シンガポール事情を絡めながら「人間を人間らしくするのは何か」を問う『チョンバル・ソシアル・クラブ』タン・ビーティアム監督インタビュー
第16回大阪アジアン映画祭で、コンペティション部門のシンガポール映画『チョンバル・ソシアル・クラブ』が日本初上映された。ミニマムなセットと鮮やかな色合いで、データ管理で人を幸せにするコミュニティ、チョンバル・ソシアル・クラブという独特の世界観を生み出したのは、本作が長編デビュー作となるタン・ビーティアム監督。シンガポールの名建築と呼ばれながら再開発のため2020年に取り壊されたパールバンク・アパートメントが主人公、アビーとその母の住まいとして登場し、コミュニティへの問題意識があることをうかがわせる作りになっている。一見ポップだが、哲学的問いを内在した実に味わい深い作品だ。
本作のタン・ビーティアム監督にリモートインタビューと、追加のメールインタビューを行った。
■目と鼻の先にあるチョンバル地区と、パールバンク・アパートメントを対にした作品。
――――本作の舞台となったチョンバル地区と、昨年取り壊され、本作ではアビー母子が住んでるパールバンク・アパートメントについて、シンガポールの中でどういう位置付けの場所なのかを教えてください。
ビーティアム監督:チョンバルは1940年代から50年代にかけて建設された、シンガポール初の公共住宅です。アール・デコ調で産業革命のモデル的かつ前進的な外観は、当時コミュニティにとっても希望的な存在でした。一方、パールバンク・アパートメントは70年代に独特で未来的な建築として出来上がった超高層のアパートメントで、まさにチョンバル地区を見下ろすようなところに位置しています。今までとは違う奇想天外なスタイルで、民間会社の開発によるものでしたが、住民の総意で別の民間ディベロッパーに売却することに決まり、2020年に取り壊されました。
チョンバルも90年代には最初からの住民が高齢化し、一時は誰も住みたがらない場所になっていましたが、2000年代に政府がチョンバルを保存地区に指定したことから、若い住民が購入するようになり、住民の年齢層も若返ってきました。買った場所をさらに貸し出し、そこにレストランやおしゃれなカフェが進出し、今や世界で最もクールな地区のベスト5入りを果たしている、とても注目を集めているエリアになっているのです。
売却が決まる前、パールバンクの売却賛成派、反対派がおり、取り壊さなれないように、そこに住むという動きもあったのです。住民が売却するかどうかの賛成・反対を投票したのですが、映画の撮影が投票に影響を及ぼすのではないかと懸念され、撮影をしないでほしいと頼まれたこともありました。80%以上の人が賛成すれば売却が可能になり、一方取り壊さず修繕して維持していくためには全住民の100%の賛成が必要でした。実際には80%以上の賛成で取り壊されることになり、非常に残念に思っています。この映画は、チョンバルとパールバンク、目と鼻の先にある二つの住宅開発地を対(つい)にした作品です。進歩的な共同生活の形を反映したため、レトロで未来的な背景となっています。シンガポールは国土の端から端まで車で40分しかかからない小さな国なので、新しい建物を作ろうとすれば、何か壊さなければいけない。だから私たちのようなフィルムメーカーは消えていくものを映画で残したいという思いがあるのです。
■ソフトバンクの企業理念「ITを使って人の幸せに貢献する」に着想、全てを数値化することへの問題提起も
――――幸せを数値化し、従業員の恋愛まで管理するというチョンバル・ソシアル・クラブの仕組みや、AIのブラボー60はどこから発想を得たのでしょうか?
