名優・渡辺美佐子が日本国憲法を擬人化した「憲法くん」を熱演。ライフワークの原爆朗読劇にも密着した『誰がために憲法はある』井上淳一監督インタビュー


 赤木春恵、市原悦子、樹木希林と演技だけでなく、その語りでも魅了してきた大女優が次々とこの世を去る中、日本国憲法を擬人化した「憲法くん」となり、日本国憲法前文を暗唱する名優・渡辺美佐子の凜とした姿を見て、とても嬉しい気持ちになった。そしてそのしっかりとした語りで届けられる日本国憲法の前文をしっかりと胸に刻みたくなるのだ。

 お笑い芸人、松元ヒロが「届かない人に届ける」ためにユーモアを交え、オリジナルで演じている「憲法くん」を名優・渡辺美佐子が演じ、渡辺をはじめとする往年の名女優たちにより続けられている広島での原爆朗読劇にも密着したドキュメンタリー映画『誰がために憲法はある』が4月27日(土)よりポレポレ東中野、第七藝術劇場、京都シネマ、近日元町映画館他全国順次公開される。 

 監督は、『戦争と一人の女』『大地を受け継ぐ』の井上淳一。今、映画でできることを自問した結果、憲法の映画を撮るところにいきついた井上監督は、渡辺美佐子が随想「りんごのほっぺ」で書いている原爆で亡くなった初恋の人への思いや、女優たちと運営・開催している原爆朗読劇にも密着。原爆で亡くなった人たちの思いを広島の学生たちに継承する朗読劇を通して、日本国憲法について改めて真摯に向き合いたくなる。時代を超えて、日本国憲法の精神を伝え続けるであろう、唯一無二のドキュメンタリーだ。 キャンペーンで来阪した井上淳一監督にお話を伺った。



■映画で何かを考えていた時に出会った、絵本「憲法くん」。 

――――本作は、最初に松元ヒロさんの一人がたり、「憲法くん」を渡辺さんが演じるところから始まりますが、元々「憲法くん」はご存知だったのですか? 

井上:この企画は、自民党が無茶苦茶な法案を通しながらも、一向に支持率が下がらないので、自民党に対するカウンターで何かできないかと思ったのが始まりです。そのうちに衆参共に、自公維新の改憲勢力が3分の2の議席を確保してしまった。そんな中、映画で何かできないかと考えていた時に、自民党の憲法草案を元にした「あたらしい憲法草案のはなし」(太郎次郎エディタス社)という本が出版されました。これは1947年に中学生向けの副読本として出版された「あたらしい憲法の話」(日本国憲法をわかりやすく説明)のパロディーだったのです。僕が映画を撮るなら若松プロ的に低予算で作るしかないが、これなら6人ぐらいの役者に自民党の政治家を演じてもらえば撮れるということで、原作も押さえたのです。ただ、パロディーではなく本気に捉えられたらどうしようという懸念も生じ、ちょうどその頃、絵本の「憲法くん」を目にしました。実際に読んでみるとすごく良かったので、役者が演じた後、最後に「憲法くん」を入れればいいのではないかと思っていました。 


■12分のセリフを暗記する「憲法くん」役を快諾した渡辺美佐子と、ライフワークの原爆朗読劇が繋がって。 

――――当初は、随分違う構成を想定していたんですね。「憲法くん」を男性が演じていたら全く違う雰囲気の映画になっていたと思いますが、渡辺美佐子さんにオファーした経緯は? 

