揺さぶられっ子症候群の取材から、逮捕報道のあり方と刑事司法の問題に向き合う 『揺さぶられる正義』上田大輔監督インタビュー
弁護士資格を持つ関西テレビの報道記者、上田大輔さんが記者1年目から取材を始めたのは、2010年代に赤ちゃんを揺さぶって虐待したと疑われ、親などが逮捕・起訴される事件が相次いだ「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome)」、通称SBS。 取材をする中で明らかになった刑事司法の問題や、それぞれの“正義”がぶつかり合う中でメディアの逮捕報道のあり方にも、悩みながら自ら切り込んでいくドキュメンタリー映画『揺さぶられる正義』が、2025年9月20日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館ほか全国順次公開される。 本作の上田大輔監督にお話を伺った。
■SBS取材を進めれば自ずと日本の刑事司法の問題が浮かび上がる
━━━上田さんは、企業内弁護士として関西テレビに入社していますが、当時は社内の報道とはどんな関わりがあったのでしょうか。また記者になりたかった理由は?
上田:2010年に大阪地方裁判所が無罪判決を言い渡した冤罪事件(村木厚子さん事件)で、現役の主任検事がフロッピーディスク内ファイルを改ざんしていた事実を朝日新聞が一面でスクープし、社会に大激震が起きたことがありました。関西テレビも取材を進める中で、現場の記者からアドバイスを求められることも多く、それに対応するうちに、自分だったら別のアプローチで取材ができるのではないかという気持ちが少しずつ芽生えました。当時は企業内弁護士という立場だったので、取材し報道するプレイヤーになれないのは当然ですが、一度自分が報道する側になれば、違う景色を見ることができるのではないかと思い、4年ぐらい希望を出し続けて記者になったのです。
━━━記者1年目で担当になった揺さぶられっ子症候群(以降SBS)の取材のきっかけは?
上田:私は著作権について専門的に学んでいたので、あのWinny事件で主任弁護人を務めた秋田真志弁護士が次はSBSについて話すということに興味を抱き、2017年4月開催の法科学研究会に参加しました。そこで秋田弁護士と甲南大学法学部の笹倉香奈先生は、SBSの逮捕起訴の決め手となっている医学鑑定は根拠がなく、海外では見直されているにも関わらず、国内では次々と逮捕、起訴、有罪になり、冤罪が量産されているということや、それをなんとかしなくてはいけないと語られたのです。私も衝撃を受けましたし、SBSについて取材を進めれば自ずと日本の刑事司法の問題が浮かび上がってくるはずなので、自分がやるべき取材テーマだと確信しました。
━━━最初からドキュメンタリー番組を想定して取材していたのですか?
上田:記者になってからの4年間は遊軍記者として、本社で昼と夕方のニュースの編集作業や突発的な事件取材などをする中で、時間を調整し、自分の取材を行っていきました。最初はニュース番組の特集枠(10分程度)での放送を想定していましたが、取材をすればするほど、相当大きな話になることが予想できたのです。途中からはドキュメンタリー番組が作れればと思っていましたが、自分自身の技術が不足していることもあり、どのように進めていくかが悩みどころでした。
■マイナスからのスタートだった取材、信頼関係づくりで大事にしたことは?
━━━メディアの逮捕報道で非常に辛い想いをされたSBS事件の被告人とされた方々やそのご家族への取材は、まず信頼を得るのが大変だったと思いますが、どのように関係性を築いたのですか?
上田:みなさん異口同音に「メディアの報道はひどい」「なぜ家族の話を実名で、顔も出して報道するのか」「なぜわたしたちを取材し、わたしたちの言い分を伝えようとしないのか」と厳しいご指摘をいただき、まさにマイナスからのスタートでした。わたしはSBSと診断する根拠が不十分であることを明らかにする取材をしていきたいということや、みなさんの言い分をお伝えする取材になることをお伝えするのですが、みなさんを傷つけたメディア側の人間という見方を変えていただくのは、なかなか難しかったです。最初は刺すような目で見られましたし、自分が加害側であることを痛感しました。結局は人と人との関係づくりが大事なので、とにかく何回も通い、自分が記者になったときの想いや、記者生命をかけて取材をするということをみなさんにお伝えしました。その中で、少しずつ私の本気度が伝わり、距離も少しずつ縮まっていきました。
━━━本作のもう一方の主役とも言える弁護側の秋田弁護士と笹倉先生はすぐに取材を受け入れてもらえたのですか?
