「映画を撮る上でのテーマは“善意から起きる悲劇”」『誰かの花』奥田裕介監督インタビュー
横浜シネマ・ジャック&ベティの30周年記念映画として制作され、渋谷ユーロスペースでは再々再延長と大きな話題を呼んでいる奥田裕介監督作『誰かの花』が、4月15日(金)より京都みなみ会館、4月16日(土)元町映画館、シネ・ヌーヴォ他全国順次公開される。
長男を事故で亡くした老夫婦が住む団地で、強風の日に老夫婦の隣家のベランダから植木鉢が落下し、入居したばかりの3人家族の夫が巻き込まれて命を落としてしまう。老夫婦の次男は、認知症の父の手袋に土が付いているのを見つけるが…。
誰のせいにもできない悲劇から広がる波紋と、誰でも加害者になるかもしれない恐怖、そして不慮の事故で大事な人を亡くした被害者が日常でさらに受ける苦悩など、他人ごとになりがちな物語を自分ごとと思えるように、人間のずるさや戸惑いをそのまま描いていく。主演のカトウシンスケをはじめ、吉行和子、高橋長英、和田光沙、そして新鋭の太田琉星が、団地を舞台にした家族の悲劇と再生の物語を実にリアルかつ味わい深い演技で魅せる。本作の奥田裕介監督に、お話を伺った。
■イラン、台湾映画で言葉も文化も違うのに自分ごとにできる映画の魅力に触れた小学校時代
―――横浜シネマ・ジャック&ベティの30周年記念映画ということですが、奥田監督ご自身は同館にどんな思い出があるのですか?
奥田:僕は同館に近い地域の出身ですが、小学生時代から母に連れられ、マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』や『太陽は、ぼくの瞳』やアスガー・ファルハディ監督作品、台湾のエドワード・ヤン監督作品などを一緒に観ていました。観終わってから映画のシーンについて母と話をしたのですが、僕が言った感想に対し、母が真逆の解釈をすることもよくあり、どちらの解釈も成立するのが面白いと思っていました。言葉も文化も違うのになぜここまで自分ごとにできるのかと幼いながら感銘を受けたのが、僕にとっての映画の原体験になっていますね。ただそこからしばらくは映画を観ていなかったし、高校時代は『スパイダーマン』のようなハリウッド大作が好きだったので、日本映画学校入学当初の自己紹介で、クラスメイトが「フランソワ・トリュフォーが好き」「ジョン・カサヴェデスが好き」と言うのを映画のタイトルかと勘違いするほどでした。
―――なるほど、母との鑑賞体験がこの作風につながっているんですね。高校卒業後すぐに、日本映画学校に入学したのですか?
奥田:高校時代からバスケ一筋で、大学も続けようとすでにほぼ学校まで決まっていたのですが、父の田舎である宮城に帰省する新幹線で読む本として偶然手にしたのが、映画の本だったんです。読み終わった瞬間、映画の道に進みたいと思い、大学進学を辞め、専門学校に進みました。日本映画学校に入学後は在学中にプロの現場で制作部を経験したり、自主映画を撮っては自主上映会をやったりととにかく映画漬けでした。卒業後はプロの現場で働きながらも自身の名刺になる作品が必要だと痛感しました。それからは自主映画を撮り、前作『世界を変えなかった不確かな罪』で長編デビューを果たしました。
■観客の想像力を信じられる映画づくりで、横浜シネマ・ジャック&ベティの30周年映画に声がかかる
―――映画づくりの方向性として念頭に置いていることは?
