沈没家族は「悪くないよね」〜シングルマザーの思いから始まった共同保育を通して、家族のありようを探るドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』加納土監督インタビュー


阪神大震災、地下鉄サリン事件と日本の歴史に残る出来事が起きた1995年に、シングルマザーの加納穂子さんが保育人を募集し、その考えのもとに集まった若者や幼い子を抱えた母親と東中野のアパート(沈没ハウス)で共同保育が始まった。沈没家族(当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言していたのに腹を立てた穂子さんが命名)での共同生活による共同保育は、2003年まで続いたという。 


沈没家族で育った穂子さんの息子・加納土監督が、育ててくれた人たちや、一緒に暮らした人たち、そして母・穂子さんや生みの父、山くんにインタビューを敢行。家族のありようを探るドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』が、5月18日(土)~第七藝術劇場、初夏元町映画館、出町座より全国順次公開される。 当時「オルタナティブな生活実践」としてメディアでも多数取り上げられた沈没家族。沈没ハウスで暮らした人たちの証言は、子育ての実践はありながらも、それだけではない大人の居場所としてもかけがえのない場所だったことが伺える。また穂子さんや山ちゃんと改めて沈没家族について語り合う加納土監督も、実験台のような存在だった自らの子ども時代を客観的に見つめ、「悪くないよね」とその思いを口にするシーンがとても印象的だ。 家族とは?を改めて考えたくなる本作の加納土監督にお話を伺った。  




■沈没家族時代は、「大人がもっと触れ合う場所で皆暮らしているのかな」と思っていた。 

――――加納監督は、小さい頃からメディアで沈没ハウスにおける共同保育の取り組みが注目を集め、映画でも当時の取材映像がたびたび登場します。幼い頃、自分が世間に注目されていたという記憶はあるのですか? 

加納:テレビカメラを向けられている時の記憶はなく、自分の家が特殊であり、注目されているということは、皆で暮らしている時は分かっていなかったですね。そこが、僕にとっては当たり前の環境でしたから。少なくとも、父親と母親と子どもだけという家族の形がベーシックだとは、思っていなかったですね。大人がもっと触れ合う場所で皆暮らしているのかなと思っていましたから。  



■映画を撮る際に穂子さんに言われたのは「生半可な気持ちでは撮れないよ」 

――――この作品を撮ると決めた時、沈没家族をスタートさせた加納監督の母、穂子さんはどういう反応をされましたか? 

加納:面白いなと思ったのが、「生半可な気持ちでは撮れないよ。かなり大変だと思うよ」と言われたことです。それだけ様々な面を内包しているし、豊かだからこそ、中途半端にはできないよという挑戦状を叩きつけられたような気分でした。最初、彼女を撮り始めた時は、面倒くさいそうにしていて、その反応が映画でも相当出ていると思います。でもある段階から、すごく協力的になり、作品が出来上がるのを楽しみにし、すごく観たそうにしていました。東京の公開初日に来て、劇場版を観てくれたのですが、この映画を僕が撮ったことで、彼女自身も保育人や昔の友人に再会することができたのが嬉しかったようです。そういう意味で、「(映画を)作ってくれてありがとう」と言ってくれました。 


――――穂子さんから「いつ頃普通の家族じゃないって気付いたの?」と逆に質問される場面もありましたが、家族とはという問いを抱き始めたのはいつ頃からですか? 

加納:八丈島に転居したとき、今まで自分が暮らしていた沈没家族がヘンだということに、やっと気づいたんです。でも、それによって自分のルーツを知りたくなるとか、自分の家族がないと悩んだり、コンプレックスを抱くようなことはなかったです。 映画を撮る少し前に同窓会をした時、相手はものすごく僕のことを覚えてくれているけれど、僕は相手のことを全く覚えていないという状況がありました。その時、「家族ってなんだろう」という問いがようやく浮かんできた感じですね。実際、子どもの頃の授業参観は穂子さんが来ないのに、保育人の方が来てくださっていましたし、運動会も10人以上が見に来てくれました。保育園のお迎えも「今日は髪の長い男性が来ます」と保育士さんへの連絡ノートに書いてあったりして。面白いですよね、誰が本当の父親か分からないんですから。保育園も状況が分かった上で受け入れてくれました。 



■思想的なゴールがあるからやっていたわけではなく、自らの思いで始め、さまざまな動機の人が集まってきた「沈没家族」 

――――今回は映画のための取材ということで、久しぶりに自分を育ててくれた元保育人の皆さんと再会されたわけですが、沈没家族を改めて見つめなおし、新たな気づきや発見はありましたか? 

