「好きなことを大人になってからではなく、なぜ今やらないのか?」 『レイニー ブルー』で長編監督デビューを果たした柳明日菜さんインタビュー @OAFF2025


 第20回大阪アジアン映画祭(以下OAFF)インディ・フォーラム部門作品として世界初上映された柳明日菜の監督デビュー作『レイニー ブルー』が、7月4日(金)より熊本Denkikanで先行上映、7月18日(金)よりアップリンク吉祥寺で公開される。

 笠智衆生誕の地、熊本県玉名市を舞台に、笠智衆をこよなくリスペクトする映画愛の強い17歳の高校生蒼が、映画を作ろうと脚本を執筆しはじめるが…。思春期の葛藤や周りとの距離感、自身の中で湧き上がるマグマのような感情がストレートに伝わってくる純度の高い青春映画だ。

 監督・脚本・出演の柳明日菜さんと濵島玲恵プロデューサーにお話を伺った。



■笠智衆さんは100年違いの高校の先輩

―――本作は柳さんの地元、熊本県玉名市をはじめとする全編熊本ロケ作品ですが、玉名市はどんな街ですか?

柳:玉名郡エリアの玉東町に住んでいたのですが、熊本県北部でみかん畑も多いですし、夏目漱石の「草枕」の舞台となった前田家別邸などもあります。長崎の雲仙が見える岱明海床路もありますし、すごく景色が綺麗な街です。私は詩人の坂村真民さんや、マラソンの金栗四三さんや俳優の笠智衆さんと同じ、玉名高校に在籍していました。笠智衆さんとはちょうど100年違いで、名前も柳は「りゅう」と読めるのでラッキーだと思っています。

濵島:農業が盛んで、菊池川流域は日本遺産になっています。江戸時代には玉名に集められた肥後米が大阪に運ばれその年の米相場を左右していたほど品質が良かったようです。


―――本作は笠智衆さんゆかりの場所も多数登場し、主人公の精神的支柱になっていますが、笠さんが大先輩だと認識したのはどのタイミングだったのですか?

柳:この映画を立ち上げたころで、玉名市では大河ドラマ「いだてん」で金栗四三さんがフューチャーされたことに街じゅうが湧いていた時期でした。私も笠智衆さんのことは知っていましたが、玉名高校出身であるということを、当時は誰も知らなかったんです。

濵島:テレビ熊本が製作した笠智衆没後30年のスペシャルドラマ(「郷土の偉人シリーズ 名優 笠智衆〜春風のあるがごとし〜」)がオンエアされ、改めて、笠智衆さんが玉名高校出身であること、そして、出演していた笠兼三さんが笠智衆さんのお孫さんであることを知りました。


―――もともと、映画の道を志していたのですか?

柳:小学2年で妹が生まれてから、ずっと助産師になるのが夢で、高校入学してからは先生に医学部を勧められたので、産婦人科医を目指していました。当時は医療系が結構得意で、コロナが始まる前の高校1年時に、熊本大学が行っている高校から大学生向けの医師養成プログラムでゲノム研究を一緒にやったり、毎週土曜に福岡の病院へ通い、カテーテル手術を見学したり、色々なインターン活動に参加していたんです。部活も小学校から続けていたバトミントン部に入って部活をしていました。



■初めて見た高校演劇に衝撃を受けて

―――思いもよらぬ方面のエキスパートだったんですね。映画に目覚めたきっかけは?

柳:高校1年のときに、ノリで廃部寸前の演劇部に入ったのがきっかけでした。幽霊部員だったので活動はしていなかったのですが、冬の課外授業に行きたくないがために、ちょうど同じ時期に開催されていた高校演劇の九州大会が1泊2日で参加することにしたんです。そこで学生演劇を見て、いまだに覚えているぐらい強い感銘を受けました。何もない舞台で、同世代の学生たちが、こんな作品を作るのが凄いと思ったし、舞台を見て笑ったり泣いたりしてくれるお客さんがいるという会場の一体感がすごく良かった。そこから創作するって面白いと気づいた。そこからは幽霊部員を返上して、1年後に九州大会に立つことを目標に、演劇部一本でのめり込んでいきました。


