「ゴドーを待ちながら」は分からないからいいよね。『柄本家のゴドー』柄本明が語る演劇と演出。


 兄弟で演劇ユニット“ET×2”を組み、2014年にサミュエル・ベケットによる不条理劇の金字塔「ゴドーを待ちながら」の主演、ウラジミールとエストラゴンを演じた人気俳優の柄本佑と柄本時生。この2人が2017年に再び挑む「ゴドーを待ちながら」で、かつて同作を石橋蓮司と演じた名優の父・柄本明を演出家に迎えた。その稽古の模様を名カメラマンの山崎裕が捉えた演劇ドキュメンタリー『柄本家のゴドー』が、7月5日(土)より神戸・元町映画館で公開中だ。  



 今年2月、神戸での撮影中に何度か元町映画館に訪れたことが縁で、公開初日、主演の柄本明さんによるトークショーが実現。公演芸術集団dracomリーダー、演出家の筒井潤さんとまるで即興演劇のように予測不可ながら、演じることへの本音が垣間見えるトークが展開され、立ち見を含めて超満員の客席を大いに笑わせ、そして魅了した。 



 柄本明をはじめ、柄本佑や柄本時生も仕事をしたことがある間柄の名カメラマン、山崎裕さんから稽古場を「ちょっと撮りたい」と依頼があり撮影が始まったという本作。劇場公開を想定しているとは知らなかったという柄本は、「人に見てもらうのが恥ずかしくて仕方がない。『柄本家のゴドー』ではなく、『柄本家の恥さらし』。申し訳なくて、でもこうなっちゃったし」と父親が演出、息子たちが演者として一つの舞台に取り組む舞台裏を描いた本作のことを表現。さらに質問に答えながらも自身の演劇に対する思いを語った。その模様をご紹介したい。 



■若き日に憧れたアングラ演劇と「ゴドー」 

 作中で、柄本佑は2000年に父の明と石橋蓮司が演じた「ゴドーを待ちながら」を観たのが原体験となり「自分の中で最高峰。一生続けていける戯曲に出会った」と語っている。 一方、柄本明は、サミュエル・ベケットやウジェーヌ・イヨネスコらの不条理演劇が流行っていた時代がまさに青春真っ盛りだった。その頃を振り返った柄本は、 

「アングラ演劇がかっこよく見えて、思わず(ゴドーに)入り込んだのだけど、ベケットの全集を買って読んだら、全然わからない。でも突破口としてはそれしかないから、新宿風月堂という喫茶店に寺山修司さんたちが来るという情報を得て、とにかくその店に入ってベケットの本を広げて読む。青春の誤解でしょ」 


■「ゴドーを待ちながら」は分からないからいいよね。 

 さらに2000年に石橋蓮司さんと世田谷パブリックシアターで「ゴドーを待ちながら」を演じた時のことも振り返り、「読んでもわからない。だけど、何か出てきてね。『こんにちは。さようなら』の話だよね」 と当時の心境を回想。 

「(ウラジミールとエストラゴンの)二人が木の間に佇んでいる。前は分からなくちゃいけないと思っていたし、日本人はそのように教育されているのだけど、分からないということが分かった。そういう意味では、ゴドーという本は分からないからいいよね。テレビの連続ドラマ見ていると、分かりやすいけど分からないでしょ」

と、分かりやすいことが良いという作品づくりへ疑問を投げかけながら、「ゴドーを待ちながら」の魅力を柄本流に表現した。



 ■観客は台詞と格闘している俳優の姿を見ている。  

 自分で演じてみて分からないことが分かったという「ゴドーを待ちながら」。今回柄本は演出家としての顔を見せているが、演出の中で、台詞についても「ベケットが書いていることなんて、分かりませんよ」と前置きしながら、俳優が何を観客に見せているのかについて語った。 

「我々の俳優の仕事は他人様が書いた台詞を言うわけだけど、他人が書いた台詞は言えない。僕は今でもそうですが、台詞って言えないな、ということに気づくだけ。だって(時代劇では)「拙者は」なんて言うんですよ。物語の役割として、そういうことを演じるという仕事ですから、台詞ってなかなか難しいですよ。その台詞と格闘している人間を俳優というし、観る方もそこの事情、この人、台詞と闘っているというのをどこかで見ちゃうんじゃないかな」 