奥田:現在作られている映画は、よくエンタメ系、アート系と分類されますが、僕はその中間をいく映画を作りたい。セリフで伝えるのではなく、リアルな表情だけで伝えるとか、ライティングが当たっていなくても想像できるとか、観客の想像力を信じられる映画を撮りたいと思っています。
―――確かに本作もセリフは少ないですが、登場人物それぞれの感情がリアルに伝わりますね。ちなみに奥田監督が今回の30周年企画作品に携わった経緯を教えてください。
奥田:横浜シネマ・ジャック&ベティの梶原支配人と、プロデューサーの飯塚冬酒さんが発起人です。以前短編を上映していただいたので作家性も大体わかっているということもあり、横浜出身の僕にお声がけをいただきました。条件としては横浜で撮影することのみで、僕からすればもっと条件を付けてくれた方が書きやすいとも思ったのですが(笑)。最初はお祭り的な要素を入れ、ジャック&ベティで撮影をするとか、梶原支配人にカメオ出演していただくことも考えていましたが、僕にお話をいただいた時点でそんなことは望んでいないだろうと。お祭り的な作品を作るなら、もっと適した方がいるでしょうから、与えられた条件をしっかり捉えようと、今まで考えていた脚本のタネから宗教に関する話を考えていたんです。
■「誰しも日常的に人を疑い、そこからアクションを起こす」という考えが映画の核に
―――実際の映画とは全く違う話ですね。内容が大きく変わった理由は?
奥田:身内を不慮の事故で亡くしてしまい、一文字も脚本を書けない時期が続きました。ただ時間が経ち、事故と距離を置くことができるようになると、トラックが横を通るより、自分がハンドルを握ることの方が怖くなった。つまり心の置き場所の輪郭が見えてきたときに、自分や自分の家族が加害者になったら、もう心の置き場所がわからなくなってしまう。その恐怖を感じたのです。また、人は生きるためにきちんとズルいと思うので、もし加害者になっても元被害者遺族ということを盾にして、許されようとする自分がいるのではないか。どこかで元被害者だということを匂わせてしまうのではないか。その葛藤を描きたいと思うようになりました。
―――ご自身の体験が、映画の方向性を大きく変えたのですね。
奥田:もう一つ、千葉にいる叔父は認知症を患っていたので事故のことを伝えていなかったのですが、全てが落ち着いた時に伝えたら、とても悲しみ、香典袋を手に着の身着のままで実家の方まで一人でやってきたんです。その時の叔父とのコミュニケーションもこの作品に反映されています。また、メキシコで誘拐事件の犯人と疑われた観光客が生きたままもやし殺されたという残虐な事件にもインスピレーションを受けました。当時これらの出来事から、多かれ少なかれ誰しも日常的に人を疑い、そこからアクションを起こすということを考えていたので、それが映画の核につながっていきましたね。
―――この作品の複雑さの背景には奥田監督自身の体験だけでなく、日頃から考えていたことも反映されていたと。ちなみに今回は子役の太田琉星さん以外は全員当て書きとのことですが。
奥田:僕はオーディションやワークショップはなるべくしたくないんです。オリジナル脚本の強みを活かし、なるべく脚本段階からキャストをイメージしています。日常的にキャストのみなさんを思い浮かべられるように携帯の待ち受けにして、自販機でジュースを買う時は画面を見てから、例えば和田光沙さん演じる灯ならどれを選ぶかとか、事故の前だったらどれを選ぶだろうとか、なるべくキャラクターを持ち歩きながら脚本を書くようにしていました。俳優部からは評判が悪いですが(笑)。このキャストでやると決めていたので、とにかく叶わないことはないと信じていました。
■コミュニケーションを大事にするカトウさんと、とことん語る
―――主演のカトウシンスケさんは、『浜辺のゲーム』(夏都愛未監督)で日本のジャン=ポール・ベルモンドだ!と思い注目していたのですが、奥田監督との出会いは?
奥田:前作の『世界を変えなかった不確かな罪』が上映されたときに、カトウさんが観に来てくださっていたのが最初で、何度かお話しするうちにすごくコミュニケーションを大事にされる方だと感じました。僕も演出とはなんぞやと言われても明確に答えられないけれど、コミュニケーションの量と質は大事にしているので、カトウさんと一緒に仕事ができたらと思うようになり、自然と彼の当て書きになっていきました。
―――先に当て書きして脚本ができてから、オファーをしたということですか?
