「誰かを孤立させる作品にはしたくなかった」 愛憎が入り混じる母娘と取り巻く社会を痛切に描く 『同じ下着を着るふたりの女』キム・セイン監督インタビュー


 韓国から、鮮烈な母娘関係に肉薄し、理想の母像をくつがえす新しい映像作家が長編デビューした。女性監督の躍進がいまや定着してきた韓国映画界において、新しい時代を切り開く旗手になることを確信するキム・セイン監督の第26回釜山国際映画祭5冠受賞作『同じ下着を着るふたりの女』が、10月28日より元町映画館で公開される。

 母から罵声を浴び続け、それでも母の愛をどこかで求めてしまう娘イジョン(イム・ジホ)、成長したイジョンの前で悪態をつく一方、恋人との幸せを夢見るシングルマザーのスギョン(ヤン・マルボク)。それぞれの生きづらさを抱えながら、一緒にいるとお互いを傷つけ、前に進みたいのに進めず、離れたいのに離れられない共依存のような母娘関係が、衝撃的な出来事をきっかけに大きく動き出す様子を、リアルさの中にも比喩的な表現を交え、彼女たちの心のひだまでじっくりと描いていく。激しい感情の発露の奥にある、彼女たちを取り巻く環境や社会についても目を向けたい、一歩先をゆく女性映画だ。

 本作のキム・セイン監督にお話を伺った。

※インタビュー後半は、作品のクライマックス部分に触れています。


■MeToo運動を通して感じた、「隠さずにさらけ出し、いいことも悲しいこともシェアをする」

―――MeToo運動以降、韓国では女性自身が抱える生きづらさを表現する映画が続々登場していますが、キム監督は映画製作においてどんな影響を受けたのでしょうか?

キム監督:自分の中に暗い過去があり、それについてずっと考え続けていたことを今までは表に出すことができなかった。でもMeToo運動から、隠さずにさらけ出していいということを学びました。そうやって隠さずに出したとき、はじめて周りとのつながりを感じることができたのです。いいことも悲しいことも、両方ともシェアするのが健康的な関係ですし、映画と自分の関係や、観客と自分との関係もそういう相互作用を通じてよいものになってきていると思います。


―――日本では韓国のMeToo運動以降を4人の女性監督が描いたアンソロジー『AFTER ME TOO』が自主上映されていますが、キム監督もご覧になったそうですね。

キム監督:はい。わたしはソウル国際女性映画祭で鑑賞したのですが、MeTooがいろいろな方向(スクールMeToo、映画、芸術界でのMeToo他)で起こる中、作品を通じて韓国のMeToo運動がどのようなものかを改めて考える機会になりました。芸術界のMeToo運動の活動を掘り下げた『それから』のカンユガラム監督は、『はちどり』のキム・ボラ監督らと女性映画人が集まる場作りもされています。わたしも親交があり、彼女が準備中の長編フィクション映画には、『同じ下着を着るふたりの女』のキャストも何人か出演するんですよ。



■辛いことに向き合う主人公を見て、みんなが思っている感情だと知り、心の傷が癒えた

―――韓国映画界での女性映画人の連帯の様子が垣間みえますね。本作の日本公開を記念して期間限定配信された短編『ハムスター』、『コンテナ』にも共通しますが、キム監督が描く登場人物は心の奥底に怒りのマグマのような感情を抱えており、それが何かの瞬間に発露していますね。

キム監督:好きな映画を観たときに共通することですが、辛いことに向き合う主人公に惹かれる傾向がありました。そういう映画を観ると、自分だけの感情ではなく、みんなが思っていた感情だと知ることができ、心の傷が癒えていったのです。シナリオを書いたり撮影をするとき、登場人物たちの感情を少し俯瞰して見ることができるようになり、撮影を通じても自分が癒されることがわかったので、辛い気持ちを持つ人に焦点を当てたいと思うようになりました。また、わたし自身が映画を観て、人生の突破口を見つけたので、わたしの作品を観てくださった観客のみなさんにも同じ体験をしていただければという願いもあります。


―――ちなみに、人生の突破口になった作品とは?

キム監督:ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』や『少年と自転車』、是枝裕和監督の『誰も知らない』『幻の光』、キム・ソヨン監督の3人の監督による、寂しい感情を抱いた子どもが主人公の映画に影響を受けたので、短編の3本は子どもをテーマにしました。



■社会全体で母と娘を孤立させてしまう仕組みが問題

―――なるほど。本作では短編ではあまり描かれなかった母を、娘の物語と並行してしっかり描きこんでいます。初長編で愛憎がぶつかり合う母娘を描こうとしたきっかけは?