―――映画では廃部寸前の映画同好会が登場しますが、なかなかモノが多いですよね(笑)

柳:人間大のクマのぬいぐるみは、玉名高校演劇部の部室から持ち込んだものです。あと、笠智衆さんに関するポスターや掲示物は、笠さんのご家族から使用可能なものをお借りして、スキャンし、ポスターを全て作りました。映画の中で熊本のDenkikanも登場しますが、一般の映画ポスターは使えないので、全て映画用に30枚ぐらいの作品のポスターも作りました。



■行定監督に直訴、くまもと復興映画祭でご縁がつながる

―――初めての演劇部で、九州大会を目指すには相当努力が必要だったのでは?

柳:学校には行かず、福岡の脚本講座に行ったり、演劇のワークショップやオーディションに行きまくっていました。潰れかけた演劇部を立て直すのは本当に大変だし、強豪校もあるので、そこに勝たなければいけない。結局地区大会最優秀賞には選ばれたものの、九州大会には行けなかったので、とても悔しかったですね。1年間全力投球した結果がこれだったので、空っぽになってしまい、学校に行きたくなくなってしまった。一方、ちょうどコロナの時期だったので配信で映画や韓国ドラマをたくさん観るようになり、映像でも様々な表現ができることがわかったんです。その頃、くまもと復興映画祭でディレクターの行定勲監督が来られることを知り、映画の企画書を書いて、行定さんに見ていただいたのが16歳のときでした。

濵島:熊本県観光課に提出したという企画書を見せてもらって、30分もので3000万円の予算というのは大人からすればありえないと思うけれど、このやる気は活かしてあげたいと思いました。行定監督にお引き合わせをすると、(映画の企画の話をする前に)まずはたくさん映画を観るようにと、くまもと復興映画祭に演劇仲間を約30人分を招待してくれたのです。その2年後の映画祭で柳さんは、主演俳優として舞台に立っているので、本当に凄いですよ。


―――映画祭を運営している側からすれば、すごく嬉しい展開ですよね。今回、映画監督の渡辺紘文さんが出演だけでなく、脚本や編集にも携わってくださっていますが、渡辺さん作品『テクノブラザーズ』出演のきっかけは?

柳:くまもと復興映画祭で渡辺さんの監督作『わたしは元気』を見たのですが、モノクロ映画は古い作品しか知らなかったので、最初は驚きました。翌年に私が通っていた脚本読解講座を主催していた映画24区の三谷一夫さんに紹介していただき、夏都愛未監督の『緑のざわめき』の現場に入り、こちらから頼んでスクリプターをやりました。そこに渡辺さんもメイキング撮影兼出演で来られていたんです。ちょうど映画祭Tシャツを着用していたので、渡辺さんから声をかけてもらい、仲良くなって、私の脚本も見てもらいましたし、渡辺さんの過去作も全部見せてもらいました。そういう交流があり、『テクノブラザーズ』の主演に選んでいただいたのだと思います。



■スクリプターをして学んだことを力に

―――高校生でスクリプターデビューもしたんですね。

柳:映画の現場が初めてで、ネットでスクリプターが何をするか事前に調べて、記録係という認識で挑んだのですが、まず監督の隣にずっといて、モニターを見ながらずれてないかをチェックしたり、右手にタイマーを持ち、録音番号や撮影番号を記録するめちゃくちゃ忙しい仕事でした。夏都さんの演出も、じっくりモニターを見てから監督補にちょっと伝えてという感じで、逐一役者に指示を出すという感じではないんです。あまり細かいことを監督が言わないからこそ、みんな監督の意図を考えながら臨んでいて、演出方法しかり、録音や撮影の方々との交流もしかり、本当に勉強になりました。


―――短期集中映画学校みたいですね。どれぐらいで「自分で映画を作れるのでは」と確信が持てたのですか?

