「キャラクタライズされた毒婦というイメージではない姿を見てもらいたい」 和歌山毒物カレー事件の真相を検証した『マミー』二村真弘監督インタビュー


 1998年7月に発生し、2009年5月、最高裁で林眞須美の死刑が確定した和歌山毒物カレー事件の真相を検証するドキュメンタリー映画『マミー』が、2024年8月3日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館他、全国順次公開される。

 一貫して毒物カレー事件の無実を訴え続ける林眞須美について、夫や長男、関係者へのインタビューを通して毒物カレー事件と保険金詐欺事件との関係を考察していく。当時のマスコミの取材や、目撃証言と裁判で提出された証拠の矛盾点にも肉薄すると同時に、林眞須美が家族に書き続けた手紙より、彼女の心の声も映し出される。メディアが報道してこなかった本事件の冤罪の可能性について切り込んだ勇気あるドキュメンタリーだ。

本作の二村真弘監督にお話を伺った。



■2019年、林眞須美死刑囚の長男の書籍とトークで知る冤罪の可能性

―――1998年7月に和歌山毒物カレー事件が起きた当時、二村監督の事件に対する関心度は高かったのですか?

二村:事件発生当時は日本映画学校(現日本映画大学)の学生で、犯罪者の心理に漠然とした興味を抱いていたころでした。和歌山毒物カレー事件が起きた当時は、まず誰がやったことなのか推察することからはじまり、報道が近所に住む林眞須美が容疑者ではないかと断定しはじめた経緯もずっと関心を持って追いかけていました。僕自身が当時題材を探していたので、事件の報道や、そこから受けた印象も強く残っています。

 特によく覚えているのが、林眞須美が夫にもヒ素を盛り、保険金詐欺を働いたという報道が出てきたことで、そこまでやる人間なら、事件の犯人であってもおかしくないと強く思っていました。そこで僕の中で、事件に対する関心が途切れてしまったのです。


―――なるほど。そこで終わらずに、再びこの事件に向き合うきっかけになった出来事があったのですか?

二村:2019年に林眞須美の長男が死刑囚の家族としての自身の体験を綴った書籍「もう逃げない。~いままで黙っていた『家族』のこと~」を出版し、そのトークイベントが行われたんです。あの林眞須美の長男に会ってみたいというシンプルな動機から参加したのですが、その前に書籍を読むと、自身に向けられた壮絶ないじめのほかに、母の冤罪の可能性を書いていたのです。トークでも冤罪の可能性に触れていましたが、わたしの中では身内だから無罪を信じたいのだろうという印象でした。



■判決への疑問を検証するのはメディアの役割

―――死刑判決が下っている事件ですが、長男が主張する冤罪の可能性に目を向けるに至った理由は?

二村:トークイベントにはテレビ番組の取材が入っており、冤罪の可能性があることを検証するような番組を作りたいので撮影させてもらっているという説明を受けたのです。僕自身、テレビ業界に身を置いているので、その検証番組のオンエアがなくなったことを知り、長男に事情を聞いてみたのです。そこで明かされたのは「死刑判決が確定している事件において、冤罪の可能性を検証する番組はテレビ局としてオンエアできないと、上層部からストップがかかった」という事実でした。トークイベントに参加してから、僕自身も林眞須美の弁護団がどのような内容で再審請求をしているのかを少しずつ調べていたので、冤罪の可能性というのが、とんでもないこじつけではなく、判決自体に瑕疵があったのではないかと疑問を持ち始めていたんです。判決に疑問があるなら、それを検証するのはメディアの役割ではないかと思い、その一端にいる人間として、今まで取り上げられなかったこんな情報があることを関係者取材から明らかにしたい。疑惑について自分なりに取材をしていきたいと思い、動き始めました。


―――死刑判決の出た連続殺人事件の真相を追うテレビ業界を舞台にしたドラマ「エルピス —希望、あるいは災い—」でも同様の問題が描かれましたが、やはり、どのテレビ局でも取り扱うのは難しいですか?

