「とにかく二人で映画を作ることが一番大切だった」 PFFアワード2022グランプリ受賞作『J005311』河野宏紀さん(監督・脚本・編集・出演)、野村一瑛さん(主演)インタビュー
第44回ぴあフィルムフェスティバルのコンペティション部門「PFFアワード2022」で、審査員の満場一致でグランプリを獲得した俳優、河野宏紀の初監督作『J005311』が、6月2日(金)までシネ・ヌーヴォ、5月26日(金)より京都シネマ、順次、元町映画館にて公開される。
思いつめた表情である場所に向かおうとする神崎を演じる野村一瑛(のむらかずあき)と、ひったくりをしている姿を目撃され、神崎から100万円で運転を頼まれた山本を演じる河野宏紀(こうのひろき)の二人だけの物語は、余計な説明を廃し、社会の片隅で生きることを諦めかけている人間と、しぶとく生きようとする人間の魂が徐々に引き寄せられていく様を緊迫感たっぷりに映し出す。都心から山梨の樹海へ、どんどん移り変わる風景と共に、二人の関係性がどんな変化を見せるのか。この世の中に信じられる誰かはいるのか、そして光はあるのか。河野宏紀が初監督作で脚本・編集も担い、野村一瑛と厳選されたスタッフと共に作り上げた熱のこもった一作だ。シネ・ヌーヴォ公開初日の舞台挨拶で来阪したお二人にお話を伺った。
■自分では考えれらない職業だが、「一旦やってみるか」(河野)
―――まず、俳優を志したきっかけを教えてください。
河野:「とりあえず大学に」という世間一般的なレールに乗る形で大学(商業学科)に入ったのですが、就活を前にした2年生のとき、将来のことを一人で考えてみたのです。サラリーマンにはならないと決めていたものの、何になろうかと思ったとき、強いて好きなものを挙げれば映画だった。それに自分の過去を振り返ってみると、何事においても底辺にいたという自覚があったので、そういうものを一気に見返せるものとして、役者というものを選び、俳優養成所を調べ、入学したんです。
―――立ち止まって考えることは大事ですね。とはいえ、勇気が要ったのでは?
河野:人前で何かをしたり話したりするのが極度に苦手だったし、演技は人の前で演じるわけですから正直自分では考えられない職業でしたが、後先考えず、一旦やってみるかという感じでした。
■尾崎豊の音楽に勇気付けられて(野村)
―――本作の主人公、神崎も直感で山本を運転手に選んだと言っていたのが、心に残りました。では、野村さんが俳優を志したきっかけは?
野村:高校時代、僕はサッカー部で毎朝6時台の電車に乗って練習に行くハードな日々だったのですが、移動中に聞いていた尾崎豊の音楽が勇気付けてくれていたのです。大学でもサッカーを続けるという選択肢もありましたが、このままやっていても面白くない。違うことに挑戦するなら今だと思ったとき、尾崎豊の姿勢を見て、何か表現することをやってみたいと思った。そこから舞台を見に行きはじめ、演劇に魅力を感じて、桜美林⼤学芸術⽂化学群演劇専修に進んだところから、俳優への道が出てきた。大きな志があったというよりは、最初は自分がやりたいことはなんだろうと探ったところから始まった感じですね。
■「野村は人間的にも芝居的にも他の人たちと被らない」(河野)
「河野は今では想像つかないぐらい恥ずかしがっていた」(野村)
―――お二人の来し方がなんとなく重なりますね。河野さんと野村さんは俳優養成所で出会ったそうですが、お互いのことをどう思っていたのですか?
河野:養成所は1年間だったので、卒業後は誰とも関わりはないと思っていたのですが、同い年の野村と過ごしていくうちに、人間的にも芝居的にも他の人たちと被らないなと思ったんです。周りは演技をしたくて来た人たちなので、イメージ的に器用な人が多い中、彼はとても不器用なヤツで、なんで芝居をやりたいんだろうなと思うぐらいだし、僕も同様に人と接するのが苦手ですから。帰り道も途中まで一緒だったので、「タメ口で話そうか」と少しずつ一緒にいるようになりましたね。
野村:養成所には同い年の人が多かったのだけど、その中で河野は本当に内気な人でしたし、芝居をやるときも、今では想像つかないぐらい恥ずかしがっていて、僕も本当に役者できるのかなと思ってました(笑)。その中でも講師の人や映画監督に見てもらったときには気に入られていたので、光るものがあったのでしょう。話すうちに共通の友人がいることもわかり、どこかで感覚が近かったのでしょうね。
■俳優はもういいかなと思ったときに再浮上した映画作り
―――本作は、河野さんが俳優を辞める覚悟で最後に撮りたいものを作ると臨んだそうですが、養成所を卒業後、俳優としての活動をはじめて、どんなことに気づいたのでしょうか?