キム監督:娘という立場からの物語を作ることには慣れていたので、最初は娘の話としてシナリオを書いていました。韓国に中年の母親のことを描いた漫画があるのですが、わたしがそれを読んで食卓に置いていたら、日頃は本をあまり読まないわたしの母が熱心に読んでいる姿を目撃したのです。彼女は自分のような母を主人公にした作品があることに感動していました。わたしは娘の立場で主人公になりたいと思うのと同時に、母も自分が主人公であるという人生を求めていたこと、母と娘のうまくいかない関係が、彼女たちの個人的な性格だけによるものではないということにそのとき気づいたのです。社会全体で母と娘を孤立させてしまう仕組みが問題であり、娘を中心にした作品にすると娘はその環境から抜け出せても、母はそこに残ったままになってしまう。映画を作るにあたり、誰かを孤立させる作品にはしたくなかったので、母と娘の両方が主人公となる作品にしました。


―――日本でも最近母娘、特に母が毒親として描かれる作品がよく観られますが、娘の立場から見た母という描かれ方が多いと感じます。この作品でよもぎ蒸しの店で働き、娘を育てあげたスギョンは娘への口癖が「殺したい」ですが、物語が進む中で店の女性客たちが夫の文句を言い募るのを日々聞かされてきたが故に、家で娘に暴言を吐くという悪循環に陥っていることがわかります。監督がおっしゃるとおり、家父長制社会からくる負の連鎖です。

キム監督:ひとりの人間を断罪するのは簡単ですが、それでは問題は解決しません。是枝監督の『誰も知らない』も、子どもを置き去りにしたという新聞記事を読むと母が悪いと断罪しがちですが、それでは何も解決しない。映画は、なぜ母がそういう選択をしたのかを考えたり、問うためにあると思うのです。



■誰にでも絶対に未熟な時期がある

―――イジョンは社会人なので、母から独り立ちすることもできるはずですが、母に愛してほしいという気持ちが強く同居し続けています。共依存関係のように見えますが。

キム監督:劇中でイジョンが、彼女が居候していた会社の同僚、ソヒから、なぜ家を出ないのかと聞かれたときにお金がないと答えますが、ふたりともそれが本当の理由ではないことをわかっています。イジョンは母から独立できず、誰かがいないとやっていけない人です。大人というのは自分の人生に責任感を持たなければいけませんが、イジョンはいつも“誰かのせいにできる人”を求めています。一般的に、誰かのせいにするにあたり、母なら娘、娘なら母と、一番身近な関係の人を対象にしやすいですから。


―――チョン・ボラムさんが演じたソヒは、母との関係の悪さからがんばって独立し、会社でも超過労働になる仕事を頼まれても引き受けてしまう。観客からすれば自分を重ねやすいキャラクターです。

キム監督:ソヒとイジョンを全く別の性格だとは考えておらず、一つの長い線の上にいるふたりと捉えています。ソヒの過去がイジョンであり、イジョンの未来がソヒとも言えます。イジョンはソヒが母との葛藤を抱えていることを知り、急激に仲良くなっていきます。ソヒはイジョンより少し若いですが、独立の時期は彼女より少し早かった。ただそれだけだと思っています。おっしゃる通り、韓国の上映では、「イジョンは好きじゃない。自分はソヒのようなタイプ」とソヒの人気が高かったのですが、はじめから皆がソヒのように独立を実行できるわけではない。みなさん自身にもイジョンのような状態のときがありましたよねと、観客に問いかけたいです。誰にでも絶対に未熟な時期があるはずですから。


■イム・ジホの緊張している様子が、イジョンにぴったりだった

―――イジョンを演じて高い評価を得たイム・ジホさんも本作が長編の主演デビュー作ですが、キャスティングにおいて重視していることは?

