「安易な表現が溢れすぎている世の中に、踏み込むこと、踏みとどまることの大切さを伝えたい」 『解放区』太田信吾監督インタビュー


 ドキュメンタリー作家を目指す男がたどりついたのは大阪・西成。そこで、かつて取材をした青年を探すうちに、お金も恋人も、そして信頼も失っていく男の葛藤と、行き場のなくなった彼を受け止める街、西成をドキュメンタリータッチで映し出す大阪発の注目作『解放区』が、11月1日(金)~テアトル梅田、11月2日(土)〜出町座、11月15日(金)〜シネマート心斎橋、11月16日(土)〜第七藝術劇場、元町映画館他全国順次公開される。  

 監督は『わたしたちに許された特別な時間の終わり』の太田信吾。前作に引き続き、本作でも自身が主演し、西成の街を彷徨いながら、街や人々を豊かに映し出していく。大阪市の再開発計画により、今では観光客がシェアハウスに泊まりに来るような街になったが、2014年に撮影されたこの作品には、ドヤ街と呼ばれていた頃の西成の空気がぎゅっと詰まっている。西成の象徴的建物でもあった2019年3月31日に移転のため閉鎖した、あいりんセンターも、映画では日雇い労働者の求職の場として登場する。『解放区』というタイトルが示唆するような衝撃的なラストまで、どのシーンも強く印象に刻まれる。完成から5年の時を経て、ようやく劇場公開までこぎつけた本作の太田監督にお話を伺った。



 ■卒業制作作品の上映で西成を訪れ、「ここで映画を作れたらいいな」と思った。 

――――企画段階で釜ヶ崎を舞台に想定していたそうですが、初めて訪れた時の印象は? 

太田:2010年に大学の卒業制作で作った映画『卒業』が、西成のココルームが会場だったコミュニティアート映像祭で上映されるということで、初めて大阪に足を踏み入れました。街を歩いたり、見に来てくれた地元のおっちゃんたちとの交流もいきなり始まりました。その時出会った少年、翔太君たちの人柄にも惹かれ、ここで映画を作れたらいいなと漠然と思いつつ、劇中で登場する彼らの映像もその時撮っていました。  


――――前作に引き続き、本作でも太田監督が主演をされていますが、最初から決めていたのですか? 

太田:本当はオーディションをして、そこから決める予定でした。僕の場合、街で暮らし、生活した上で映画を撮りたいと思っていたので、ちょっと演技をしに大阪に行くというスタンスだとちょっと難しいのです。演技の上手い人はたくさんいましたが、事前に大阪で住んでみるという時間を作ってくれる人がなかなかいなかった。ですから、身近なスタッフが役者も兼ねる方がいいと思ったのです。  


――――撮影監督の岸建太朗さんは、主人公と対立するテレビディレクター役で出演していますね。他にも『種をまく人』(竹内洋介監督)で主演、撮影をされています。 

太田:実は『解放区』が撮影監督として携わった1本目で、それ以降撮影のオファーも来るようになったそうです。カメラマンもきちんと演技できることは大事だと思うのです。ただ画を切り取るよりも、相手をのせていく演技力や、演技をしながら撮ることによって、いい画が生まれるのではないでしょうか。 



 ■演技をすることで、自分たちを客観視できる力を感じる。 

――――最初、東京でテレビ番組用にロケ取材をするシーンでは、ひきこもりの中年男性とその家族を取材しています。以前にも、ひきこもりをテーマにした作品を撮られていますが、その関連は? 

