広島の原爆資料館が受け継いできたものとは? 『原爆資料館 語り継ぐものたち』立川直樹監督インタビュー
ドキュメンタリー映画『原爆資料館 語り継ぐものたち』が、8月1日(土)より大阪・第七藝術劇場、兵庫・元町映画館、8月28日(金)より京都シネマにて公開される。
広島ホームテレビが長年にわたって取材・蓄積してきたアーカイブ映像や、広島平和記念資料館(以降、原爆資料館)に寄贈された映像・写真をもとに、資料館の70年を超える歴史をたどる本作。原爆資料館に受け継がれてきた人々の想いや、遺品が静かに語りかける声に耳を澄ませながら、平和への願いをあらためて問いかけるドキュメンタリーだ。
本作の立川直樹監督にお話をうかがった。
■原爆資料館の歴史を、いつかまとめたかった
――――立川さんは初めて原爆資料館に行かれたのはいつごろでしたか?
立川:僕は横浜育ちですが、広島出身の母の里帰りで小学6年生のとき、はじめて原爆資料館に行きました。母と妹の3人で入館したものの、僕は序盤で嫌になってしまい、走って出てしまった。迷子と間違われそうになったこともあり、原爆資料館訪問の記憶が二重のトラウマになっていたんです。
――――本作制作の経緯を教えてください。
立川:本作は被爆80年企画、そして広島ホームテレビの開局55周年企画作品で、昨年11月末に開催された広島国際映画祭クロージング作品としてプレミア上映されました。毎年広島のテレビ局は8月6日まで結構忙しいのですが、2024年8月6日が終わってひと段落ついてから、報道部門代表として僕の書いた企画書が、個人的にいつかはやりたいと思っていた「原爆資料館の歴史をまとめる」というものでした。
■初代館長、長岡省吾さんを掘り下げる
――――市内の公民館で1949年に原爆資料参考陳列室を立ち上げ、1955年に開館した広島平和記念資料館の初代館長を務めた地質学者の長岡省吾さんの収集の様子など、非常に貴重な映像もありましたが、どのように調べていったのですか?
立川:広島ホームテレビ開局後は取材のアーカイブ映像を使っていますが、開局前の長岡さんの映像は、2015年に長岡さんのご遺族が原爆資料館に寄贈された当時の写真や映像、各種資料からお借りして作っています。映画では長岡さんの六女、中山淑子さんと孫の世良新悟さんにも出演していただきましたが、長岡さんのことをご存じで、お話ししていただける方をかなり探しましたね。
――――今は遺品などその瞬間まで広島で生きていた人たちの資料が多く展示されていますが、最初は被爆した建物の断片や鉱物などが展示されていたということにも驚きました。
立川:僕もそういうことを知ったのは、約10年前に広島の別のテレビ局が作った長岡さんの番組を見たときでした。ただ、長岡さんのご遺族が各種資料を寄贈される前だったので、長岡さんの当時の映像や写真がなく、再現ドラマという形をとっておられましたね。
■館長と学芸員、それぞれが語るもの
――――本作ではご本人の映像が入り、当時の広島の状況も含めて非常に説得力がありました。また歴代館長の言葉をしっかりと記録されており、広島のテレビ局の揺るぎない芯になっている部分だと思いますし、地元メディアと地域の人たちに見守られながら、世界に向けて原爆資料館が発信し続けている。資料館で働く学芸員のみなさんや来館する人たちを含め、みんなで編んだタペストリーのような映画だなと感じます。
立川:本当は原爆資料館で働いている方たちだけで作品を作れないかと考えたりもしていましたが、昔からの取材映像を見ると、館長が代表して語ることがやはり多いんです。だから少し館長目線での話が多くなってはいるのですが、学芸員のみなさんも要所要所で登場するようにしています。
――――館長は、やはり原爆資料館の顔でもあり、語る内容も胸を突かれるような迫力がありますね。
立川:第7代館長の高橋昭博さん以降は何名か被爆者の館長がおられ、みなさん凄い迫力で語られていました。ただ第6代館長までは被爆者の方ではなく、広島市の職員の方が館長をされていました。だから高橋さんの存在が大きかったですね。
――――高橋さんは、それまでの館長のイメージを変えたとも言えますね。
立川:当時はみんなそう思ったでしょうし、地元のテレビ局も高橋さんについての番組を作ることがめちゃくちゃ多かったんですよ。高橋さんを題材にしたノンフィクション本も非常に多いです。14歳で被爆した少年が、被爆者たちの記録が残っている原爆資料館で生き証人として証言しているわけですから。
■原爆資料館に脈々と流れているものを見せる構成に
――――大きなトラウマである被爆体験を何回も繰り返し語るというのは本当に並大抵の覚悟ではできないことだと思います。歴代館長が多数おられる中、作品を編む上で心がけたことは?