ビーティアム監督:アルゴリズムなどの仕組みの参考にしたのは日本のソフトバンクグループです。そのビジョンに書かれていますが、1000億円もの資金を使って何をするかといえば、「ITを使って人の幸せに貢献する」というのです。単に機械を作るだけではなく、技術を使って人の感情に影響を及ぼすことで、企業として成長していく。ただ成長するとより怖い局面が訪れると思うのです。ソフトバンクは成功している企業ですが、同様に技術を使ってFacebookやGoogleなどがビッグデータをコントロールしています。例えば電話の記録の中に、この人がいつ、どこの誰と電話したかが全て含まれていたり、20年前の友人のデータが私の記憶からは消えていても、どこかに記録、保存されているし、そのデータが、将来どこかで使われるかもしれない。また、そういうものを使い、他の人の幸せに貢献することが興味深いと思いました。私自身電子工学を教えているので、特にそういう点に関心があるのです。
もう一つの鍵が全てを数値化するということです。色々なものを効率的にするにはどうするか、どうやって効率を図るかが描かれていたと思います。恋愛やセックスにしてもそうですし、密着やハグなどをどうすれば安全にできるかについて全て数値化して描くことで、問題提起をしています。またAIのブラボー60ですが、私の生徒はAIに自分の仕事を取られるのではないかと怖がる人が多いのですが、本作ではAIは人間の友人になりたい、もっと人間に近づきたいのです。母親に会いたいかとアビーに尋ねてみたり、もっとあなたに近づきたいと言っていますし、アビーは別れ際にブラボー60に「友達になってくれてありがとう」と言って抱き合いますが、AIがより人に近づく存在であることを示しています。
■陰と陽が共存するチョンバル・ソシアル・クラブの世界観
――――チョンバル・ソシアル・クラブのレトロな「未来」的ビジュアル、音楽を取り入れた狙いは?
ビーティアム監督:私は老子道徳経の深い言葉に影響を受けました。チョンバル・ソシアル・クラブの世界には、陰と陽が共存し、正反対の要素が完璧なバランスを保っています。この映画のレトロで未来的な映像は未来を夢見る過去であり、永遠に調和のとれたARの中にいるかのようですが、止まった時間の上に積み重なっているだけなのです。映画の中には車も携帯もコンピューターもないので、映画がどの時代を背景にしているかも明らかではありません。
■バスター・キートンを参考にしたアビー役のトーマス・パン
――――アビーを演じたトーマス・パンさんの演出について教えてください。
ビーティアム監督:トーマス・パンさんはまだ若いですがとても才能のある俳優です。話し上手で演劇によく出演されているのですが、3、4のキャクターを瞬時に演じ分けることができるんです。パンさんとは役作りの話をした時に、サイレント映画の喜劇王、バスター・キートンを参考にしてほしいと伝えました。リハーサルをし、実際にやってみると、もっと体を使うといい表現ができることに気づいたので、撮影中はいつも1時間前に現場に入り、ヨガでリラックスしたり、ストレッチをして役に臨んでいきました。実はこの作品はパンさんの最初の長編作品です。挑戦することで新しいものが作れると思い、この作品で一緒に取り組んでもらいました。
――――皆がチョンバル・ソシアル・クラブの中で均一的になる中、アビーが担当したニーは異質の存在でした。
ビーティアム監督:この映画では、ニーを高齢化地域のシニア層を代表する存在として描きました。チョンバル・ソシアル・クラブのハピネスエージェントと呼ばれるユニフォームを着た従業員たちと違い、ニーは自分の好きなものを着るし、社会に適応しようとしない。また独身で一人暮らしだけど、チョンバル・ソシアル・クラブで行われる様々なワークショップに参加しなくても幸せです。彼女は辛らつな物言いをしますが、優しいところもあり、近所の野良猫を世話したり、ハピネスエージェントに「どこかで意味のあることをやれ」と助言します。ニーを通して、(チョンバル・ソシアル・クラブからみた)幸せな人の定型を壊したかったのです。
■実在の野良猫をモデルに描く「私たちもお互い世話できれば、幸せな場所になる」
――――ニーが猫好きなのも、この映画の大きなアクセントになっていますね。
ビーティアム監督:映画は「幸せ」が何かを問うように見えますが、本当は「人間を人間らしくするのは何か」を問うています。猫は、チョンバルの街で気ままに家を訪ねる実在の野良猫、ボブがモデルです。2011年にボブは交通事故にあいますが、あっと言う間に地域の人がボブの治療費を寄付で集めました。その時から地域住民が交替でボブの世話をし、治療が必要な場合は集まってサポートしています。今ではボブはチョンバルの路地を歩き、他の猫と喧嘩しています。私は、地域住民がボブを世話するように私たちもお互い世話できれば、幸せな場所になると思いました。それが私にとっての理想の街です。
――――後半、アビーが不満を聞く窓口担当になり、多くの住人が不満を吐くようになることで、チョンバル・ソシアル・クラブの雰囲気も変わりますが、このシーンで表現したかったことは?