太田:先ほどの『卒業』が自分の体験に基づいたもので、ひきこもりだった状態が、撮影を通じて家族と対話し、社会復帰を果たしていくという内容のセルフドキュメンタリーでした。カメラや映画制作にはポジティブに環境を変えていく力があるということを、身を持って感じたのです。前作の『わたしたちに許された特別な時間の終わり』も、演技をすることで、自分たちを客観視できる力を感じましたので、今回もう一度やってみようと思いました。前作では友人を救いきれず、自分の中で禍根を残してしまったので、身近にいた、実際にひきこもりの生活を続けている友人を誘って、映画を作りました。  


――――ひきこもりの男性を演じていたのではなく、実際にそういう状態の方が出演されているという点では、ドキュメンタリー的でもありますね。 

太田:そうですね。心の病を抱え、長年仕事をせずに自宅にこもっている方です。今回出てくる彼の家族の中で、役者なのは弟役の人だけです。本当の母親にも出演していただきましたし、家も実際のお住まいをお借りして撮影しました。 


――――フィクションとドキュメンタリーの垣根がないなと感じていましたが、実際にお話を伺うと、納得します。 

太田:弟役の方には撮影前、実際の弟さんが帰宅するまでの時間帯に弟さんの部屋に居させてもらったりもしました。母親も次第に慣れてきて、弟役の方を弟さんの名前で呼んだりしましたね。 




■安易な表現が溢れすぎている世の中に、踏み込むこと、踏みとどまることの大切さを伝えたい。

――――TVディレクターも、主人公にパワハラ的言動をし、ただ単に早く撮ってしまいたいというだけでなく、ひきこもりの兄ともっと真剣に向き合うようにと弟に半ばけんか腰で促し、大阪まで連れ出します。被写体との関係性を構築するときに、場合によっては一歩踏み込むことも必要なのでしょうか。 

太田:ドキュメンタリーやテレビの制作に携わる中で、メディアとの関わり方をメッセージとして投げかけたいという気持ちがありました。ディレクターが被写体に踏み込んで「関わりを諦めるな」と叫んだこともそうですね。街を描く上でも、先入観で描かずに、相手との共同作業の中で立ち上げていくことが大事です。今は誰しも携帯で動画が撮れますし、メディアを持っている時代です。言葉や文章もメディアだと思うので、その時に何か一歩踏みとどまる重要性や、踏み込んでいくことの大切さを伝えたい。例えば本当のことを知るためには、覚せい剤も打たなければいけないと思う主人公や、兄弟を向き合わせようとするTVディレクターにそれらのことを反映させています。やはり今、世の中には安易な表現が溢れすぎてしまっている気がします。 


■同じ過ちを繰り返さないために、ちょっと立ち止まって考える必要がある。 

――――本作は2014年に制作されていますが、制作当時よりも、安易な表現が溢れすぎているという実感がありますか。 

太田:映像はどうしても過去と対峙するものですから、必然的に映画は歴史と向き合うことになるのですが、向き合い、自省する時間を持ちにくくなっている気がします。情報があまりにも、広く、リアルタイムで更新されますから、常にインプットされる状態です。同じ過ちを繰り返さないために、ちょっと立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。この作品の舞台となる西成は1970年の大阪万博の頃から、インフラ整備の労働力として使い捨てにしてきたような歴史をはらんだ街だと思うのです。それを今公開することで、仕事とはどうあるべきかと考えてもらうような映画になっていると思います。  



■西成は思いやりの街、そして人間の弱さも溢れる街。 

――――撮影前には西成で過ごす時間を多くとったそうですが、そうする中で見えてきたことは? 

太田:映画の中でもSHINGO★西成さんの「この街は思いやりの街」セリフがあるのですが、お互いが支えあって生きている街だと思います。その上で問題も多々あり、都合よく、必要な時に必要なだけ労働力を使うために人を集めて成立していったドヤ街があり、仕事がなくなって人があぶれてしまった中、街で酒やドラッグに手を出して抜けられなくなる。そういう人間の弱さも溢れている街でもあります。 


――――映画では主人公が西成で一夜を共にした女に財布を盗まれ、生きるために日雇い労働をするシーンもありましたが、日雇い労働も撮影前に何度か体験されたのですか? 

