「僕の映画というよりは、写真家としての石川真生の生き様、心に課したモットーの表現」 『オキナワより愛を込めて』砂入博史監督インタビュー


 沖縄を拠点に活動し、土門拳賞や芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞した写真家・石川真生が自作と沖縄を語るドキュメンタリー映画『オキナワより愛を込めて』が、2024年9月7日(土)より第七藝術劇場、元町映画館、20日(金)より京都シネマ他全国順次公開される。

 監督は、アメリカ・ニューヨークを拠点に創作活動を行い、大学でも教鞭をとる砂入博史。沖縄に生まれ育った石川が、1970年代から黒人米兵を撮るようになったきっかけや彼らとの生活、当時一緒に働いていた女性たちとのエピソードを彼女が撮った写真を見ながら振り返り、沖縄への想いや、女性たちの生き様を蘇らせる。また、被写体となった石川が、大病後の自身の体をカメラの前で見せ、写真家としての覚悟や、自らの死に方についても語っていく。複雑な沖縄の歴史を前に、一人ひとりの人間に目を向けることで、そこに愛があると言い切る石川の人間力や彼女の写真は、暗闇の中に灯る一筋の光のような力強さを与えることだろう。インパクトのある編集や、余韻の残る音楽にも注目してほしい。

 本作の砂入博史監督にお話を伺った。



■アメリカへの憧れと映像作家に転身するきっかけ

―――砂入監督は広島ご出身で、高校卒業後アメリカに留学しておられますね。他地域以上に原爆体験の共有や平和教育などが教育としてもしっかり行われていたでしょうし、アメリカに対して複雑な想いがあったのではないかと想像したのですが。

砂入:『スタンド・バイ・ミー』を観たときに、アメリカの田舎っていいなと感動し、高校卒業後に留学しました。小学時代から「はだしのゲン」が全クラスにありましたし、子どものときに対馬丸も見ましたし、被爆体験を題材にした演劇鑑賞など、さまざまな平和教育が月に一度はありましたが、僕はなぜかアメリカに対する敵対心は抱かなかったのです。

 アメリカで活動をしながら、広島に戻ったときに被爆者の方にインタビューを行う機会があり、僕は「(アメリカが)憎くなかったですか?」と質問したんです。すると、「終戦と同時にアメリカ製洗濯機や車や、魅力的に映る主婦のイメージが焼き付いていて、やっと自分たちの生活が新しい方向に向かうと思ったし、憎むどころか、そういう生活をしたいと思った」とおっしゃり、メディアでは表立って出てこない声ですが、その気持ちが理解できると思いました。


―――アメリカに留学してからはどこで、どんなことを学んだのですか?

砂入:最初にユタ州に行きました。砂漠地域で、遠くに山があり、緑がポツリポツリとあるぐらいですごくきれいな場所です。ホームステイをしたのですが、羊を200匹ぐらい飼っている酪農一家でしたが、毎日夕方には写真のように美しかったです。地域のコミュニティーカレッジ(2年制)に2学期間だけ通い、ワシントン州、ニューヨーク州とどんどん移っていき、大学では現代美術を学びました。


―――映像ではなかったんですね?

砂入:僕は現在美術作家としてニューヨークでデビューしました。初期はパフォーマンスや写真で、彫刻にシフトしていき、作品もどんどん大きくなっていったんです。当時、広島の原爆について広島市現代美術館で展覧会を行ったのですが、ゾウが西洋では記憶の象徴と捉えられていることから、ゾウの形をした記憶を作品にしようと思い、ゾウを探してインドを旅行しました。


―――作品のために、ゾウを探してインドへ行かれたと?

