コロナ時代の大学生活、自分の居場所のなさから着想を得て 『よそ者の会』西崎羽美監督インタビュー
現役大学院生の西崎羽美監督が、大学4年生の時に生み出し、第18回田辺・弁慶映画祭にてキネマイスター賞を受賞した『よそ者の会』が、2025年5月23日(金)より1週間、テアトル東京、6月24日(火)テアトル梅田にて公開される。
第20回大阪アジアン映画祭(OAFF2025)ではインディ・フォーラム部門に正式出品された本作。主演はOAFF2022『ボクらのホームパーティー』監督の川野邉修一。共演の坂本彩音、比嘉光太郎と、監督と同じ映画美学校出身のキャストが揃い、自分がよそ者だと感じる若者たちの持つ秘密や交差していく気持ちをソリッドに描いた意欲作だ。
本作の西崎羽美監督 (写真下)にお話を伺った。
■ホウ・シャオシェンから台湾ニューシネマにハマった高校時代
――――作品のお話を伺う前に、昔から映画監督を志していたのですか?
西崎:映画をきちんと見始めたのは高校生ぐらいです。当時放課後の時間を持て余し、必ず一本、配信されている映画を観てから帰るという生活をなんとなく始めました。すると、観たこともない映画がこんなにたくさんあるのかと驚いたのです。実家が静岡なので、シネマイーラというミニシアターがあり、時々そこに足を運んでいましたね。配信だけでなく、近所のTSUTAYAでDVDレンタルもしていました。
――――映画にハマるきっかけになった監督や俳優は?
西崎:高校生のころ台湾ニューシネマにハマり出し、わたしが生まれる以前のホウ・シャオシェンの初期作品を観て、こんなに面白い映画があるのかと衝撃を受けました。そこからホウ・シャオシェンをはじめとする作家たちを深掘りし始めました。当時一番好きだったのは『恋恋風塵』でした。大学進学で東京に上京してからはじめて映画館(bunkamuraル・シネマ)で観たのが、エドワード・ヤンの『ヤンヤン 夏の想い出』でした。本当に面白かったです。
■大学とダブルスクールで映画を学ぶ
――――大学進学時も映画を学べる学科を選んだのですか?
西崎:高校時代、映画を学ぶ学科がある大学のオープンキャンパスしか行かなかったのですが、両親や先生に進路を相談すると、当時わたし自身が映画を撮ったことがなかったので、映画の学校に入った後合わなかったら、4年間しんどいのではと言われたんです。映画を撮りたいならダブルスクールで学べばとアドバイスされ、大学2年生から映画美学校に通い始めました。夕方まで大学で授業を受け、夜は映画美学校で学ぶということをずっと続けていましたね。
――――今回出演された川野邉修一さん、坂本彩音さんも映画美学校で知り合ったそうですね。
西崎:わたしはフィクションコースに在籍していたのですが、同時期にアクターズコースに通っていたのが川野邉さんと坂本さんで、交流する機会があり仲良くなったこともあり、今回オファーさせてもらいました。
――――『よそ者の会』は中編映画ですが、それまでに何か短編を撮っていたのですか?
西崎:白石晃士さんの「フェイクドキュメンタリーの教科書」という書籍がすごく面白かったので、フェイクドキュメンタリーを撮ってみたいと思い、15分の短編を制作して、小規模ではありましたがフェイクドキュメンタリー専門の映画祭でグランプリをいただいたことはありました。次の作品を何にするかと考えたとき、フェイクドキュメンタリーはもう体験したので、次はフィクションを撮りたいという想いが強くなり、脚本を書いてみたんです。
■コロナ期間と丸かぶりの大学時代から着想を得て
――――タイトルからして今の世相を反映していると思いますが、大学生になると、ものすごく疎外感を覚えるというのは今も昔も変わらないのかもしれません。
西崎:この作品は大学4年生のときに大学院入試のために撮ったのですが、大学時代がコロナ期間と丸かぶりだったので、なかなか同級生の友達ができず、仲良くなるタイミングを逃してしまい、4年生になるまで学食もほとんど行ったことがなかった。だから自分の居場所がないなという感覚があり、そこから着想していきました。
――――川野邉さんが演じる槙生は、大学の清掃員をする傍ら、自宅では爆弾作りに励んでいます。今年は東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー・桐島聡の生涯を描く映画が2本公開されることもあり、どこか70年代の社会に強烈なメッセージを発しようとした桐島と重なる部分があったのですが。
西崎:最初に映画美学校の課題で作った作品も爆弾を作っていて、わたしは爆弾でしか映画が撮れないのではないかと同級生に思われているぐらい、爆弾というアイテムを使ってしまう傾向があります。そのときも講師の先生たちから70年代の学生運動の学生を見ているようだと指摘されましたし、昔の学生のイメージが重なるのかもしれません。
■岡本喜八監督のATG映画を研究
――――それこそ、西崎さんは大学院でATG映画の研究をされているそうですね。
西崎:最初、日本の自主映画史を作ることを考えたのですが、鑑賞できる作品が限られているため、自主映画に近い形態で、自分の生活を犠牲にしながら、興行面をあまり気にすることなく、作家のやりたいことを優先する映画製作を行っていたATGがすごく面白いので、作品研究をし始めました。
――――具体的にどんな作家にフォーカスしているのですか?
