「かづゑさんの話は、生き抜くための大変普遍的なもの」ハンセン病回復者の宮崎かづゑさん夫妻を8年間見つめた『かづゑ的』熊谷博子監督インタビュー


『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』『作兵衛さんと日本を掘る』の熊谷博子監督によるドキュメンタリー映画『かづゑ的』が、4月12日(金)より京都シネマ、4月13日(金)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。

 瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園に10歳で入所して以来、80年以上ずっとこの島で生きてきたハンセン病回復者の宮崎かづゑさん。84歳で初の著作『長い道』を出版し、今も精力的に表現活動を行っている。そのありのままの姿や夫、孝行さんとの島での暮らしから、差別も受け止め、生き切ろうとするかづゑさんの人生観が強く響いてくることだろう。本作の熊谷博子監督に、お話を伺った。




■初対面から心のバリアがなかったかづゑさん

―――最初から宮崎かづゑさんが「(完成した映画を)わたしに見せようとは思わないで」と撮影者である熊谷監督に釘を刺しておられたのに驚きましたし、全てを見せようとするかづゑさんの強い意志を目の当たりにし、彼女はもうこの映画のプロデューサー的役割すら担っているなと感じました。

熊谷:そう言われたのはかづゑさんと初めての出会いから1年後なのですが、その間全くお会いしていなかったので、通算で言えば2日目のことになります。よく、撮る方も覚悟が決まるのではと言われますが、初対面のときからお互いに心のバリアがなく、かづゑさんもすっと受け入れてくださいました。聞きたいことをとにかく聞くというところからスタートしたので、実はそんなに覚悟はなかったんです。 


――かづゑさんの勧めで、お風呂場で体を洗うところも撮影されています。

熊谷:かづゑさんがあらかじめ、介護の方に話をしてくださっていたので、すごく自然な形でわたしたちも風呂場までついていきましたし、素直に自然な形で撮らせていただきました撮影することができました。かづゑさんの裸がとても神々しくて、裸を撮っているというよりは、人を撮っているという感じがありました。彫刻家が掘り上げた裸像はとても神々しいと感じるのですが、まさにそういう感覚でした。


―――「急がないで」とも念を押されていましたね。

熊谷:もともと、どういう作品を作るということを決めて臨んだわけではなく、最初に宮崎さんご夫妻の部屋にを伺った時、このお二人のことをきちんと記録として残したいと思ったことがきっかけだったので、じっくり待っていてくださるのだなと感じたし、ゆっくりじっくり撮らせていただけることは、むしろありがたかったです。

                       


■かづゑさんご夫妻のことを記録に残したい

―――ちなみにハンセン病や回復者の方についての作品を撮りたいというお考えは以前からあったのですか?

熊谷:ハンセン病に関しては世の中の皆さんと同じぐらいの知識しかありませんでしたし、療養所や資料館にも行ったことがなかったのですが、わたしが大変信頼している女性ドクターから「何がなんでも会ってほしい」と言われ、長島愛生園に連れていっていただいたのがかづゑさんとの出会いでした。お会いする前にかづゑさんの著書(「長い道」)を読み、ハンセン病の元患者さんが書かれた本なので、一般的なイメージとして、いかに差別されたかとか、その差別や隔離への抗議といった内容なのかと思いきや、全く違いました。自分がどれだけ祖父母や両親を愛し、そして愛されていたか。大事にしていた家族を自分が病気になったせいで悲しい想いをさせてしまったことが辛いということから始まり、すぐに心を奪われました。故郷の村での貧しいけれども豊かな生活や、長島へ来てからの細かな出来事、夫の孝行さんと結婚してからの日常が瑞々しい筆致で綴られた、とても素敵な本だったのです。


―――著書でかづゑさんの人生やその表現について触れておられたんですね。

熊谷:わたしが初めてお会いしたハンセン病の回復者なのですが、2〜3時間お話をするうちに、かづゑさんご夫妻の醸し出す雰囲気から、しっかりとした生活が見えてきましたし、記録に残さなくてはとも思いました。周りの元患者の方もご高齢なので、二重の意味で記録に残したいと思い、紹介者のドクターにお伝えしてかづゑさんに意向を伺ったところ、「あの人ならいいわ」とおっしゃってくださったんです。マスコミの思い込みやまた、見学者のバスが自分たちを見下ろすように去っていくのも嫌だと感じておられたそうです。だから全く思い込みのない、まっさらな状態のわたしが会いに行き、かづゑさんのことを撮らせてほしいとお願いしたことのがよかったのかもしれません。また、ご本人もそろそろ正直に自分のことを出してもいいと思っている時期でもあり、それがうまく合致したのでしょうね。


―――「故郷」という歌を良かれと思って歌われることが多いけど、自分にとってはとても無礼なことだとおっしゃっているのも印象的でした。我々の想像力のなさを痛感します。

熊谷:やはりご本人に指摘をされないと気づかないことがあります。慰問などで訪れた団体さんも最後に「故郷」を歌って締めにしようと一般的な考えになってしまうのですが、かづゑさんのように故郷を追われ、戻ることができない身で聞くと、どんな気持ちになるのか。そこを伝えたかったのだと思います。


―――夫婦の歴史や、かづゑさんの幼少期のこと、ハンセン病についてなど、様々な要素を組み込んでおられますが、編集で注力した点は?