井上:「憲法くん」を映画に入れることにしたものの、松元ヒロさんご本人が演じるとヒロさんのファンの方から広がっていかないじゃないか、どうせ映画でやるなら、それより広げることを考えなければと、憲法よりは年上で、戦争経験もあり、ご自身が健康である高名な役者さんに出ていただきたいと思っていました。何人かにオファーしたものの、なかなか決まらない中、僕の頭に浮かんだのは、燐光群「サイパンの約束」やハンセン病を描いた「お召し列車」など、社会的なテーマに取り組んでおられる渡辺美佐子さんでした。

 子どもの頃、テレビで見ていた大女優なので、今までお話したこともなかったですが、今回オファーすると「私も今は戦前の空気に戻っているという危機感があるのよ」と快諾してくださって、もう大ビックリでした。最初は憲法を朗読すると思われていたので、僕がお伝えしたのは「憲法くんの12分のセリフを覚えてください」ということ。当時85歳の美佐子さんが12分のセリフを覚えるなんて、本当に凄いことですよ。実は、美佐子さんと私の昨年亡くなった母は生年月日が同じなんです。それだけに尚更、ある種の運命を感じますし、憲法の前文も含まれているようなセリフを覚えるのに、どれだけの努力をしていただいたか。それを思うと、美佐子さんに足を向けて寝られません!  


――――渡辺美佐子さんの「憲法くん」のパートから、映画はドキュメンタリー部分に入っていきます。渡辺さんを初めとする名女優たちが毎年広島で行っている朗読劇のことを私も初めて知りました。 

井上:当初考えていた自民党の政治家役を使っての劇映画パートでは、映画として持たないと思い、その部分は一旦白紙にしました。まずは一人語りの「憲法くん」シーンを柄本明さんのご自宅の地下スタジオをお借りして撮影した時に、美佐子さんを取材にきていたあるテレビ局の方から、企画がボツになったから代わりに撮ってみてはどうかと提案されたのが、美佐子さんが毎年広島で行っている原爆朗読劇の撮影だったのです。正直、これが「憲法くん」とどう繋がるのか、その時点では想像できませんでしたが、2019年で朗読劇が最後になること、そして夏に広島に朗読劇のため訪れるなら、これを撮らない手はない。そう考えて、朗読劇の撮影をはじめました。 


――――「憲法くん」と合わせて見ることで、より平和への願いを強く感じましたが、どう繋げるかが難しかったのでは? 

井上:一番のポイントは「憲法くん」をどこに持ってくるか。普通なら朗読劇を先に置いて、その後にもってくるのですが、今回は努力を重ねて「憲法くん」を演じてくださった高齢の女優さんが、こういう取り組みも行なっているという、“憲法くんと私”みたいな構成にした方がいいのではないかと思ったのです。実際に編集すると、朗読劇の方が強い印象を与えてしまうので、ラストに憲法前文を字幕付きでいれました。「こんなにも恐ろしく悲しいことから生まれた理想」をドキュメンタリー部分で語ったことにより、憲法前文が深く、広く、重くのる結果になりました。美佐子さんに導かれた結果ですが、本当に良かったと思います。  



■届かない人にも届くように。この作品への思いと、女優たちの朗読劇への思いが通底した。 

――――渡辺美佐子さんをはじめ、高田敏江さん、岩本多代さんらの大女優が、企画から宣伝まで全てを行なっている原爆朗読劇の記録も、本当に価値がありますね。 

井上:「届く人にしか届かない」という問題を松元ヒロさん自身もずっと考えていて、憲法を擬人化させる「憲法くん」という世界でたった一つのオリジナルを考え、届かないような人にも届くようにしていることにも心打たれましたし、女優さんたちの学校公演を通して届かないところに届けなければいけないという思いも僕自身のこの作品への思いと通底したと感じています。 


――――特に渡辺美佐子さんは、原爆で亡くなった初恋の人への様々な思いが、原爆朗読劇をはじめとする活動に向かわせていることも描かれます。 

井上:実は、美佐子さんが書いた、原爆で亡くなった初恋の人のことから原爆朗読劇のことまでを記した随想「りんごのほっぺ」は、高校国語の教科書にも採用されています。ただそのことを知る人もやはり少ない。ここでもまた、届く人にしか届いていないんです。だからこそ、この作品を撮る意義はあると思っています。 


