「草間さんは真の開拓者であり、粘り強く突き進んだ人」 『草間彌生∞INFINITY』ヘザー・レンツ監督インタビュー


 水玉模様のオブジェや絵画で知られ、今や世界の中で最も有名なアーティストの一人である草間彌生。長野県出身の草間が、第二次世界大戦後単身渡米し、アジア人女性アーティストとして様々な偏見と闘いながら斬新なアートを発表、アメリカアート界にセンセーションを巻き起こしてきた歴史や、帰国後から現在に至るまでの活動を、草間自身のインタビューに加え、多数の芸術家や美術関係者を交えながら浮かび上がらせるドキュメンタリー『草間彌生∞INFINITY』が、11月22日(金)より大阪ステーションシティシネマ、MOVIX堺、シネ・リーブル神戸他全国ロードショーされる。 



 監督は、ドキュメンタリーを手掛けてきたアメリカのヘザー・レンツ。様々な困難を乗り越え、14年をかけて本作を完成させたという。パフォーマンス・アートやボディ・ペインティング、反戦運動から映画制作まで多岐に渡る活動を行った1957年から15年間の葛藤は、その後、時を経て才能が認められるまで、草間の精神をもむしばんでしまったことも事実だ。日本で、アメリカで、どんな苦難に遭おうとも、決してアートを手放さなかった草間の人生は、彼女が生み出すアートの奥底にある思想を、色鮮やかに浮かび上がらせる。 本作のヘザー・レンツ監督と、編集、共同脚本の出野圭太さんにお話を伺った。 



■アメリカ美術界に対する草間さんの功績が評価されていないことに気づき、映画化を決意。(レンツ監督) 

――――大学在学中に草間さんの作品をご覧になり、それが本作に続く長い道の始まりになったそうですが、どんな感想を持たれましたか? 

レンツ監督:当時私は大学で美術と美術史を勉強していたのですが、5センチぐらいある分厚い教科書を何百ページ読んでも、出てくる女性のアーティストは5名ぐらいしかいなかった。ただ90年代初頭だったので、そんなものかという認識でした。彫刻クラスで、草間さんのソフトスカラプチャーを初めて見て、まさに一目惚れでした。数十年前に作られた作品でしたが、非常に近代的ですごく心に残ったのです。なんとか草間さんのことを調べようと資料を探したのですが、当時見つけることができたのはたったの1冊でした。それを読み、彼女の人生のストーリーに非常に感銘を受けました。草間さんが残したアメリカの美術界に対する功績がきちんと理解されておらず、評価されていないことに気づき、これを映画にしようと思ったのです。



 ■男性主体の映画業界で、外国人女性を題材にすることは理解してもらえなかった(レンツ監督)

 ――――映画制作にも非常に時間がかかったそうですが、その経緯を教えてください。 

レンツ監督:USCで映画制作を学び、2004年に草間さんのドキュメンタリーを撮ろうと決めたのですが、海外への出張や言語の違いということ以上に大変だったのは、出資者への説得でした。草間彌生さんのドキュメンタリーの題材としての価値を、当時のアメリカではなかなか理解してもらえなかったのです。 


――――困難を極めた出資者への説明の中でも、印象的だったことはありましたか? 

レンツ監督:2004年に映画撮影を始めると同時に、様々な出資してくれそうな人に売り込みをしていたのですが、当時マドンナさんが映画に関する会社を設立していたので、そこにも売り込むチャンスがあったのです。ただ、そこで「外国人で、しかも女性を題材にするのですか?」と言われてしまい、そんな考えがまだまかり通っているのかと憤りを覚えました。やはりリスクを取りたくないということが分かり、私も傷つきましたし、映画業界も男性主体ですから、女性ということでも大変苦労しました。  


――――90年代前半はアメリカでも草間さんの再評価が始まっていた頃でしょうか?

レンツ監督:確かに草間さんのことを再評価されている方がいらっしゃいました。私が草間さんの映画制作をする時にも、現在グッゲンハイム美術館キュレーターのアレクサンドラ・モンローさんが助けて下さいました。過去のアーカイブ写真を紐解くにあたり、様々な歴史家やリサーチャーの協力を得ています。当時の草間さんの写真を入れ込むことで、作品に息を吹き込むことができました。 


――――2000年代後半の草間さんの商業面での成功は、映画制作に影響をもたらしたのですか?

