「女の敵は女ではなく、女性同士の連帯を描きたいと思った」 『おろかもの』芳賀俊監督、主演・笠松七海さんインタビュー(前編)
兄と二人暮らしの妹、兄の浮気相手、そして兄のフィアンセ。ともすれば血みどろの闘いを見せられがちな女性3人が、思わぬ関係性を作り出し、苦悩を超えて輝き出す姿を見ると、新しい女性映画の誕生を喜ぶと同時に、自分自身も女の敵は女という思い込みに縛られていたことに気づかされる。そんな新しい女性たちのシスターフッドな関係を描く『おろかもの』が、3月12日(金)より京都みなみ会館、3月13日(土)よりシネ・ヌーヴォ、4月17日(土)より神戸アートビレッジセンターにて公開される。
若手映画監督の登竜門 田辺・弁慶映画祭にてグランプリを含む史上初の最多5冠を受賞した本作。監督は『空(カラ)の味』で撮影を務めた芳賀俊と同作で助監督を務めた鈴木祥。脚本家の沼田真隆とトリオ体制で、かねてより主演を熱望した笠松七海を迎え、俳優たちの表情と会話が物語を引っ張る、秀逸なヒューマンドラマが誕生した。とかく白黒つけたがる世の中にあっけらかんと決別し、感情に溺れず、相手の人間性を見抜いている女性たちの存在感が際立つ。特に妹の洋子を演じた笠松七海の不安と好奇心に満ちた表情に思わず吸い寄せられるのだ。
本作の芳賀俊監督と、主演の笠松七海さんにお話を伺った。
■小さい頃から映画が僕の人生を後押ししてくれた。(芳賀)
――――芳賀監督は映画マニアというぐらいの映画好きだそうですが、小さい頃から好きだったのですか?
芳賀:僕は小さい頃体が弱かったので、よく肺炎にかかって学校を休むことが多かったんです。親が録画してくれたビデオで『アラモ』(ジョン・ウェイン監督)を観た時に映画ってすごく面白いと思ったし、『ターミネーター2』(ジェームズ・キャメロン監督)などは生きる活力を与えてくれる。体温が40度ぐらいで頭が痛い時に、『沈黙の戦艦』(アンドリュー・デイヴィス監督)を観たら、「俺もスティーブン・セガールみたいにがんばれるかも」と思え、映画から娯楽性だけではなく、人の生き方や考え方もいろんなものがあるということをたくさん教えてもらった。その体験がきっかけで、自分が勉強することや趣味、世界の見方がどんどん広がっていきましたし、映画が僕の人生を後押ししてくれた。常日頃から、映画そのものに感謝をしているという気持ちがありますね。
――――映画好きから、映画を作る側へ転換するきっかけは?
芳賀:高校時代に放送部に入り、8分間ぐらいの短編映画を作っていたので、当時から監督や出演、撮影などをやっていたのがすごく面白かったんです。学校に行くとそれぞれのスペシャリストが集まって、みんなで作る。そういう共同作業に魅力を覚えました。大学は日本大学芸術学部映画学科撮影コースに進んだのですが、同じ映画学科で共同監督の鈴木祥君や脚本の沼田真隆君に出会い、卒業してからもこの三人で映画を作りたいとずっと思っていたのです。
――――この作品でまず感じたのは、アジアでは既に描かれている女性のシスターフッド的関係がようやく日本でも描かれたということ。しかも監督、脚本共に男性でというのに驚きました。
芳賀:日本では残念ながらまだ男尊女卑という価値観が強く、女性同士の連帯を描くより、女の敵は女だとか、女性をどこかバカにしているような言動をする男性もまだまだ多い。特に女性タレントが声を上げるとバッシングされるのに、マッチョな男性タレントが意見すると賞賛されるような世間の風潮に常々疑問を覚えていたので、「みな同じ人間なんだ」ということを訴える映画を作ろうという狙いがありました。
■ミュージカル志望から映像作品デビューを果たすまで(笠松)
――――笠松さんは大阪出身だそうですね。女優の道を志したきっかけは?
笠松:幼稚園時代に関東へ移ったので大阪出身を名乗れるほどではないですが、生まれは大阪の河内長野市で、すぐ南は和歌山という地域です。私は中学生時代に海外ドラマ「glee/グリー」が大好きだったので、ユースシアタージャパン(以下YTJ、兵庫県西宮市が本拠地)の関東エリアの一期生として入り、1年間実質レッスン生として通ったのですが、まだ手探り状態だったので、思ったほどミュージカルで活動することができなかったんです。そのまま続けるか悩んでいた時、母が3ヶ月のワークショップを経て映像作品に仕上げる映画のワークショップ企画(【ガチンコ・フィルム ワークショップ】VOL.03)を勧めてくれたんです。その企画に応募し、撮った作品『わたしの王子』(小田学監督)が私の映像作品デビューになりました。ただ、小田監督は映画監督を辞めてしまわれたので、もう上映することができない幻の作品になっています。
――――芳賀監督との出会いは『空(カラ)の味』になりますが、この作品はオーディションだったのですか?
笠松:主演の堀春菜さんが私の幼馴染で、『空(カラ)の味』の塚田万理奈監督から本当に仲のいい友達を連れてきてほしいと頼まれ、堀さんが声をかけてくれたのが私だったんです。
■『空(カラ)の味』の頃から、笠松七海を主演にした映画を絶対に撮りたいと思っていた(芳賀)
――――芳賀監督は撮影で参加されていましたが、笠松さんの印象は?
