安田真奈監督が語る人生と映画づくり(前編)~「地方出身、女性、異業種」のOL監督時代に確立した自主制作で映画を撮り続けるコツ
奈良出身で関西に拠点を置き、メーカーに勤めながら「OL監督」としてオリジナル脚本で映画を撮り続け、退職後、『幸福(しあわせ)のスイッチ』(2006)でおおさかシネマフェスティバル脚本賞に輝いた安田真奈監督。現在1児の母でもある安田監督は、ドラマ脚本を手掛けてきた他、昨年公開された『36.8℃ サンジュウロクドハチブ』で11年ぶりに監督復帰作を発表。さらにこの春配信のスペシャルドラマ「TUNAガール」では近大の完全養殖マグロの現場に密着し、熱い青春ストーリーを編み上げた。安田監督に、自身の人生と映画づくりを振り返っていただいた。前編では「地方出身、女性、異業種」のOL監督時代に確立した自主制作で映画を撮り続けるコツをご紹介したい。
■社会の大事件よりも、個人の大事件を大事に。
――――映画づくりの原点は、大学時代ですか?
安田:高校時代も映画研究部に所属していましたが、チームでの活動でしたので、みんなでワイワイ作っていたので、私の作品と呼べるものはありません。神大映画サークル時代に8ミリで撮ったのが初めての自分の作品で、映画づくりに関しては専門的に学んではいないです。最初は映像関係の就職もいいなと思ったのですが、民放でワイドショーに忙殺されて自分の作品が撮れないのはツライなと思い、NHKだけ受け、あとはものづくりが好きなのでメーカーなどを受けていきました。私の作風は身近な「あるある、おるおる」なので、 共感したり、ちょっと元気になれる、という生活者目線。社会の大事件(爆破、誘拐、医療事故、裁判)も面白いけど、個人の大事件を大事に描きたい。例えば誰かに会って、一悶着あったけれど、明日からの自分の人生がすごく幸せになったとしたら、新聞に載らないけれど自分にとっての大事件ですよね。そういうものを描いていきたいと思い、就職して、自分が撮りたいペースで自主映画を撮り続ける道を選びました。
――――女性監督が少ない時代で、働きながら映画を作るのは大変だったのでは?
安田:鬼のように営業しましたね。映画祭で手裏剣のように名刺を配って、刺さった人にVHSを渡して(笑)普通に渡してもプロデューサーは忙しい仕事なので、なかなか見てもらえない。よく試写会場から出てきた人にインタビューをした映像(「感動しました!」みたいな)が予告編の前にあると見たくなるじゃないですか?あのテクニックを使って、自分の上映会後にお客様のコメントを撮影させてもらい、それを予告編の前につけました。そしてプロデューサーに、「最初の5分でいいですから見てください」とお渡ししました。世間に受け入れられている映画作家、という印象がつくかなと(笑)。
――――プロデューサーの心理を見越した、見事なマーケティグ活動ですね。
安田:パナソニック在社時に属していたのが、家電の販売促進部門。チラシやカタログを作ったり展示会を企画推進する、割と地味な仕事でした。例えば、私自身が高齢者向けのカタログを製作するとき、どこに発注するかを上司と検討するとします。A社はデザインが綺麗、B社はコピーライティングが上手、C社はどちらもベタだけど販売店をよく知っている。今回は販売店さんと一緒に開催する展示会の招待ハガキに使いたいカタログなので、デザインやコピーライティング重視ではなく、販売店をよく知っているC社、つまり、予算に合った一番効果のありそうな会社に頼むんです。それをしながら、多分映画のプロデューサーも一緒ではないかと。今回はハートウォーミングな話を関西で作りたい。ハートウォーミング系の作家を当たっていく中で、「安田真奈がいたな」と思い出してもらわなければならない。関西のええ話担当ということで覚えてもらおうと、会社員時代から「いつか会社を辞めて本格的に映画を撮る時は、お願いします!」と営業していました。
■OL時代の短編 「something interesting」
ゆめ郵便ショートカットムービーコンテストグランプリ
■OL監督時代の営業戦略~「地方出身、女性、異業種」の三重苦をバネに。
――――OL監督時代からの営業活動が、今に繋がっているんですね。その時代(90年代)から30年ぐらい経った今は、随分女性監督自体も増えてきましたが。
