芸の世界を極める浪曲師港家小柳、曲師玉川祐子と、浪曲の心を受け継ぐ弟子、港家小そめに密着した『絶唱浪曲ストーリー』川上アチカ監督インタビュー


伝説の浪曲師・港家小柳に弟子入りし、浪曲師として独り立ちするべく奮闘する港家小そめや、小柳と二人三脚でその浪曲を支えてきた現役最年長の曲師・玉川祐子との新たな絆など、浪曲の世界で奮闘する女性たちを見つめたドキュメンタリー映画『絶唱浪曲ストーリー』が、7月7日(金)より京都シネマ、7月8日(土)より第七藝術劇場、順次元町映画館にて公開される。


監督は映像作家で、本作はプロデュースも手がけた川上アチカ。師匠と弟子という垣根を超え、家族のように高齢の師匠たちの世話をする小そめの姿や、自らの潮時を見極めようとする師匠たちの苦悩に、芸の世界の舞台裏が垣間見える。港家小柳が闘病の末亡くなり、師匠がいなくなった小そめが、90代後半の玉川祐子に指導を受け、名披露⽬の⽇を迎えるまで険しい芸の道を一歩ずつ進んでいく様子は、思わず応援したくなることだろう。

浪曲の世界の奥深さに迫った本作の川上アチカ監督に、お話を伺った。




■旅芸人生活が長く記録がなかった港家小柳師匠の浪曲

―――もともと港家小柳さんの浪曲を見に行ったことが、本作を作るきっかけになったそうですね。

川上:ヴィンセント・ムーンという映像作家が、自分のプロジェクトにわたしを誘ってくれたのですが、彼は音楽のルーツであるプリミティブな祈りのような歌、魂を揺さぶる音を探していたのです。日本でそれを撮影するにあたり、日本の音のルーツは何だろうと考えていたとき、詩人でミュージシャンの友川カズキさんのライブに来ていたファンの方が日本には浪曲というジャンルがあること、港家小柳さんという素晴らしい名人がいらっしゃるので見に行った方がいいと勧めてくれました。残念ながらヴィンセントの来日中は小柳師匠がご病気のため、撮影することができなかったのですが、その後復帰され、芸歴69年記念の会を催すことになったんです。小柳師匠は40年近く旅芸人として各地を廻っておられたので、全然記録が残っていない方で、「こんなに素晴らしい芸を記録しないなんて」と、手指の隙間から芸という名の砂がこぼれ落ちていくような感覚になりました。この記念の会の撮影を誰かした方がいいのではないかと頭の中に引っかかり続け、最終的にはわたしがやることにしました。


――――相当な覚悟が必要だったのでは?

川上:⽇系アメリカ⼈の強制収容経験を題材に初のドキュメンタリー作品を撮ったときは非常に苦しみ、体にも異変を覚えるほど、ドキュメンタリーを撮るというのは業の深い作業ですし、自主制作ならなおさら、よほどの人に出会わない限りは撮らないと決めていたんです。でも、わたしは小柳師匠に出会ってしまったんですね。



■お稽古を撮ることで小柳師匠の芸をより多く残したかった

――――本作は港家⼩そめさんの成長ストーリーとも言えますね。

川上:ただ、最初から⼩そめさんに着目していたわけではありません。小柳師匠の舞台を撮らせてもらっているうちに、もっとたくさん演題を持っておられるので、できる限り聞いてみたいと思ったのです。当時小柳師匠は88歳でしたから、一つでも多く彼女の芸を残すために、舞台だけではなく、まだ弟子入りして1年ぐらいだった⼩そめさんのお稽古を撮ることで、小柳師匠の浪曲のことが見えてくるはずだ。そういう思いでお稽古の撮影をスタートさせたので、同じく師匠に惚れ込んでいる⼩そめさんとは同志のような感覚でした。


――――⼩そめさんのお稽古に同行して撮影する体験は、今までのドキュメンタリーとはまた違った体験になったのでは?