熊谷:8年間撮影していますので、120時間の映像素材がありました。かづゑさんはよくお話される方なので、その言葉を整理するのが大変でした。かづゑさんが話されたことを項目別に整理し、結果的に時系列で編集しました。編集で3時間にまで絞り込んだ頃が一番大変で、これ以上切るところがあるのかと思いましたが、逆にあれだけ話す方が持つ沈黙の重さや、孝行さんとの関係を大事にして入れていきました。

                   


■かづゑさんをカメラで抱きしめている感じ

―――撮影当時90歳を超えていたかづゑさんは自分の老いを自覚したとおっしゃっていましたが、逆にポジティブさを感じました。最後に「ちょっと自惚れさせていただければ、ちゃんと生きたと思う。どうでしょうか?」と聞かれたときの心境は?

熊谷:あの日は珍しくかづゑさんが「今日は納骨堂に行きたい」とおっしゃったんです。納骨堂には戦争中に重労働や食糧事情が悪く、病気で亡くなった子どもたちがたくさん眠っており、日頃はその方々に会いに行かれることが多かったのですが、あの日のかづゑさんは特別考え込んでおられる様子だったので、しばらくひとりで過ごしていただき、こちらは遠くから様子を見ていたんです。すると、「熊谷さん、ちょっとこっちに来て」と呼ばれ、「熊谷さんと話をしていてわかったけれど、そろそろ人生の最終章だと思う」という言葉から、「ちゃんと生きたと思う」と告げられた。そのときはカメラが回っていたので、かづゑさんのことをカメラで見つめ、撮影中ずっとそうであったようにカメラを通して抱きしめている感じでした。あの言葉の重みは、そこにいて直接聞いていたときより、撮った映像を見て繋ぐときにそのすごさを痛感しました。あのシーンをどのように編集で活かすか。それが大事だったと思います。


―――それまでのかづゑさんの人生を観てきた上で語られ、人生の集大成のような言葉でした。こう言える人生を送りたい、送らねばと思わされます。

熊谷:「みんな受け止めて逃げなかった」とおっしゃっていますから。8年間の撮影は長いように思われますが、行くたびにかづゑさんから「できるんよ やろうと思えば」と言われ、勇気や元気をもらう。着地点を決めず、現場にいるのはカメラマン一人のこともあり、最大でも4人のスタッフでそのとき行ける人が長島に行き、お二人の人生を伴走した8年間でした。



■心と体に愛情の貯金が目減りしないままずっとある

―――かづゑさんという一人の女性の生き様に焦点を当てたことが伝わるタイトルがすごくいいですね。英題の”Being Kazue”も力強いです。

熊谷:ハンセン病が背景にあり、かづゑさんという個人の話ではありますが、大変普遍的な話だと思っています。かづゑさんが生き抜くために何が必要だったかといえば、両親や夫の愛情であり、膨大な書物を読み込んで、知恵と知識を得ました。心と体に愛情の貯金が目減りしないままずっとある方なんです。ハンセン病だけではなく、今は虐待を受けていたり、生きづらい人生を送っておられる方がたくさんいらっしゃると思うので、その方々にも通じる話だと思うのです。

            

―――普遍的な話である一方、まだまだハンセン病や元患者の実情を知らないわたしたちへの強烈なカウンターパンチのような面もあります。

熊谷:東京で映画をご覧になった方の感想として、観終わってすごく辛くなるのではないかと観るのを躊躇したというお話もよく聞くのですが、ご覧になると勇気と元気をもらったというお声をたくさんいただきます。

一方、岡山で育ったという方が映画を観にいらしたのですが、小学2年生くらいのときに教師が今日は怖い話をすると前置きをし、“らい病”の話を1時間されたそうです。あの島に行くと空気感染し、鼻や目が落ちるという話だったそうで、それがすごくトラウマだったと。この作品を観て違う想いをいだかれたという感想をいただきました。療養所と同じ地域だと余計に差別が厳しかったと思いますが、逆にかづゑさんが「差別の中の差別」とおっしゃるように、これまでのハンセン病を描いた映像作品では言及されてこなかったことも出てきています。虐待の連鎖も実は本質的なことであり、現代社会の現象と繋がっています。


―――ありがとうございました。この作品のロケーションとなっている療養所のある島も、瀬戸内海の穏やかな風景を捉える一方、かつては容易に行き来できない孤立ぶりを思わせました。

熊谷:実際に訪れると本当に綺麗な場所で、桜が咲く時期も綺麗だし、紅葉も綺麗で自然が豊かなのですが、その場所は隔離するのに適した場所でもありました。美しい場所だけど離れているというところに、島の二面性が現れています。

 1988年に橋が架かりましたが、島と本土側で一番近い場所は、数十メートルしか離れていません。泳ごうと思えば泳げるのだけど、潮の流れが早く、翌朝、漁師の網に遺体が引っかかっていたということもあったそうです。癒される場所でもあると同時に、命を落としやすい場所でもありますが、かづゑさんが「天国でもあり地獄でもあり」とおっしゃったのは、それだけではなく、自分の体験した様々な地獄を、自分自身の足で踏み抜いて、天国に変えていったからだと思います。

(江口由美)




『かづゑ的』(2023年 日本 119分)

監督・プロデューサー:熊谷博子

ナレーション・朗読:斉藤とも子

出演:宮崎かづゑ、宮崎孝行

公式サイト⇒https://www.beingkazue.com/

4月12日(金)より京都シネマ、4月13日(金)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開 

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