河野:人前で何かをするのが苦手というのは養成所を卒業しても変わらず、できるならやりたくないという気持ちの方が強くなっていました。でも20代前半のころは、自分の弱い気持ちを押し殺して、とにかく映画に出ようと活動していたんです。そうすると芝居をやりたい気持ちはあるのですが、一方で、(芝居をすることを)あまり面白いと思ったことがない。90%はやりたくないけれど、10%はやりたいという心のバランスだったので、疲れてくるとやりたくない気持ちに負けそうになる。歳を重ねると、将来のことも考えざるをえないし、だんだんと「とにかく絶対映画に出る」という強い気持ちもなくなってきたんです。ずっと一人で考えていて、もういいかなと思った。そこで再浮上したのが映画作りだったのです。というのも野村とは養成所卒業後すぐに、一度、映画を作ろうという話をしていて。
―――かなり早い時期から二人で映画を作る計画があったんですね。
河野:そうです。二人の共同脚本で、監督も自分たちでやるということで脚本を書き進めていたのですが、お互い意見が違うし、好みも合わず、結局なしになったまま月日が流れてしまった。僕が(俳優は)もういいかなと思った頃、まだ映画を作りたいという想いはあったので、野村と相談し、今度は別々で脚本を書き、先にできた方から撮ろうと決めました。今回は僕の方が先にできたので、それを見せて、OKしてもらったところから始まったんです。
―――脚本は1ヶ月ぐらいで書き上げたそうですが、登場人物は最初から二人だけと決めていたのですか?
河野:まず野村が出るために、彼のキャラクターをちょっと無理やり当て書きしていたのですが、それだと書けなくなってしまい、結局はフラットにして書き直したんです。それが今回の神崎と山本で、この神崎なら野村が演じられると思い、打診しました。
■意図的に「わかりやすくない」映画へ
―――野村さんは最初のプロットを見て、どう思ったのですか?
野村:すごく複雑なことが起こっているわけでもなく、短編の作品だろうなと思いました。河野が表現したいこと、それを素直に書けないところ、そして、すごくわかりやすくないのがいいと思ったので、ぜひ二人で作っていきたいと強く感じました。
―――緊張感が途切れず、そして観客がわかりやすいような状況説明も一切排除されていますね。
河野:それは意図的にしています。映画の作り方を学んだわけではないので、自分の好きな映画を参考にしました。ダルデンヌ兄弟や、ヨーロッパの静かな落ち着いた映画、説明がないとか、観客に優しくない映画がすきなので、そういうところをベースにしつつ、映画は観た方の想像力に委ね、自由に想像してもらうことが映画の醍醐味だと思うので、プロットや脚本を書く段階でも、余計なものを付け足さないように意識していました。
■直感を大事に、自分たちがやりたいことをやる。
―――短編かと思うようなプロットを長編にするには、様々な部分の強度や俳優の演技力が必要ですが、ロードムーヴィーということで、まずはロケーションのこだわりについて教えてください。
河野:脚本が形になってから、野村に僕のイメージを共有しつつ、二人でロケハンに行きました。都内もいろいろ巡りましたが、上野の大通りに人や車が流れる様子を見て、直感的にここで撮りたいという場所を選んでいきました。最初から撮影許可を取ることは難しいと思っていましたが、諦めたくなかったのでゲリラ撮影に挑みました。山梨ではROCKYという喫茶店や樹海など、野村が行ったことがある場所を紹介してくれ、イメージ通りだったのでクライマックスのロケ地になっています。
―――リハーサルで苦労したところは?
河野:ロケハンで樹海を訪れたときは全く雪がなく、全然違う印象でした。ロケ地でのリハーサルで行くたびに雪の積もり具合が変わってきて、積もりすぎたと思ったら、後半は溶けてきて、足場が悪かったり、寒かったり、そういう点では大変でした。でも、自分たちでやりたいから撮っているので、大変でしたが、毎日乗り切ろうという気持ちでやっていましたね。今思うと充実していたと言えるかもしれません。
■歩き方から作り上げた主人公、神崎
―――映画では神崎が自宅で歯磨きをする後ろ姿からはじまり、ほぼ出ずっぱりですが、一方で彼が何者であるかという情報はほとんど明かされません。ミステリアスとも言える神崎をどのように作り上げていったのですか?
河野:お互いに神崎や山本のそれまでの経歴を作り、話し合いましたが、演じるのは野村なので、深いところは彼に任せて自由にやってもらいました。あと神崎の歩き方を会得するために、野村には都内の公園を4時間ぐらい歩き回ってもらい、僕がカメラで撮って、「その歩き方はいい」「それはちょっと違う」と指示を出しながらやっていましたね。
―――本作では、人間の優しさを描きたかったそうですね。
河野:テーマとか、何を伝えたいというのはちょっと傲慢なことでもあるような気がするし、優しさがこうだというものにもしたくはないのですが、優しい人が増えればいいなと思うんです。
野村:なぜ、見るからに優しい人じゃなくて、神崎とか山本という、わかりづらい人物を入れたの?
