「おろかだからこそ人間らしいし、最低で最高に愛おしい」 『おろかもの』芳賀俊監督、主演・笠松七海さんインタビュー(後編)


 『おろかもの』芳賀俊監督、主演・笠松七海さんインタビュー後編では、笠松さんが洋子を演じながら感じたことや、他のキャストと共演しての感想や、芳賀監督が、洋子が様々な価値観に出会う旅をどんな手法で提示したのか、そしてタイトル『おろかもの』に込めた意味についてお話を伺った(映画の結末に触れる箇所があります)。


■洋子が思う大人像とかけ離れている違和感や、美沙自身が持つ吸引力を大事に演じた(笠松)

――――序盤に、洋子が尾行した美沙と思わぬ形で対面するカフェのシーンはとても重要ですね。

笠松:本番前に村田さんとは顔合わせやリハーサルをしていましたが、改めてカフェのシーンで物語の中での初対面になった時、すごく静かな圧を感じました。洋子としてはすごく仕掛けていっているし、喧嘩を起こそうとか、争ってやろうと思っているし、自分は正しいことをしていると疑っていないのに、そこの出鼻をくじかれるんです。美沙はパスタを食べていて、洋子からすれば大人なのになんでこんなに人の話を聞かないんだろうとか、なんで会話が成り立たないんだろうと感じている。洋子が持っている大人像とはかけ離れた人だという違和感や、美沙自身が持つ吸引力を大事にしようと思いながら演じていました。




■ジョン・カザヴェテス監督のように人間の面白さや複雑さをすべて肯定するため取り入れたクローズアップ。(芳賀)

――――全般的に引きの絵を入れず、登場人物、特に洋子、美沙のアップを多く取り入れ、セリフよりも彼女たちの表情で語らせていた部分が多かったと思いますが、その狙いは?

芳賀:この映画は洋子演じる笠松さんのロードムービー、つまり日常の中で色々な価値観を持つ人に出会う旅をする話です。洋子が見て、聞いて、感じ取ったことを中心に描こうとしたので、引きの絵が入ると観客の視点になってしまう。時折、イワゴウさんが演じる健治の視点や美沙の視点にもなりますが、基本的に洋子の視点を大事にしました。僕がすごく好きな『フェイシズ』(ジョン・カザヴェテス監督)も顔だけしか撮らないですし、ジョン・カザヴェデス監督が描いてきた人間の面白さや複雑さをすべて肯定するようなものを描きたかったので、撮影方法も自然とクローズアップが多くなっていきましたね。


――――アップのショットが多いと観ていてしんどくなりがちですが、うるさくないというか、俳優たちの言葉にできない表情をうまく捉えていましたね。

芳賀:洋子を演じることができるのは笠松七海しかいないと言いましたが、彼女が持っている、何かを見たり聞いたりしている時の表情の魅力が全てですし、洋子と一緒に旅をしてほしいので、そういう表情をずっと押さえていきました。僕も撮っていてすごく楽しかったですね。どのアングルから撮ってもすごく絵になるという絶対的な魅力に抗えなくて、毎日感動の嵐の中、撮影していましたね。



■女性たちを描く映画だからこそ、男性のことをしっかり描くことが必要。(芳賀)
現場でもどのキャストよりも空気を読んで居てくださるイワゴウさんに助けられた。(笠松)

――――三人の女性それぞれの立場で愛し、愛するがゆえに悩みの種となる健治は、どこか憎めないところが必要な本当に難しい役ですね。

芳賀:イワゴウさん演じる健治は一番綱渡りをする役です。「こいつが悪い」と思われたら、この映画は絶対にダメになってしまいますから。イワゴウさんが笑っている姿を見ると、本当に憎めないですし、普段はニコニコしている彼が真面目な表情で「僕は果歩を愛している」と言う表情からその真意を痛切に感じさせる。本当に好きな俳優です。この映画で健治の本心が出るショットはとても少ないのですが、その少ない瞬間にとても惹きつける力を持っています。女性たちを描く映画だからこそ、男性のことをしっかり描くことが必要で、イワゴウさんに頼った部分は大きいですね。


――――兄と妹という間柄で、お互いの葛藤を表現するシーンも多かったですが、イワゴウさんとの芝居はいかがでしたか?