西崎:今、研究しているのは岡本喜八監督のATG作品です。岡本監督は東宝で『日本のいちばん長い日』を撮って大ヒットしているんです。それなのにその直後にATGの一本目となる『肉弾』を撮ったというのは、そちらが監督のやりたいことだったと思うのです。具体的にATG以外で作った作品の描写と何が違うのか、戦争描写の違いなどについても現在、研究中です。
■西崎作品の特徴と黒沢清の影響
――――登場人物が少なく、カメラがほとんど寄らない。スペースを認識させ、そこに人が配置されているような映像が特徴的だと思いました。
西崎:ちょうどわたしも昨日、本作のショットを見直していたときに、わたしはもしかしたら人物ではなく、(舞台となった)大学自体を撮ろうとしていたのかもしれないと思いました。動く人よりも、空間を撮ろうとしていた感覚がありますね。
――――大学の大教室で槙生とよその者の会を主催する絹子が大教室であることをするシーンが非常に印象的でした。誰もいない大教室は、あんなに美しいんですね。
西崎:夏休みに大学で撮影させてもらったので、学生が誰もいなくて、大学という場所にキャスト3人がお邪魔させてもらっている感じでしたね。誰もいないから、余計に不穏な空間になっていたし、映画にもプラスになっていたと思います。
――――不穏な雰囲気という点では、トーンも含め、黒沢清作品につながるものを感じました。
西崎:黒沢清さんの作品は好きなので、その影響は少なからず受けていると思います。本作の脚本指導をしていただいたのが西山洋市さんと高橋洋さんで、黒沢さんとタッグを組んでいる方々なので、その影響もあったのではないでしょうか。フェイクドキュメンタリーのときはずっと手持ちカメラで撮っていたのですが、今回は初めてカメラを固定して撮影したので、エドワード・ヤンや黒沢さんのような自分が憧れてきた映画のように、カメラ位置を自分なりに考えて、やってみたいと思いました。わたし自身はやってみて楽しかったですが、カメラのスタッフに後から聞くと、すごく引いたところから撮影していたので、これできちんと成立するかどうか実は不安だったそうで、完成した映像を見て「意外とこれで成立するんだ」と思ったそうです。
――――寄り過ぎないというか、人を追わないのがこの映画らしさですよね。
西崎:そうですね。カメラをパンしていませんし。
■川野邉修一が演じた槙生の“異質感”
――――それだけに、カメラが人物をアップで捉えるシーンはとても印象に残ります。川野邉さんは『ぼくらのホームパーティー』の監督ですが、今回の難役を見事に演じておられましたね。
西崎:川野邉さんは、わたしが入学する10年前ぐらいに映画美学校フィクションコースで学ばれたそうです。わたしが通っていたころは、舞台演出を目指すために、改めてアクターズコースに入り直されたそうです。今、川野邉さんが出演する作品はどれも様々な映画祭で入選を果たしているので、監督がキャスティングしたくなる魅力をお持ちなのかもしれません。
――――西崎さんが思う川野邉さんの魅力とは?
西崎:空間にいるだけで、少し異質な感じを出せる。佇まいだけで、ちょっと奇妙な人だと感じさせられるのは凄いし、映画のアクセントになっています。演技をしても、声のトーンや発声の仕方を含め、あまり演技っぽさを出さない。そこも魅力的だと思います。
――――孤独な清掃員の槙生が絹子と関わりを持つようになることで、映画の最初と最後では別人のような変化を見せていますね。
西崎:映画の流れを追う中で、槙生の爆弾作りに対する想いはカクンと下がっていくのに対し、絹子のボルテージは上がっていく。二人の交わるようで交わらない感じや、最終時点での二人のモチベーションの落差が演技にきちんと現れたらいいなと思って演出しました。
――――良かれと思ったことが相手にとっては不快に感じていたなど、日常で思い当たることが描かれていますが、監督ご自身の体験から来ているのですか?
