岩手で自給率100%の山地酪農に挑む、酪農大家族の24年間に密着。 『山懐に抱かれて』遠藤隆監督インタビュー
岩手県下閉伊郡田野畑村で、一年を通して牛を完全放牧し、大地に生えるシバと自前栽培の牧草を餌に牛を育てる山地酪農を長きに渡り続けている酪農一家がある。5男2女の大家族、吉塚家の山地酪農を24年間に渡って取材してきたテレビ岩手が、開局50周年記念として今までのテレビドキュメンタリーとは違った角度で酪農一家と牛たちの年月を豊かな自然とともに映し出すドキュメンタリー映画『山懐に抱かれて』を制作。8月31日(土)よりシネ・ヌーヴォ、9月14日(土)より元町映画館、京都シネマ他で全国順次公開される。
監督は、NNNドキュメントで数々のギャラクシー大賞を受賞、東日本大震災時は報道部長として陣頭指揮にあたった他、94年から継続して吉塚家の取材を行っている遠藤隆さん(現報道制作局 コンテンツ戦略室長)。牧場の四季や伸びやかな牛たちの放牧の様子、さらには牧場で仕事を手伝う子どもたちの成長ぶりに目を見張らされる。事業的には苦しい山地酪農の起死回生作とも言えるプライベート牛乳の立ち上げや、東日本大震災の衝撃、そして子どもたちが旅立つ日など、どこの家族にもある悲喜こもごもが、そこにある。 学生時代から、僻地での取材が大好きだったという遠藤監督に、お話を伺った。
■自給率100%の山地酪農に興味を感じて始めた取材。吉塚さんは山地酪農にかける人のオーラがあった。
―――吉塚さんを取材することになった経緯を教えてください。
遠藤:岩手県は食料自給率を高めることが大事なテーマなのですが、普通の酪農家は、牛や馬、豚などを自分の農場で飼っていても、餌はほとんどが輸入品です。だから実際に牛の体を見ると限りなく100%輸入物に近いのが現状なのです。一方、吉塚さんが育てている牛は、農場に生えているシバや、自分たちで育てた有機栽培の牧草しか使っていないので、自給率100%なんです。真逆なのが面白いなと思い、吉塚さんが実践している山地酪農を取材するために農場を訪れたのが最初でした。もちろん山地酪農は面白いのですが、そこで一緒になって働いている吉塚さんの子どもたちの方が面白いんですよね。
―――その時の吉塚さんはどのような反応でしたか?
遠藤:僕とはウマがあったみたいで、一人で山地酪農を実践する中で、その話を聞いてくれる人ができてうれしかったと言ってくれました。普通は特殊な酪農に従事される方は、一般の酪農をつい批判してしまいがちなのですが、吉塚さんの素晴らしいところは、自分はこれが大切だからやっていると排他的になるのではなく、周りの話を聞く姿勢を持つところですね。
■山地酪農はもともと環境問題。経済性は低いが、山の保全になる。
―――山地酪農は理想的ですが、かなり厳格な部分が見受けられ、実際にするのは難しい印象を受けましたが。
遠藤:日本で今、本当に厳格に山地酪農を行えているのは3軒ぐらいしかありません。山地酪農で一番問題なのは、経済性が非常に低いことです。一般の酪農家からすれば効率が悪いと言いますが、吉塚さんは自分の牧場に生えている草が餌になるのだから、こんなに自然効率がいい酪農はないと。吉塚さんは自分で山林を購入、開拓し、1メートル四方に苗を植えて、5年ぐらいかけてグリーンの芝生になったのですが、やはり牛乳が売れないことには無収入ですから、経済的には苦労が絶えなかったと思います。山地酪農にかけている人が発するオーラが相当ありました。
―――日本で3軒だけというのは、それだけ継続するのが難しいし、オーラを発しているのもうなづけます。
遠藤:なんとなく山地に牛を放っている自称山地酪農家はもう少しいるのですが、餌を自給しているかどうかが、すごく大事なことなのです。というのも、山地酪農というのは、もともと農業問題ではなく、環境問題なのです。シバ生が張り巡らされている吉塚牧場では、1時間に100ミリの雨が降っても絶対に洪水は起きません。シバは密集していますから、集中豪雨でも土が流れることはありえない。山の保全とそこが食糧生産基地になり、しかも餌が100%自給というのが山地酪農の根本です。
■この映画は動物福祉学のお手本。牛の幸せが詰まっている。
―――牛が草を食べる音も心地よかったですし、何より伸び伸びと山の中で暮らす牛自身がとても気持ち良さそうでしたね。
遠藤:本作は北里大学名誉教授の萬田富治先生が監修して下さったのですが、この映画は動物福祉学のお手本、つまり牛の幸せが詰まっていると言ってくださったんです。牛にとって一番不幸なのは、牛舎でずっと飼われ、身動きできないまま一生を終えることです。寒い時期でも、山に放ち、自由に歩けるのは幸せですよと。僕はそういう視点がなかったので、先生の言葉に気づかされました。
―――牛たちは出産も自分で行います。まさに人間と同じで、自然の中では牛も人間も同じ生き物という見方ができるのでは?