笠松:本当に大変な役だと思うのですが、イワゴウさんがいると現場の空気が軽くなるんです。気を引き締めていこうとピリッとした雰囲気でも、イワゴウさんがいることで重苦しくなくしてくれる。それはお芝居にも現れています。二人でお墓まいりをするシーンで、私はボブだったのでカメラに表情が映らなくなるショットがあったのですが、イワゴウさんには私の表情が見えていて、イワゴウさんがクルクル表情を変えて洋子の気持ちを受けた芝居をしてくださった。そういう技術的な面も抜群に上手ですし、現場でもどのキャストよりも空気を読んで居てくださったので、イワゴウさんには本当に助けられました。


■猫目さんが演じる果歩の愛情深さ。言葉からもお芝居からも滲み出る。(笠松)

――――洋子にとっては本当に色々なことを体験する旅であり、最初は兄を取られるという思いからギスギスしていた果歩との関係も変化していきますね。

笠松:果歩を演じた猫目さんとは今回が初対面でしたし、リハーサルの時はお互い積極的にコミュニケーションを図ろうとするタイプではなかったので、撮影まではあまり意思疎通ができていなかった。果歩が洋子の部屋に羊羹を運んでくるシーンで、猫目さんが「今は家族になりたいという気持ちが強いから、セリフをこういう風に言いたい」と提案し、脚本家の沼田さんとその場で書き換えたんです。洋子の小さな部屋にスタッフとキャストがぎゅっと集まり、だんだんその空間が濃密になっていく感じで、それに伴い猫目さんが演じる果歩の愛情深さが言葉からもお芝居からも滲み出ていました。最後に「全部、健治が悪いんだけどね」という果歩のセリフがあるのですが、その猫目さんの言い方がすごく好きで、本当にそうだなと心から思える言い方をされるんです。果歩が健治と今まで過ごしてきた時間を感じさせる一言であり、健治の悪いところ、好きなところ、これから一緒に歩いていく先のことを全て背負った上でのちょっと笑った言い方なんですよね。何回見てもすごいなと思います。


――――洋子の高校の親友・小梅(シャオメイ)は、洋子の企みを横から面白がる存在で、最初はずっと洋子が持っていたカメラを途中から持ち、洋子と美沙の関係の変化をカメラで撮っています。第三者的な立ち位置のキャラクターですね。

芳賀:小梅は観客の視点に近い部分がありますね。この映画は人の苦しみや悲しみを訴えた映画でもあり、健治を中心に色々なものに縛られている人物が中心なので、重苦しく見えてしまうのですが、自分の主観では悲劇でも遠くから見ると喜劇であり、この人間模様を喜劇のように捉えている小梅がいることで、洋子の境遇も語れるし、最終的に彼女の背中を押してくれます。便利な旅先案内人ではなく、同じところに立ち、自分の思ったことを言う小梅と、小梅の言葉に背中を押される洋子という関係性が好きですね。


――――美沙との関係性がどんどん変わっていく様を演じてみての感想は?

笠松:今回はほぼ順撮りでスケジュールを組んでいただいたので、現場が毎日続く中で、自然と重なっていく関係性が映っていると思います。印象深かったのが初めて美沙を家に招くシーンです。私自身パーカーが好きで、プライベートでもよく着るのですが、フードがあるので一枚守られる感覚があるという話を撮影前にしていたのですが、初めて招く時に実際の衣装か、パーカーにするかの二択で迷っていたのです。でも美沙を招くと決めた時点で洋子としては対峙する心の準備ができているので、ほかはほぼノーメイクでしたが、あのシーンだけは高校生の設定ですがきちんとメイクをし、洋子なりの正装で美沙を待っているという形にしました。


■ハラハラさせる展開には、洋子が持つ高校生ならではの無鉄砲さ、おろかさが出ている(笠松)

――――浮気相手を招くというシチュエーションはちょっとハラハラさせられますが、想像とは別の展開になっていくのが本作の醍醐味です。

芳賀:実際そういうシチュエーションは日常で少ないと思いますが、そういうことが起きた時人はどうするかをしっかりと考えました。そんなことにはならないよと思われないような演出ができたと思っています。