西崎:自分がこう受け取ってほしいと思っていても、全くその通りに受け取ってもらないということが日常的にたくさんあり、それは普遍的な感覚だと思うのです。その感覚を脚本に織り込んでいきたいという想いはありました。わたしは外国の方と話す機会が多いのですが、彼らとわたしが日本語で話しているときと、彼らが母国語で同郷の人たちと話しているときとでは、雰囲気が全然違うのです。わたしが知っていると思っていたこの人は、本当は全然違う姿を持っているのかもしれないという感覚を脚本に落とし込めたらと思い、コミュニケーションの齟齬についても描いています。
■今であればもっと被写体に寄っていたかもしれない
――――脚本に落とし込んで映像にするにあたり、うまくいった点や、難しかった点は?
西崎:今思い返してみて、あれでよかったと思うのはショットですね。今であれば、もっと被写体に寄っていたかもしれない。画をあまり撮ったことがなかったからこそ、ああいう撮り方ができたと思います。演出に関してしっかりとできたのも良かったことです。逆に反省点としては、もっと余白のあるセリフを描きたかったということですね。よそ者の会のメンバーは、自分がその会に入った経緯を映画ではそのまま伝えているので、もっと他の開示の仕方があったのかなと思います。また、話の構図的にこちらの意図ではない捉え方に誘導する流れができてしまったのも反省点としてありましたね。
――――途中で登場する槙生の同級生の存在が、槙生の知られざる一面についての情報を与えてくれましたね。
西崎:同級生は最後までを登場させるかどうか迷いました。登場させたのは、槙生がよそ者の会以外のコミュニティーにいるときの立ち振る舞いを開示しておいた方がいいと判断をしたからです。
■パイロット版のつもりが高評価、同じ尺のリメイク版を併映も
――――今は中編ですが、長編にする考えは?
西崎:ないですね。元々はもっと短かったのを入試のために無理やり伸ばしたので、カットが長くなっています。実は、映画美学校の助成金がいただけたので、この作品をセルフリメイクをしたんですよ。ただリメイクのクランクイン前にこの作品が様々な映画祭に入選してしまって(笑)。今回、大阪アジアン映画祭でも上映されたこの作品は、わたしの中ではパイロット版のつもりでした。これから完成版を撮るぞ!という気持ちだったのに、パイロット版の評価がどんどん高くなってしまい、どうしようという感覚の中でリメイク版を作ったんです。結局、尺も同じくらいになりました。
――――尺が同じということですが、リメイク版はどこが違うのですか?
西崎:よそ者の会のメンバーが、今は槙生を入れて3人ですが、もっと増えているんですよ。これから公開される『よそ者の会』は7万円で制作したのですが、リメイク版は映画美学校から助成を得たり、クラウドファンディングを行ったりして60万円ぐらいで制作しました。予算が増えたので、たとえば爆弾を作るシーンがもっとリアルになっています。話の軸は変わりませんが、そこで起きる出来事はそれぞれ違うので、リメイク版は別の面白さがあります。今後どこかで上映できればいいのですが。
――――『よそ者の会』とリメイク版が続けて観られると面白そうですね。なかなかない企画だと思います。
西崎:今後、どこかの劇場で併映することができればと思っています。1年足らずでセリフリメイクなんて、なかなかしないですよね(笑)。
■女性の映画を撮りたい
――――これからどんな映画を撮っていきたいですか。また起用したい俳優は?
西崎:やりたい企画はたくさんありますが、次に撮るなら女性が主人公の作品を撮りたいです。これまで撮っていた短編は全て自分と同年代の女性が主人公でしたが、映画学校や教育機関によくあることで、先生や関係者の方々から10代から20代の人は高校生や大学生の映画しか撮らないと指摘されたので、当時はそこから反骨精神が芽生えてしまい、『よそ者の会』では男性を主人公にしたという経緯がありました。でも、女性の映画を撮りたいという想いはありますね。そういう脚本が書けるように頑張りたいと思います。ご一緒してみたい方はたくさんいらっしゃるのですが、たとえば唐田えりかさんや中島歩さん、池松壮亮さんとはどこかで一緒に作品作りができたらいいなと思っています。
――――ありがとうございました。最後に『よそ者の会』をご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
西崎:『よそ者の会』は、他のインディーズ映画と比べてすごくミニマムな作品だと思うので、そこをいいなと感じてくださる方がいらっしゃればいいなと純粋に思います。たくさんの方にみていただけたら嬉しいです。
(江口由美)
<作品情報>
『よそ者の会』(2023年 日本 42分)
脚本・監督:西崎羽美
出演:川野邉修一、坂本彩音、比嘉光太郎
2025年5月23日(金)より1週間、テアトル新宿、6月24日(火)テアトル梅田、今後、公開劇場追加予定
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