レンツ監督:補助金をもらうために様々な申請をし、もらえるようになるまで4年かかりました。それまでは自己資金でなんとかやりくりをしていました。私自身も有名ではありませんし、監督としても事実上これが初監督作です。野心はありましたが、世間は私のことを知らないという状態でしたから。



 ■草間さんが歩んできた苦難の道のりを直接聞けた貴重なインタビュー(レンツ監督) 

――――草間さんとのインタビューはどのように実現したのですか? 

レンツ監督:阿岸明子さんが草間さんとのやりとりを取り持ってくださり、映画を撮り始めてしばらく経った2007年に、草間さんと面会することができました。草間さんの生まれ故郷である長野や、有名なかぼちゃのオブジェがある直島、金沢21世紀美術館、そして草間さんのアトリエにも行かせていただきました。また同年に再来日し、複数回に渡ってカレンダーや写真、個人的な写真のカーカイヴを見ながらインタビューを行ったのです。  


――――インタビューで一番印象に残ったことは? 

レンツ監督:やはり草間さんご本人に会えることは、とてもうれしかったです。本や資料では分からなかったことを直接質問できる貴重な機会でした。少し感傷的になる時や、戦争の話もしましたし、楽しい思い出を話してくださることもありました。草間さんのことを知らない方は、彼女の作品を見てハッピーなイメージを持つかもしれませんが、やはり彼女が歩んできた苦難の道のりを直接お聞きできたのが、とても良かったです。 



■完成まで14年。「草間さんの諦めない気持ちと、レンツ監督の諦めない気持ちがとてもシンクロしたプロジェクト」(出野) 

――――レンツ監督のお話を伺うにつれ、草間さんが単身渡米し、なかなか周りに認められなかった時代の苦悩と重なって見えました。レンツ監督ご自身も草間さんのことを調べながら、共感を抱く部分が多かったのでしょうか? 

レンツ監督:映画制作に時間をかけるにつれ、草間さんの境遇に共感する部分が大いにありました。私はアメリカで生まれ育ち、なりたいものには何でもなれると思っていたのですが、実際に映画の世界に飛び込むとかなり遅れている部分が多く、大変なことに度々遭遇しました。映画のテーマに対する人種差別も根強かったです。ただ草間さんは1950年代後半から70年代まで15年間アメリカに住んでいましたし、東洋のものを西洋に、西洋のものを東洋に持っていくというグローバルな変遷を遂げることで世界的に成功したアーティストになった訳です。また個人的な話ですが、私も日本人の夫がいるので、日本人の家族の一員になったことで、草間さんへの理解が深まりました。例えば草間さんの反戦活動についても、実際に私の夫の祖父が原爆で亡くなっているので、非常にデリケートなトピックスであり、戦争が終わって何十年経っても家族の中の悲しみが続いていることを理解できるようになったのです。 


出野:ハリウッドは白人男性社会で、この映画は完成までに14年かかりましたが、女性監督として数々の困難にぶつかってきました。その問題を横で見ていると、草間さんのストーリーとかなりシンクロするのです。草間さんの諦めない気持ちと、レンツ監督の諦めない気持ちがとてもシンクロしたプロジェクトでしたね。僕が編集を始めた頃は、アメリカ人の編集者と作業していたのですが、草間さんの日本語インタビューをベースに編集していたので、適当に繋げられてしまったんです。修正だけでは済まない状況だったので、僕がまず全てのインタビューに目を通し、一から編集をし直し、監督が知らない情報も共有しながらストーリーを再構築していきました。 


――――出野さんは編集だけでなく、共同脚本にもクレジットされていますが、脚本、編集で特に意識した点は? 

出野:前述のアメリカ人編集者によるラフを見た時、草野さんが物語を推し進めている感じがしなかった。ですから、基本的には草間さん言葉で映画が進むように意識して作りました。 




■草間さんは真の開拓者であり、粘り強く突き進んだ人(レンツ監督) 

――――最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。 

レンツ監督:草間さんの人生には素晴らしい深みがあります。アーティストとして成功されていることは日本の皆さんも認知されていると思いますが、これまで草間さんがいかに苦難の道を歩んでこられたか。彼女は真の開拓者であり、粘り強く突き進んだ人だと思います。夢に向かって進んでいる方なら、必ずインスピレーションを受けると思います。 

(江口由美)



 <作品情報> 

『草間彌生∞INFINITY』“KUSAMA: INFINITY”

(2018年 アメリカ 77分)  

監督:ヘザー・レンツ 

出演:草間彌生、アレクサンドラ・モンロー、ジュディス・ヴィーダ、フランシス・モリス他 

2019年11月22日(金)より大阪ステーションシティシネマ、MOVIX堺、シネ・リーブル神戸他全国ロードショー

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