笠松:洋子が持つ高校生ならではの無鉄砲さがあると思います。知らない人を家に招き入れてしまうのもそうですし、そこからの展開もあまり深く考えていないからこそやってしまう。若さゆえの至らなさですし、それによって相手を傷つけるところも出てくる。そこは洋子のおろかなところだと思います。もう少し年を重ねて、自分の頭で考えるようになればしないであろうことを、まだしてしまうぐらい洋子は子どもなんだと思って演じていましたね。



■ひらがなの『おろかもの』がすごく好き。(笠松)
他人を断罪する「愚か」ではなく、おろかだからこそ人間らしいし、最低で最高に愛おしい。(芳賀)

――――まさにタイトルも『おろかもの』で、一度聞いたら忘れられない強いインパクトがありますが、お二人はどう捉えておられますか?

笠松:作品が公開され、よく「すごいタイトルですね」と言われるのですが、私自身はこの作品にすごく合っているタイトルだと思っています。内容を知らないでタイトルだけ聞くと、怖い印象を持ったり、重たい映画ではないかと思われがちですが、『おろかもの』というタイトルがどういう意味でつけられたのかを考えていただくのも面白い時間だと思いますし、私はひらがなの『おろかもの』がすごく好きですね。

芳賀:漢字で書く「愚か者」は「愚」という漢字の与える印象がとても強いし、ジャッジをする言葉のように聞こえるのです。世間にはびこっている、他人を断罪することでカタルシスを覚える考え方の中心にある感情を表す漢字でもあるかなと思うのです。でも、実際に愚かでない人がこの世でいるのだろうか。どんなに聡明な人でも、愛情深い人でもその愛ゆえに愚かなことをするのが世の常です。でも何かを好きになる、愛することは生きるのに必要な原動力で、そういうものを持つことでちょっと愚かなことをしてしまうのは「愚」だとは思わない。だから「愚」をひらがなに解体して、おろかであることはそんなにおかしいことではない。だからこそ人間らしいし、最低で、最高で愛おしいという意味を込めました。それは登場人物全員に言えることだし、作ったキャスト、スタッフ全員にも言えることだし、ひいては観客のみなさん全員に言えることでもある。そういうおろかものたちに乾杯をという賛歌の意味を込めて作りました。


■チーム一丸となって100%以上の力を出してくれた結果、すごくいいラストシーンになった。(芳賀)

――――最後に、ラストの結婚式のシーンは個人的には映画史に残るぐらいの名シーンだと感動しました。撮影時のエピソードをお聞かせください。

笠松:私は洋子と美沙に向けた猫目さん演じる果歩の笑顔が、この作品の中で一番の笑顔だと思っています。本当に洋子にとっての新しい家族が増えた瞬間です。あの笑顔を見たことで、洋子には兄とは別の新しい帰る場所ができたと思うし、果歩という帰る場所ができたことで美沙との行動に向かっていける。あの時の笑顔を忘れられないぐらい、すごく印象的でした。

芳賀:この映画は会話で進んでいくストーリーなので、だからこそラストは会話が一切ないシーンにしたかった。人が見て、聞いて、感じることが映画の原動力になるということを最大限発揮したシーンにしたかったので、視線だけでドラマチックなシーンを目指しました。セリフを全て廃すことで、みんなの感情がより多くの層に連なって、いろんなグラデーションになったのではないでしょうか。演じる側は、すべて表情で語らねばならず、とても難しいシーンだったと思いますが、それを全身全霊で自分の想定をはるかに上回る芝居をしてくれた。チーム一丸となってこの作品に挑み、100%以上の力を出してくれた結果、すごくいいシーンになりました。そういう意味でも、キャスト・スタッフのみなさんに感謝していますし、名シーンとおっしゃっていただけたのは本当にうれしいですね。


<作品情報>

『おろかもの』(2019年 日本 96分)

監督:芳賀俊、鈴木祥

脚本:沼田真隆

撮影:芳賀俊

出演:笠松七海、村田唯、イワゴウサトシ、猫目はち、葉媚、広木健太、林田沙希絵、南久松真奈

2021年3月12日(金)より京都みなみ会館、3月13日(土)よりシネ・ヌーヴォ、4月17日(土)より神戸アートビレッジセンター他全国順次公開

公式 サイト → https://mikata-ent.com/movie/635/

©2019「おろかもの」制作チーム