河野:二人とも別の意味で弱い人間なんです。ただ、なぜ彼らを描いたかというのは言葉にするのが難しいですね。
―――タイトルの『J005311』はプロット段階で付いていたのですか?
河野:最初は「題名なし」でいきたかった。音楽をつけないのもそうですが、タイトルから物語を印象付けたくなかったのです。でも、そうはいかない中で、野村から天体の現象であるJ005311(宇宙で既に死んでいる2つ星が奇跡的な確率で衝突して、1つの星になった)の話を聞いて、登場人物の二人と当てはまるのかなと思ったんです。
■「日常の神崎としての過ごし方」が撮影に活きる
―――野村さんは肉体的にも精神的にも追い詰められる役を演じ、もはや役を超越した魂のようなものが映っていたと思いますが、神崎を演じていかがでしたか?
野村:人って歩き方で気持ちが変わるんだなとつくづく感じましたね。情報はいくらでも頭に入れたつもりにはなれるけれど、それを話す言葉や動作は結局体でやらなければいけない。日記を日々つけることもやりましたが、役作りで何が一番大事だったかと言われると、日常の神崎としての過ごし方が、実際の撮影で一番活きたと思います。
―――ラストには、ようやく一筋の光が見えましたが、それ以外にもいくつかパターンがあったのでしょうか?
河野:ラストカットは最初のほうから、あれに決まっていました。あのシーンを撮りたくて作った作品です。現実は苦しくても(映画では)希望があってほしいですね。
―――ぴあシネマフェスティバル(PFF)でのグランプリ受賞、東京を皮切りにした劇場公開と、映画がどんどん広がりつつありますが、心境の変化はありますか?
河野:4月22日に東京公開が始まりましたが、その2日後ぐらいからようやくPFFでの入選も含めて、公開されているんだという実感が湧きました。今までは本当に世に出していいものなのかという不安もあったし、あまり何が起きているか二人ともわからない状態だったんです。
野村:劇場公開するつもりで作っていなかったので、なおさら実感が湧かなかったのかも。
河野:僕らは映画を公開するとか入選するとかよりも、とにかく二人で映画を作ることが一番大切なことで、グランプリというのは結果論なので、戸惑いの方が大きかったですね。
―――でも自分の作品が世に出たからには、多くの方に観てもらいたいですよね。
河野:それは日を追うごとに感じます。とにかく作り上げることに意味があったのですが、今は少しずつ、いろんな人に観てもらいたいという気持ちが出てきましたね。
野村:ずっと二人で作ると言いながらやりきれなかったので、完成したという事実にすら気持ちが追いついていなかったんです。でも完成して、上映が始まり、東京から大阪に来て、お客様からも声をかけてもらって、公開されていることを実感しています。
■次は、野村⼀瑛監督・脚本作に挑む
―――次は、野村さんが脚本・監督をされるのですか?
野村:今、脚本を書いているところで、監督もやります。
河野:また二人で作っていきたいです。俳優としての覚悟で言えば「90%はやりたくないけれど、10%はやりたい」という割合に変化はないけれど、今年は野村が作品を準備しているので、それに専念しつつ、もうちょっと頑張っていきたいですね。最後に、僕の高校の同級生のさのひかるさんは初の映画撮影がこの作品で、大変な撮影を頑張ってくれましたし、録音の榊祐人さんもお世話になりました。知り合いが少ない中、このお二人には本当に感謝しています。
―――韓国の名匠、ホン・サンスも一人で監督、脚本、編集、音楽、製作と何役もこなし、ミニマルな映画製作体制で毎年新作をリリースしています。この形でオリジナリティのある映画製作を続けていくのもいいですね。
野村:一貫性はあるかもしれません。
河野:最近チャップリンにはまって作品を観ているのですが、彼も全て自分でやりますよね。すごいなと思います。自分の映画でやりたいことをやる。編集も学びたいし、これからも作り続けたい。
(江口由美)
<作品情報>
『J005311』(2022年 日本 90分)
監督・脚本・編集:河野宏紀
出演:野村⼀瑛、河野宏紀
撮影:さのひかる 録音:榊 祐人 整音:榊 祐人、河野宏紀
⾐装:河野宏紀、野村⼀瑛
6月2日(金)までシネ・ヌーヴォ、5月26日(金)より京都シネマ、順次、元町映画館にて公開
公式サイト→https://j005311.com/
(C) 2022『J005311』製作委員会(キングレコード、PFF)
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