ビーティアム監督:シナリオはありましたが、ほとんどの苦情はその場に来たエキストラたちから聞いたことです。エキストラの方々と話し、彼らの苦情を聞きました。その中からおもしろいと思ったものを選んで、撮影に使用しました。選んだ苦情は、新聞にも載っているようなシンガポール人のよくあるものを反映しています。
また映画では苦情センターは天然色の住宅団地の裏の地下室にあります。きらびやかな外観の下で、住民の本音が明らかになる。これはシンガポールで実際行われている、議員が毎週国民から直接苦情を聞きその内容を発表する「ミート・ザ・ピープル」を反映したものです。
■月が満ち、気づきを与えるラストシーン
――――アビーは母の元に帰り、「チョンバル・ソシアル・クラブ」ならぬ「パールバンク・ソシアル・クラブ」と銘打っていましたが、このラストシーンはかなり意味深ですね。
ビーティアム監督:この映画は2つのパートに分かれています。「生きるか死ぬか」という質問で始まり、チャーリー・リムの選んだ歌で終わります。前半はグラスを満たす作業で、後半はそれを空にしていく作業です。そしてアビーがタオイズム(道に添って無為自然に明るく楽しく豊かに生きてゆく生き方そのもの)に身をまかせるとき、満月となります。そのとき、チョンバル・ソシアル・クラブのロゴが、パールバンク・アパートメントを上から見たときの形と同じだと気づくはずです。ちなみに、最初のシーン(工場の外観)と最後のシーン(主人公が母親と赤いヤカン越しにテレビを見る)は小津監督へのオマージュです。私は小津監督の作品を観たことがきっかけで、映画の大ファンになりました。特に『東京物語』は人間的で家族の心情がうまく演出されており、60年前の作品ですが大好きですし、小津監督の作品は全て見ました。本当にどれも傑作だと思います。
■ヤスミンのように、多民族、多文化、多言語のシンガポールを称えたい
――――最後に、ハピネスエージェントの一人、オーキットはヤスミン・アフマド監督作品のキャラクター名からとった名前だそうですが、ヤスミン監督とのエピソードを教えてください。
ビーティアム監督:晩年のヤスミン・アフマド監督とはよく交流し、シンガポールの政府関連テレビCMの撮影で彼女がシンガポールに来る度に会っていましたし、『タレンタイム』の撮影現場にも招待してくれました。彼女が作品で表現していたように、私も多民族、多文化、多言語のシンガポールを称えたいと思います。実際、チョンバルと言う名称は、福建語で「墓」を意味する”チョン“とマレー語で「新しい」を意味する”バル“で作られています。ただ社会の現実を描写するだけでなく、来るべき未来に人間性を垣間見せることのできる作品を届けたいです。
(江口由美)
インタビュー翻訳:李相美
<作品情報>
『チョンバル・ソシアル・クラブ』 Tiong Bahru Social Club
2020年/シンガポール/88分
監督・脚本:タン・ビーティアム(陈美添)
Director・writer: TAN Bee Thiam
出演:トーマス・パン(彭祖耀)、ウー・ユエジュエン(吴悦娟)、ジャリン・ハン(韓雪卿)、ヌーリーナ・モハマド、ジョー・チェン(陈思敏)
作品紹介ページ https://www.oaff.jp/2021/ja/program/c13.html
(c)Tiger Tiger Pictures, Bert Pictures, 13 Little Pictures
※第16回大阪アジアン映画祭、『チョンバル・ソシアル・クラブ』タン・ビーティアム監督公式動画インタビューはこちら
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