バルカン半島の旅で出会った、どこにも所属していないマイノリティに魅力を感じて。 『どこでもない、ここしかない』リム・カーワイ監督インタビュー(前編)

 『新世界の夜明け』『恋するミナミ』のシネマドリフター(映画漂流者)、リム・カーワイ監督がヨーロッパ、バルカン半島を旅し、そこで出会った人たちをキャストに迎え、ドキュメンタリーの手法で作り上げた最新作『どこでもない、ここしかない』が、12月8日(土)よりシネ・ヌーヴォにて公開される。  


スロベニアの首都、リュブリャナでゲストハウスを経営するイスラム教徒のフェルディと妻のヌルダン。夜な夜な外で酒を飲み、女癖の悪いフェルディに愛想を尽かして、家を出て行くヌルダンを、フェルディが追いかけようとするが・・・。トルコ系のルーツを持つ二人が、故郷のマケドニアや、海辺が美しいクロアチアと様々なバルカン半島の国を移動しながら、自分の生き方やアイデンティティ、そして本当の居場所を探すラブストーリーだ。 本作のリム・カーワイ監督にお話を伺った。前編では、バルカン半島に旅をした経緯や、そこで出会った人たち、特に厳格なイスラム教の村で育ったヌルダンの境遇について語っていただいた。  




■ロシア滞在のはずが、ゲストハウスで聞いた人気観光地、クロアチア、スロベニアに惹かれて 

――――今回は今までの日本やアジアから離れ、バルカン半島が舞台になっています。撮影の2年前にバルカン半島を旅したことがきっかけだそうですが、どういう経緯でその地に辿り着いたのですか? 

カーワイ: 元々はロシアに行こうと思っていたのです。前作の北京で製作した商業映画『愛材深秋』の仕事が終わり、ちょうどスケジュールが空いていたので、中国でロシアのビザを取得し、憧れのシベリア鉄道に乗って入国しました。でもそのビザでは1ヶ月しか滞在できず、ロシア西部の都市サンクト・ペテルブルクからフィンランドのヘルシンキまで電車で移動したのです。ロシアでの時間が足りなかったので、ビザを再取得して戻るつもりで、一番ビザが取りやすいというポーランドを目指すことにしました。せっかくここまで来たのなら、チェコのミラン・クンデラは僕の小さい頃愛読していた作家ですし、知り合いもいるのでチェコにも行きたい。そう思いながら宿泊しているゲストハウスで情報交換していると、皆僕が聞いたことのない場所に行っているのです。それがクロアチア、スロベニアでした。特にクロアチアは海や湖が綺麗な、夏になると皆が訪れる観光地で、アメリカの人気テレビドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の舞台にもなっているのだとか。2年前ぐらいからアメリカやイギリスで海外旅行のベストワンになるぐらい大人気だと初めて知りました。 


――――映画を見ると観光地だということがよく分かりますが、そんなに海外での人気が高い場所だったとはしりませんでした。 

カーワイ:バルカン半島のイメージといえば戦争があったというイメージしか僕もなかったので、本当に意外だったのです。もう一つ僕をバルカン半島に向かわせる決定的な事実はマレーシア人が東欧でロシアのビザを申し込むためには保証人、もしくは口座の残高証明が必要だということ。ポーランドまで行ったものの、ロシアへの再入国を断念したのです。それからは、最終的には日本に戻るけれど、東欧をしっかり回ることに決め、まずはチェコ、ウィーン、スロベニアを訪れました。そのスロベニアの首都、リュブリャナのゲストハウスで経営者のフェルディと知り合ったのです。


 ――――映画の主人公フェルディは劇中でもゲストハウスのオーナーとしてその手腕を発揮していましたが、実生活がそうだったんですか。 

カーワイ:本当に親切で観光の名所も教えてくれましたし、夜には映画と同じようにドライブに連れて行ってくれたのですが、僕だけでなく宿に宿泊している単身の女性バックパッカーも誘うんです。一緒に行動しているうちに、フェルディは女好きなんだと分かりました。



