「見終わってスッキリさせない、傷痕を残すことを常に考えている」 『飢えたライオン』緒方貴臣監督インタビュー(後編)



「間違った情報を流すことも暴力性なら、映像を作ることも加虐性をはらんでいる」 『飢えたライオン』緒方貴臣監督インタビュー(前編)に引き続き、 緒方貴臣監督インタビュー(後編)は、『飢えたライオン』や今後の方向性について語っていただいた内容をご紹介したい。




 ■物語性を排除し、「感情移入をさせない」がキーワード 

――――意図的に感情移入をさせない作りにしているのが、とても特徴的ですね。 

緒方:感情移入をさせないのが、キーワードです。主人公はこの映画の中では被害者ですが、観客はどうしても被害者に感情移入をしてしまいます。そうなると、自分の加虐性に気付かないので、なるべく客観的に見せるようにしています。そうすることにより、傍観者となって主人公を取り巻く人間の中に自分を見つけることができるようにしています。後は、今、ニュースが物語的になっていますが、この映画は物語的にしたくない。例えば誰かが亡くなったからといって、そんなに簡単に説明がつくものではありません。色々なものが複合的に絡み合った結果なのに、分かりやすくするため単純化しすぎている。だから、物語性を排除するために、シーンとシーンの間に黒みを入れることで、物語ではなく事実の断片を積み重ねる形にしています。 


――――動画の流出が原因で、主人公は最終的には自殺してしまいますが、肝心の動画はあえて映画では見せていません。映画で描く際に、過激な方向に行きがちな部分はあえて排除しているのが印象的でした。 

緒方:そういうシーンを見せることが、この映画の結末にふさわしいとは思っていないので、あえて入れていません。想像して欲しいし、動画が流出したということ自体がデマだったかもしれないということにしたかったのです。後、デマを流したのが誰かというのは、気になってほしい部分です。同級生3人のうちの誰かが流したと取れるように、それぞれがデマを流したと取れる理由を設定しています。最後に書類送検された少女は匿名で報道されるので、それが誰かは分からない。そのモヤモヤを残したいんです。見せない方が想像力を掻き立てると思います。今までの作品よりは、すごく明るいとは言わないけれど、間口が広がったと思います。



 ■『飢えたライオン』の基になった三つの事件に見たSNS、報道の“暴力” 

――――筒井真理子さん演じるシングルマザーは、悪気はないけれど、日々忙しいので娘の話をじっくりと聞く時間がなく、娘の異変を感じ取れぬまま亡くしてしまいます。その後のニュースで、片親だからと母親の落ち度を責めるところまで描いた意図は? 

緒方:この作品も『子宮に沈める』同様、それ以降に起きた3つの事件を基にしてます。一つは東京で起きた女子の殺害後に性的動画がアップされたという事件です。彼女はもういないのに、ネット上には幸せな時に撮られた性的動画が残っているのはとても皮肉でした。もう一つはある中学生男子がいじめで殺された事件で、被害者のはずのシングルマザーが、なぜ殴られて帰ってきている息子の様子に気付かなかったのかと責められた。彼氏を作る暇があったら、子どもの面倒を見るべきだという意見が結構多かったのです。そしてもう一つは、二人の中学生男女が行方不明になり、連日テレビで彼らの最後の防犯カメラの映像が流れていた事件です。男子が非行グループに属し、何か知っている(殺したかもしれない)のではないかという報道がされていたのですが、実際は第三者の大人が二人を殺し、遺棄していた。遺体が見つかってからは、それまでの報道はなかったかのようでしたが、被害者の男子のご家族からすれば、謝罪も何もなかった訳で、ある種の暴力を受けたようなものです。それらのことが気になって、全てをミックスして脚本を書きました。筒井さんも前作を見てくださっていて、「日本でこんな、ドキュメンタリータッチの作品を作る人がいるとは思わなかった」と、オファーを快諾してくださいました。 


――――竹中直人さんも、一瞬ですが出演されていますね。校長先生役ですが、あえて存在感を目立たせないようにしていました。 

緒方:竹中さんから出たいと言っていただいたのは本当にありがたかったです。ただ、役者は顔だけではなく、佇まいとか、声も重要です。あのシーンで寄りは撮らないと決めていたので、相手が竹中さんでもなんの迷いもありませんでした。本当に引きで撮りましたし、撮影が終わって「寄りは撮らないの?本当に映っているの?」とマネージャーさんに確認されても、「大丈夫です」。主演の松林さんも映っているかと心配していましたし、他の役者さんでも顔が映っていない人はたくさんいますが、「竹中さんも同じだから」と言うと、皆納得してくれました(笑) 


――――今回は全額ご自分で出資して撮られたそうですね。

 緒方:出資のお話をいただくこともありますが、自分の思う通りには撮れません。「もう少し明るくして」とか「結末だけでも希望を」と、本当によく言われます。出資者の意見を取り入れてもいいけれど、やはり限度があります。僕が撮る意味がなくなってしまうぐらいまでになり、降りることが多い。結局自分で好きな通りに撮るようにしています。



