『アイダよ、何処へ?』家族を助けたい!国連軍通訳者の母の視点で描くボスニア集団虐殺
『サラエボの花』(06)では、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下で悲痛な体験をしたボシュニャク人女性が、その後シングルマザーとなって娘を育てる中、自らのトラウマと向き合えるようになるまでを描うたヤスミラ・ジュバニッチ監督。『サラエボ、希望の街角』(10)を経て、10年ぶりの最新作『アイダよ、何処へ?』では、ついにボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦後ヨーロッパ最悪の集団虐殺事件と呼ばれる1995年に起きたスレブレニツァの虐殺を真正面から描いている。当時スレブレニツァは、国連保護軍が派遣され、攻撃してはならない安全地帯に指定されていたものの、逆に孤立のため物資が不足し、人々も極限まで追い込まれていた。本作の主人公はその国連保護軍で通訳として働く元教師のアイダだ。
1995年7月11日、セルビア人勢力によりスレブレニツァが陥落。市民は町外れの国連施設に押し寄せる。その数2万人。国連軍占用地に入れる身分のアイダが、家族を守るために奔走するわけだが、この状況はつい最近、アフガニスタンで反政府勢力のタリバンが政権を掌握し、多くのアフガニスタン人が周辺国に移民となって押し寄せている状況と重なる。サラエボ軍が表向きに言うことなど信用がならないというのも、現在タリバン占領下のアフガニスタンで、表向きには穏健な政権移行を装いながら、特に女性に対して様々な自由や彼女たちの未来を奪っているのとまさに同じ。
そんな中、元校長の夫と、まだ若い二人の息子をなんとしてでも探し出し、ほんのひと時の安らぎを得るアイダ。国連保護軍とセルビア人勢力トップとの交渉にも通訳として立ち会い、国連保護軍にも直接窮状を訴えるが、もう彼らにボシュニャク人たちを助ける使命感はもはや残っておらず、自分たちを助けることができないとわかっているからこそ、アイダの焦りは増していく。物語はアイダの視点で進行する一方、劣悪な状況下に置かれた行き場のないボシュニャク人たちの悲痛な運命も浮き彫りにする。国連保護軍の上司の命令で、どこに連れていかれるかわからないのに、「安全よ」という言葉を添えて男と女、子どもに分け、輸送するための声かけをしなければならなくなる。たとえ我が子だけでも退避リストに入れてと訴えたアイダを誰が攻めることができるだろうか。
セルビア人勢力による虐殺で多くの人が愛する我が子や家族を一瞬にして失った。映画では何十年も経ち、ようやく遺体発掘作業が行われ、そして家族たちが必死で遺骨や遺品を探す姿も映し出され、ほんの25年ほど前に起こった悲劇だと思うと胸が苦しくなる。だがどれだけ辛いことがあっても、生き続けること、伝え続けることが次の世代の未来へとつながる。ヤスミラ・ジュバニッチ監督がアイダに託した想いが結実したラストは必見だ。
(江口由美)
<作品情報>
『アイダよ、何処へ?』(2020年 ボスニア・ヘルツェゴビナ/オーストリア/ルーマニア/オランダ/ドイツ/ポーランド/フランス/ノルウェー/トルコ 101分)
監督・脚本・製作:ヤスミラ・ジュバニッチ
出演:ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ
シネ・リーブル梅田、京都シネマで絶賛上映中、9月24日よりシネ・リーブル神戸で公開
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