誰しもに当てはまる居場所のなさと、豊かなろう文化を映し出す。コーダたちに密着した初のドキュメンタリー『私だけ聴こえる』松井至監督インタビュー
耳の聴こえない親からを持つ、聴こえる子どもたちは<コーダ>と呼ばれ、小さい頃から社会と親とをつなぐ役割を担い、ろう者と聴者の二つの世界を生きることに葛藤を覚えたり、学校生活で居場所のなさを感じる人も多いという。
日本でもようやくその名称を知られるようになってきたコーダの10代の子どもたちやその家族、コーダたちが集結するコーダサマーキャンプに密着した初のドキュメンタリー映画『私だけ聴こえる』が、6月25日(土)より第七藝術劇場、7月15日(金)より京都シネマ、順次、元町映画館にて公開される。
コーダにしかわからない悩みとそれを共感できる場所のかけがえのなさ、さらにこれからろう文化を自分の子どもに伝えていこうとするコーダにも迫る。家族との関係性など、思春期のコーダたちが悩み、語る本音には、共感を覚えたり、自己を投影できる部分も多いのではないだろうか。本作の松井至監督に、お話を伺った。
■東日本大震災でろう者のみなさんがどうやって避難されたのか〜テレビドキュメンタリーを企画するまで。
――――まず、東日本大震災で被災したろう者に光を当てたドキュメンタリーを着想したきっかけは?
松井:2015年のことですが、シャワーを浴びていると偶然、岡田隆彦さんの詩の一節「 おれは三日間音を殺してみた…。」 (『おびただしい量』)が頭に浮かびました。ちょうど東日本大震災の番組の企画書を考えていた時で、詩から想像した、聞こえない状態になってみることが、無音の津波の映像と繋がったのです。「あの日、ろう者はどうやって避難したのだろうか」と。震災の時、揺れには気づいても津波の音や逃げる人の声、避難のアナウンスは聞こえず、停電だったので災害関連機具も作動しなかったそうです。そこからNHKワールドの震災復興特集枠で、30分番組の企画を書き上げました。
――――話が前後しますが、映像の道に進まれたのはいつ頃ですか?
松井:もともとは美術やアート、舞台、音楽、建築と表現をいろいろとやってみました。映像もずっと好きでしたが、東日本大震災の1週間前ぐらいに、アシスタントディレクターとしてプロダクション・エイシアに入社したのがスタート地点になりました。
――――そのタイミングで入社されたなら、震災後は現地取材に何度も行かれたのですか?
松井:プロダクション・エイシアの柴田昌平さんは、もともと文化人類学を専攻し、姫田忠義さんの民族文化映像研究所にも所属していた方なのですが、当時九州の焼畑についての映像を撮っておられたのです。焼畑の後に飛んでくる菌がキノコになるのですが、僕の最初の仕事はそのキノコの撮影でした。箱の中で菌を育て、湿度を保ち、そこにカメラを入れてひたすら菌が育つ写真を撮り続けるという作業を続けました。余震などで少しでもズレると失敗してしまうので、寝泊まりしていたんです。ドキュメンタリーを身につけにいったのですが、なぜか特撮ばかりしていましたね。
――――地道で大変な作業ですが、生命の誕生の瞬間を捉え続けておられたんですね。
松井:菌の接写をしていると菌糸が伸びて、キラキラしている瞬間があるんです。寝ても覚めても菌の生と死を見ていたので、当時は震災の話から離れて籠るような感じで、精神的には安定していられました。2年半でアジアのドキュメンタリーを制作する会社に移り、月に一度はアジアの各国に飛んで10日間滞在し、2ヶ月に1本の番組制作を行いました。事前リサーチはほぼなく、とにかく現場でどんどん人に出会って、撮るものを掴んでいくという感じで6、7本制作し、現場力はつきました。ただ余裕がないので、時間のかかる演出ができなかった。それで、日本で1本撮らせてほしいと頼み、担当することになったのが先ほどお話しした東日本大震災の番組です。
■「世界中のコーダの仲間に、その存在を知らせたい」アシュリーさんの強い想い
――――なるほど、そうやって温めておられた企画だったんですね。ドキュメンタリー番組では、本作にも登場している手話通訳士、アシュリーさんと出会われ、コーダという存在がいることを知るきっかけになったそうですね。
松井:アシュリーさんはオバマ大統領の手話通訳をするなど、とても手話の上手な方で、日本のろうコミュニティと繋がっており、日本手話でも話せました。震災時にろう者がどうしていたのかについても、強い関心を持っていました。
彼女が僕にコーダの存在や、自身がコーダであることを打ち明けてくれました。コーダやヤングケアラーなどは、過去の辛い経験に蓋をしている人が多く、一度語り始めると、蓋が開いて、いろんな感情が一気に溢れ出してしまうことがあります。アシュリーさんも、大きなストレスを抱えながら生きてきたこと、自分たちでコーダを研究し、定義し、世界中にいる当事者に仲間の存在を知らせたいと話してくれました。
――――アシュリーさんの頭には映画でコーダの存在を広く知らせたいという想いが芽生えていたのでしょうか?