立川:細かい歴史事実を並べるというよりは、これまで原爆資料館に携わってきた人たちの行動や言葉、また、今の雰囲気を通じて、被爆直後から流れている原爆資料館の魂のようなものを伝えなければいけないという使命感がありました。遺品を丁寧に保管しながら、誠実に伝えていくことであったり、見たくないものを語っていく義務感であったり、原爆資料館で脈々と流れているものを、一本筋が通ったものとして見せたいという構成にしていますね。
――――語らないものの語りを「聴く」作品でもあります。被爆者の方たちの遺品は、それ自体が語るわけではありませんが、今も被爆当時の形を遺し、それが丁寧に展示されています。
立川:「遺品は叫びが聞こえる」というニュアンスのことをおっしゃる館長や、「遺品は本当に語っている」という想いで取り組まれる館長もいらっしゃいました。映画でも子どもの被爆した三輪車を寄贈するシーンがありましたが、僕もお子さんのエピソードを聞いたときは胸がうわーっと痛みましたし、お父さんと娘さんの血まみれの洋服が並んでいるのを見ても、本当に辛いじゃないですか。僕も子どもができてからは、こんな辛いことがあるんだろうかと思ってしまいます。自分が小学生のときは、「自分の家族がこうなったら嫌だ」と思う辛さでしたが、今は失ったものの膨大さを思い知らされます。被爆した年の末までに約14万人が亡くなったと言われていますが、14万人の一人ひとりに人生があり、その死を悲しんでいる人たちと考えるとその何倍もいるわけです。
――――学芸員の方も、遺品の持ち主について、またその被爆状況について、そこに紐ついているストーリーをとても丁寧に説明されています。それは、持ち主の尊厳をすごく大事にされているということであり、原爆資料館の魂のような部分ではないかと感じました。
立川:おっしゃる通りです。学芸員のみなさんが真摯に向き合う姿勢であったり、館長もそれをわかっているから怒るときもあれば、保存や展示方法を工夫して考えておられますね。
――――遺品を今でも預けに来られる方がたくさんいらっしゃることにも驚きました。
立川:結構たくさんいらっしゃいますし、原爆資料館からもこまめにプレスリリースが配信されるので、メディア各社は資料館でその遺品の説明を聞き、報道することが多いです。原爆資料館で取り組んでいることは、やはりニュースになることが多いので、今でもしょっちゅう取材に行きますし、遺品も寄贈され続けています。
■「原爆資料館 閉ざされた40分」で描いたこと
――――予算的なものも含めて、アーカイブを残し続けていくことが難しい中、これだけ丁寧に寄贈された遺品を取り扱っていることを見せるというのは大きなポイントだと思います。一方で、そのように大事に取り扱い、考え抜いて展示をしている原爆資料館を訪れる要人たちについては、疑問符がつくようなシーンもありましたね。ニュースでG7広島サミットが開催されたことは知っていましたが、このように目隠しをされ、閉ざされた時間があったとは…
立川:「原爆資料館 閉ざされた40分 ~検証 G7広島サミット~」という番組を作り、2023年6月に放映しています。G7広島サミットが行われたとき、バイデン米大統領をはじめとする首脳陣が原爆資料館に入ったのが40分間でした。その間は資料館に目隠しが施され、中で何が行われているかは一切非公開だったのですが、外務省が報道陣も入れず、写真撮影や映像も出さないという対応をする一方で、非常に怒っている元館長、志賀賢治さんがいたわけです。今回共同監督を務めている斉藤俊幸さんと制作した番組ですが、なぜ志賀さんがこんなに怒っているのか、そしてそこでまさに起こっていることから、原爆資料館の歴史を遡っていったという流れです。僕の方は2009年から高橋さんを取材していたので、その延長で原爆資料館の全体像を描きたいと思った。本作ではその2つの要素を組み合わせたという感じですね。
――――全国的には岸田さんが広島出身の首相ということで、広島でのサミット開催が実現したという文脈で報道されていた記憶があります。ただ、あんなに大きな目隠しを原爆資料館のガラス面に貼り付けていたとは知りませんでした。愕然としますね。
立川:広島でも、その視点で報道したのは広島ホームテレビだけでしたね。日頃、原爆資料館に通っている我々からすれば「えーっ」と思うんです。昔は要人たちが来館すると、館長が説明しながら、館内を見ていただいていたのに、なぜなんだろうと。年々メディアにも隠される傾向が強くなり、誰に忖度しているのかと思いますね。
■第7代館長、高橋昭博さんの強い想い
――――話は遡りますが、2009年から高橋さんに取材をし始めた経緯は?