柳:現場体験が終わった時点では撮りたいけれど、どうすればいいかわからない状況でしたが、夏都さんや渡辺さん、そして三谷さんとのご縁も続いていたし、山梨での『メンドウな人々』の撮影が終わった後で、初稿を1週間で書き、三谷さんに見てもらったところ「撮れるんじゃないか」と言っていただいて、そこから企画が動き始めた感じです。


―――通常は資金繰りのメドが立ってから考えますが、今、撮りたいと思ったら、即行動だったんですね。

柳:私が20歳や30歳になってこの脚本で撮ろうと思っても、葛藤まみれの青春のあり方は10代のこのときでしかわからないし、演じられないと思っていたので、とにかく撮りたかったです。

濵島:柳さんはわたしが携わっていた熊本美少女図鑑のメンバーでした。テレビ熊本とつくったミニ番組や通信制学校のVPの主演に柳さんを抜擢したことがあったので、三谷さんからちょっと手伝ってほしいとお声がけをいただいたのですが。結局はプロデューサーになっていますね(笑)。


―――脚本の次はキャスティングですが、渡辺さんが学生役で出演というのも驚きでした。

柳:最初は監督もしながら演じるのは難しいし、自分以外の人が演じる主人公蒼を見たいと思い、事務所に所属している若手俳優の方を、いろんな作品を観て探していたのですが、あまりピンとくる人がいなかったので、自分で演じることにしました。クラスメイトの宇佐美役も、同世代で活躍されている俳優へのオファーを考えましたが、スケジュールが合わなかったのと、面白みに欠ける気がしたんです。最初から最後まで誰も実在している人物がいない夢物語的な作品にしたかったので、それならば演じる人の年齢は気にしなくていいのではと思い、渡辺さんにオファーしました。


―――渡辺さんが柳さんの同級生役を演じているわけですから、インパクトは大きかったです。そして、かなりキャラクターが作り込まれていますね。

柳:のび太みたいな、瓶底メガネをかけて、下駄を履いている、一人だけ明治時代にいる人のような感じにしてくださいとお願いしていたので、イメージ通りです。



■高良健吾、常連だったDenkikan館長役で「僕は絶対にこの船を降りない」

―――蒼と宇佐美を見ていると、誰がなんと言おうと自分が好きなことを貫けという強い想いを感じます。蒼が映画に開眼したのは熊本の映画館Denkikanに行ったことがきっかけですが、柳さんご自身は通っていたのですか?

柳:学校を休学していた頃で、 Denkikanの隣のホテルのフロントでバイトをはじめ、その通勤定期を使ってDenkikanに通っていました。映画の中の蒼のように、館長に感想を書いて渡していました。カウンターに座って、名前も知らない顔見知りの常連さんたちと映画のことをよく話したりしていましたよ。

濵島:高良健吾さんも映画の楽しさに目覚めたのはDenkikanに通ったのがきっかけだと聴いたことがありました。地元の後輩が映画づくりに頑張っていることに心を動かされたことに加え、Denkikanの館長役だったことがご出演いただく決め手となり「僕は絶対にこの船を降りない」と。何度も船が傾いて溺れそうになりましたが、この言葉は励みになりました。


―――高良さんみたいな館長がいる映画館なら、みんな通いたくなりますね。今、柳さんの同世代はミニシアターに行くことに、かなり勇気が要ると聞きましたが?

柳:私の友達も、Denkikanに行くとき「地下アイドルのライブに行くみたい」と言うし、確かに私も映画にハマる前は、そんな気がしていました。ちょっとオタクが集まっている場所に行くんだという感じでした。


■父と娘の話にフォーカス

―――それが現実でも、彼女たちと同世代の柳さんが作った映画に映画館へ通うシーンって交流するシーンが含まれていたのは胸熱でした。山中貞雄を熱く語り、笠智衆生誕の地である来照寺でも拭き掃除や掃き掃除をし、記念碑に手を合わせている蒼が印象的でした。

柳:Denkikanで昔の日本映画からはじまり、ヨーロッパ映画など、とにかく見まくりました。今回の物語で入れたかったのは父と娘の話なんです。小津安二郎へのオマージュを捧げたかったので、蒼が映画に目覚めるまでは家族が揃っているけれど、途中から母の存在を消し、父と娘の関係性にフォーカスしたかったんです。


―――父と娘がぶつかり合うシーンは、完全なフィクションですか?少しご自身の体験を元にしているとか?

