「女性の強さは美しいもの」『ブラックミルク』ヴィゼマ・ボルヒュ監督(脚本、主演)インタビュー
第11回大阪アジアン映画祭で、見事来るべき才能賞を受賞した、ドイツ、モンゴル合作映画『そんな風に私を見ないで』のヴィゼマ・ボルヒュ(監督、脚本、主演)の最新作、『ブラックミルク』が、第16回大阪アジアン映画祭特別注視部門作品として2021年3月12日に日本初上映された。前作同様、脚本、主演も務めた本作では、故郷、モンゴルのゴビ砂漠でほぼ全編を撮影。ドイツ暮らしで、支配的な恋人から逃れ、長年離れて暮らしてきたモンゴル遊牧民の妹、オッシの前に久しぶりに現れる姉、ウェッシを演じている。壮大なゴビ砂漠の中、正反対の文化で生きてきた姉妹が対峙し、お互いの価値観をぶつけ合い、時には因習の壁を乗り越え、そしてお互いのかけがえのなさに気づく物語。遊牧民や動物たちの日常生活をドキュメンタリーのように捉え、まさに、ボルヒュ監督にしか撮れない作品に仕上がっている。女性に突きつけられた様々な問題にどう立ち向かっていくかという点でも、多くの視座を与えてくれる秀作だ。本作のヴィゼマ・ボルヒュ監督にお話を伺った。
―――前作の『そんな風に私を見ないで』は離れた故郷への思いを描いていました。今回ほぼ全編モンゴルで撮影するのは自然な流れだったのですか?
ヴィゼマ・ボルヒュ監督(以降ボルヒュ監督):そうですね。自然な流れで一作目に引き続き、二作目は全編モンゴルでの映画制作になったのではないかと思います。私はモンゴルで生まれ、その後長くモンゴルから離れて暮らしてきました。けれどもモンゴルやその文化に対して非常に強い絆を持って生きてきたのです。ドイツで生活していたときは父母と兄弟で50平米の小さなアパートに住んでいましたが、家の中は完全にモンゴルでした。そこから一歩外に出るとドイツなのですが、私たちは50平米のモンゴルの中で生活していたと言っても過言ではなかったです。モンゴルを離れて寂しいと思うよりも、記憶や教育の中でモンゴルへの愛が詰まった生活をしていました。また両親に導かれ、私は物を書くようになったのですが、私は誰かに強いられるのではなく、まさに自分の中から突き動かされ、コントロールできないものを書き留めるというやり方で書いてきたのです。ですから、今回の『ブラックミルク』はワンステップ前に戻ったという意味で、自然な流れだったと言えるのかもしれません。
■最小のスタッフでゴビ砂漠の遊牧民が自然な振る舞いをできる環境づくり
―――ゴビ砂漠の中で長期間撮影するのは大変ですが、撮影準備について教えてください。
ボルヒュ監督:この映画はゴビ砂漠で撮影しましたが、なるべく少人数のチームで撮影したいと思い、撮影監督、録音スタッフ、私の三人だけで行いました。さらに私の父もオッシーの継父を演じてもらうだけでなく、遊牧民のゲルの内装を本当の遊牧民が住んでいるような室内装飾にする手伝いをしてくれ、大変重要な役割を果たしてくれたのです。大勢で大規模な映画撮影をするとなると、地元の人たちが本来の遊牧民らしさを忘れてしまう恐れがありました。遊牧民のみなさんが撮影を安全だと感じてもらい、自然な振る舞いができる環境で映画撮影を行うことが私たちにとってとても大事でしたから、親密な空間を作ることを意識して撮影準備を行いました。あまりにもうまくいったので、遊牧民の皆さんからは「本当に映画を作っているの?映画を撮っているというイメージとは全然違うのだけど」と言われるほどでした。自然な遊牧民の生活を引き出す上で、非常に良い撮影環境ができたと思っています。
―――妹オッシ役のグンスマー・ツォグゾルさんは、実の姉妹のように似ていましたがキャスティングについて教えてください。
ボルヒュ監督:オッシーを演じてくれたグンスマーさんには本当に感謝しています。彼女は私の従姉妹なので顔が似ているのは当然なのです。グンスマーさんに遊牧民を演じてもらえるかと聞いてみると「街の女は演じられないけれど、遊牧民ならできると思う」と。グンスマーさんは元々映画を撮影したような場所で暮らし、そういう地域への馴染みがあるのでとてもエネルギッシュな力のある女性です。しかもその時妊娠しており、本当にオッシ役に最適でした。カメラオーディションをするとその人が役に適しているかがすぐにわかるのですが、グンスマーさんはカメラに対する反応も非常によく、自然な演技ができたのです。素晴らしい人を得たと思いました。
■西洋と遊牧民の文化、女性差別的な因習との対峙を示すシーンの狙い
―――オッシーは遊牧民としてモンゴルの因習の中で生きてきた女性で、因習による女性のタブーや役割に従ってきましたが、ドイツから戻ってきた姉のウェッシーと接する中でその枠を越えようとします。屠殺シーンとミルクを浴びるシーンはオッシーの内面の変化を描く上で非常に重要ですね。
ボルヒュ監督:この二つのシーンは私の実人生の中での体験です。遊牧民の女性、特に私の叔母たちは色々な状況においてどのように対処してきたかを見て、彼女たちの強さを小さい頃から感じてきました。因習がたくさんある社会の中で、弱くては生きていくことはできません。男性が支配する社会の中で、女性としての強さをみなさん持っていると思うのです。私自身も「女がヤギを殺すのは許されない」と言われたことがあります。彼らには彼らの理屈があるのでしょうが、現代に生きる女性としてそういうことがなぜいけないのか問いかけずにいることは無理ですね、どうしてそういう因習があるのかを常に問いかけてしまうし、それに対して科学的な説明が何もないこともわかっています。オッシーは「男がくるまでヤギを屠殺できない」と言いますが、どうして男が来るのを待たなければいけないのか。ずっと男がやることに頼って生きていかなければいけないのかとウェッシーは問いかけますが、それは彼女にとって自然なことなのです。
