「ルーツへの思いがあれば、どこに住んでも変わらない」 『どこでもない、ここしかない』リム・カーワイ監督インタビュー(後編)


リム・カーワイ監督インタビュー(後編)は、『どこでもない、ここしかない』を撮影して感じた主人公たちと共通するルーツへの思いや、バルカン半島三部作の構想について語っていただいた内容をご紹介したい。



■リアルな夫婦の会話、ビジネスシーン。狙って撮ったマケドニアの結婚式は昔ながらの男女別々

――――脚本がないながらも、二人の日常生活や、二人の両親など周りの人の様子も細やかに映していましたが、撮影ではどんなことを重点的に撮っていったのですか? 

カーワイ:二人の日常生活やフェルディの実際に行っているビジネスの映像を撮りながら、徐々に話の展開を作って行きます。前半のヌルダンとの夫婦の会話や、フェルディがビジネスの契約をするシーンは全てリアルなものです。後半のマケドニアのシーンはほとんどフィクションです。ただ、結婚式のシーンは親戚の結婚式に出席すると聞いていたので、それを絶対に撮影しようと思っていました。また、スロベニアからマケドニアへは内陸ルートと海岸ルートの2種類あるのですが、クロアチア方面の長い海沿いのルートの方が二人の若い頃の回想シーンを撮れると思い、2日間かけて撮影、そのままマケドニアで撮影に行ったり、足りない部分を撮りなおすため、リュブリャナに戻ったりして、最終的には5週間で撮影を終えました。 


――――本当にバルカン半島を行き来して、動きに動いての撮影ですね。結婚式と言えば、男だけが集まっていたのに驚きました。 

カーワイ:宗教上の理由です。ゴスティバでは男女別々で結婚式を行うそうで、女性だけの披露宴は撮影させてもらえなかったのですが、皆が花嫁本人と見間違うぐらいにドレスアップをするのです。ヌルダンもウエディングドレスのような格好をしている様子が映っていますが、そういう事情があることは映画的になかなか説明しづらいですね。  


――――結婚式の後、ある事情から2日間でフェルディが石造りの壁を完成させるシーンも現地ならではという気がしましたが。 

カーワイ:現地に着いてから思いついたアイデアです。映画では地元の男たちを集めてフェルディが陣頭指揮を取って作っていますが、実際には3人のアルバニア人の職人を雇って、5日間かけて作ってもらいました。石を買うのにお金がかかるし、結構大掛かりでしたね。 


■華僑の自分とトルコ系のフェルディは同じメンタリティを持っている 

――――夫婦の会話に、所々トルコ語が混ざっていましたが、これもトルコをルーツに持つ二人を象徴していますね。 

カーワイ:僕がフェルディに惹かれた一番大きな理由かもしれません。僕自身、マレーシア人だけど、マレーシア語は学校で勉強したぐらいしか喋れません。華僑なので家庭での共通語は広東語やマンダリンなのです。フェルディたちもスロベニア語やマケドニア語は学校で勉強したもので、生まれつき親戚たちとはトルコ語で話している訳です。だからビジネス上は英語やスロベニア語を使っても、彼らが見ているドラマや歌っている歌はほとんどトルコ本国のテレビドラマだったり、トルコの歌です。僕も小さい頃から香港、台湾のテレビドラマや映画、音楽を見たり、聞いたりして育ってきました。だから、フェルディたちとメンタリティがとても似ているんです。  


――――フェルディたちはルーツに対する強い思いがあり、文化面、言語面で強い影響を受けて生活していることが改めてよくわかります。 

カーワイ:マレーシアにいる華僑は、中国に対する思いが強く、今中国の経済が強くなっていることを喜び、中国で仕事をしたり、中国に対する誇りを持っています。フェルディたちもトルコ本国やイスタンブールは憧れの場所で、そこで出店したいと思っている訳です。逆に言えば、マケドニアやスロベニアなどがどうなっているかは全く興味がないのが面白いですね。特にヌルダンがイスタンブールに行こうとするのは、イスタンブールはオープンで、女性が学ぶこともできれば、仕事もでき、キャリアウーマンになるのも夢ではない。より自由を手にできるという点が大きいのではないかと思います。



■ルーツへの思いがあれば、どこに住んでも変わらない 

――――リムさん自身の生き方がボーダレスなので、ボーダレスな映画が撮れるのではないかと感じます。そのような生き方を選んだ理由は? 