遠藤:13世紀イタリアの聖人、フランチェスコは動物にも説教を語りかけ、自分と動物が同化してしまったという逸話があるのですが、長男の公太郎君は一番フランチェスコに近くて、牛と友達だし、とても大事にしているのです。自分が牛なのか、人間なのかよく分からない。牛も木も山も、みんな自然の中の一つだと一番思っているのが公太郎君だと思います。
―――20年以上に渡って吉塚家を取材する中で、吉塚家のお子さん達の成長もずっと見て来られたと思いますが、特に印象深い人はいますか?
遠藤:映画ではあまりたくさん取り上げていませんが、長女の都さんが、ご主人のご実家がある岡山に行くことを決めるまで3年かかっているんです。その間に色々な悩みも聞きました。映画では都さんが登場するのは中学時代に将来ヘレンケラーのようになりたいと言ったシーン、父親と喧嘩するシーン、岡山に去っていくシーンの3シーンだけです。どれも地味なシーンではありますが、都さんに対する思い入れは強いものがありますね。吉塚ご夫婦もそうだと思いますし、僕にとって公太郎君と都さんは思い入れが強い二人ですね。
■プライベート牛乳立ち上げの仕掛け人に〜同志のような関係で、一緒に必死で山地酪農を守ってきたという思い。
―――プライベート牛乳発売の舞台裏も映されていましたが、ちょうど取材開始のタイミングでそれが始まったのでしょうか?
遠藤:吉塚さんが経済的にもギリギリの状態で、山地酪農を辞めることも選択肢にあがっていた時でした。今までのように農協に卸して他の牛乳と差別化されぬまま消費者に届くのではなく、プライベート牛乳として売り出したらどうかと、僕も仕掛け人となって始めたのです。当時は取材に行って飲ませてもらった僕ら以外、山地酪農の牛乳を飲んだ人は誰もいなかった。95年に吉塚さんが仲間達に提案し、売り先も自分で頭を下げて開拓する。商品の裏にストーリーがあれば吉塚さんをバックアップできると信じて、僕はテレビで吉塚さんのことを紹介していきました。とにかく自分たちがやっていることを信じて見切りスタートしたのです。96年3月に最初の山地酪農牛乳が出来上がりましたが、農協の施設を借りて作っているので、1度に200本分の牛乳ができる。でもその時、さばけたのは身内中心の50本だけだったのです。残りの150本をなんとか売りさばき、そのうちにテレビの全国放送で紹介したら火がついて、経済的面でも少しずつ回り始めた感じです。だから吉塚さんご夫妻とお子さんたち、それに僕らスタッフは、本当に同志のような関係で、一緒に必死で山地酪農を守ってきたという思いが強いですね。
―――信頼関係があればこそ、撮ることができただろうと思えるシーンも数々登場します。特に父子で酪農に対する考え方の違いからぶつかり合うシーンもありました。
遠藤:僕は、必ずしも吉塚さんの言うことが正しいとは思っていないですし、信頼しているということと、彼の言っていることが100%正しいかということはまた違うと思うのです。一番違うと思うのは、吉塚さんは子ども達全員が山地酪農家になればいいと言ったこと。子どもにも人生を選ぶ自由があるわけで、子どもたちが小さい頃から、そのことで僕と吉塚さんは喧嘩しましたし、それを子どもたちは見ていました。ただ吉塚さんが偉いのは、普通ならよその家の問題に口を出すなと言うでしょうが、絶対にそれを言わないんです。
■ダメかもしれないと思った東日本大震災。山地酪農が死ぬところだった。
―――東日本大震災では、遠藤さんご自身も報道部長の時で大変なご苦労があったと思いますし、吉塚牧場も電力供給が途切れ、生産再開まで苦労したことや、放射能問題についても描かれています。
遠藤:周りからは経済的に困難そうに見えていた吉塚牧場ですが、僕は長年取材して、吉塚家に深く入り込んでいたので、いつも出口がないわけではないという希望があったのです。でも東日本大震災の時は、本当にもうダメではないかと思いました。山地酪農はそこに生えるシバや牧草が餌になるわけですから、そこに放射能が降ってきてしまえば、全てがダメになってしまう。山地酪農が死ぬわけです。幸いなことに放射能の影響がなく、出荷することができたのは本当に良かったです。
―――遠藤さんご自身も報道現場で陣頭指揮に当たられたそうですね。
