「「ハルコㇿ」は大げさに言えば地球がぐっと凝縮されている」 『そして、アイヌ』大宮浩一監督インタビュー


 東京・大久保のアイヌ料理店「ハルコㇿ」の店主で、アイヌ文化アドバイザーなども務める宇佐照代さんの活動や、同店に集う多様なバックグラウンドの人たちにカメラを向けたドキュメンタリー映画『そして、アイヌ』が、3月15日(土)から第七藝術劇場、京都シネマ、今夏から元町映画館他全国順次公開される。

 監督は、『季節、めぐり それぞれの居場所』『ケアを紡いで』の大宮浩一。照代さんのムックリの演奏から始まる本作は、アイヌ文化の伝承や世界の先住民族との交流を草の根レベルで行っている姿を映し出す。食や音楽、踊りなどの文化を通し、東京で暮らす照代さんたちの活動を通じて、民族やコミュニティのあり方など、さまざまなことを思いめぐらせたくなる、今こそぜひ観ていただきたい作品だ。

 本作の大宮浩一監督にお話を伺った。



■宇佐照代さんと出会った日に「映画を撮りますから」と宣言

――――本作に取り組まれたきっかけは?

大宮:僕が学生の40年ぐらい前は社研(社会研究部)などがあった時代で、僕自身もアイヌだけではなく様々な社会問題に関心を寄せてはいましたが、そこまで深くアイヌのことを知っているわけではありませんでした。今回なぜ映画にしたかといえば宇佐照代さんと出会い、彼女のことが羨ましいと思ったからです。照代さんにはアイヌ文化という、伝えていくものがあり、辛い想いをベースに込めながら、母や祖母、曽祖母の歌声にまで出会うことができる。一方、私には子どもや孫に伝えていくものが何もない。その羨ましさが、照代さんに人間として感じた魅力の大きなところでした。


――――照代さんとの出会いについて教えてください。

大宮:2022年1月、多摩市が主催した照代さんが登壇される人権週間の講演会に参加し、講演会後、照代さんに名刺を渡して「映画を撮りますから」と宣言しました(笑)。照代さんからすれば、ちょっと待ってと思われたでしょうが。僕の作り方はいつも、事前に調べてから撮るのではなく、自分が知っていく過程を大事にしています。だからリサーチなしで、撮影しながら僕が聞きたいことを聞いていくスタイルなんです。

もう一つ、今回は北海道には行かないことも最初から決めていました。アイヌ文化は北海道の各地域で違いますから、何をもってアイヌと言うのかという疑問が生まれます。撮影を重ねれば重ねるほど、わからなくなっていくことが目に見えていたので、東京在住の照代さんを通して、照代さんの知っているアイヌや照代さんの感じるアイヌを映し出すというのが当初の狙いでした。撮影を重ねていくうちに、照代さんが新大久保で営んでいるアイヌ料理店「ハルコㇿ」で行われたアイヌの祭り「カムイノミ」に奈良美智さんが来られてビックリしたり(笑)。その出会いから、奈良さんに改めてお話を伺うこともできたのです。



■アイヌ料理店「ハルコㇿ」は“銀河系の中の地球のような感じ”

――――照代さんに密着して撮影する中で、必然の出会いも生まれてきたと?

大宮:照代さんには怒られるかもしれませんが、血筋の問題というよりむしろ自覚の問題として彼女が「いつアイヌになったのか」ということなんです。『そして、アイヌ』というタイトルには、そしてアイヌになったのか?という意味が込められています。照代さんの音楽仲間で在日コリアン2世の黄秀彦さんや、縄文造形作家で「カムイノミ」の祭祀を務め、儀式で使用する供え物を木彫りしている平田篤史さんなど、照代さんからスタートした撮影で、本当に思いもよらぬ出会いがたくさんありました。


――――照代さんが営む「ハルコㇿ」という場所が、様々な出自を持ち、アイヌに関心を寄せる人を引き寄せ、交流の場になっていますね。

大宮:本当にアットホームですし、大げさに言えば地球がぐっと凝縮されている。外国の方もたくさんお越しになる中で、コミュニケーションツールが言葉だけではなく、食べる物もありますし、照代さんもリクエストがあれば即興ライブをはじめたり、本当にいい空間です。「ハルコㇿ」がある大久保は、非常にインターナショナルな町で、アジアの食材店もたくさんあるのですが、そういう場所にあるというのも、銀河系の中の地球のような感じがしますね。


――――東京に行ったら、ぜひ「ハルコㇿ」に行ってみたくなりました!アイヌ料理で何かオススメは?