芳賀:笠松さんは撮っていると、もっともっと撮りたくなる俳優です。笠松さんの表情を撮っていると、僕自身がその表情に飲み込まれてしまうようなとてつもない魅力があります。言葉にできない何かを持っているのは俳優として大きな武器になりますから、彼女を主演にした映画を絶対に撮りたいとその頃から思っていました。『おろかもの』を制作する最初の原動力になったのは、間違いなく笠松さんの魅力ですね。
――――なるほど、『おろかもの』は笠松さんありきでスタートした企画だったと。
芳賀:主人公の洋子役をできるのは笠松七海しかいないと思って書いた脚本ですから。脚本家の沼田君は俳優をイメージして考えると色々と面白い画が浮かんでくるタイプなんです。彼は、笠松さんが何かを見ている時の姿が本当に素晴らしいと思っていたので、それならば何かを見ているシーンから始めたいと。だからファーストカットは見てはいけないものを見ている洋子の表情で、観客はそれが何なのか気になって知りたくなるような、惹きつける原動力になっています。
■「女の敵は女」はメディアに植え付けらたイメージ。女性同士の連帯を描きたいと思っていた。(芳賀)
――――笠松さんの魅力的な表情から生まれたファーストカットだったんですね。さきほどのシスターフッド的な関係性はどのような形で入れ込んでいったのですか?
芳賀:僕自身の周りを見ても考え方の違う女性たちが手を取り合って闘っているので、いわゆるワイドショーやドラマで植え付けられた「女の敵は女」というイメージがいまだに根強く残っているのではないかと思っていました。沼田君は女性同士の連帯を描きたいと思っていましたし、境遇が正反対で普段相入れない人たちも、手を取り合って仲良くなれることを描くのは、映画的にもカタルシスがあるのではないかという想いから、どんどん脚本が出来上がっていきましたね。
――――笠松さんはこの脚本を読んだ時、どんな印象を受けましたか?
笠松:芳賀監督は常に私のことを褒めてくださるので、前の現場からずっと「また一緒に作品を撮りましょう」とおっしゃっていたのは褒め言葉の中の一つなのかなと思っていたんです。だから脚本をいただいた時は、まさかという驚きの方が大きかったです。
■村田唯の魅力は情念の強さ、猫目はちは不動の強さを表現する目力が魅力。(芳賀)
――――芳賀監督の“本気のしるし”だった訳ですね(笑)洋子が対峙する二人の女性、兄の浮気相手・美沙役を村田唯、兄の婚約者・果歩役を猫目はちが演じていますが、キャスティングの経緯は?
芳賀:二人とも当て書きです。沼田君と村田さんと僕はもともと映画制作の現場で一緒に活動しており、関係性も深かったんです。沼田君曰く、村田唯の魅力は情念の強さで、その情念がしっかりと映る役をラブレターのように書いてプレゼントし、一緒に美沙という役を作り上げていった形です。猫目さんは、本当に目力が強い方で、千のセリフよりも一つの目線の方が多くを語っている俳優です。果歩という役はステレオタイプの妻像に見えて、実は一番アナーキー。秩序正しく見えるけれど、人によってはすごく狂っているように見え、それが本当の強さだという風に描かれる女性なので、猫目さんの不動の強さを表現する目力が果歩の内面を表現するという形で脚本が出来上がっていきました。
――――果歩は後半に行くほど、存在感が増してくるキャラクターです。不動の強さというのは納得です。
芳賀:「怒っているよ、怒ってないけど」という果歩のセリフに象徴されるように、映画の中で傷ついている姿は映していませんが、たくさん傷ついてきたからこそ持てる果歩の強さであることが、猫目さんが普段生きている姿からも浮かび上がるし、そういう彼女の魅力から出来上がっていったキャラクターですね。
■「人は矛盾し、わからないけれど、とても愛おしい」ことを高らかな賛歌として謳った作品(芳賀)
――――洋子が尾行した時に、カフェで思わず対峙することになった美沙は当初許せない浮気相手だったはずが、洋子は美沙の内面に触れるうちに彼女と共犯関係になっていく展開には驚きました。
芳賀:人のことをジャッジすることは不可能ですし、いいところばかりの人もいなければ、悪いところばかりの人もいない。知れば知るほどわからなくなるし、逆にわからなくてもいいのではないかということが描ければと思っていました。最初洋子にとってはただの兄の浮気相手だった美沙が、二人を尾行するうちに、なぜラブホテルから一人ずつ出てくるんだろうと疑問を覚えたり、電車内で席を譲る姿に自分の思っている人とは違うという印象を覚える。
カフェに入って最初に美沙がパスタを食べている画が映ることで、洋子はこの人は絶対的に生きている人間であることを突きつけられ、彼女が美沙に貼っていたレッテルがどんどん剥がれていく。レッテルの奥には本当に立体的でなんともいえない人間の像が浮かび上がるのです。実際に僕らの日常でもそういうことだらけですし、それを映画で描くことはサスペンスフルでありドラマチックで、とても素敵なことだと思います。そういう人間像は邦画界であまり見られないのですが、人は矛盾しているし、わからないけれど、とても愛おしいということを高らかな賛歌として、この作品で謳えたらと思って作っていましたね。
(後編に続く)
©2019「おろかもの」制作チーム
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