縄文土器人形からカウボーイ人形まで、自由な発想で今を生きる女性たちの想いや希望を描く『人形たち~Dear Dolls』『Bird Woman』大阪舞台挨拶


 人形をモチーフに、生きづらさを感じている女性たちのストーリーを4人の監督が描いたオムニバス映画『人形たち~Dear Dolls』と大原とき緒監督の短編『Bird Woman』が、4月15日(土)より大阪のシアターセブンで公開され、公開初日に大原とき緒監督、海上ミサコ監督、西川文恵監督が舞台挨拶で登壇した。

 このオムニバス映画を企画した大原監督は現在、多様な映画と社会をつなぐプラットフォーム、NPO法人独立映画鍋の理事でもあるが、今回参加した3監督も独立映画鍋会員。大原監督は一緒に上映活動することが前提のオムニバス制作にあたり、信頼性と作品のクオリティーに重点を置き、声をかけていったとその経緯を説明。

 

『JOMON-わたしのヴィーナス』の西川文恵監督は、テーマが人形であると聞いたときに、自身が日頃から好きな、古代からある土偶のような形状のものを取り入れようと決め、そこから原始的な音楽やダンス、配色を考えたと説明。音楽も、コントラバス一本で多重録音を行い、古代の土の中から呼びかけてくるような「重低音の怒りを表す音色につながった」という。

「現代の女性たちは、女性は家庭に入っても、社会から働いて欲しいと社会に言われ、家父長制の影響で男性優位な状況にあるが、時間を広げて過去から考えると、女性も男性もひとつの生き物として生きてきました」と現代に生きる少女、ちひろと縄文土偶から発想を得た母像人形を描いた真意を明かした。

 さらに本作で豊かな踊りを披露する鈴木美代子さんは、ふくよかな土偶の形から始まり、自分の重み、責任、抱えているものの重さをそぎ落としていく過程を踊りで表現したという。大自然と縄文時代の女性を表現した踊りが、多くを語りかける美しく深みのある作品だ。



 人形と暮らす女が、人形と暮らす男と出会う。荒んだ時代のガール・ミーツ・ボーイ映画『Doll Woman』の大原とき緒監督監督は、最初自分で書いていた脚本を併映の『Bird Woman』脚本家のヘルチャン・ツィホッフ(元国際映画祭プログラマー)に却下されたと明かし、「人形と生きづらさを抱えている女性たちを描いたつもりだったが、ヒロインたちは、被害者という形でしか描かれていないと指摘されました。被害者でない女性の描き方をやってみたいと思い、自分の脚本をボツにして脚本を書いてもらいました。コロナ下で若い女性のホームレスを池袋駅で見るようになったり、コロナでわたし自身も雇い止めに遭ったので、そういうことも作品に取り入れてくれました」と作品の経緯を明かした。

また、『Bird Woman』で車中で歌を歌うブラックウーマンを演じたいわさききょうこさんにも触れ、電車で歌った書き下ろしのオリジナルソング「青空でなくてかまわない」と、『Doll Woman』のエンドクレジットで流れる「ヒトトシテ」についても解説。日本中を旅しながらライブをしているシンガーソングライター、いわさきさんの魅力にも触れた。社会性を備えながら、コミカルかつカラフルで、ファンタジックな雰囲気を漂わせる2作。大原監督自身が主演しており、サイレント映画を思わせる独特な間合いや動き、コメディエンヌぶりにも注目したい。



 姉がくれた人形「カウボーイのケンジ」になりきり、ハラスメントに苦しむ姉のため上司に復讐すべく投げ縄の特訓をする妹の姿が初々しくもコミカルな『怒れる人形』の海上ミサコ監督は、モデルとなった人形をまず探してからシナリオ作りがはじめたそうで、ブリキのおもちゃであるカウボーイ人形を大阪にあるアンティークショップから取り寄せたという。劇中で投げ縄に挑戦した妹役の奥野みゆさんは、手のひらの皮が剥けるぐらい練習を始めたそうで、投げ縄にまつわる秘話や、音楽について裏話を語った。妹の奮起のおかげで、被害者だった姉がどう変わるのか。姉を演じる紀那きりこの変化にも注目したい。



 4人のオムニバス監督のうち、3人が勢揃いした舞台挨拶。人形というテーマからそれぞれの個性や発想が伸びやかに広がり、まさにハッとさせられたり、人形と描いで描かれた女性の関係について、または人形扱いされている女性について思いを馳せずにはいられなかった。


4月17日(月)は海上ミサコ監督、18日、19日は『オンナのカタチ ヒトの形をして生まれながらも存在消されしモノの情景』の吉村元希監督をはじめ出演者やプロデューサーが舞台挨拶予定だ。強烈な個性と、膨大な情報量の中でアニエス・ヴァルダにも触れている吉村監督のトークもぜひ楽しんでほしい。シアターセブンでの上映は4月21日(金)まで。