加納:沈没家族全体を振り返ると、自分の中でも型にハマったイメージで沈没家族のことを見ていた気がします。核家族という価値観を壊していこうとか、家族をもっと開放していこうという、ある種の思想的なゴールがあってやっていたのではないか。僕が大きくなって色々勉強した中で、沈没家族のことをそのように捉えていたんです。 でも実際にみなさんと会ってみると、穂子さんやその他のシングルマザーの皆さんにとって、共同保育でなければやっていけない状態があったんです。自分が働きに行く時、子どもの面倒を見てくれる人がいないと物理的に厳しいし、自分がやりたいこともできない。それは子どもにとっても良くないことだ。そのように、自分の話が最初にある。共同体としてゴールを目指しているわけではなく、シングルマザーの穂子さん自らの思いから始まったし、集まってきた保育人もその動機はさまざまなのです。「子どもと遊びたい」「大人と交流したい」とか、「そこに行けば酒が飲める」と、いい意味でまとまっていない。それはひとりひとりに取材をした中で分かったことです。 



■家族を深刻に自分と結びつけて考えない。沈没家族も「悪くないよね」と言い合える戦友の存在。 

――――今回のインタビューで、一番緊張されていたのが、加納監督が「戦友」と表現していた、沈没ハウスの元住人で幼馴染のめぐさんですね。 

加納:めぐは、映画を撮っていた時も、この間劇場で映画を見に来てくれた時も、再会に感動して涙を流すという感じではなく、「久しぶり!」という感じでサラッとしているんです。二人に共通していると思うのは、沈没家族で育っていた経験が、自分たちの人格の形成に影響を与えているのではないかという風に、周りから見られがちなことです。実際はそれ以外の影響も大きいですし、僕もめぐも沈没家族で過ごした時期よりそれ以外の時期の方が長い。沈没家族での楽しい思い出はあるけれど、それによって、今、元気で健やかでいられるとか、ものすごく家族に対して苦しんだり、嫌な思い出がある訳ではない。たまたま沈没家族にいて、「あれでよかったよね」とすごくドライな感じで見ている。そういう感覚が僕とめぐの間にあるのは面白いし、同じ感覚でいたのがすごくうれしかったです。  


――――「人類として新しいことをやって、その実験結果が…」と沈没ハウス育ちのご自身を客観的に振り返っておられたのも印象的でした。 

加納:家族だったという必然的な原因があって、今の2人があるのではなく、たまたま多くの人が集まって、その場で大きくなったけれど、今は別々に暮らし、大人になった。それでいいじゃない。家族を深刻に、自分と結び付けて考えていないのがいいと思ったし、「『悪くないよね』と土が言ってくれたのが良かった。そうやって実際に沈没家族にいる人が言うことに意味がある」と言ってくれました。 



■一人の人間として捉えた穂子さんは本当に強く、こうなりたいと思う人。 

――――この映画の中で、一番多く取材を重ねたのが母の穂子さんで、今も八丈島でエネルギッシュな活動をされている様子が映し出されていましたが、カメラで穂子さんを捉えたことで、見えてきたことは? 

加納:ずっと思っていたことかもしれませんが、カメラでちゃんと捉えて、ちゃんと話を聞いてみて改めて思うのが、すごく自分のやりたいことに忠実な人だということ。人を頼る力と頼られる力があるなとも思います。団結するのが苦手で、人のためにするのではなく、自分のためにやりたいと思ったことが、人にとっても楽しいことで、結果的に周りを巻き込んでやっていく。母親としてというより、今回は一人の人間として捉えて、本当に強い人だなと感じましたし、劣等感を覚えました。こうなりたい!と。 


――――自分が母親だということを息子に押し付けないし、母親ぶるようなことはされないけれど、息子が育つ環境を考えているなと感じました。 

加納:母親としてあるべき役割で接しようとしているのではないからこそ、僕は「穂子さん」と呼べるのかもしれません。母親ぶらないですね。  


――――実の父親である山くんと会うのは久しぶりだったのですか? 

