前向きさを目の当たりにし、学ぶところが多いと感じました。
吉川:わたし自身、これだけ長生きをしたらいいことがあるんだと長谷さんから勇気をもらっています。90代になっても新たな人との出会いがあるというのは、素晴らしいことで、長谷さんを取材して長生きの素晴らしさを実感しています。ボーンさんとはその後も交流を続け、今年の3月、長谷さんが95歳の誕生日を迎えたときも、ボーンさんはお祝いに駆けつけてくださったんですよ。
―――取材され、テレビのオンエアや映画の公開など、様々な反響を受け止める側となった長谷さんですが、変化を感じることはありますか?
吉川:もっと自分の人生を伝えなくてはいけないと思い始めているようです。それと同時に、もっと違う世代、若い世代の意見を聞いてみたいという気持ちが最近になって芽生えてきた。そこは取材当初と全く違いますね。取材に関わってくださったことで、長谷さん自身が過去の恨みから離れ、前を向いてくださったのは嬉しいです。
■忘れられ続けてきた人たちに光を当て、後世に伝えていくことがテレビや映画の使命
―――今はテレビやメディアの役割を改めて問われていますが、テレビだからできること、映画だからできることをどう捉えておられますか?
吉川:陽の当たらないところにいた人や、ずっともがき続け、忘れられ続けてきた人たちに光を当てて新たにその存在を浮かび上がらせ、それをドキュメンタリーとして記録し、後世に伝えていくことが、テレビや映画に求められる使命ではないかと思っています。時代の変化に伴い、自分の性的指向や性自認を公にする人たちが増え、街ではレインボーパレードも行われるようになりましたが、いきなり社会がこうなったわけではありません。長谷さんのように偏見や差別に耐えながら生きてきた人や、「薔薇族」の伊藤さんのように立ち向かった人たちがいる。そういう人たちがいることを知ってほしいし、歴史と今を伝えることが、求められていることではないでしょうか。
―――ありがとうございました。関西でも5月18日から公開されますが、最後にメッセージをいただけますか?
吉川:長谷さんの人生を通して、生きるって素晴らしいということがわかると思います。長生きしているといつか光が射し、希望が見えることを実感する作品になりました。LGBTQの当事者のみなさんはもちろん、人生で苦しんだり、悩んでいるみなさんにぜひ観ていただきたいと思います。
(江口由美)
<作品情報>
『94歳のゲイ』(2024年 日本 90分)
監督:吉川元基 プロデューサー:奥田雅治 語り:小松由佳
撮影:南埜耕司 編集:八木万葉実 録音:西川友貴
音響効果:佐藤公彦 タイトル:平 大介 配給:MouPro.
製作:MBS/TBS 製作幹事:TBS
2024年5月18日(土)より第七藝術劇場、シアターセブン、5月24日(金)よりアップリンク京都、6月8日(土)から元町映画館他、全国順次公開
※舞台挨拶情報
5月18日(土)第七藝術劇場 13:00の回上映後/シアターセブン 17:20の回上映後
5月26日(日) シアターセブン 11:00の回上映後/第七藝術劇場 14:30の回上映後
登壇ゲスト:吉川元基監督 長谷忠さん(出演者)
公式サイト⇒https://94sai.jp/
©MBS/TBS
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