安田:確かに女性監督も増えましたし、何より、発信が簡単になったことは素敵だと思います。昔はメールやYoutubeがなかったので、お会いして、VHSを渡して見てもらうとなると非常にハードルが高かった。当時は東京が映像文化の中心で、女性監督は少なく、私は他の業種の社員。三重苦のような状態で、映画祭に足を運んでも、「本気で映画をやる気はないんでしょ」という目で見られがちでした。 でも、「大阪から来ました!」と名刺を渡すと逆に先方に覚えてもらえますし、大阪にいることで「映画祭の会場ではあまりお話しできませんでしたが、今度東京に行きますので、一度事務所にお伺いしていいですか」とプロデューサーに連絡できるんです。プロデューサーは面倒見がいいので会ってくださいますし、そこで今後作りたいと考えている作品をヒアリングしたり、こちらの企画をお話ししたりと情報交換ができます。映画祭で名刺交換をしても数が多すぎて名前を覚えてもらえませんが、一度一対一で会うと名前を覚えてもらえますから、そこからまめに上映会や受賞情報をお送りするようにしました。東京に住んでいたら、大した用もないのにプロデューサーに連絡するのは、ハードルが高かったかもしれません。そんな風に営業をして知り合った方々が、私が会社を辞めてからお仕事をくださいました。
■OL時代に監督・脚本 友情ドラマ『オーライ』予告編(関西テレビ放送)
2000年 宝塚映画祭すみれ座賞 、TAMA NEW WAVE特別賞
2001年 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 観客アンケート1位ファンタランド大賞
■自主制作で映画を撮り続けるためのコツは、キャスト、スタッフへのフィードバック。
――――監督はもちろん映画づくりのセンスも必要ですが、自分から発信してオファーをもらうことも大事ですね。その努力をし続ける、地道な積み重ねの賜物だと思います。
安田:そうですね。後、自主制作で映画を撮り続けるためのコツもあります。どうしてもお金が続かなくなって映画が最後まで撮れなかったり、構想何年と言いながら、構想が膨らみすぎて映画が撮れなくなる方も実際にいらっしゃいます。私はカタログやチラシを作る部門にいたので、何かをプランニングして市場に出す。その反響を見て、次に活かすというサイクルが自主制作映画にも応用できるなと思いました。作品を作ったら、何があってもまずは完成させる。当時はDVDやYoutubeがないので上映会でないと見ていただけないのですが、場所を借りて上映会をやる。お客様の反応を会場後方から見て、アンケートを書いていただき、自分で見るだけではなく、キャストやスタッフにも打上げの席でちゃんと見せる。そうすると、観客の反響が関係者に伝わります。出演しっぱなしだとか、使われっぱなしではなく、ちゃんとフィードバックが返ってくるから、しんどかったけどまた安田の作品に付き合ってやろうと思ってくれるんです。
――――まさにビジネス用語でいうPDCA(Plan Do Check Action)です。
安田:自主制作でもそれを続けていった結果、だんだん仲間が広がっていきました。元々映画を正式に学んだわけではないので、皆、土日ごとの撮影という私の道楽にいつまでも付き合っていられないわけです。でもそれを続けていくうちに、新しく芸大生の子が撮影を手伝いたいとか、プロの人が撮影や編集を手伝ってくれたり、ネットで連絡をくれた初対面の音大卒の方が映画の音楽をつけてくれたり、少しずつ今までにない仲間の輪が広がっていきましたね。
■OL時代に監督・脚本 全編和歌山マリーナシティで撮影したファンタジー『ひとしずくの魔法』予告編(吉本興業・関西テレビ放送)
■働きながら映画を撮り続ける方法はとにかく継続、自主制作のPDCAサイクルづくり。
――――やり続けていることで、参加した人からも口コミで広がっていくのでしょうね。
安田:最低限、安田はお蔵入りにしないぞと(笑)とはいえ私も当時は正社員で残業や休日出勤も結構あったので、お盆に撮っていました。そういえば「TUNAガール」もお盆撮影、『36.8℃ サンジュウロクドハチブ』もお盆撮影で、タイトルは微熱なのに、ロケは灼熱(笑)。働きながらでも映画を撮り続ける方法が、いくつか生まれました。1つ目は、年に1、2本は短くてもいいから絶対に映画を作る。そうすることで、「あいつは辞めてない」と思ってもらえますし、少しずつでも映画を撮るのが上手くなるかもしれない。2つ目は、あるもので何とか作る。例えば、このコップが素敵だと思ったら、コップをネタに脚本を書き、翌月すぐに撮るぐらいにフットワーク軽くやる。それは最終的には脚本仕事にすごく役立ち、あれこれとお題を出されても、ハイハーイという感じで書けるようになりました。3つ目はPRする。自主制作は宣伝スタッフが付いているわけではありませんから、自分の映画は自分で宣伝する。そして4つ目はPDCAサイクルを作る。この4つを実践することで、「関西在住で、女性で、他業種の社員だけど、毎年作品を応募してくるな」と認識してもらい、その上でプロデューサーに「いずれ長編撮りたいんですよね」と売り込んでいました。
※最新作、近大の完全養殖マグロの現場に密着した熱い青春ストーリー「TUNAガール」がひかりTV、NTTぷららと吉本興業が提供する「大阪チャンネル」で好評配信中の安田真奈監督
<後編〜電器屋が舞台の『幸福(しあわせ)のスイッチ』、子育て中に執筆した児童虐待がテーマのドラマ「やさしい花」に込めた思いに続く>
0コメント