松井:そうですね。「取材中、あなたがろうの人とコミュニケーションをとっている姿を見て、ろうの人たちを大切にしているのがわかったので、次はコーダのドキュメンタリーを撮ってください」と頼まれました。
コーダという言葉の発祥の地であり、キャンプや会議などの仕組みが発達しているアメリカで撮影することになり、撮影前にアシュリーがまず出演者家族とコンタクトを取ってくれました。コーダコミュニティーはとても小さく、繊細で、自分たちを守らなくてはいけないという強い働きがあるので、特に聴者だと、通常はなかなか撮影で入ることができません。実際、コーダという言葉が生まれてから30数年経っても、コーダのドキュメンタリーはこの作品が初めてです。
■SNSでの質問とコーダサマーキャンプで見つけたメインキャストの魅力
――――アシュリーをはじめ、メインとなるコーダが3人登場しますが、キャスティング理由は?
松井:アシュリーさんのSNSを通して、僕が考えたアンケートを投げかけ、50人近くから回答が寄せられたのですが、その中でもユニークな回答をしてくれた人を選びました。ナイラは、ろうの家族の中で唯一の聴者であるコーダで、「自分はろう者になりたい」ということと、「家族の中で自分が一番大人のような気がする」と書いてくれたのです。スカイプで話をすると、友達たちとワイワイしながら、カメラのことをあまり気にせずにしゃべっている感じがすごく良かった。ナイラは喜怒哀楽が表情を通してパッと伝わってくる魅力があり、ロックスターのような華やかさと強さを感じました。この子なら英語や日本語、手話という垣根を超えて、観客にダイレクトに伝わるものがあると思いました。
MJやジェシカと出会ったのはコーダサマーキャンプです。15人ぐらいの人がインタビューに応じてくれたのですが、インタビューの途中でMJは歌を歌い始めた。そんな人はこれまでインタビューをした中で、初めてでした。何度見ても面白くて、大笑いしたんです。やはりどこかで僕自身がコーダという存在を深刻に捉えている部分があったのでしょう。彼女たちはコーダだけれど、それはひとつの属性であって、ずっとそのことを考えているわけでもない。コーダというフィルターをかけて見るのではなく、その前にひとりの人間であるということにMJは気づかせてくれました。
ジェシカは大学に進学し、聴者の世界で生きていく将来のことが頭にあり、みんなが楽しんでいるコーダサマーキャンプの中でひとりだけ泣いてしまったのです。自分にこれから起きる兆しを読むことができる人でした。彼女なら聴者とろう者の世界を行き来し、さらにろう者の世界から離れるところを撮れるのではないかと思いました。ジェシカは聴者の世界でもリーダーシップを取る人気者で、聴者の世界に馴染めないコーダが多い中、珍しい存在でもあります。
■自分のことを説明しなくても分かり合える仲間と出会えたコーダサマーキャンプ
――――12日間におよぶコーダサマーキャンプの盛り上がり方が、尋常ではなかったですね。
松井:家では家族のことをケアしなければならないコーダも多く、リラックスできない部分もあると思います。またナイラのように、自分だけが聴者であることに疑問を抱く人もいます。コーダキャンプは森の中で開催され、ろう者も聴者も迎えには行けるけど、中には入れません。僕らのような撮影隊が入ったのは初めてで、それもアシュリーさんが交渉してくれたおかげです。参加者にとっては、初めて何も説明しなくても分かり合える仲間に出会えたという喜びが大きいのだと思います。マイノリティというのは、自分のことを説明しなければならない立場に立たされることが往々にしてあります。これだけ苦労をしてきたのに、さらに何も知らない他人にそれを説明しなくてはいけないことは、苦痛だと思うのです。コーダ同士だと苦楽を共にしてきたことが一目でわかる。同じ種族という帰属意識が働くと安堵感を覚え、今まで自分の居場所が見出せずにモヤモヤした感覚が何だったのか、分かるのだと思います。
――――日頃にはない無邪気な表情を皆、見せていたのが印象的でした。
松井:コーダの特徴として、ヤングケアラー状態にあり、幼年期を奪われているケースがあります。聴者の世界とろう者の親の間で、どのように情報伝達すればよいのかと小さな頃から考えているので、人より早く大人になってしまうのです。無邪気な子どもとして育つことができない人たちが、キャンプに集まり、そこで幼年期をやり直すのではないでしょうか。無邪気な笑顔はその表れですね。
■手話文化へのリスペクトと、ろう者の文化的な遺伝子を伝えること
――――声で話す人がマジョリティーなので、手話への理解やリスペクトが足りないのが現実ですが、この作品は手話の雄弁さや言語としての豊かさも映し出していますね。