柳:概ねはフィクションですが、私自身が中高一貫校だったのに、高校で休学し、通信制高校に転籍したので、その頃父からキツく言われていたことは、今回映画の中に入れようと思っていました。今回父役を演じてくださったのが笠兼三さんで、先ほどのスペシャルドラマの出演まで熊本を訪れたことがなかったそうで、また熊本で今度は映画に参加できることを喜んでくださいました。



■好きなことを大人になってからではなく、なぜ今やらないのか?

―――学校の進路面談のシーンが結構たくさん登場するので、それだけ17歳の高校生にとって深刻な問題なのだろうと思って見ていました。

柳:同級生を見て思うのですが、途中の平均台のシーンが象徴しているように、私は途中で平均台から降りてしまったけれど、みんな小学校から高校までレールに乗って進んで行き、高校を卒業したら就職するか、進学するかの二択です。どうして途中で止まる人はいないんだろう。学校に行くのが当たり前になっているけれど、そうではなくて留学をしたり、好きなことを大人になってからやるのではなく、なぜ今やらないんだろうと思うのです。私が通っていた玉名高校は進学校だったので、先生方もみんな「上(の大学)を目指しなさい」という感じだったので、どうして学校を一旦休止して自分がやりたいことにチャレンジするということができないのかという想いが私にはありましたね。


―――今、不登校の人が増えている一方、学校外で学んだり、様々な体験する選択肢も増えてきているし、その居場所の一つとして映画館に行くとか、自然の中で撮りたい映画の脚本を書くという蒼の姿は、希望を与えるのではと感じます。初の監督業はいかがでしたか?

柳:脚本を書いている段階で大体の構図は決まっていましたし、アップのカットより、絵画的な引きの構図が欲しかったので、そういう私のビジョンをわかってくださる撮影監督ということで『テクノブラザーズ』でお世話になった渡部友一郎さんにお願いしました。録音もピンマイクはあまり好きではないので、空間を意識して全体的な音を撮っていただける方ということで、北原慶昭さんにガンマイクだけで撮ってもらいました。また、熊本の蝉は独特の鳴き方をするのですが、そういうのがわかっているのは私しかいないので、自分で効果音を追加したりもしましたね。


―――徳永英明さんの人気曲「レイニー ブルー」がタイトルにもなっていますが、なぜこの曲をフューチャーしたのですか?

柳:廃部寸前の演劇部で1年がんばり、出場した県大会で、ライバル校が徳永英明さんの「レイニー ブルー」を劇中でふんだんに使っていたのが、本当に感動的だったんです。自分の作品にもぜひ使わせていただきたいと思ったのがきっかけでした。タイトルも仮題は一切なくて、なぜか最初から『レイニー ブルー』でした。


―――最後に、柳さんご自身の日常を脚本に反映させた部分も多いと思いますが、映画を撮り、その日常がスクリーンに映ったときに感じたことを教えてください。

柳:私が出演してはいますが、私ではない人を見ている感覚です。たまに『レイニー ブルー』を最後まで観ると泣いてしまうことがあるんです。例えば今でも私は進路に悩んでいるし、今後どうやって映画を続けていくのかと考えるのですが、自分が悩んでいるときに観ると、自分が変わるために書いた蒼というキャラクターなのに、いまだにまだわからない部分があると思うし、この感情と向き合わなければいけないと思っています。



<作品情報>

『レイニー ブルー』(2025年 日本 107分)

脚本・監督:柳明日菜 脚本監修:渡辺紘文

出演:柳明日菜、中島瑠菜、渡辺紘文、高良健吾、笠兼三、小沢まゆ

7月4日(金)より熊本Denkikanで先行上映、7月18日(金)よりアップリンク吉祥寺で公開

公式サイト https://rainyblue-movie.com/