二村:僕もテレビの番組を作っているので、オンエアが難しいという肌感はありましたし、理解はできるのですが、一方でその状況にずっと違和感を覚えていたんです。


―――そこにコロナ禍も襲いかかってきたと?

二村:そうです。加えて現代はテレビ番組に限らず、様々な表現方法が生まれてきたので、コロナ禍で仕事がなくなり、自由な時間ができたことから、この時間を生かしてできる限り和歌山毒物カレー事件の取材をしてみようと思いました。


―――和歌山毒物カレー事件から20年以上経っていますが、現地で事件のことを取材してみての反応はいかがでしたか?

二村:自分の中では2009年に死刑判決が出ている20年以上前の事件なので、もう終わった話という反応かと思っていたのですが、実際にヒ素中毒の被害に遭ったご家族がいらっしゃる方や、地域にお住いの方にお話を聞くと、いまだに再審請求が出されていることもあり、過去のこととは捉えておられないのです。林眞須美がなぜ事件を起こしたのかという動機が解明されていないことが、事件が起きた地域の人たちに大きな影を落としていることが見えてきました。被害者の会の方も映画で語っておられますが、なぜ我々はこんな辛い目に遭わされたのかを問いたいけれど、その答えが出ていないんです。裁判の中でも明らかになっておらず、いまだに事件を引きずっておられるというのが、わたし自身の取材時の印象でした。取材の時点では冤罪かどうかわからないので、「事件のことがわからないので、一からお話を聞きたい」というスタンスで取材に挑んだのですが、いまもモヤモヤしておられる方々にとっても、今回の取材は意味があるのではないかと思いながら取り組んでいました。



■林父子を目撃者、証言者のひとりとして一から取材

―――動機がわからないというのは、被害に遭われた方にとってとても辛い状況ですね。そのモヤモヤも可視化された気がします。本作では書籍やSNSで冤罪の可能性を発信してきた長男がある意味主役と言えますが、映画に出演することは実際相当ハードルが高かったと思います。出演への経緯や撮影する中での距離感の取り方について教えてください。

二村:夫の健治さんとはアプローチの段階から、「わたしは事件が冤罪であるかどうかはわからないけれど、虚心坦懐で一から取材をしたい」と打ち明けて話を始めました。長男は本の出版以降様々な媒体から取材を受けているのですが、その取り上げ方が“死刑囚の息子の大変な半生を描く”という内容に終始していた。実際、長男は取材のたびに冤罪の可能性についても話をしていたのですが、そこだけ必ずカットされてしまうそうです。健治さんも同様で、彼が犯した保険金詐欺の話は、ある種面白おかしく取材されることはあっても、カレー事件の裁判では被害者になっています。彼が主導的に保険金詐欺を行っていたことは裁判にとってはマイナスの情報ですが、そこには触れず、彼のやっていた詐欺話が語られることにある種の不満を感じていらっしゃいました。

被写体との距離感についても長男はあくまでも事件の目撃者のひとりであり、健治さんはカレー事件に至るきっかけとなった保険金詐欺の被害者とされていますが、自ら実行したと主張している証言者のひとりとして取材をしようと決めていましたし、ふたりともそういう趣旨であれば、ぜひ協力させていただくとおっしゃっていただきました。


―――コロナ禍で二村監督が立ち上げたYouTubeチャンネル「digTV」でも和歌山毒物カレー事件関係者の取材を配信されています。中には当時目撃証言をしながら、裁判では証言できなかった少年も登場していますね。

二村:当時警察は目撃者のひとりとして、その少年の供述調書を取っています。実はそこに書かれていることが、実際の裁判で語られていることが明らかに矛盾していることがわかりました。警察が証人として呼ばなかった理由も、いろいろ推測ができますし、少年が見たことがある種隠されているとも思えるので、そこも含めて検証すべきだと思っています。digTVの取材の中で得た情報を総合的にまとめたのが、映画という位置付けで、再取材や科学鑑定では新たに取材を重ねています。