上田:刑事弁護人は警察報道に基づいて逮捕報道をしているメディアを、基本的には大嫌いで、取材も受けるべからずというスタンスですし、刑事弁護の大物である秋田弁護士は言うまでもなくそうでした。常に私に対して一定の距離を保っておられたし、信頼関係を築くのにも時間がかかりました。
一方、笹倉先生は日本の学者には珍しい行動派で、アメリカのイノセンス・プロジェクトに習い、日本版イノセンス・プロジェクトを立ち上げた方です。自分たちの問題意識を伝えなくてはという考えでメディアに接しておられるので、笹倉先生を通してSBS検証プロジェクトの動きを教えていただきながら、チャンスがあれば常に会合に顔を出すようにしました。秋田弁護士や他の刑事弁護人のみなさんからは「常にいる」と思われていたでしょうね。私もSBSについて勉強して、議論にも参加させていただいたので、少しずつ認めていただいたのかなと思っています。
■SBS裁判にとっても、メディア報道を考える上でも最も重要な祖母が疑われた事件
━━━預かった孫の容態急変をSBSと疑われ、逮捕報道の上、長期勾留された祖母の事件はこの作品でどのような意味を持つのでしょうか?
上田:SBS裁判にとっても、メディア報道を考える上でも、最も重要な事件と言っても過言ではないでしょう。SBS裁判という点では、祖母には全く罪を犯す動機がないのに、SBSの三徴候(硬膜下血腫、網膜出血、脳浮腫)だけで1秒間3往復の揺さぶりがあったと診断されています。激しい揺さぶりができるのは、最後に預かっていた祖母しかおらず、彼女がやったと断定されていますが、彼女はとても小柄でペットボトルの蓋も開けられないぐらい力が弱い方なのに、そんなことができるのかと。裁判員裁判でしたが、検察側の医師の「椅子に座らせた状態なら揺さぶりができる」という証言を鵜呑みにし、そのまま有罪判決が出てしまう。まさに冤罪事件の恐ろしさが露わになった事件です。
幸運なことに第二審の前に検証プロジェクトの秋田弁護士が入り、SBS前提で議論を始めるのではなく、何か他に原因があるはずだと探した結果、乳児の脳に詳しいウェイニー・スクワイア医師が静脈洞血栓症の可能性を示したことで、「病死の可能性が高い」との主張が認められ、無罪判決につながっていきました。この逆転無罪判決が出てから、明らかに警察や検察も捜査を見直し、起訴することにも慎重になった。まさにSBS裁判の潮目を大きく変えた判決だったのです。
━━━潮目を変えたというのは、非常に重要ですね。
上田:警察官が祖母を連行するとき、取材陣にもみくちゃにされました。メディアスクラムとも呼ばれますが、当時乳児の虐待報道が過熱していたときでもあり、逮捕報道についても、祖母の供述も犯人だと思われるように都合よく切り取った発言として警察が発表し、メディアはそのまま伝えています。取材した当事者の方たちに、自分たちメディアの行動のあり方とも向き合うということを伝えてきましたし、私自身にとってもメディア報道を見つめ直す上で、一番印象に残っている事件です。
■SBSが通説化することで反論や検証がされない怖さ
━━━なるほど、確かに医師によるSBSの3徴候に該当するという診断を、そのまま信じてしまうことで冤罪が生まれる怖さを感じました。