川上:楽しかったですね。カメラという記録装置は狂気みたいなものなのですが、お稽古場はとてもあたたかい世界で、「もっと梅干し持ってかえり」とか、撮影していても「撮っていないで、早く座って一緒にお菓子を食べよう」と呼びかけられたり、働く女性同士でねぎらい合う感じもあって、こういう関係性があるのかと一気に好きになりました。師匠と弟子ではなく、「娘」と呼びますし、先輩たちを「お兄さん」「お姉さん」と呼び合う関係で、普通の会社とは違う関係性の中で成り立っているのが、すごく魅力的に見えました。


■師匠たちの芸人人生を延ばす役割を果たした⼩そめさんと、支え合う浪曲コミュニティ

――――⼩そめさんが小柳師匠のお世話をされているのも家族のような関係であり、ある種の使命感を感じさせました。

川上:あるとき⼩そめさんに、小柳師匠の芸人人生を伸ばすために弟子入りされたのかと聞いたことがあったんです。すると⼩そめさんは「僭越ながら、それはあります」とおっしゃって。自分のような若手が入ることで、引退を考えていた師匠たちが若手を育てるためにもう一度頑張ろうと奮起されるので、芸人人生が延びる。⼩そめさんはそのことがわかっていたし、小柳師匠が倒れたときも義理が立たないのでと他の師匠のところには行かなかったです。そしてもう一つ、⼩そめさんは⽟川祐⼦師匠はもっと評価されるべきだという思いがあり、こちらも祐子師匠に教えを受けているようで、⼩そめさんがすごく支えているところがある。⼩そめさんに支えられた師匠たちが再び輝くことで、お客さまも喜ぶし、お兄さんお姉さん方も、師匠たちを支えてくれていると今度は⼩そめさんを応援してくれるわけです。だから、名披露⽬の⽇にあれだけのお客さまが押し寄せ、兄さん、姉さんたちが力を合わせてくれたというのは、⼩そめさんが祐子師匠のお世話をしてくれているという愛に対し、愛で返すというような、まさに愛の投げ合いです。こういうふうに、コミュニティではお互いに迷惑を掛け合いながら、生きていけばいいんじゃないか。そういうことが見えましたね。


――――中盤で⼩そめさんが、今の世界がギスギスしていてしんどい一方、浪曲の世界は師匠も勝手でわがままだけど、それを超えてすごいものがあるというところに魅力を感じていると語っていましたね。

川上:昔の芸人というのは、音や語りで素晴らしい表現ができるけれど、それ以外は何もできない方も多かったと聞きました。むしろそれしかないから続けてきたという人が多かったそうですが、今、若い人たちは自己表現を求めていることがすごく多いような気もします。⼩そめさんも最初は劇団で活動していましたが、そういう風潮に違和感を覚え、浪曲の師匠たちの方が一流なのではないかと思ったそうです。芸に従事する中で、磨かれていくことに興味を持ったようですね。



――――やはり浪曲を見ることができる場所として、浅草木馬亭という浪曲専門の演芸場が残っているのも大きいのでは?

川上:おっしゃるとおり、木馬亭がなければ、もっとはやくに浪曲の灯が消えていたかもしれません。そこで毎月7⽇間の定席が開かれていることは、演者のみなさんの支えになっていると思いますし、そこに流れた時間や歴史もお客様は感じられて楽しいと思います。昔は毎日どこかで浪曲をやっていたので、芸能人の長者番付のトップに浪曲師が並ぶ黄金時代もあったのです。