■鑑定そのものより、その見方や扱い方が問題

―――科学鑑定に疑問を抱き、新たに取材を進めているのも、長男が主張する冤罪の証明に近づくのではないかと思いますが。

二村:林眞須美の弁護団による再審請求の中で、科学鑑定の不備を問う新証拠が提出されていたので、実際に話を聞いて行く中で、鑑定自体のおかしさだけでなく、そもそも鑑定しているヒ素が林家のものだけに限られていることから、林眞須美が犯人であることを前提に、それを証明する手立てとして行なったものであることがわかってきました。わたしは当初の裁判で鑑定を行った方に問題があるのではなく、むしろ鑑定の使い方や事実認定の仕方に問題があると思っています。本件では相当恣意的に鑑定を使っており、ほかの冤罪事件をみても、鑑定そのものというより、その見方や扱い方が問題なのではないでしょうか。



■母としての林眞須美の姿が見える手紙

―――本作では林眞須美が家族に宛てて書いた膨大な手紙の中からピックアップした箇所がナレーションで語られますが、どの点にポイントを置いて抽出したのですか?

二村:林眞須美イコール毒婦とか、太々しい女というパブリックイメージが一般的にも浸透し、わたし自身もそう思っていたせいで、裁判の理不尽さが見えにくくなっていることに取材をしていて気づきました。実際の彼女は4人の子どもの母親であり、その面を見ずに保険金詐欺をしていたとか悪い面だけ見て、彼女のことを判断すると同じ間違いを繰り返す恐れがあります。これまでのイメージとは違う、母としての彼女の姿が見える部分や、彼女のユーモアのあるパーソナリティーが浮かび上がる部分を抽出したいという思いがありました。キャラクタライズされた毒婦というイメージではなく、彼女の母としての一面を感じていただけるのではないでしょうか。


―――プレス資料を拝見すると、林眞須美は裁判にて虚偽の証言をしたと夫をはじめ、複数人物に提訴しています。実際に映画ではそのような彼女の行動には一切触れず、さきほどの手紙の内容だけにとどめていますが、そのような構成にした理由は?

二村:この作品はあくまでカレー事件における裁判の認定がおかしいのではないか、かなり恣意的な判決が下されたのではないかを問うことを目的にしています。そこに必要であれば入れたと思いますが、情緒的な内容を入れすぎると事実が隠れてしまう危惧がありますので、裁判や事件のイメージと、実際に起きていることを対比して描くことにフォーカスしました。



―――おっしゃる通り、取材を積み重ね、観客の感情を煽らずに、丁寧に検証していく内容で、観客もじっくりと判断できる余白があります。編集や音楽をつける上で、留意したことは?

二村:事件発生後の報道や一方的な描き方により、林眞須美に事件のイメージを植え付けたことが原因で見込み捜査的なことが行われたり、裁判の中でもそのイメージに引っ張られていると感じたことがありました。映画を作る上でも、新しいイメージを植え付けることで、ご覧になるみなさんの判断を見誤らせたりしないように注意を払いました。


―――和歌山駅前で世間の声の代表のように堂々と語って下さった一般の方と、冤罪を主張する会の人が口論になるシーンはインパクトがありましたね。

二村:大多数の方のご意見を語ってくださっているのですが、冤罪を主張する側の話を立ち止まって聞いてくださったことは素晴らしいし、大切なことだと思います。ほとんどが無反応ですから。


―――確かにそうですね。ちなみに『マミー』というタイトルについて、長男の母を思う気持ちが根っこにあるのかなと捉えているのですが。

二村:長男目線での意味もありますが、わたしからのメッセージとしては今までの毒婦というイメージではない彼女の姿をタイトルにこめています。和歌山毒物カレー事件の映画ではありますが、いわば、今までとは違う彼女の姿を見てもらいたいという表明ですね。

(江口由美)


<作品情報>

『マミー』(2024年 日本 119分)

監督:二村真弘

プロデューサー:石川朋子 植山英美(ARTicle Films)

配給:東風

2024年8月3日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館他、全国順次公開

公式サイト⇒https://mommy-movie.jp/

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