キム監督:本作や現在進行中の新作でのキャスティングに共通することですが、いわゆる演技力はあまり重視していません。オーディション会場は何もない殺風景な部屋で、初対面同士が向き合って演じてもらうので、そこで本当の実力は出ないと思っています。声の感じを知りたいので台本読みをお願いしますが、それだけではキャスティングしません。一緒に話をしながら、どういう性格で、どんな考えの持ち主なのかを知ることを通して選ぶようにしています。

 イム・ジホさんは長編の経験があまりない方なので最初のオーディションではとても緊張していました。でも、緊張して周りの様子をうかがう感じが、イジョン役にぴったり当てはまったのです。映画に合わせて役を作るというより、俳優自身が持っているものを、役に合わせ、投影していくことが大事だと思います。


―――表現の濃淡が難しい役ですが、イム・ジホさん自身の持つものから、イジョン役を作り上げていったんですね。

キム監督:短編やウェブドラマで経験を積んでおられたのですが、それらは明るい役が多かった。でも実際にイム・ジホさんと話をしてみて、彼女には明るい役もいいけれど、より似合うのはシリアスな役なのではないかと感じました。今までの役と違う一面が見えると思い、ふたりで作り上げていった役ですね。


■魅力的でなければならなかったスギョン役と、母娘の争う姿に込めた狙い

―――スギョンを演じたヤン・マルボクさんの複雑な感情が入り混じった、渾身の演技にも魅せられました。こちらはキム監督からオファーされたのでしょうか?

キム監督:キャスティングに関する広告を出し、芸能事務所からプロフィールをいただいた後、ミーティングをさせていただき、ヤン・マルボクさんにオファーしました。初めてお会いしたときに、怖い一面が強調されがちですが、優しい面もあるスギョンの姿が見えたのです。ヤン・マルボクさん自身も、冗談をいうような楽しさもあり、優しい方です。スギョン役は特に魅力的でなければいけません。演技の技術でその人の持つ暗さは表現できるけれど、愛らしさのようなその人が持つ魅力は技術で作れるものでありません。ヤン・マルボクさんは技術も愛らしさも兼ね備えているので、さまざまなスギョンの表情を見せてくれると思い、この役を一緒に作り上げていきました。


―――イジョンとスギョンの母娘が壮絶なケンカを繰り広げるシーンも、お互いの感情が爆発し、映画の強度を高めていましたね。

キム監督:喧嘩のシーンは武術監督に演出をお願いしました。リハーサルをし、安全装置をつけて形を合わせているのですが、武術監督は「合わせたようにやるのではなく、リアルな感じで撮ろう」と声をかけていました。喧嘩のシーンをあまり見せないようにするのが、最近の韓国映画界のトレンドなのですが、わたしは隠さずに全部出したかった。小さい家や小さい車の中で女性同士が闘い合う姿を見せたいというコンセプトで、挑みました。



■女性が、隠さずありのままでいることは当然のこと

―――闘い合う姿の他にも印象的だったのは、多年代の女性の日常的かつ生理的な問題や、性的欲求に関連するエピソードがごく自然に盛り込まれていたことです。下着もそれを象徴的に示していますね。

キム監督:生理の血や、女性が脱ぐシーンを出すことに関しては、なぜそれを隠さなくてはいけないのか。一般的に女性の生理的なものに関しては不潔で、隠さなくてはいけないと認識されていますが、なぜそうしなくてはいけないのかという疑問をずっと抱いていたのです。韓国の映画でも、女性の体をセクシーに描くことが非常に多いです。からだは重要な言語だと思っています。服やアクセサリーをつけることで、どういう人かわかりますが、わたしは、からだにあるシワや傷、皮膚感でその人がどういう人生を歩んできたかがよくわかります。この映画を通じて、女性というものを広く捉えられるようにしたかった。映画のみならず、さまざまな文化分野で女性のからだは隠さなければいけないとか、そういうものとなってしまっている現実があります。この作品では、女性の体だからといって隠すのではなく、ありのままでいることは一般的なことであることを見せたかったのです。


―――早く再婚したいと娘に嫌悪感を示していたスギョンも、付き合っていたジョンヨルは中学生の娘の前では母としての振る舞いを促し、うまく信頼関係を築けず、思い描いていた幸せとかけ離れてしまう。これもあるべき母像の押し付けと映ります。

キム監督:付き合っているときのジョンヨルを見ていると、いい人のように見えますが、おっしゃる通り、彼はスギョンの幸せに寄り添うパートナーというより、自分が思う母親像に彼女を合わせようとしているので、決していい人とは言えません。スギョンは女性として情熱的に愛し、愛されたいだけなのに、ジョンヨルは母という役割を彼女に求めてきます。映画でも、ジョンヨルが着せた母という服を、スギョンが脱ぎ捨てて自由になったとき、彼はそばにいた娘の目を隠すという行動をとる。それが彼の本心だと象徴的に示しています。