上田:この事件の検察側証人だった小児科医は、アメリカ最先端の虐待を見抜く医学を日本に紹介するために、かなりの文献を翻訳しておられます。もちろん他のたくさんの医師も関わっており、日本の医学界でも通説化して、医師向けの診断ガイドや厚生労働省の「子ども虐待対応の手引き」に3徴候や、硬膜下血腫は家庭内の事故ではほとんど生じないことが記載されています。逆にそこに根拠がないと主張する医師は日本では異端とされていました。従って専門医がSBSの徴候を認めたのであれば、それを信じるのは当然といえば当然です。ごく少数の医師がSBSの根拠に異議を唱えていましたが、大きく報じられることもありませんでしたから、通説化することで疑いもなくその診断を受け入れてしまい、刑事事件として扱われ、弁護士もそれに対する反論をしてこなかった。そのような、検証されない怖さを感じましたね。
■非人道的な人質司法を目の当たりにして
━━━愛情あふれる家族と一目でわかるような赤阪友昭さんも傷害罪に問われ、長年不当な拘束を受け、親子が離れ離れで暮らすことを余儀なくされたSBS事件の冤罪被害者です。上田さんも長年取材をされていましたね。
上田:SBSを疑われていると赤阪さんから相談を受けた知人が私に繋いでくださり、乳児の長男、優雨くんが入院した1ヶ月後にお会いできたのです。赤阪さんがご家族と過ごしていらっしゃる様子を見ていると、虐待を疑われて優雨くんが児童相談所に保護されたり、逮捕や起訴をされるようなことはないと思っていました。赤阪さんは、検証プロジェクトの弁護士ともすぐに繋がることができましたし、大丈夫ではないかと思っていたところ、虐待を前提として優雨くんは一時保護され、赤阪さんも逮捕されてしまうというSBS事件の典型的なパターンで進んでしまい、本当に驚きました。動機を含めて総合的に判断するとか、どのような人物かを見るという捜査は一切なく、医学的所見で虐待と決めつけてしまい、延々と容疑者として疑い続けるのを目の当たりにし、極めて深刻で不条理であり、許しがたいと思いました。
━━━これが問題視されている人質司法ですね?
上田:裁判所は人質司法でしたね。そもそも赤阪さんは、逮捕されるまで妻や娘と一年近く暮らしています。赤阪さんは逮捕された後、保釈をしたら夫婦で口裏合わせをし、裁判の論点が変わるかもしれないという理由で5ヶ月間も勾留されましたが、今さら説明を変えた方が疑わしいはずです。大川原化工機えん罪事件もそうですが、容疑を否認し、黙秘を続けている限り、ほぼ自動的に勾留し続けるというのは、本当に非人道的です。人質司法は、日本の裁判所の大きな問題です。
━━━そして、最近までその裁判を追い続けてきたのが、事件当時2歳の娘に対する殺人の疑いで逮捕された義父の今西貴大さんです。
上田:2021年3月の一審は裁判員裁判で、裁判が始まる直前に秋田弁護士から現在今西事件に携わっていることや、病理調査の末、新しい死因が見つかってきたことを教えていただきました。今西事件のことは実名の逮捕報道のニュースがあったことを覚えている程度でしたが、秋田弁護士から話を聞いていくと、報道から受けた自分の印象が覆されていったのです。私は一審の時は大阪府政の担当だったので、SBS取材からは少し離れていたのですが、傍聴には通い続けました。映画化の企画が立ち上がったのは、それから3年後。今西さんの二審で逆転無罪判決が出る数ヶ月前でした。当初は今西事件がここまで映画の中心になっていくとは思っていませんでした。
■映画館支配人の言葉で、テレビ報道に向けられる厳しい目を実感
━━━本作では、監督である上田さんご自身がナレーションをするだけでなく、主人公として登場していますが、その狙いは?