さらに西洋的な基準では「時は金なり」という考え方があります。人がやってくれるのを待つのではなく自分がやらなければいけないと西洋の人間は考えてしまう。そういう点で、モンゴルの遊牧民は時間に対する考え方が全く違います。地平線も空も全て変化はないので、何も急ぐことはない。時間はあるという考え方で彼らは生きてきました。ですからウェッシーがなぜ待つのかと問いかける時、オッシーは待つことが悪いことではないと考えています。一方でウェッシーはオッシーの行動や言動にいちいち挑発されるわけで、二人の力のバランスがそこで対照的に示されています。二人はとてもよく似ていますが、西洋で育ったウェッシーと遊牧民の古い伝統の中で育ってきたオッシーでは非常に違ってきています。だからこそ、オッシーは自分も強い女性だとウェッシーに対して見せつけたい部分もあるんです。
モンゴルの遊牧民の中では、西洋人のように自己中心的に生きている人は全くいません。まずは周りのことを考え、それから自分のことを考える。牛乳で体を洗うシーンも、女性であれば自分の体をきれいに洗うという欲求は誰でもあるものですが、自分の体の美しさを楽しみ、牛乳で潤すことは、遊牧民の生活の中では絶対に許されない。自分の体は汚れていて、常に一番下に置かれなければいけないのに、それを貴重な牛乳で洗うことは驚くべき行為だったのです。そういう意味を持つシーンでした。
■特定の文化に全面的に従う前に、自分のやり方を探したければ、どうしても避けては通れない道がある
―――一方、支配的なボーイフレンドから逃れ、故郷に居場所を求めてきたはずのウェッシも、因習を押し付けられ、やはり居場所を見出せません。この状況はボルヒュ監督の実体験によるものですか?
ボルヒュ監督:私はウェッシーを非常によく理解していると思います。ドイツの文化とモンゴルの文化は本当に違い、異なる二つの文化の中で彼女は自分なりのやり方を探し、一つの世界文化を自分の中に見出そうとしています。ウェッシーがドイツにいたときは、「お前は自分のものだ」と言うような支配的な男友達といたわけで、その人から逃れ、自分の愛する妹や愛する砂漠のあるところに行こうとモンゴルへ旅立つわけです。でもそこでも周りから期待される行動の仕方に非常に混乱し、悩んでしまう。これはウェッシーだけの問題ではありません。自分は誰で、これからどのように生きたいのか、自分の居場所はどこなのか。そういうことを深く考えようとすれば誰もが周囲との葛藤は避けられません。特定の文化に全面的に従う前に、自分のやり方を探したいと思う人であれば、どうしても避けては通れない道です。一方で愛する人たちに認めてもらいたい、その人たちと一緒に暮らしたいと思えば、そうでない自分を貫き通そうとすると失うものも大きい。自分の葛藤を経て、私たちは社会の中で生きていくと思いますから、決して悪いことではないと思います。
―――印象的なラストシーンで、個人的には地球という子宮の中にいる双子のような二人というイメージを抱きましたが、どのようなイメージを投影させたのでしょうか?
ボルヒュ監督:とても素敵なイメージですね。ちょうどその時期に従姉妹のグンスマーさんが双子を妊娠していたんですよ。ラストシーンは一つの隠喩です。この世界の中で私たちは迷子になり、愛にしがみついて生きていきたいと思っている。広い世界の中で居場所はないけれど、何を言っても何をしても許してくれる存在もあるのだ。そういうことを示しました。
■女性の強さの中に宿る美しいものを示す『ブラックミルク』
―――最後にタイトル『ブラックミルク』の意味について教えてください。
ボルヒュ監督:『ブラックミルク』は、ウエッシーが暴漢に襲われそうになり、彼を脅かそうと色々な言葉を投げかけるシーンを執筆していた時に、思わず書いてしまった言葉なんです。母乳は女性の命を作る力の象徴でもあるし、女性の強さと良く言われる表現ですが、『ブラックミルク』というタイトルも女性の強さを表現しています。一般的に考えれば母乳は白いものですが、ここでは黒いもの。本当の強さはまだ発見されておらず、世間がいう「女性が強い」というのとは実は違っています。本当はまるっきり逆のもので、それはしかもとても美しいものだと考えています。私は自分自身の強さや周りの女性たちの強さを知る中でそう確信しました。だから白ではなくて黒、女性の強さの中に宿る美しいものを示しているのです。
(江口由美)
<作品情報>
『ブラックミルク』Black Milk
(2020年 ドイツ=モンゴル 91分)
監督、脚本、主演:ウィゼマ・ボルヒュ
Director,Writer,Cast : Uisenma BORCHU
出演:グンスマー・ツォグゾル、ウィゼマ・ボルヒュ、テレビシ・デムべレル、ボルヒュ・バワー
Cast:Gunsmaa TSOGZOL、Franz ROGOWSKI、Terbish DEMBEREL、Borchu BAWAA
0コメント