 ■自分も「加害者側にいる」立場を忘れない。 

――――時折、車のカーラジオから折々の事件のニュースが流れますが、それを聞くと、日常の中で私たちは事件を「消費している」と感じます。 

緒方:消費していますね。ただ映画もそうで、僕も前作で子ども二人が衰弱死した事件を映画にし、消費している側です。だから絶対、自分は関係ないという立ち位置で、社会の人たちを断罪する映画にはしたくなかった。自分も加害者側にいるという立場にしたいと思い、このラストにしました。この映画も作り物ですし、アダルト映像とか、いろいろな映像が出てきますが、あれらは監督や脚本家や演出家がいて、意図があって作られている訳です。ニュースでもディレクターがいますから、誰かの意図があって作られています。でも、この映画も僕が脚本を書き、演出しているのですから、この映画も作り物で、鵜呑みにしてはいけない。僕が見た社会の絵なので、別の視点だとまた見方が変わるはずです。 


――――今後も、この作風で映画を撮っていかれるのでしょうか? 

緒方:テーマや題材によって作り方は変わると思います。あえて最初は感情移入をさせる作りにして、感情移入してしまった人を批判するような内容にし、感情移入したことに罪悪感を持つような構造もできる訳です。見た人が嫌な気持ちになるというのは変わらないかもしれませんね。そのために、常日頃、頭を回していますから。 


――――社会派であると同時に、一筋縄ではいかない作家として名を馳せそうですね。 

緒方:社会問題を題材にしているので、いい人と思われがちですが、善意ではなく悪意を持って作っているという意識は常に持っています。やはりドキュメンタリストは、そういう部分がないとできないと思います。実は『子宮に沈める』の後に、リストカットする女の子に密着したドキュメンタリーを構想し、据え置きカメラで、ただ客観的に生活を撮り続けたのですが、どんどん不幸になっていくのが見えたのです。作品にするなら、他人の不幸は面白いはずですが、僕はそれができなかった。結局、元々の仕事に戻れるようにサポートをし、ドキュメンタリー作品にするのはやめました。それで面白い作品を作っても、僕のやりたいこととは違いますから。



 ■目指すはナショナルジオグラフィック動物ドキュメンタリーの人間版 

――――今後やりたいこと、撮りたいものは? 

緒方:僕の映画で目指すところの究極はBBCやナショナルジオグラフィックの動物ドキュメンタリー、人間版です。人間以外の生命体、例えば宇宙人が、「人間って、こんなものだな」と思える作品を作りたいとずっと思っています。 


――――究極の客観的な映画になりますね。

 緒方:そうです。そこに感情移入は要りません。僕らが動物ドキュメンタリーを見て、そんなに感情移入はしませんよね。今は勉強中ですが、そこを目指しているので、逆にこういうのをやって欲しいと依頼されても、なかなか難しいという部分はあります。自分がやりたいと思わなければ、全然やる気が起きませんから。 


■日本映画の同世代に、70年代のような社会問題を描く作家がいないことを危惧。 

――――ゴダールから影響を受けた緒方監督ですが、ゴダールは本当に様々な映画人に影響を与えていますね。 

緒方:ゴダールは今でも最先端を行く作家で、最新作は3Dです。普通の3Dは2つのレンズで撮っているので、その奥行きで立体感が出るというスタイルですが、ゴダールは右と左のレンズで別のものを撮っているので、見たとき、ただ別の映像が重なるだけ。立体感はなくて映像が二重に重なるだけなのですが、80代にして20代の若手監督がやるようなことをいまだにやっている。映画界のピカソです。今でも「映画とは」を壊そうとし続けているのが凄い。ゴダールのように、自由に撮りたいですね。 今でこそ、僕のように社会問題を描く日本の作家は少ないですが、海外を見れば、映画でもその社会を描いていますよね。ただ日本の映画でも、70年代は社会問題を描く作品が多かった。伊丹十三監督はエンターテイメント性を入れながら社会問題を取り上げていましたし、大島渚監督や、今村昌平監督も社会に訴えるものを常に明確に持っていて、それを映画で表現している気がしていました。若松孝二監督も然りですし。今、僕と同世代でそういう社会問題を描く作家がほとんどいないですが、それでいいのだろうかと思います。 


――――社会問題を描いても、最後に希望や感動を呼ぶという作品が多い気がします。 

緒方:感動をさせてはダメです。最後にカタルシスを感じてしまうと、そこで完結してしまう。「映画、良かったね」で終わると、映画の中の悲しい出来事として矮小化されてしまい、現実の悲惨さを見落としてしまう。僕は映画の中のことを現実に持って帰ってほしい。見終わってスッキリさせない、傷痕を残すということは、常に考えているし、そこは変わらないと思います。 



<作品情報> 

『飢えたライオン』(2018年 日本 1時間18分) 

監督・脚本:緒方貴臣 

出演:松林うらら、水石亜飛夢、筒井真理子、菅原大吉、竹中直人他 

2018年10月13日(土)~シネ・リーブル梅田、元町映画館他全国順次公開 

公式サイト→http://hungrylion.paranoidkitchen.com/ 

(C) 2017 The Hungry Lion

※第22回プチョン国際ファンタスティック映画祭 NETPAC Award(最優秀アジア映画賞)受賞作


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