「間違った情報を流すことも暴力性なら、映像を作ることも加虐性をはらんでいる」 『飢えたライオン』緒方貴臣監督インタビュー(前編)
フェイクニュースが溢れ、そのニュースに群がり、拡散する現代社会の空気を映し出す緒方貴臣監督(『子宮に沈める』)が、10月13日(土)よりシネ・リーブル梅田、元町映画館他全国順次公開される。未成年淫行容疑で連行された担任の性的動画が流出し、そこに瞳(松林うらら)が映っているとの噂が流れたことから、瞳の人生が一変し、更なる悲劇が訪れる。デマを流したのが誰かを探すこともなく、デマを鵜呑みにし、瞳を遠ざける学友たち、迷惑がる妹、遠ざかる彼氏。瞳が自殺した後は、手のひらを返したように瞳を取り上げ、瞳の母でシングルマザーの裕子(筒井真理子)を非難する報道の様子まで、淡々と映し出す。安易な感情移入を許さない、独特の手法は、逆に現代社会の歪みをリアルに突きつけるのだ。 本作の緒方貴臣監督にお話を伺った。
前編では、前作『子宮に沈める』や、独特の作風に影響を与えた作品、映画作家についてご紹介したい。
■母親を断罪する風潮に疑問を投じるフィクション『子宮に沈める』で、公開後に感じた罪悪感
――――今回、客観的に現在社会に漂う空気をある事件と絡めて描いています。前作『子宮に沈める』は実在の事件から着想を得ていますが、本作の着想はどこから得たのですか?
緒方:前作の『子宮に沈める』(13)の時は、2010年に大阪で起きた事件(大阪2児放置死事件)のその後もずっと見ていたのですが、母親が風俗で働いていたこともあり、母親が悪いような言われ方をされていたのです。離婚はしていても、子どもにとっての父親はいるはずなのに、どうして母親ばかり責められるのかと考えた時、世の中で子どもを育てるのは母親という決めつけがあると感じ、母親を擁護するつもりはないけれど、その決めつけに疑問を投じるような映画を撮ってみたいと思いました。 実際の事件は子どもが2人亡くなっている事件ですから、安易に救いを求める作りにはしていません。ただドキュメンタリーではないし、実際に2人の子どもがどう過ごしていたのかは誰も分からない。むしろ、そのままを映し出すなら密着取材をしたルポルタージュのドキュメンタリーでいい訳で、映像にするならフィクションの映画として作ることに意義があると思ったのです。だからどうやって2人が衰弱していったのか、僕のオリジナルの要素をたくさん入れて、作っています。
ただフィクション映画として宣伝し、公開しているのですが、実在の事件なのでドキュメンタリーと間違われる方もいて、こちらは間違った情報を流したのではないかと罪悪感を感じてしまいました。元々僕は映画監督だけでなく、ジャーナリストにもなりたかったので、なおさら、うその情報を流してしまったことに耐えられなかったのです。
――――観客にとっては、ドキュメンタリーのようにリアルな内容だったのでしょうね。本人の意図と関係なく、広がって行くのがフェイクニュースですが、その発信源になったかもしれないと思うと、確かに複雑な気持ちになります。
緒方:その後、最近のフェイクニュースについて単純に批判できないと感じるようになり、間違った情報を流すことも暴力性なら、映像を作ることも加虐性をはらんでいる。そのことを映画で撮ろうと思いました。
■影響を受けたのは、初劇場鑑賞の『ピアノ・レッスン』と『ゴダールの映画史』
――――『飢えたライオン』のお話を伺う前に、何にインスパイアされて、独特な作風が出来上がっていったのか。映画にまつわる人生の転機を教えてください。
緒方:僕は小学生の時に、ヒッチコックやチャップリンの映画を父親からずっと見せられていました。正直、白黒の映画なんて面白くないし、見たくもなかったのだけれど、だんだん面白さが分かってきて、映画を好きになりました。ちなみに小学生の時、映画館で初めて観た映画が『ピアノ・レッスン』なんですよ。その時は、映画の良さだとか内容は分かっていなかったと思います。ピアノをずっと習っていたのでマイケル・ナイマンの音楽を聞きたくて観たのですが、映像美とあの表現は素晴らしいということは僕の胸に残り、僕のスタート地点になりました。 そこから入ってしまうと、もっと違うものを見たくなり、高校生の頃はゴダールに心酔していました。しかも中期から後期のゴダールがジャーナリスティックになっている作品が好きなんです。こういう映画があるんだと思う中での極めつけが、『ゴダールの映画史』。4時間半ぐらいある映像の洪水のような作品で、一度観ただけでは、その情報が吸収できない。映画ってこういうのもアリなんだと行き着いてしまった訳です。もう普通の映画は楽しめなくなってしまいましたね。
――――『ゴダールの映画史』がお好きだと聞いて、『飢えたライオン』の客観的なシーン(イメージ)の積み重ねが納得できます。
緒方:一方で、ジャーナリスト的な視点が自分の中で芽生えていました。ジャーナリストも映画もやりたいとなると、映画でジャーナリズムをやるしかないと思い、今に至っています。ただ、映画監督のなり方が本当に分からない。でも映画学校だけには行きたくなくて、結局27歳までズルズルときてしまった。そこで意を決し、映画学校に行ったわけです。
――――映画学校へは、渋々という感じだったのですか?