立川:そもそもオバマ大統領の元側近の取材を進めていたときで、元米国務長官のジョージ・P・シュルツや元米国防長官のウィリアム・J・ペリーらが後押しし、オバマ政権が核兵器のない世界を目指す「核軍縮」に取り組むに至った経緯を「オバマに核廃絶を宣言させた男たち」(2009年11月放映)で取り上げました。
その番組の中で広島の目線の代表的存在として、当時オバマ大統領を原爆資料館に呼びたいと、直接手紙を送り続けていた高橋さんを取材させてもらったんです。高橋さんは2011年に逝去されましたが、その後も妻の史絵さんが折り鶴のレイを作って各国首脳たちに送る活動をされており、史絵さんを取材し続けたのが最後は僕だけになっていたという繋がりですね。結局高橋さんご自身を取材できたのは約2年半でしたが、亡き後も史絵さんを通じて高橋さんの想いの強さを知ることになりました。
■世界中の人に観てほしい作品
――――「届けるべき人に届けなくては」という強い気持ちで手紙を書き続けた高橋さんの強い想いが、2016年5月に、オバマ大統領の米現職大統領として初めての広島訪問につながったということも初めて知りました。
本作は静謐な作品ですが、そこに音楽をつけたのが『ドライブ・マイ・カー』や『悪は存在しない』の石橋英子さんです。
立川:『ドライブ・マイ・カー』はコロナ禍で、ほとんど広島で撮影した作品なんですよ。アカデミー賞国際長編映画賞を受賞され、濱口監督の次の作品である『悪は存在しない』が2023年の広島国際映画祭で上映され、濱口監督と石橋英子さんが舞台挨拶で来場されたんです。僕は現地で鑑賞したのですが、『悪は存在しない』も音楽がめちゃくちゃかっこよくて。石橋さんの曲は何で演奏しているのかわからない感じも素敵だし、本作の音楽を考えたときに、真っ先に名前が浮かんだのが石橋さんでした。
広島の映画関係者にも背中を押してもらい、オファーさせていただいたら快諾していただけたのは嬉しかったですね。石橋さんとは一緒に原爆資料館を2時間ぐらいかけてじっくりと観ました。その上で感じたことを曲にしてほしいとお願いしました。
――――この作品は原爆資料館の展示資料とじっくり向き合える作品になっているので、基本的に静かな音設計になっていますが、そこに音をつけるというのは繊細な作業だったのでは?
立川:昔の映像素材はそもそも音が入っていないし、写真もありますから、映像以外の何かでも表現したいという想いがありました。撮り方などいくつか候補があったのですが、映画の中でやはり音楽の要素は大きいと思うんです。よくドキュメンタリーでは無難にピアノが使われることが多いのですが、従来のドキュメンタリーにはない音楽でというところはこだわりたかった。音楽でより増幅される何かがあると思うのです。
――――本当に日本でしか作れない、そして広島でしか作れないドキュメンタリーなので、日本のみならず世界中の人に観ていただきたいですね。
立川:原爆を題材にした番組はいつも作っていますが、広島の人は結構原爆の被害について知っているので、県外や海外の人に観てもらいたいですね。本当に全世界のみなさんに観ていただきたいですね。
(江口由美)
<作品情報>
『原爆資料館 語り継ぐものたち』(2025年 日本 101分)
監督:斉藤俊幸/立川直樹
音楽:石橋英子
2026年8月1日(土)より大阪・第七藝術劇場、兵庫・元町映画館、8月28日(金)より京都シネマにて公開
公式サイト⇒https://abombmuseum-film.com
©広島ホームテレビ
0コメント