奥田:全員そうですね。特にカトウさんが孝秋役に決まってからは、彼とカフェで何度も議論を重ねました。毎回、4〜5時間ぐらいずっと二人でしゃべるということを何十回もやるうちに、脚本の話から、最近観た映画の話にもなるんです。そこで自分たちが作りたい映画はこうだよねとか、あの部分は素晴らしいけれどこの映画には要らないよねとお互いに確認する場にもなりました。さらに家族の話にもなり、孝秋は自分たちのように親に対する面倒くささがあるよねという共通言語がかなりできましたので、そこから脚本はどんどん引き算をしていきました。「カトウさん、この4行分のセリフを削るので、アドリブお願いします」とか。
■コロナでの撮影延期をキャストの役作りの時間に
―――カトウさんは、半ば共同制作者というぐらいの位置付けで、キャラクターについて、作品についての話を深めたのですね。他の出演者とはいかがでしたか?
奥田:コロナ下で撮影が半年延期になったので、吉行さんや高橋さんとも役作りのベースになる体験をしていただく時間を増やしました。撮影で使用する部屋を早くから借りて、母役の吉行さん、父役の高橋さんとカトウさんに来ていただき、兄が生きているときは、どこに座っていたかとか、たくさんある家族のお箸のうち、それぞれがどれを使っているかということを実際に確認してもらったりもしました。また和田光沙さんと息子、相太役の太田琉星さんには、ふたりでどんなカレーを作るかを実際に考えてもらい、ふたりで買い物に行ってカレーを作ってもらったものをみんなで食べるという時間もたくさん作りました。だから、この関係性ならこのセリフは要らないという具合に、脚本も研ぎ澄まされていきましたね。延期した時間をコミュニケーションの時間に充てることができたので、最初は落ち込みましたが今は感謝しています。
―――認知症の夫を介護する妻で、孝秋の母マチを演じた吉行さんが見せる、夫を信じ、守ろうとする覚悟が胸に迫りました。奥田さんから何か吉行さんにリクエストをされましたか?
奥田:脚本段階で議論をさせていただいたので、撮影の現場で僕から何かをいうことはあまりなかったと思います。先日、吉行さんと対談させていただいた時におっしゃっていたのが、日頃は出演作をあまりご覧にならないそうなのですが、この作品は4〜5回は映画館でご覧になられたそうです。しかも今まではそこに自分がいるという感じだったそうですが、はじめてマチに見えたそうです。役者人生でそれは初めてのことだったとおっしゃってくださり、とても嬉しかったですね。
■目線と視点を大事にした演出と、団地の意味すること
―――今まで目を背けてきた親の老いや、兄の喪失に向き合う男の物語でもありますね。誰のせいにもできない事故で大事な人を亡くしたとき、何をどう赦せばいいのかと考え込んでしまいます。団地というシチュエーションも意味を持ちますね。
奥田:演出のポイントとして、目線と視点を大事にしています。団地は正面とベランダが背中合わせになって連なっているので、どこかで誰かが見ている感覚を覚えるのです。僕も団地育ちですが、どこかからの視点を常に感じていました。それがこの映画ではすごく効果的に見えると思うのです。
また、篠原篤さん演じる岡部が、子どもの相太の前で土下座するシーンだと、本来なら大人の目線の方が高いけれど、目線の位置が逆転しますし、団地の階段やベランダから見下ろす感じなど、そのシチュエーションが活かせると思いました。
―――団地の精神的、視覚的効果は、確かに作品中の不穏さを醸し出していました。
奥田:僕はロケ地の手配をする制作部に所属していたので、よほどの予算がなければ団地を使うのは結構無謀だと言われることが多いことも体感していましたが、今回は脚本も実際に使わせていただいた団地の集会所で書くようにしたり、団地にはこだわりました。行き交う人たちは高年齢者層ばかりですし、郵便局やスーパーもあるので、そこだけで生活ができる。まさに高齢化社会を象徴する場所なのです。
■植木鉢が引き起こす登場人物の葛藤は、自分が観客として観たいものだった
―――あとは物語の鍵となるベランダの植木鉢について、教えていただけますか?