■「現行憲法での最後かもしれない憲法記念日に、憲法の映画が一本もなくてどうするの?」 

――――原爆朗読劇をやり続けていることに大きな意義を感じますね。 

井上:最初の22年は地人会が企画していたとはいえ、皆さんが高齢になってからのこの12年は脚本づくりからブッキング、ほか公演に向けてのすべてのことをやることに挑み続けているんです。映画界の中では一部ドキュメンタリーで闘っている人はいるものの、特に劇映画で一緒に闘う人がいないなと思っていましたが、こんなところにいるじゃないかという気持ちにさせられましたね。韓国では『1987、ある闘いの真実』や『タクシー運転手』のように劇映画で民主化闘争や体制側の暴挙を告発する映画が次々と作られていますが、そんな映画が日本で作れるのか。ただ一つ言えるのは、日本は一度も民衆が勝った成功体験がないということ。だからと言って諦めてしまうのではなく、こういう映画を作ることで世に問いたい。もしかしたら現行憲法での最後かもしれない憲法記念日に、憲法の映画が一本もなくてどうするの?と。実際、今年は憲法の映画が複数公開されて被るのではないかと思っていたのに、蓋を開ければこの作品だけですから。  


■痛恨のカットシーン〜社会問題に意識的で、闘うつもりの人間でも、様々な事情が降りかかり、負けざるを得なくなる。 

――――継承という意味で、この原爆朗読劇の素晴らしいところは、学生たちと一緒に舞台で朗読劇をし、その後一緒に話をする交流会を行っていることです。学生たちの「自分たちが原爆体験を受け継いでいきたい」という声や、女優たちが感想を聞いて、「やって本当に良かった」と目を潤ませている姿が胸に残ります。 

井上:実は、その部分はカットせざるを得なくなってしまいました。2月に初号試写を行った時、出演していただいた女優さんたちが皆喜んでくださった中で、お一人の方が「(撮影した)中学校は朗読劇のドキュメンタリーだと思っているのに、こんな風に憲法くんと憲法くんの間に挟まれたシーンになり、こんなタイトルがついたら、大丈夫かしら」と懸念されたので、その時は「事前にDVDを送るので大丈夫」と答えたんです。  

 原爆朗読劇の広島公演は、あるNGO法人が上映権を買い、中学校をブッキングするので、撮影許可については、窓口の女優さんを通してやりとりをしていました。そこで「憲法くん」と二本併せて上映すると書いていたのを、併映と思われてしまったのがまず想定外だったことの一つです。さらにNGO法人の方に映画の内容を伝えると、「それはまずいんじゃないかしら」と忖度が肥大化してしまった。それでも生徒たちは本当に立派な意見を述べていたし、作品を見てもらえれば分かっていただけると信じていたのです。でも、DVDをご覧になってからすぐに校長先生から電話があり、「こんな映画に出演して、生徒の命が狙われたらどうするのか」と。びっくりして笑いそうになったのですが、本気で生徒が殺されるかもしれないと思い込んでしまっている。まさに過剰な忖度とありもしない脳内リスクに侵されているのです。「原爆ならOKで憲法ならダメだと言うけれど、広島以外で原爆を取り上げると同じことが起きますよ。生徒たちも憲法のことを語っているんですよ」と、諦めずに反論して、粘り強く交渉するつもりでいました。ただ、今年で最後となる広島での原爆朗読劇が5公演控える中、このままいけば、それを中止せざるを得ないという話が美佐子さんに届いたのです。美佐子さんにお会いすると、その5公演をしなければ赤字で終わってしまい、皆に顔向けできないと頭を下げられたので、これはもう切るしかないと決断しました。 

 最終的に、生徒たちとの交流会は、女優6人全員の語りと、生徒たちの笑い声や「はい」という声だけが聞こえてくるようにしました。僕の本業である脚本家は自分がいいと思っても、監督やプロデューサーから指示されると、別のものを考えなければいけない職業です。NGが出ても、そう考える癖がついていたのは、僕が今回監督した中で、一番良かったことですね。普通なら該当シーンをバッサリ削るところですが、工夫して、受け継ぐ先は見えるようにしたつもりです。僕のように、社会問題に意識的で、闘うつもりの人間でも、様々な事情が降りかかり、負けざるを得なくなるということを、今回身をもって体験しました。 