■僕らのやっているのはアマチュア演劇。そこに経済がないからこういうことをしている。  

 本作のテーマにもなっているのが、親から子への継承だが、そのことについて、 

「お客さんは親と子でこういうことをやって残酷だなと見ているんじゃないでしょうかね。伝承の歌舞伎の世界と違って、僕らのやっているのはアマチュア演劇という感じがするし、アマチュアでなければいけないんですよ。伝承の歌舞伎もそうですが、親から子、子から孫へというのは一瞬感動的にも見えますが、残酷ショーですね。見ている方は潜在的にそのことを見るんじゃないかな」

と、辛辣な分析をした柄本。このアマチュア演劇の意図するところについて、後ほど詳しく聞くことができた。  

「芝居を始めるとか、絵を描くとか、詩人になるとか、それらは経済(活動)とは遠いことだけど、その中でもバイトをしたお金で小屋(劇場)を借りてできるのが演劇。そういう意味でのアマチュアで、それが面白いと思うんですよ。僕は運が良かったので、そんなところから始めて、小さい小屋にお客様が来るようになって一本釣りされて、それはありがたいことではあると思うし、そういう場所(テレビや映画)では一応お金をいただいている俳優ということになのでしょう。ただ演劇をやることにおいては、演舞場や明治座のように経済が介在しているのではない。自分たちで(演劇を)やっている分には万に一つもお金なんて儲かることはないけど、アマチュアだからいいんじゃないかな。そこに経済がないからこういうことをしているんじゃないかな」


 ■人を感動させようという不埒なことを思うのは、みっともなくてしょうがない。

  演出家の筒井が、学芸会を見るのが好きという柄本に話題を振ると、 

「常に学芸会になればいいね。学芸会とか子ども達の運動会。かわいいですよね。一生懸命やる子もいれば、ただぼっと突っ立っている子もいて。子どもの描く絵は大人になるとかけなくなるよね。いつから書けなくなるのだろう」

と他人の評価を縛られすぎず、自分の心のままに動く子どもについて語った。さらに、 

「結局、社会の中で生きてきて、濾過されて、大人になってしまう。子ども達がやっているものを、いつからできなくなってしまうんだろう。(大人は)バカだから上手いとか下手とか、人を感動させようという不埒なことを思うわけだよね。だからみっともなくてしょうがない」



 ■ベケットの会話をテキストに、その場が考える空間になればいいのではないか。

 筒井から演出について問われると 

「やっぱり演出できないということに気づくだけ。他人を動かすなんてできない。こうやってくれ、ああやってくれというのは演出ではない。その人間に見られるということ。僕が思うには演出家っているの?どこかにいた?演出家っていないと思うよ」

と断言。 どきりとした気分になった観客を前に、さらに続けた柄本は、 

「何度も何度も、台詞を言うんですよ。自分の体にフィットするまで言うんですよ。それって何度言っても言えないですよ。答えのないことですからね。演出家は答えのないものをどう言う風に許容してみていけるかということ。演出家は迷うもので、それは当たり前。そこに答えはない。その稽古場でそこに関わっている人たちがベケットの会話をテキストにして、その場所が考える空間になればいいのではないか。そこでどんなものが生まれるのかですね」 

と、演出家が常に対峙する迷いについての持論を明かした。


 ■演出がうまくいかない時は「考えるチャンスをもらった」と考える。 

 最後に観客から、自分の演出がうまくいかない時について質問されると、 

「うまくいかない時がチャンスのような気がする。この人にこのことが伝わらない。自分がどの言葉をかければいいかわからない。それは考えるチャンスをもらったと思えばいいのではないか。なぜなのかという理由が見つかればいいですね。うまくいかないことはとてもありがたいと思えればいいのですが、人間はうまくいかない自分が嫌いで、うまくいかないことを切り捨ててしまうから」 



 演劇論ではあるが、人生の生き方を指南されているような言葉の数々に、力をもらった観客も多かっただろう。かくいう私もその一人だ。無理に答えや、考えを言い表す言葉を探そうとするのではなく、もっとシンプルに受け止め、分からないことを楽しむ。人生がちょっと豊かになるような、滋味溢れるトークショーだった。 



<作品情報>

 『柄本家のゴドー』(2017年 日本 64分) 

撮影・演出:山崎裕 

出演:柄本明、柄本佑、柄本時生、劇団東京乾電池のみなさん