砂入:現地に着いてから、とにかくゾウに出会える場所を尋ね、言われたところへ行ってみて、また尋ねるというスタイルでした。インドは初めてだったので、アメリカにずっといたこともあり、よりファンキーな国だと感じました。めちゃくちゃなことが起こりうる状況でしたし、携帯のない時代だったのでプリントアウトした地図を片手に、ある男性に道を聞くと、連れて行ってくれる際、初対面なのに手を掴まれて内心驚いたんです。アメリカだとそんなにパーソナルな部分(手)を初対面で掴まれるのはありえないのですが、インドで男性同士が手を繋ぐのは、友愛の証だそうです。ひょっとしてお金が目当てなのかもと邪推したのですが、最後は「Have a good time!(よい旅を!)」と言って、さっと去って行かれたので、まるでそよ風を体に受けたような気持ちになりました。インドに来た実感を得ましたね。


―――アメリカ的な考えは捨てようと(笑)

砂入:サファリでは象はシーズンオフで見られないと断わられたので、金銭交渉をして、最終的には象を洗ったり世話をする場所に連れて行ってもらいました。象の絵をすぐに描いて係員の人に渡したら「もっと描いて」と喜ばれ、本当にたくさん描いたりもしました。そんなインドでの日々を過ごすうちに、これはビデオカメラを持参していて、僕の体験を撮影していれば、とてもおもしろいドキュメンタリーができるのではないかと思ったんです。具体的には2012年から映像を中心に活動するようになりました。



■石川真生の写真の魅力と、彼女が撮った70年代のムーヴメント

―――写真家時代は、どんな写真を撮っていたのですか?

砂入:僕の初期の写真は、自分の裸をエロチックに撮った自分のポートレイトでした。90年代のアメリカ国内では、西洋の文脈においてアジア人男性の体が表象されておらず、アメリカ国内ではアジア人男性における男性性(マスキュリニティ)がすごく弱いと感じていたので、それを題材にしようと思ったのです。だから、石川さんがエロスを扱っているのは僕もすごく理解できる部分ですし、どこの時代、国、でも、どうやって裸を見せるかはそこの文化を知るための大きな鍵になります。


―――わたしは石川さんの女性たちの裸の写真を見て、「わたしたちは自由だ」と叫んでいるような、女性たちの生命力を感じました。

砂入:真生さんが彼女たちを撮ったのが70年代だったということも影響しているでしょう。フリーラブ全盛期で性に対してオープンだったし、裸をいやらしいものではなく美しいものとして見るという考え方があり、ヒッピー文化があった時代ですね。いろいろな形の性器があっていいとか、毛の生え方があっていいというように全てを受け入れる土壌があったからこそ、他人の目の前で裸になることは、クールなことだったのだと思います。


―――ちなみに、石川さんの写真に出会ったのはいつ頃ですか?

砂入: 2015年にグループ展で初めてお会いし、そこで米軍基地の記録写真を見たのが、真生さんとの出会いでした。だから彼女の沖縄や政治に対する意見はSNSを通じて見ていたのですが、キャリアの全体像は知らなかったのです。アメリカのSESSION PRESSが2017年に真生さんの写真集(復刻版)「赤花 アカバナー、沖縄の女」を刊行したのを手にし、はじめて女性たちの素晴らしい写真を見ることができました。本当に衝撃を受けましたね。



■「この写真は闘いではなく、愛だ」

―――特にどんな部分に衝撃を受けたのですか?

砂入:とにかく写真が美しいし、森山大道のように白黒の粒子が粗くて、コントラストの強い、当時ニューヨークで人気のあった写真という文脈もありました。地域の文化、しかもおもしろいところが垣間見える作品はよくニューヨークで紹介されるのですが、真生さんの写真を見たときに、とにかくカッコいいファッション性や、アフロの沖縄人女性のイメージも強烈に焼き付きました。アメリカの写真かなと思うぐらい、黒人が身近にいるので、沖縄の歴史でもあり日本の歴史でもあると同時に、アメリカの歴史を映し出している。米軍兵士たちが、自国の外で、どのような形で生きているのかの記録でもあり、文化的にも非常に貴重だと思ったのです。

 ニューヨーク大学のシンポジウムで、東アジア研究が専門の助教授の方が、真生さんの写真を提示しながら「これは沖縄の女性の闘いである」とおっしゃったのですが、その場にいた真生さんが、みんなの前ですごく怒るという出来事があったんです。一つは、自分の写真を無断で使用し、語り、政治化したことに対して。もう一つはこの写真は闘いではなく、愛だということ。