緒方:実はワクワク感もあったんです。というのも僕は福岡出身ですが、地元でゴダールの話をできる人がいなかった。今でこそネット上で、好きな監督の話をできますが、当時はそこまでネットが発達していない時代なので、地元ではハリウッドや邦画の話題ばかりでゴダールの話ができなかった。映画学校に行けばという期待があったのに、結局映画学校でもゴダールのことを知っている人は1割ぐらいしかおらず、その1割も『勝手にしやがれ』などのヌーヴェルヴァーグ期の有名作しか知らないんです。先生もあまりゴダールの作品を知らなかったし、この学校で自分の撮りたい作品を一緒に撮れないだろう。卒業制作を想定した時、僕の企画自体が通らないだろうと思い、学校に払うつもりだったお金で、自分の映画を撮ろうと決めました。その時撮ったのが自傷行為と性的虐待の映画『終わらない青』(11)で、映画祭受賞から劇場公開され、今に至っています。
■パレスチナ取材を志した時に広河隆一さんからもらったアドバイス 「日本に戦争はないけれど、それぐらいの地獄はある。身近なところに目を向けて」
――――なぜ自傷行為の映画を撮ったのですか?
緒方:ゴダールの影響を受けていたので、元々は戦争を題材にした映画を撮りたかったのです。特にイスラエルやパレスチナのことを追いかけたいと思い、構想を練っていました。上京した時に、日本のパレスチナジャーナリストの第一人者、広河隆一さんの写真展でご本人にお会いしたのです。広河さんはフォトジャーナリストですが、僕はビデオジャーナリストとしてパレスチナを追いかけたいとお話しすると、「パレスチナは昔から世界中のジャーナリストが追いかけているから、今から若いあなたがやらなくてはいいのではないか」と。僕も当時は若かったので、世界の大きな事象につい目が行ってしまっていました。「日本には戦争はないけれど、気づかないだけでそれぐらいの地獄はある。身近なところに目を向けてみればどうか」とアドバイスしていただき、調べるうちに虐待や自傷行為など、今まで自分が全く目を向けてこなかったところに、戦争で死ぬよりもっと多くの人が死んでいるのではないかというぐらいの悲惨な出来事があり、本当に衝撃を受けました。ジャーナリストになりたいと思っている人間ですら気づかないことがあり、それを気づかずに生きていた。そういう意識のない世の中の人は、尚のこと気付いていないでしょう。そこを僕は大事にしたい、そう思い、そこから始まりました。
――――『終わらない青』に続いての『体温』(13)は、他の作品とは少し毛色が違います。
緒方:今はシリコンで出来た、本当に精巧なラブドールがありますが、そのラブドールを家族のようにして一緒に暮らしている人たちがいるのです。家族のように何体も買っている人もいるのですが、そういう人たちの物語を描いたのが『体温』です。当時はアニメやゲームを恋人にしている人が結構おり、ラブドールを家族にして暮らすというのは究極的な姿ですが、今後そういう人が増えると思い、取り組みました。
■独学で、最終的には多くの画家に影響を与えたフランス画家アンリ・ルソーの絵にちなんだ『飢えたライオン』
――――『飢えたライオン』というタイトル自体を見ただけで、不穏な雰囲気が伝わってきますが、どのようにして付けたのですか?
緒方:フランスの画家、アンリ・ルソーの絵画『飢えたライオン』にちなんで付けました。僕は脚本を書いている時に行き詰まると、映画とは違うジャンルで、画集を広げたり美術館に行くんです。その時、たまたま画集で目に入ったのがアンリ・ルソーの『飢えたライオン』だったのです。奥にジャングルがあり、前景ではライオンがカモシカをがぶりと噛んでいるという絵で、ジャングルの中をよく見ると、ヒョウやフクロウがいるのです。ヒョウはライオンが噛み付いているカモシカのおこぼれを狙って待機している。フクロウはただじっと見ている。その構図が、僕がその時書いていた脚本の構造に似ていると思い、仮タイトルにしたのです。ただ、本タイトルを付けようとした時、これ以上いいタイトルがどれだけ考えても思い付かなくて、そのままタイトルにしました。
ちなみに、アンリ・ルソーも元々は学校では習っていない独学の画家で、日曜画家だったので、遠近法が出来ていないと指摘され、評価も散々だった。でも最終的にはピカソが影響を受けるほどの画家になっています。僕も最初は、色々と作品に指摘を受けることが多く、独学という点でもルソーに共感を覚えます。また最終的に他の作家に影響を与えられるようになりたいという点でも、ルソーは好きな画家ですね。
<後編に続く>
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