■一方向からしか見てこなかった母の違う面を見つけるために必要だった「暗闇」

―――まっ暗闇の中での母娘のシーンは、本作のクライマックスですが、どういう狙いを込めているのでしょうか。

キム監督:作品によって意図は異なりますが今回はわたしが生計を立てるために、早朝、カフェでケーキを作るアルバイトをしていたとき、暗闇の中で甘い香りをしている記憶が、このシーンを思いつかせてくれました。20代後半にもなった娘が母に自分のことを愛しているかどうか聞くのは、一般的ではないと思うのです。だから非日常の空間を作るために、暗闇が必要でした。修学旅行や友達の家に遊びに行った時、韓国では「真実ゲーム」という自分の秘密を話すゲームがあるのですが、それも非日常の環境だからこそ成立します。スギョンはいろいろな顔を持っているけれど、イジョンは母のスギョンを見つめるという一方向の顔しか持っていない。普通は多方面から見なければ、その人物のことがわからないけれど、イジョンは母のことを一定方向からしか見ていないので、その姿を勘違いしている部分もあると思うのです。イジョンはスギョンのいつも怒っている姿しか知らない。だから暗闇にし、声だけで話すシーンを作りました。


―――多面的なスギョンの一面を示すという意味では、彼女が職場や家でリコーダーを吹いているとき、全く違う空気を纏っていました。

キム監督:最終的に、ふたりがそれぞれの新しい人生を歩む姿を見せたい、そしてイジョンが母に捨てられるのではなく、自らの足で一歩を踏み出す姿を描こうと思っていました。イジョンの一歩を象徴するシーンを決めたあと、スギョンはどうやって表現しようかと思ったときに浮かんだのがリコーダーを使うというアイデアでした。序盤にスギョンが人生を探すようなセリフを言いますが、それをモノで表現するのにちょうど適していたのです。リコーダーは韓国では親や先生が体罰を与えるときに使われることも多いので、楽器という本来の意味を取り戻すことに重ねて、彼女が真の自分を取り戻すモチーフにしています。スギョンが一曲吹き上げたのは「ハンガリー舞曲」でもともとはジプシー音楽に想を得てブラームスが作曲した自由を象徴する音楽で、彼女自身が自由を求めるという気持ちにも重なると思い、選曲しました。



■家族は他人である

―――世の中では家族問題で悩んでいる人も多いと思いますが、映画を撮ったことで何か気づきはありましたか?

キム監督:最初は、人とは何かとか、家族とは、母娘とはの答えを出さなければいけないと思っていましたが、映画を撮っていくにつれて、その答えがだんだんわからなくなってしまいました。そこで一つ結論づけたのは、家族であっても他人であるということです。この映画を撮ったあとは母と喧嘩しなくなるかなと思っていましたが、今でも喧嘩します(笑)。家族は他人であるということを、声を大にしてお伝えしたいですね。


―――ありがとうございました。軽々と共感を呼ぶような展開に着地させず、今まで描かれてきた母像ではない、辛苦を味わってきた女性たちの等身大の姿をまっすぐ捉えていましたね。これからは、どんな作品を作る予定ですか?

キム監督:短編デビューしてからの10年間は辛い気持ちを持つ人や、人間の暗い感情に焦点を当てた作品を作り続けてきました。今までは撮影時に、キャストのみなさんは暗い感情を維持し続けなければいけないし、監督はキャスト以上にその感情を長く維持する必要がありました。編集のときもずっとその感情を維持しなければいけない。10年間ずっとそのように作品を作り続け、自分自身がちょっと憂鬱な人間になってしまったかもしれないので、これからは違う方向の作品、明るいストーリーを手がけてみたいです。

(江口由美)



<作品情報>

『同じ下着を着るふたりの女』(2021年 韓国 139分)

原題:같은 속옷을 입는 두 여자 英題:The Apartment with Two Women

監督・脚本:キム・セイン

出演:イム・ジホ、ヤン・マルボク、ヤン・フンジュ、チョン・ボラム

10月28日より元町映画館にて公開(初日、上映後に神戸松蔭女子学院大学英語学科韓国文化研究プロジェクトチームによる研究発表あり)

公式サイト→https://movie.foggycinema.com/onajishitagi/