奥田:悪い人がいなくても事件や事故は起こるものです。僕が映画を撮る上でのテーマは善意から起きる悲劇です。僕は「不確かな罪」と定義しているのですが、僕自身、良かれと思ってやったことが裏目にでる実体験が些細ではあるけれど多くて、それが本当に人を悲しませる事態を引き起こしてしまうと、どのように救いを持たせることができるのか。パンジーの植木鉢が落ちたことで悲劇が起きますが、篠原さん演じる岡部が、強風から花を守るために避難させる意味合いで別の場所に置いたかもしれないし、それが強風で落ちたのか、孝秋の父が落としたのかもわからない。いずれにせよ、人のためにやった結果で、もし父が落としたとしても記憶があるかどうかもわからない。かつ孝秋の家族はもともと被害者家族です。その彼らの葛藤は、僕自身が観客として観たいものでもありました。
―――和田さん演じる灯は、彼女が被害者家族になってからの生きづらさや怒りがことの外、リアルに感じられました。
奥田:和田さんとは何年も前から一緒に仕事をしたいと言っていたので、今回やっと叶いました。しかも灯は本当に和田さんにしかできない役を当て書きしていましたから、本編には使っていませんが、もっと難しいお芝居に挑んだ素晴らしいシーンもありました。和田さんは被害者側なので、観客に感情移入されやすい役でした。だから難しい上に抑えた芝居をお願いし、和田さんのお芝居は素晴らしいのに、その塩梅を探るためにテイクを重ねさせていただきました。特に携帯ショップのくだりは、実際に女性の方が配偶者の分の解約をするのが難しいそうで、解約することは、大げさかもしれませんが自分の手でその人の存在を消してしまうような印象があり、僕もすごく残酷なシーンだと感じました。そういう話を演じる和田さんともすごく重ねながら、撮影していきましたね。
―――灯の息子、相太は、いわゆる子どもらしくない不敵さを讃えているような雰囲気を終始まとっていましたが、どんな演出をしたのですか?
奥田:よく観客から相太が手の怪我をしたとき、あまり痛そうではなかったとご指摘を受けるのですが、子どもは大変なことをして親に怒られると思ったら、一見飄々とした雰囲気を見せると思っているんです。相太はそういう部分を切り取っていきました。大人は経験があるので、相手が何を考えているかがある程度わかるけれど、子どもは一体何を考えているのかわからないことってありますよね。そういう部分を相太に盛り込み、わからないからこその不気味さを表現してもらいました。
また、相太の姿はかつての孝秋なのに、相太が憎もうとすればするほど孝秋は焦りを覚える。その葛藤も描きたかった。だから、唯一当て書きではない相太というキャラクターがとてもいい柱になりましたし、それは太田琉星さんの力だと思います。
―――ありがとうございました。最後に、『誰かの花』というタイトルに、見終わると「なるほど…」と深く頷きたくなりました。
奥田:「誰かの」というのは実は日頃あまり使わない言葉ですよね。無責任に見えるこの言葉が、映画を観終わった時に巡り巡って「あなたの」とか「わたしの」と変わってくればいいなという気持ちがありました。早稲田大学大学院の安藤紘平先生も、「花」が命のような位置付けになっていれば、落下した花や燃やした花、事故現場に近所の人が置いていった花など、そこに想像や色々な意味が持たせられるのではないかとおっしゃってくださいました。
実際に、事故現場に置かれているのも「誰かの花」です。善意から置かれたものだけど、遺族からすれば通るたびに心が痛むし、それを片付けるのも遺族です。だから、良かれと思ってやっていることの功罪についても想いを馳せられるタイトルなのではないでしょうか。
(江口由美)
『誰かの花』(2021年 日本 115分)
監督・監督:奥田裕介
出演:カトウシンスケ、吉行和子、高橋長英、和田光沙、村上穂乃佳、篠原篤、太田琉星、大石吾朗、テイ龍進、渡辺梓、加藤満、寉岡萌希、富岡英里子、堀春菜、笠松七海他
2022年4月15日(金)より京都みなみ会館、4月16日(土)元町映画館、シネ・ヌーヴォ他全国順次公開
公式サイト⇒http://g-film.net/somebody/
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※4月16日(土)、京都みなみ会館、元町映画館、シネ・ヌーヴォにて奥田裕介監督とカトウシンスケさんの舞台挨拶予定
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