カーワイ:生まれ育った場所を持ちながら、ルーツを持っている国に対して憧れを持ち、大事にしている。その思いがあれば、どこに行っても、どこで住んでも変わらないのではないか。自分とルーツを切り離すことはできません。むしろマレーシアの華僑は中国の旧正月を本国以上に盛大にお祝いします。中国は文化大革命で一旦、そのような行事ごとを捨ててしまいましたから。トルコの場合も同様で、現在のトルコ都心部では、この映画のトルコ系の村で出てきたような結婚式はもうないと思います。フェルディが田舎に帰った時、男たちが集まってきましたが、そういう男のコミュニティも中国人と似ています。  


――――それはどこの国でも変わらない「男の友情」なのですか? 

カーワイ:タイやインド、ラオスなど田舎に行くとどこでもそうじゃないでしょうか。僕もそうですが、田舎に戻って何かしようとすると、すぐに友達を集められるんですよ。男の友情とも言えるし、実際みんなやることがなくて暇なんです(笑)。日頃のんびりしているから、何かイベントをする時、興奮するんですよ。都会で色々見識を広げてから、田舎に戻ると、皆が集まってきます。そういう部分もフェルディたちと似てますね。国家や政治は関係なく、ルーツや絆を大切にしている。バルカン半島は遠く離れて未知な場所でしたが、僕は本当に親しみを感じています。 


――――確かに、バルカン半島の諸国は多民族国家ですし、映画を見ていても、皆軽々と移動をしている印象があります。 

カーワイ:最初は景色が綺麗だし、もう一度戻って映画を撮りたいという気持ちだけで戻ったのですが、今年もう一本分撮り、来年またもう一度撮影して三部作にしようと思っています。


■バルカン半島三部作で伝えたいのは「バルカン半島もアジアも変わらない」

 ――――バルカン半島三部作、いいですね。二作目もフェルディが主人公ですか? 

カーワイ:今年撮ったのは『いつか、どこかで』“Somewhen,Somewhere”というタイトルで、 アジアの女性がバルカン半島をバックパッカーしている間に、現地の人々との非日常的な出会いを描いた作品です。第一部と全く関連を持たない作品なので、フェルディは登場しませんが、来年撮影を予定している三作目はフェルディが脇役で登場するかもしれません。メインは彼の田舎の若者で、今回石の壁を作るシーンで、一緒に作った何人かの若者です。『どこでもない、ここしかない』を撮って気付いたのですが。村の男たちはのんびりとしていて、仕事がない。若いのに学校にも行けず、どうすればいいのかと言えば出稼ぎをするしかない訳です。ただ、近所は貧しい国ばかりなので、ドイツかイスタンブールに行くのです。半年ぐらい出稼ぎで仕事をして、お金が貯まると戻ってくるのですが、それでまた仕事をしなくなる。そんな出稼ぎの男たちの映画を考えています。この三部作を見ると、バルカン半島は一見複雑に思われるけれど、実は我々東南アジアとそんなに変わらない。人間的にも宗教や国の違いはあっても、そんなに変わらないというのが一つの大きなテーマだと思っています。


 ――――三部作の最初となる『どこでもない、ここしかない』は、まずバルカン半島の人々の暮らしぶりを知ってもらう。バルカン半島に触れる編という感じですね。 

カーワイ:日本に入ってくるユーゴスラビアの映画は戦争に関する映画が多く、もう平和になっているのに違和感を覚えていましたので、普通の生活を見て欲しいという思いがあります。後は、僕は現地の人ではないので、彼らがいま抱えている政治、歴史、社会問題を撮れないし、撮っても嘘に見えてしまいます。逆に僕の視点は向こうでは新鮮に映るでしょうし、バルカン半島のことを知る人が少ないので、自分の視点で映画を撮るのが一番ではないかと思うのです。本当にバルカン半島でも、どこでも変わらないですよ。まさに『どこでもない、ここしかない』です。  

(江口由美)


バルカン半島の旅で出会った、どこにも所属していないマイノリティに魅力を感じて。 『どこでもない、ここしかない』リム・カーワイ監督インタビュー(前編)はコチラ




『どこでもない、ここしかない』“No Where, Now Here” 

(2018年 スロベニア/マケドニア/マレーシア/日本 90分)  

監督・脚本:リム・カーワイ 

出演:フェルディ・ルッビジ、ヌーダン・ルッビジダン、アンニャ・チルミッスイ、アウグストゥス・クルースニック他 

2018年12月8日(土)~シネ・ヌーヴォ他全国順次公開 

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