―――映画でも言及されていますが、石川さんがその場で「愛だ」と宣言されたんですね。

砂入:自分の写真を勝手に、間違われた形で表象されたことに対しての怒りの現場に僕もいたのですが、その姿がすごくカッコよかった。一方その助教授の方は、結果的に政治やセオリーを自己主張の武器にする自己中心的なタイプで、アメリカのアカデミー界にそういう人が非常に多いんです。真生さんはその場で1945年から1972年までの沖縄での米軍の性犯罪の歴史や、それに対する怒り、その米軍を沖縄に起き続けている日本は何なのかを語り切りました。彼女はそんな中で青春時代を過ごしていたし、当時は左翼の男性と付き合っておられたそうなので、そういう意味でも政治が身近にあったと思います。



■黒人をカテゴリー化せず、自分で彼らを知り、自分の言葉で話す

―――そこから、写真家として撮りたい被写体に迫るべく、米兵が通う地区のバーで働き始めるところに、石川さんのカメラマンとしての強い姿勢を感じます。

砂入:最初は黒人が全員同じに見えたと語っておられますが、時間をかけて彼ら一人ひとりと過ごすうちに、いい人もいれば、好きだけどタイプじゃないとか、好きだったのに騙されたとか、一人ひとりの人間として知っていくということをお話されたのが非常に印象深かったんです。当時は黒人に対する暴力や差別の撤廃を訴えるBlack Lives Matter運動がアメリカでは盛んで、社会の中でもかなり緊張感がありました。アカデミアン(大学教育者)の中でも非常に慎重に言葉を選んで発言しなければ、すぐに炎上してしまうリスクがあった時代でした。どうしてもアカデミアンは黒人のことをカテゴリーとしてしか喋らないけれど、真生さんは正直に自分の言葉で話すし、結果的に彼らを知っていくわけです。困惑していた僕の中の疑問が、スパッと開けたような気持ちになり、そこで真生さんの話をぜひアメリカ人に聞かせたいと思い、映画化を構想しはじめました。もともと、黒人のレイシズムについて言及した映画を作る予定でしたが、石川真生を追いかけているうちに、沖縄が目の前に現れてくる感じだったんです。


―――なるほど、石川さんにフォーカスすると、自然と沖縄という主題に向き合うことになったんですね。本作は全編に渡って「愛」が溢れていますし、編集もかなり緩急をつけておられますが、それらの狙いを教えてください。

砂入:よく、ドキュメンタリーは見入ってしまうシーンもあれば、眠くなるシーンもあるのですが、結果的に後につながっていかないものは排除しながら、一つのことを語る単位として小さなチャプターを作りました。その中でも真生さんはとてもたくさん話されるので、途中で観客が飽きないように、いろいろなところで驚きを作り、再び作品に集中できるようにしています。物事が終わっていなくても、ジャンプカットして他の場所に観客を誘ったり、ここは何に言及しているのかを文脈でわかるようにしました。常に動きを作ることで、観客がアクティブに作品と向き合えることを目指しました。


―――石川さんの写真の力強さに、その当時の彼女自身のお話が加わると、非常にリアルに当時の様子が浮かび上がってきますね。その時代のグルーヴ感も伝わりました。恥ずかしながら沖縄駐在の米軍兵たちの遊ぶ場所が白人街、黒人街と分かれていることを初めて知りました。今のアメリカではどんな状況なのですか?

砂入:現在は白人と黒人の区別なく、どんな場所でも使えるようになっているし、そういう差別をしてはいけないことになっていますが、ニューヨークは細分化されているので、ハーレムは主に黒人が住んでいるとか、ブルックリンのある地域は黒人がたくさんいて、黒人バーではないけれど、地元のバーということで集っている。だから、差別はしないという建前ですが、実際は分けられている部分があります。ニューヨークが人種のるつぼとしてうまくやっていけているのは、さまざまなコミュニティが分かれて生活をしているから。職場ではそういうことはありませんが、それでもランチのときは同じ人種の人と一緒に出かけたりしていますし。



■石川真生の写真家としての生き様が映るシーン

―――あと忘れがたいのが、ご自身の体を撮ってもらっているシーンです。どちらから話をもちかけたのですか?