加納:成長の過程では時々会っていましたが、沈没家族の話をしたのは、撮影した時が初めてです。山くんのシーンが撮れなかったら、映画にならなかっただろうなと思います。実際に撮影するときは何も止められなかったですね。(沈没ハウスの他の保育人に対する思いをぶちまけるシーンもあるが)山くんは写真家でもあるので、出来上がった作品を尊重してくれました。  



■役割で関係を築くのではなく、ひとりひとりとつながる。 

――――山くんのことを父親と思ったことがないそうですが、その理由は? 

加納:僕は他の人ともあまり役割で関係を築いていません。穂子さんも母親ぶらないし、他の沈没ハウスの人も、保育人対僕という感じではなく、たまごさんがいて、ぺぺさんがいてと、ひとりひとりとつながっていた。だから父親という言葉で回収するのではなく、山くんと呼ぶ関係なのです。僕にとって父親と思わないのは、悪い事ではないです。  


――――父や母という役割を排するということは、究極にフラットな関係で繋がっているんですね。

加納:そうですね。穂子さんの親がフェミニストで教養のある方(女性史研究の第一人者、加納実紀代さん)だったので、家族や女性というものを人一倍考え、触れることが非常に多かったと思うのです。触れたものがある中で、自分の実践に落とし込んだとき、沈没家族や役割を排するという考え方に行き着いたのだと思います。ただ小学校3年生ぐらいになると共同保育をする必要性がなくなったんですね。  


――――簡単に顔を出すのが難しい離島の八丈島に移住したのには驚きました。母子二人だけの暮らしに馴染むのは時間がかかったのでは? 

加納:本当に大変でした。沈没家族だと、穂子さんに叱られても、別の人の部屋に行けば甘やかしてもらえたとか、関係なく遊んでくれたりした。でも8畳の部屋に穂子さんと二人きりだと、怒られたり、気まずくなっても、そこ以外に居場所がないというのは、僕の中でかなり大きな変化でした。それに、学校から帰っても、家に人がいない(笑)最初は寂しかったですね。子どもは親に振り回される存在ですが、僕は特にそうでした。八丈島に行く時もそう感じましたが、最終的に楽しかったからいいなと思っています。 



■沈没家族とうれP 家、変わらないなと思うのは「みんなそれぞれの時間があり、そこにいるだけでいい」 

――――穂子さんのアドバイスもあり、八丈島での今の活動も映していますが、沈没家族と八丈島での集いの場、うれP家の両方を映し出すことで、穂子さんの求心力と繋がり力の強さが浮かび上がっています。 

加納:沈没家族とあまりやっていることは変わらないなと思います。うれP 家は、何かの目標に向かってというよりは、会議をしていても寝ている人もいれば、猫の尻尾を触っている人もいたり、みんなそれぞれの時間があり、そこにいるだけでいい。そこがすごくいいなと思いますね。 


――――穂子さんが書き初めで書き、チラシにも出ている「人間解放」という言葉が、この映画のテーマのように思えますね。 

加納:「人間解放」と、それと対になっている「団結」を考えるといいですね。どちらも人と共に生きているという意味の言葉なのですが、それぞれの言葉を使うことによって、見え方が全然違ってきます。家族と住むような大きな家に一人で住む山ちゃんが「団結」と書いているんですから。 



■沈没家族は、これもありなんだという一つの選択肢。 

――――核家族化した結果、孤独な子育てからくる児童虐待が後を立たない中、沈没家族のような閉じていない家族に、新しい可能性を感じました。こういう家族のあり方があってもいいのではないかと痛感しました。 

加納:沈没家族のような環境だったら、子どもが辛くなるということは全然ありません。大人にとっても楽しかったでしょうし、悪くないと思います。 この映画を観ていただいて、まずは沈没家族があったということ、これでもありなんだという選択肢を見てもらい、窮屈でどうしようもない時に「これでもいいんだと」と思ってもらえたらうれしいです。沈没家族という形式を受け入れられない人にも、一緒に住んでいる人や、離れて暮らしている家族と、「沈没家族」について語り合えるような映画になってほしいですね。 


<作品情報> 

『沈没家族 劇場版』(2018年 日本 93分)  

監督・撮影・編集:加納土 

2019年5月18日(土)~第七藝術劇場、初夏元町映画館、出町座他全国順次公開

 ※第七藝術劇場、5/18(土)15:20の回上映後、5/19(日)14:35の回上映後、加納土監督によるトークショーあり 

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