松井:僕は踊りをやっていましたが、ダンスが追い求めてきたことは、体で言葉に拮抗するということだと思っていました。手話は体全体で言葉を発し、見える文章でもありますから、撮影しながらもすごいなと思いました。表情も言葉の一部ですし、ナイラは「体全体で言葉を発するろうの世界の方が、目も合わさず口だけで話す聴者の世界よりも温かくていい」と話していました。
――――アシュリーさんは出産し、お子さんは聴者ですが手話を教え、両方の文化に親しんでもらいたいという気持ちや妊娠中の複雑な気持ちを明かし、今までの3人の先を行くコーダの姿を映し出していました。
松井:コーダはその遺伝子において、子どもがろう者になる可能性もあります。文化的な遺伝子をどうするのかは親に委ねられるわけで、アシュリーさんは「生まれてくる子がどちらであっても、手話を教える」と言いました。それは彼女の人生で一番信じるものを受け渡すという意味でもあるのだと思います。日本のコーダの出産経験のある方が、「アシュリーの気持ちがわかるのは私しかいない」と、ご自身の体験を語ってくださいました。お腹の中の子どもがろう者として生まれた場合、どうしても社会には差別があり、障がい者として周りから扱われる。だから「聴者の方がいいのではないか」と自分で思う瞬間があったと。すると、あんなにろう者の親のことを差別する聴者のことが嫌だった自分が、ろう者を望まない側に立っていることに気づき、とても苦しむのだそうです。
――――一方、ろう者の親たちにもインタビューをされていますが、息遣いや動作など、ダイナミックだけではなく、とても賑やかな感じがし、ろう者の会話は静かというイメージを覆しました。
松井:現場では手話にもマイクを向け、体を叩く音や衣擦れの音を、編集時にかなり強調しました。日常では、聴者がろう者と出会う機会は少なく、目に入ってはいるのに知らないふりをして生きていることが多い。だから映画を観る間ぐらいは、ろう者の目の前に立つ経験をしてほしいと考えました。「デフボイス」というろう者の方の声は、聞き慣れないと違和感を覚えますが、コーダの人たちにとっては愛着のある声なのだと聞きました。子どもの頃から聞いてきた、親が発する声ですから。コーダの人が日頃浴びている音を体感してもらいたいと思い、そこも強調しました。
――――現在アメリカでは劇場公開されているのですか?
松井:アメリカでは映画祭での出品が中心で、劇場公開予定はありません。一方で、アメリカの大学生が無料で動画を観ることができるプラットフォームで公開される予定ですので、本作の登場人物たちと同世代の若者が観てくれる可能性があるのは嬉しいですね。
■アメリカと日本のろう者の間での生き方への肯定感は大きく違う
――――日本ではすでに東京で公開されていますが、反響はいかがですか?
松井:全回バリアフリー字幕上映にしたことで、ろうの方が半数ぐらいという回もあるんですよ。毎日、手話通訳をつけてトークをしているのですが、面白かったのは、ろうの親の方が出てきて「コーダ、コーダとあまり気にしなくていい。自然が一番、放っておけばたくましく育つ」と、この映画がぶっ飛ぶようなコメントをくださった方がいましたね。その方は特別パワフルでしたが、多くのコーダの親のろう者は、すごく悩んでおられます。自分の子どもの気持ちがわからなかったから映画を観に来られたとか、「子育てをしていたときに『自分がろう者でごめんね』と子どもに伝えてしまったけれど、今は『ろう者でよかった』と伝えています」というコメントもいただきました。日本のコーダの人たちから話を聞くと、ろう親は「自分たちはろう者だから」という諦めがあると。
――――本作で登場するアメリカのろう者の方々とは随分雰囲気が違いますね。
松井:アメリカはろう者の力が強いし、社会の中で権利を獲得しているわけです。社会インフラという面では、電話リレーサービスが充実し、ろう者が通うとても優秀な大学も作っていますし、アメリカと日本のろう者の間で、社会がもたらす肯定感は大きく違う気がします。
――――ありがとうございました。最後にメッセージをお願いいたします。
松井:特別な人の特別な悩みを描いたのではなく、コーダという存在を通して、誰しもに当てはまる居場所のなさが映っていると思います。上映すると、ミックスルーツや発達障害の方々が「同じような経験をしている」と、声をかけてくださいます。鏡のように自分を映し出し、捉え直す機会にしていただければ嬉しいです。
(江口由美)
<作品情報>
『私だけ聴こえる』(2022年 日本 77分)
監督・企画・撮影:松井至
共同監督・撮影:ヒース・カズンズ
出演:アシュレイ(ASHLEY RYAN)、ナイラ(NYLA ROBERTS)、ジェシカ(JESSICA WEIS)、MJ、那須英彰
6月25日(土)より第七藝術劇場、7月15日(金)より京都シネマ、順次、元町映画館にて公開
公式サイト → https://www.codamovie.jp/
(C) TEMJIN/RITORNELLO FILMS
0コメント