砂入:真生さんから、「(わたしの裸を)撮りたいか?」と聞かれたました。あの映像記録は、今まで僕が撮ってきた映像の中でも、すごくパーソナルな歴史になったと思うし、作品の幅が広がり、記録としての素晴らしさを与えてもらったと感じます。


―――石川さんご自身も、自分が裸をカメラでずっと撮影してきたので、ご自身がそこをさらけ出さないことに抵抗を感じておられたそうですね。

砂入:その葛藤はずっとあったと思います。「わたしは他人のプライバシーを撮ったのだから、わたしが(裸になるかを)聞かれたら断らないよ」と映画でも語っておられますが、きっと今までも写真を撮っている中でプライバシーの問題や、実は撮られたくなかったなど、さまざまな人がいたと思うんです。その中でずっと考え抜いてきたことなのだと思うし、彼女自身もいつかはこれをやろうと思っていたところに、僕が現れた。

 それこそある朝、真生さんから電話がかかってきて、何をやりたいのかと聞かれたので、「沖縄人として、写真家として、女性としての生き様を撮りたいんです」とお話すると、

「シャワーを浴びて、傷口を手当てするから、それを一切撮っていいよ」と言っていただいたのです。


―――石川さんの覚悟を目の当たりにしました。

砂入:あのシーンは僕の映画というよりは、真生さんの写真家としての生き様、心に課したモットーの表現ですね。僕がアメリカに住んでおり、一般的な日本人のメディアの人間でなかったことも、信頼してもらえる要因の一つだったと思います。彼女は若い頃、東京で写真展をしたときに、日本のメディアの彼女の写真に対する表現の仕方に対してひどく傷つき、トラウマになっているわけですから。


―――一方で、沖縄の複雑さも表現されていましたね。

砂入:こっちはいいけど、こっちはダメでというのではなく、人をひとりの人間として見つめる。そこは愛だと思うんです。政治だとどうしても片方の側に立ってしまいますが、アメリカ軍が駐在するから生活できる部分もあると思うので、それらをひっくるめて受け入れということですね。


■わかりやすい言葉で伝える重要さを実感

―――ありがとうございました。今回石川さんに密着して、ご自身の創作活動にどんな影響がありましたか?

砂入:インタビューを受ける際の話の仕方は、大いに影響を受けました。言葉を考えすぎずに、ダダ漏れでもいいので、自分からそのまま出てくる言葉を、オープンにしゃべっていこうと思いました。僕もアカデミアン側の人間ですし、現代美術関係者は特に言葉武装をしがちで、どれだけ難しく話すかという競争でもあったのですが、真生さんのようにわかりやすい言葉でそのまま話すと、いろいろなことが伝わっていると実感できました。

(江口由美)


<作品情報>

『オキナワより愛を込めて』“FROM OKINAWA WITH LOVE”

(2023年 日本・アメリカ 101分)

監督・カメラ・サウンド・編集:砂入博史

出演:石川真生

プロデュース: 砂入博史 + イドレ・バッバイヤー

オーディオ・ミックス :アダム・スコット 

サウンド:吉濱翔

字幕:酒見南帆

音楽:アダム・スコット、吉濱翔、米田哲也、北崎幹大、大城修一

協力:吉濱翔、仲里効、大橋弘基、大野亨恭、大琉球写真絵巻実行委員会メンバー

オリジナルサウンドトラック:「琉球ハイブリット」 北崎幹大 2019/「オキナワより愛をこめて」 北崎幹大 + 吉濱翔 2019

2024年9月7日(土)より第七藝術劇場、元町映画館、20日(金)より京都シネマ他全国順次公開

公式サイト⇒https://okinawayoriaiwokomete.com/

early elephant film + 3E Ider (C) 2023