太田:実際に解体現場で何度か仕事をした上で、カメラを回しています。主人公が現場の釘を踏んでしまうシーンがありますが、あれは実際に僕が体験したことで、足に違和感があるなと思ったら踏んでいたので、現場の危険さが身に沁みました。容易に働けなくなってしまう危うい場所に、労働者のみなさんがいることを痛感しました。会社にピンハネされ、実際に彼らが得る日給は1万円ですし、保険もない。僕自身、釘を踏んだ次の日、びっこを引いて歩けなかったですから。あれが現実なんです。 


■『解放区』は、人によって色々な見え方がする。 

――――ひきこもりの兄が、主人公のドキュメンタリー作家未満の男にかつて取材した青年たちを探すため西成に呼ばれ、むしろ自宅にいる時よりも、行動的になったり、自分の言葉を取り戻すところは、まさに彼にとっての解放区だったのではないかと思えました。『解放区』というタイトルが効いていますね。 

太田:最初は『大阪サーモグラフィー』という仮タイトルをつけていましたが、ある時からこのタイトルが浮かびました。西成においては行政が不法なものもある程度、必要悪として認めている部分があると感じています。そうでなければ暴動が起きてしまうので、ある意味鎮痛剤として、警察が目の前であってもドラッグ売買が行われていたりする。そういう意味での「解放区」でもありますし、遠くから来た人がそこで何かを発散する場所かもしれません。街に住む人にはSHINGO★西成さんのように、あの場所から闘うという政治的な意味も孕んでいるかもしれない。一つの意味ではなく、それぞれの人によって色々な見え方がするタイトルでいいなと思いました。 


――――当初は大阪市の助成を受けて作った作品(CO2助成作品)でしたが、大阪市から内容の修正指示が入り、太田監督は結局助成を辞退されました。当時の気持ちは? 

太田:行政のお金で映画を作ろうとしたことに後悔をしています。行政側の反応を予想できなかった自分も悪いと思うのですが、企画時点に、西成を舞台にドキュメンタリータッチで撮ることや、覚醒剤の描写があることは伝えていたのに、それが容易に覆ってしまうことは、困難だったというよりは呆れたという気持ちの方が強いです。 


■「この映画だけは世に出したい」、SPACE SHOWER FILMSの音楽映画ではない配給作品の第1弾に。 

――――そこから劇場公開まで5年かかりましたが、公開にこぎつけた経緯は? 

太田:僕は作ることが好きなので、『解放区』を撮り終わった後も、もう一本西成で、大阪で生活保護を受給しながら、ずっとロックをやっている男性を追いかけたドキュメンタリー映画『生活保護でロックンロール』を撮りました。西成で映画制作を続けていたこともあり、なかなか『解放区』の劇場公開に向けて動く余裕がなかった部分もあります。本当に作品に力があれば、上映したいという人が現れてくるだろうとも思って、実際に手を上げてくださった人に作品を預けていた時期もありました。最終的には今回、SPACE SHOWER FILMSが「この映画だけは世に出したい」とおっしゃってくださり、音楽映画ではない作品の第1弾として配給してくださいました。



■5年間で映画が熟成し、記録的側面での価値が高まった。 

――――公開まで5年かかったことで、この作品の提示するものが、より現在の観客に、強く刺さる気がします。 

太田:僕はポジティブに受け止めています。時間が経ったということは、それだけ現実世界のことと距離が生まれ、より歴史を見る、立ち止まる意味合いが強まったように思います。映画が熟成してきている気がしますし、西成の街が変わってしまったので、記録的側面における価値も高まってきているのではないでしょうか。あいりんセンターは2019年3月31日で移転のため閉鎖しました。映画で登場するあのシャッターは、もう開くことはありませんから。 



 <作品情報> 

『解放区』 (2014年 日本 114分)  

監督・脚本・編集:太田信吾 

出演:太田信吾、本山大、山口遥、琥珀うた、佐藤亮、岸建太朗、KURA、朝倉太郎、鈴木宏侑、籾山昌徳、本山純子、青山雅史、ダンシング義隆&THE ロックンロールフォーエバー、SHINGO★西成 

2019年11月1日(金)~テアトル梅田、11月2日(土)〜出町座、11月15日(金)〜シネマート心斎橋、11月16日(土)〜第七藝術劇場、元町映画館他全国順次公開 

公式サイト → http://kaihouku-film.com/ 

(C) 2019「解放区」上映委員会