――――継承する側、継承される側が面と向かって語り合う、とてもいいシーンだったのに、本当に残念です。 

井上:昔は意見が違っても、どこかに話し合う余地があったのですが、今は完全に硬直している感じですね。確かに学校には「朗読劇のドキュメンタリー」で撮影申請していたんですね。憲法という言葉を出すとややこしいことになるのではないかという懸念が頭をよぎったからです。ドキュメンタリーも撮影をすればOKという原則を貫けば良かったですが、今回はやむを得なかった。ただ、逆に観客は、女優たちが(生徒たちに向かって)返事をする姿を見て、色々想像するでしょうね。 




■憲法を変えるかどうか議論する前に、日本国憲法がどういうものなのかだけは分かってほしい。

 ――――憲法を扱うということは、ここまで危ないという認識になっているんですね。 

井上:今や、憲法集会で公共の場所を借りられないこともありますし、憲法が政治なのかと言いたくなります。映画に戻れば、この原爆朗読劇のシーンを挟むことにより、憲法は生きている人のためだけでなく、死んだ人のものでもあるのだと思うのです。死んだ人たちの犠牲の上に成り立っている。今回、そのことを痛感しました。憲法というタイトルがなければ、この時期にこういう吸引力がない代わりに、憲法という二文字が付くことで門前払いしてしまう方もいるでしょう。本当に難しい時代になってしまいました。この映画では憲法の基本のキをお伝えしていますし、憲法を変えるかどうか議論する前に、日本国憲法がどういうものなのかだけは分かってほしい。僕の映画ができるのは、そこなのではないかと思っています。 


――――映画のラストで渡辺美佐子さん演じる憲法くんが、自分を「みなさんに預けましたよ」という言葉に、この憲法を守るも手放すも私たち次第であることを改めて実感させられました。 

井上:閉塞感に満ち、何も変わらないと思っている時代に、例えば僕のインタビュー記事を読んで「こんな映画を作っているバカがいるんだ、まだ諦めなくていいかもしれない」と知っていただき、「まだ大丈夫だ」と、みなさんの肩をトントンと叩く役割になってくれればいいなと思っています。後は、宇野重吉さんから仕事を選ぶときに「この仕事に正義はあるのか」と常に問うようにとアドバイスされたという日色ともゑさんの言葉を撮影できたのも本当に良かったです。そういう点ではこれからの表現者となる若い俳優さんにも見てほしいですね。 


■本当にきちんとしたものを今残していかなければ、何もなくなってしまう。 

――――最後に、これからご覧になる皆さんへメッセージをお願いします。 

井上:本当にこの映画が、今年の建国記念日に間に合って、僕自身がホッとしています。『戦争と一人の女』はちょうど6年前の2013年4月27日に公開初日を迎えたのですが、あれだけ加害責任や天皇の戦争責任を描いたのに、当時はそんなに窮屈な雰囲気ではなかった。6年経った今、憲法を扱ったこの作品が際立っている感じで、逆に戸惑っています。当時は憲法96条の改正について議論されていた頃で(発議に必要な賛成数を3分の2から、2分の1に)、まだ特定秘密保護法は成立していなかった。大正デモクラシーから治安維持法の制定まであっという間であったように、油断していたら時代はあっという間に変わってしまうことを、この6年でまざまざと感じます。ここまで自主規制や忖度という名の、無自覚な表現の歪みが進んでいくとは思いませんでした。本当にきちんとしたものを今残していかなければ、何もなくなってしまう。そんな思いで作りましたので、ぜひ見ていただき、国が国民を縛るのではなく、国民が国を縛る日本国憲法について考えていただけるとうれしいです。  


<作品情報> 

『誰がために憲法はある』(2019年 日本 69分)  

監督:井上淳一 

「憲法くん」作:松元ヒロ 

音楽:PANTA 

出演:渡辺美佐子、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代、日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳江  

2019年4月27日(土)よりポレポレ東中野、第七藝術劇場、京都シネマ、近日元町映画館他全国順次公開 

公式サイト→http://www.tagatame-kenpou.com/ 

 (C)「誰がために憲法はある」製作運動体