――――編集では様々な紆余曲折があったそうですね。

川上:1年間かけて、200時間の映像を7時間にまとめたのですが、その先が進まなくなってしまった。そのとき山形ドキュメンタリー映画祭の理事である、藤岡朝子さん(ドキュメンタリー・ドリームセンター)が主宰する山形ドキュメンタリー道場でわたしの作品を選んでくださり、山形で1ヶ月過ごしながら、メンターや他の参加者のみなさんとディスカッションしながら作品を深めていく時間を持つことができ、そこで3時間に集約することができました。客観的な視点で、何がこの映画を引っ張っていく一番の肝なのかが見えたので、その時の自分には他者の視点が必要だったのです。藤岡朝子さんの方針として、答えは言わず、自分の中の答えを導いてくださったのがすごくいい経験になりました。

道場のメンターでもあった秦岳志さんに最後の編集をお願いしたのですが、最初に出してくださった骨組みが本当にスカスカに見えて(笑)で慌ててメールをしたら、その反応は想定内だったようで、それなら何が足りないのかと、わたしが必要としていることを丁寧に聞き出し、わたしが納得いくまで丁寧にディスカッションして細部まで詰めてくださいました。本当に感謝しています。



■病床の小柳師匠の手の動きは、人生最後に見せた舞台

――――いつどこで何が取れるかわからないというドキュメンタリーの撮影の中で、これはよく撮ることができたなと思うシーンは?

川上:病床の小柳師匠の横でカセットテープが流れたときのシーンは、とても大事にしています。わたしが舞踏家の⼤野⼀雄先生が寝たきりで過ごされた最晩年を撮らせてもらったのですが、大野先生の中から何かが立ち上がってきて、ベットがステージになる瞬間がありました。ですから、小柳師匠がカセットテープの音に反応されたときにものすごく既視感があったんです。それまでは、舞台にいる小柳師匠ではなく、病床にいるひとりの女性なのでカメラは向けないでそばにいると決めていたのですが、小柳師匠が立ち上がる瞬間を見たのです。小柳師匠が亡くなるということは、彼女が語ってきた物語も一緒に失くなるということですから、物語の最後の姿が体から見える形で目の前に立ち上がったときはすごく感動しましたし、師匠の手の動きを見て、呼吸が読めると思うのです。

浪曲はどこで呼吸を取るかが本当に難しい芸で、苦しそうに呼吸をすると観客も息苦しくなるのですが、師匠が語るとそのグルーヴの波に巻き込まれていく。その呼吸の取り方が師匠の手に見えたような気もしますし、小柳師匠が⼩そめさんに最後に見せた舞台だと思っています。窓から入ってくる光といい、カセットテープの音のエコーといい、何か特別な瞬間でしたね。



■100歳の玉川祐子師匠、初弟子の小そめさんを育てて輝く

――――最後まで浪曲師の真髄をみせた小柳師匠が亡くなられてから、曲師の玉川祐子が小そめさんを自分が育てると決意を表明されていて、輝きはじめますね。

川上:そうなんです。祐子師匠がものすごく輝き始めたんです。というのも、小そめさんは初めての弟子でものすごく可愛かったと思うし、人を育てるという役目を得たとき、こんなに人が輝くのかと気づかされました。


――――裕子師匠が「血の繋がりはないけれど、芸の繋がりがある家族だ」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。

川上:こういう繋がりがあってもいいですよね。働く女性同士のある種のリスペクトもあり、馴れ合いはなく、同じものを目指す相手への尊重がありますね。曲師というのはとにかく浪曲師に「いけー!」という気持ちで演奏で応援する人なので、小そめさんを元気付けたい気持ちもあったのではないでしょうか。祐子師匠は100歳を迎えましたが、今、一番お元気だと思います。

(江口由美)



『絶唱浪曲ストーリー』(2022年 日本 96分)

監督・撮影・編集・プロデューサー:川上アチカ

出演:港家小そめ、港家小柳、玉川祐子、沢村豊子、港家小ゆき、猫のあんちゃん、玉川奈々福、玉川太福

公式サイト⇒https://rokyoku-movie.jp/

7月7日(金)より京都シネマ、7月8日(土)より第七藝術劇場、順次元町映画館にて公開  (C) Passo Passo + Atiqa Kawakami