 ■女の子を口説くのが上手いフェルディから聞かされたラストエンペラー話

 ――――映画でも相当女好きでした。演技ではなく地でやっていたわけですね。 

カーワイ:お酒を飲みながら、色々面白い話をしたり、カッコをつけたり。ハンサムなタイプではないけれど、女の子を口説くのが上手いなと感心しました。翌日夜もドライブに行ったのですが、また別の女性バックパッカーを誘って、案内するフリをして口説こうとしているんです。二日一緒にドライブして彼のクセが分かりました。 バルカン半島の一帯は、昔はオスマン帝国が支配していたのですが、フェルディ曰く、「昔は全て自分たち先祖の土地で、僕はある王族の末裔、しかも一人しか残っていないラストエンペラーなんだ」と。彼の田舎はマケドニアのゴスティバ(トルコ系マケドニア人が多い地域)なのですが、年に一回山の上で大きな行事があり、トルコの大統領も訪れたことがあると自信満々に話すのです。僕も興味津々でその話を聞いていました。実は彼の作り話であったことは、その後知ることになるのですが。結局その時は、バルカン半島を巡りながら、2年前に日本に戻って来たのです。 


――――旅で出会ったフェルディの印象が強烈だったことが、よく分かりました。そこから映画化を決めて撮影に向かうまでは、どんな経緯があったのですか? 

カーワイ:実は、『新世界の夜明け』『恋するミナミ』に続く、三作目を梅田で撮りたかったのですが、思うように資金が集まらず、17年2月に一旦撮影を諦めました。ただ映画を撮りたいという気持ちが強かった。というのも、前作の『愛材深秋』は中国商業映画だったので予算は潤沢だったのですが、僕のやりたいことはなかなか出来なかったし、興行的にも芳しくなかったので、商業映画で次に作るのは難しい状況だったのです。もう一度自主映画を撮りたいと思った時に、前年の夏に旅行したバルカン半島に戻りたい。そして戻れば映画を撮れるのではないかと漠然と考えました。脚本もない、準備もない、人脈もない。本当に無謀です。ただ、前年の旅行では他にも面白い人たちに知り合っていました。


 ■マイノリティで、バルカン半島の各国に所属していない人たちの話を描きたい

 ――――フェルディたち以外に、どんな人に出会ったのですか? 

カーワイ:バルカン半島は近代ではロシア帝国が支配し、ソ連の崩壊後はユーゴスラビアで紛争が勃発し、諸国が独立した訳ですが、旧ユーゴスラビア時代はロシアの影響が強かった。ユーゴスラビア崩壊後、石油で利益を得たロシア人の金持ちは、クロアチアやモンテネグロの不動産を買い占めていたそうです。そんなロシア人のコミュニティも面白かったですね。またウィーンで芸術を勉強している香港人の留学生もバルカン半島旅行中に出会い、彼女も面白いなと思っていました。退職後、モンテネグロに移住し、ゲストハウスを経営している韓国人の老夫婦にも出会いました。 トルコ系のフェルディも先祖は支配する側だったものが、いまではマイノリティになって、いろいろな制限を受けています。ロシア人もかつては自分たちの国だったけど、今は国民ではない。韓国人老夫婦も、留学生の香港人にしてもマイノリティで、バルカン半島の各国に所属していない。そういう人たちの話が作れるのではないかと思いました。 最初から『No Where, Now Here』(どこでもない、ここしかない)というタイトルは浮かんでいましたし、そういうメンタリティーを持つ人の話を描くつもりでいました。


 ――――俳優ではなく、実在の人をキャスティングするという方法での映画作りを当初から想定していたのですか?