大宮:ルイベと呼ばれる凍ったものの刺身が登場しますよね。食べるときに溶けるのを待っていたら、「凍っているうちに食べて。口の中で甘くなるから」と言われました。確かに凍ったままの刺身を口の中に入れると、甘みがでてきていい感じになる。焼酎に合いましたよ(笑)。こういう距離感で様々な国の人たちと交流できるのがいいんです。中には「宗教でお酒が飲めないので」という方がいらっしゃり、そういう宗教があるのかと学ぶこともできますし。



■遺骨返還問題で考える「学問は何のため?」

――――遺骨返還問題についても触れられています。

大宮:墓を掘り起こして研究するという具体的なことを提示しましたが、学問とは何のためなのかという想いもあるのです。これだけ学問を続けてきてもまだ世界中では戦いが続いている。経済や政治、医学を含め、学問は人が幸せになるためのものだと思っているのですが。こうなることは仕方がないにせよ、どこかでリミッターをかけなければとは常々思っています。

一方で、映画は権力者側に加担する可能性のあるメディアでもあります。例えば西部劇は、今見れば先住民たちに対してひどい扱いをしているのですが、当時は大ヒットしたし、それが当然だという倫理観でした。それと、アイヌの方の骨を学問のために墓から盗むという倫理観はそんなに遠からずですし、疑問にも感じていなかったのでしょう。


――――お店のお手伝いをし、アイヌ文化を受け継ぎながら母と一緒に演奏もしている照代さんの娘、ルイノさんの存在は希望を感じさせました。

大宮:照代さんは10歳のときに、北海道から家族で東京に出てきたのですが、ルイノさんは撮影中に10歳になったんですよ。照代さんが言うように、本当はK-POPダンスが好きなのにお母さんがやるからというノリで演奏を一緒にやっているのかもしれないし、まだこれからどう向き合っていくのかはわからないですよね。それも含めて、記録としては残したいという気持ちがありました。「あの頃の私はこうだった」と、ルイノさんが後から振り返ってもらえたら嬉しいですね。



■1994年から30年、強烈な揺り戻しの中、「せめて『人』になろう」

――――「ハルコㇿ」誕生前に、1994年にアイヌを名乗っていない人でも気軽に集まれる料理店「レラ・チセ」がオープンしていたのを初めて知りました。誕生前の動きはまさに社会運動でしたね。

大宮:事務局長として「レラ・チセ」設立の意義を訴え、全国からカンパを募った評論家の太田昌国さんに深掘りしてお話を聞いたシーンは、映画の中でも長めに使っています。講演で照代さんに「映画を撮ります」と宣言してから2週間後にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりましたし、中東の状況もしかりで、撮影中はそれらを意識せざるを得ない部分がありました。

94年はウクライナが核を放棄することと引き換えに、調印当事者(アメリカ、イギリス、ロシア)の義務が示されたブダペスト覚書がありましたし、中東では93年にオスロ合意がありました。1994年には世界の先住民の国際デーが制定され、世の中、みんなうまくいくのではないかという思いだったのです。でも30年が経った今、ひどい揺り戻しが来ています。親と子どもで同じ歴史を共有できないような状況かもしれません。


――――「レラ・チセ」ができた時代の世界的な背景を知ると、なおのこと今の状況が大きな揺り戻しであることを痛感しますね。

大宮:人間というものは、我慢できないのか、差別や征服欲という本能が優ってしまうのか…。一方違う面の本能や本質も持っているはずです。アイヌは「人間」という意味だと最後に照代さんがおっしゃっていましたが、『そして、アイヌ』というタイトルは、せめて「人」になろうよと問いかけでもあります。『石川文洋を旅する』を撮ったとき、石川さんから教わったのは、人間は一番残酷な生き物だということ。食物連鎖の中で、あのライオンだって自分の食べる分しか殺さないわけですから。私たちにできることは何かあるのではないかと、この映画を観て、何か感じてもらえれば嬉しいです。

(江口由美)



<作品情報>

『そして、アイヌ』(2024年 日本 96分)

企画・監督:大宮浩一

出演:宇佐照代、宇井眞紀子、黄秀彦、太田昌国、平田篤史、奈良美智、関根美子、表美智子、ルイノ、HIRO

2025年3月15日(土)から第七藝術劇場、京都シネマ、今夏から元町映画館他全国順次公開

公式サイト⇒https://soshite-ainu.com/

※京都シネマ、3月16日(日) 10:00の回上映後、宇佐照代さん、大宮浩一監督による舞台挨拶あり

※第七藝術劇場、3月16日(日) 14:40の回上映後、宇佐照代さん、大宮浩一監督による舞台挨拶&宇佐照代さんによるミニライブあり

(C) 大宮映像製作所