上田:8年間の取材を振り返るにあたり、どの時期のものを選ぶかも含めて常に悩ましいところでした。ドキュメンタリー番組「ふたつの正義 _検証・揺さぶられっ子症候群」で取り上げたみどりさんの事件を含め、4つの事件を取り上げるとしたら、それらを全て見て、一つの視点で水先案内人として語れるのは自分しかいない。自ら振り返るという意味も含めて、ナレーションを自分で読むという発想は最初の方からありました。
もう1点、公開時のメイン館をお願いする際、ポレポレ東中野の支配人、大槻貴宏さんにテレビ版を観ていただいたときに、「メディアは当事者のことを報道しても、その後自分たちの報道したことにきちんと向き合わないですよね」と言われ、少しいらだちを覚えたことがありました。というのも、テレビ版ではメディア側が自分の報道を省みる視点を入れているつもりだったし、今まで「よくその視点を入れたね」と言われることはあっても、ちゃんと向き合っていないと批判されたのは初めてだったのです。映画界の洗礼と受け止めましたし、テレビ報道についてそのような厳しい目が向けられていることをヒシヒシと感じました。
━━━大槻さんが、もっと踏み込んでメディアの報道のあり方を省みる必要があることを暗示してくださったんですね。
上田:今までもメディアの報道のあり方に向き合ってきましたが、8年間を振り返るなら改めて向き合わざるを得ない。そういう意味では、当時現在進行形で取材をしていた今西さんについては、自分自身も疑わしいとの印象を抱いたぐらいの逮捕報道がなされていたことをしっかりと覚えていましたから、今西さんの逮捕当時の報道にも向き合うつもりでした。SBSは虐待から子どもを守る側、そして冤罪から容疑をかけられた人を守る側と様々な正義が交錯するので、非常に報道が難しく、落とし所が悩ましい。SBS事件で正義を主張される医師の裏には一切表に出ることのない無数の医師たちがいるわけです。それらの前で葛藤を抱えながら報道してきた自分の姿を見せることが、このSBS事件の本質を振り返る一つの視点になると確信し、そういった意味でも私自身が出演とナレーションを務める構成にしました。
■今西さんと逮捕報道を見ることで、メディア報道に改めて向き合う
━━━その今西さんは、リアルタイムで逮捕報道をご覧になっていなかったと?
上田:無罪判決後の会見時に、川崎弁護士からマスコミに向けて、逮捕時の報道に関するお話があったので、質疑応答で私から今西さんに逮捕報道をどう思っているのか聞いたところ「見ていない」とおっしゃったんです。その後今西さんから、自身の逮捕報道を見たいと連絡をいただいたので、私が今西さんと向き合うにあたり、まずは一緒に逮捕報道を見ることからスタートしようと思いました。実際に鑑賞した後の今西さんの目の表情が全てを物語っていましたし、映像に対する指摘も非常に的確でした。私からメディア側の事情をお伝えはしましたが、今西さんの方が正論だと思いますし、まさにメディアの報道を深く省みる機会になりました。
━━━ありがとうございました。最後にご覧になるみなさんにメッセージをお願いします。
上田:刑事司法とメディアの報道のあり方について問う作品ではありますが、人が人を裁く難しさや、人を信じるとは何かという、誰しもが人生の中で直面する課題や生き方を考える材料が詰まっている映画だと思っています。 メディアの報道に問題意識を持ってきたはずの私でも、逮捕報道が与える強い印象から逃れられなかったので、きっとみなさんも同じ経験をお持ちなのではないでしょうか。映画の中には、日頃ニュースに接しているみなさんの姿も投影されているはず。今も悩み続けながら、日々取材や報道を行っている私と一緒に悩み、考えていただけたらうれしいですね。
(江口由美)
<作品情報>
『揺さぶられる正義』 (2025年 日本 129分)
監督:上田大輔 プロデューサー:宮田輝美 撮影:平田周次 編集:室山健司
音声:朴木佑果、赤木早織 音響効果:萩原隆之 整音:中嶋泰成
製作:関西テレビ放送 配給:東風
2025年9月20日(土)~第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館ほか全国順次公開
公式サイト⇒https://yusaburareru.jp/
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