 カーワイ:劇映画ですが、ドキュメンタリースタイルでやることは最初から決めていました。彼らの話だけで面白いし、彼らの実環境を活かして撮影し、それをまとめると一本の映画になるのではないか。ドキュメンタリーは短編しか撮ったことがなかったのですが、それなら最少人数のスタッフで撮影ができるし、それぐらいの予算なら調達できる。それでこの夏、2ヶ月かけて未知のバルカン半島で映画を一緒に撮る仲間を募ったところ、スタッフも無事確保できたので、まず僕が先に現地に入り、まずは撮影許可を得ようしました。その時、先ほどのロシア人や韓国人、香港人にも皆撮影をお願いしたのですが、最終的に撮影OK を出してくれたのがスロベニアのフェルディだけだったんです。  

――――ヌルダンとは、その時が初対面だったのですか? 

カーワイ:僕がフェルディと再会する3ヶ月前に、ヌルダンと結婚したそうです。僕は前回の訪問でフェルディの女好きという本性を知っているし、フェルディはイスラム教徒だけれど、夜にお酒を飲みに行くと、はっぱもやる訳です。夜中に帰宅したフェルディは酒臭いはずで、ヌルダンがそれに気づかないはずはないのだけれど、ヌルダンに聞くと「フェルディはそんなことはやっていない」と言うのです。宗教上やってはいけないことなので、知っていても人前では言わない。建前を貫こうとします。  



■保守的なイスラム教の村出身のヌルダンが感じた都会の自由と、抜け出せない依存 

――――夫をたてるというしきたりを守っている地域のようにも映りました。

カーワイ:二人の出身地であるマケドニアの村、ゴスティバは夫に従うことが伝統的となっていて、妻は経済的にも夫に依存せざるを得ない状況です。ヌルダンはずっとマケドニアで暮らし、結婚して初めてスロベニアのリュブリャナにやってきました。同じバルカン半島の旧ユーゴスラビアでも、スロベニアは一番ヨーロッパに近いので解放的です。一方、マケドニアの、しかもトルコ人が多い村は保守的です。ゴスティバは、女性は昼間、外に出てもいけないし、親の手伝いをするぐらいで他の仕事をしてもいけない。本当に自由がないんです。それに比べると、リュブリャナではもちろん外に出ることはできるし、働くことだってできる。ヌルダンにすれば、とても楽しいんです。


 ――――映画でヌルダンは、夫のフェルディが経営するゲストハウスの受付などの仕事をしていますが、それでもいつも家で帰らぬ夫を待っている姿が痛々しかったです。 

カーワイ:フェルディが女好きだとか、お酒を飲んでいることも分かっているけれど、自由を手にしていることを思えば、ヌルダンは我慢するしかない。また、仕事をしているとはいえ、手伝っているだけなので、経済的には彼に依存している。結局夫の言うことを聞くしかない訳です。マレーシアもイスラム教の国ですが、比較的解放的ですから、こんなに夫に厳密に従うイスラムの女性はそんなにいません。だから妻が夫の行動を見て見ぬ振りをして、自分を納得させているという夫婦の関係性がとても興味深かったし、映画になると思いました。  


■マケドニアのマトカ渓谷のカフェで目にした光景から、ファーストシーンとストーリーが浮かぶ 

――――フェルディ夫婦の関係性に着目した他、映画として取り上げたいと思ったことは? 

カーワイ:マケドニアのゴスティバで初めてロケハンした時に、フェルディが王族の末裔であるという話が大ボラだと分かりました。実はそこの男たちはみんな同じようなほら話をして人を喜ばせたり、女の子にモテたいがために作り話をするということも分かったのです。そんな村の男たちも描きたかったですね。後は、マケドニアのマトカ渓谷のカフェを訪れた時に、まさにオープニングシーンと同じように渓谷沿いの席で二人の客が椅子を3つぐらい挟んで左右に座っていて。後ろから座りながらその風景を見ていると、女好きのフェルディが、反対側に座っているヌルダンに、1席ずつ近づいて口説こうとする姿が目に浮かびました。脚本はないけれど、夫婦の話で女が逃げ出し、男が追いかけて取り戻す話にしようと、そこで決めたんです。

(江口由美)


「ルーツへの思いがあれば、どこに住んでも変わらない」 『どこでもない、ここしかない』リム・カーワイ監督インタビュー(後編)はコチラ