遠藤:僕自身も、社員80名ほどの岩手テレビに、読売テレビを中心に100人以上の応援が来てくれたので、本当に総力戦でした。福島原発がどうもおかしいという情報が入った時に、屋外で取材をしている社員たちに指示を出したのですが、中には携帯が繋がらない人もいて、本当に焦りました。全社員が報道フロアに集まり、取材している全社員に電話をかけまくり、全員の安否がわかったところで取材を中断し、建物の中に入ってもらって。身体中ヘトヘトになりました。あと亡くなった人の安否確認ではなく、生きている方の安否確認を人海戦術でやっていきました。これは大阪の読売テレビが阪神淡路大震災の時にやったことを参考にさせてもらい、手間のかかる仕事でしたが、とても喜んでもらいました。被災地としての報道は、被害のマス情報の部分と、プライベートの部分と両方が必要で、僕はその真ん中にいなければならない立場でした。1週間ぐらいした時に、部下たちに頼んで吉塚さんのところに行ってもらうと、無事ではあるけれど、自分の安否を千葉のご両親に伝えられないでいるのです。すると読売テレビが中継車を回すと言ってくれ、翌朝全国放送で安否を伝えることができました。大阪の方は大胆ですね(笑)。
■家族の物語ではありながらも、家族を支えている豊かな自然もテーマという意味を込めた「山懐(やまふところ)」
―――長年、取材した素材がたくさんある中で、映画化するにあたり、全国のみなさんに一番みていただきたかったことは何ですか?
遠藤:今まで番組でやってきたNNNドキュメントは「ガンコ親父と7人の子どもたち」というタイトルで、家族の成長記録や葛藤がメインでした。映画化するにあたりもっと深い内容にしていく中で、タイトルは2ヶ月ぐらい悩んだのですが、ふと「山懐」という言葉が出てきたのです。このタイトルにすると、家族の物語ではありながらも、家族を支えている豊かな自然もテーマになり、編集する上で一つの指針になりました。それを突き詰めて考えていくと、吉塚さんのご両親のように大家族を見守る神様的存在がいて、必要に応じて支えてくれている。そう思うと、使える素材が見えてきました。完成して繰り返し見るうちに、自分のような平凡な家族にも山懐があるのではないか、見てくださるお客様一人一人の中にも山懐があって、支えてくれていると考えるようになりました。
■ワンカットでも語れるのが映画のすごさ。
―――大家族を支え続けてきた吉塚さんの奥さん、登志子さんをもう少し取り上げてほしかったなと思いました。7人の子どもを育てながら、山地酪農にまっしぐらのご主人を支えてこられた方ですから、尊敬しかありません。
遠藤:僕も映画づくりは素人ですから、大好きな『男はつらいよ』シリーズを全作見直して色々勉強しました。テレビは分かりやすさを追求しますから総花的になってしまいますが、映画がすごいのは、ワンカットでも語ってしまうところだと思います。今回上映して、「お母さん、すごいね」とお客様から感想を伺うたびに、登場シーンは少なくても、きちんと伝わっていると感じました。例えば都さんが吉塚さんと喧嘩をしていた時に、登志子さんが「でも、お父さん、払えないものは払えないんだよ」と言うことで彼女の強さが分かる。あるいは吉塚さんと公太郎君が喧嘩をしている時に、何も言えないで泣いている姿から、お客様は感じ取ってくださっているのです。
―――最後に、これからご覧になる皆さんに、メッセージをお願いします。
遠藤:『山懐に抱かれて』というタイトルの通り、優しくも厳しい自然の中で生きている家族の姿を追いました。ご覧になる方が吉塚家の食卓に座り、彼らの話を聞いたり、喧嘩に遭遇したり、吉塚家の一員になったつもりで、参加していただけたらと思います。
<作品情報>
『山懐に抱かれて』(2019年 日本 103分)
監督・プロデューサー:遠藤隆
ナレーション:室井滋
出演:吉塚公雄、吉塚登志子、浅野都、吉塚公太郎、吉塚恭次、山崎令子、吉塚純平、吉塚雄志、吉塚壮太、吉塚和夫、吉塚淑他
2019年8月31日(土)〜シネ・ヌーヴォ、9月14日(土)〜元町映画館、京都シネマ他全国順次公開
※シネ・ヌーヴォにて8月31日(土)、9月1日(日)上映後、遠藤隆監督舞台挨拶あり
公式サイト⇒http://www.tvi.jp/yamafutokoro/
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