世界記憶遺産の炭鉱画と元おんな坑夫の語りから、炭鉱労働の歴史と今を掘る。 『作兵衛さんと日本を掘る』熊谷博子監督インタビュー

 世界文化遺産に日本で初めて登録された福岡の炭坑画家、山本作兵衛の絵を中心に、作兵衛が働いていた筑豊炭田の足跡や、おんな坑夫の歴史に触れ、国策のエネルギー産業の原点を掘り起こしたドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』が、7月20日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、8月10日(土)より元町映画館他、全国順次公開される。  

 監督は、『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』(05)の熊谷博子。近代化する日本を支え、エネルギー政策の転換と共に閉山し、炭鉱の跡形がほとんどない筑豊地方。その手がかりとなる作兵衛の炭鉱画に肉薄し、当時の坑夫たちの息遣いを感じるだけでなく、元おんな坑夫の橋上カヤノさんの取材から、その生き様がずしりと伝わってくる。関係者のインタビューからは、炭鉱労働者や炭鉱の地域に向けられる差別が浮かび上がり、今のエネルギー政策最前線の労働現場とも繋がる苦しみがにじみ出るのだ。熊谷監督に、紆余曲折を経て完成した本作について、お話を伺った。



 ■炭鉱跡に足を踏み入れた瞬間に、下から働いていた人たちの声が聞こえてきたように感じた。 

―――本作の前に、三池炭鉱に密着したドキュメンタリーを制作されていますが、何がきっかけだったのですか? 

熊谷:三池炭鉱の前に『ふれあうまち』(95)で、東京・向島とドイツ・ハンブルクを舞台に、古いものを壊すのではなく、どのように生かしてまちを育てていくのかというテーマのドキュメンタリーを撮っていました。97年に閉鎖した三池炭鉱は筑豊とは違って大炭鉱なので、炭鉱が閉鎖されて住民は自信を失っているけれど、残った炭鉱跡をどう生かして自信を取り戻していくかが懸案事項となり、それをテーマに、98年、大牟田市で歴史を生かした街づくりをテーマにしたシンポジウムが行われたのです。

『ふれあうまち』がきっかけでパネラーとして呼んでいただき、初めて三池の炭鉱跡に足を踏み入れた瞬間に、下から働いていた人たちの声が聞こえてきたように感じました。その場所は囚人労働をさせられていた坑口でした。赤煉瓦の建物と高い鋼鉄のやぐらが秋の空に映えて、何か凄いものに触れてしまった気がしたのです。 瞬時に撮りたい、遺したいと思ったのでシンポジウムで発言すると、地元の方から「三池は負の遺産が多すぎるので、閉山したことだし、全て忘れて次へ行く方がいいのではないか」と。確かに囚人労働に始まり、与論島から集団移住させての差別労働があり、朝鮮人・中国人の強制連行、連合軍捕虜の強制労働、そして戦後の三池争議、炭じん爆発事故と凄い歴史なのですが、それは日本の歴史そのものでもあるので、それを葬り去ってしまうと、この炭鉱で必死に生きて働いた人たちの姿はどうなってしまうのだろうと思ったのです。 

シンポジウム後、私を呼んでくださった市の職員の方が、「撮りたいとおっしゃったけれど、本当にできるんですか」と声をかけてくださり、すぐに企画書を書いて下さい、と。作って提出したのですが、2年連続で通らず。でもその職員の方も私もなぜか諦める気にならなくて、3年目にようやく企画が通ったことで、最初は証言を集めることから始まり、紆余曲折ありながら『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』(05)を作り上げることができました。



 ■作兵衛さんの絵に寄っていく時のドキドキ感を観客の皆さんと共有したい。 

―――お話を聞いていると、同じ炭鉱でも規模が違えば遺されているものも違う気がしますね。規模が違う様々なヤマがある筑豊炭田で、引退後炭坑画家として絵を書き続けて来た山本作兵衛さんのことは前からご存知だったのですか。 

熊谷:炭鉱のことを調べていれば作兵衛さんの絵は目にしますので、ずっと気にはなっていたのですが、福岡の地方局から作兵衛さんのドキュメンタリー番組のディレクターを依頼されたことが取り組むきっかけになりました。ただテレビ局側と方針が合いませんでした。例えば、今回作兵衛さんの絵をかなりじっくり見せていますが、テレビ番組の発想としては絵をあまり長く見せなくてもいいと。元々映画化する予定だったので、絵をじっくり撮ってもらいましたが、編集段階で短くせざるをえず、作兵衛さんの絵は、単なる資料扱いになってしまいました。筑豊文庫開設宣言も撮ったのですが、それを入れることはできませんでした。 ドキュメンタリー番組「山本作兵衛からのメッセージ〜炭鉱絵師がつなぐ未来」が放映された後、テレビ局とは離れ、自分の考えで映画を作ることを決意しました。 


―――おっしゃるとおり、本作は作兵衛さんの絵にすーっとズームインしていき、しばらく静止するので、炭鉱で働く坑夫たちの息遣いまで感じられるようでした。まさにこの映画のもう一つの主役のように見えましたが、見せ方には相当こだわれたのですね。 

熊谷:作兵衛さんの絵は寄れば寄るほど、本当に丁寧に描きこんでいることが分かります。絵を撮っている時、どんどん寄っていくと、ドキドキする。「こんなに艶っぽい!」とか、そのドキドキ感を観客の皆さんと共有したいという狙いもありました。 



―――作兵衛さんは本当にたくさんの作品を遺しておられますが、その中で今回映画に使う絵はどのようにして選んだのですか。 

熊谷:私の個人的な感想ですが、作兵衛さんの絵は世界記憶遺産に選ばれていない絵の方がいいなと思うことがあります。2000枚以上描いているうち、基本的には田川市立図書館に寄贈したものが世界記憶遺産に選ばれているのですが、それらは筑豊文庫が開設されたのと同じ64年、田川市立図書館に将来の記録になるからと依頼されて描いた作品です。母子入坑の絵は世界記憶遺産のものが圧倒的に好きですが、作兵衛さんのご家族が保管している作品は、作兵衛さん自身が孫などの次の世代に伝えたくて、そして描きたくて制作したものなので、意味もかなり違いますし、映画でも多く取り上げています。  



■撮影5年目に初めて語ってくれた、「筑豊」に対する複雑な思い。 

―――筑豊文庫開設宣言がテレビ番組に入らなかった話がありましたが、本作では筑豊文庫創設者、上野英信さんの長男、上野朱さんが、筑豊という名称を消したがっている人々がいることをご自身の体験もふまえて話しておられますね。 

熊谷:この映画は7年がかりで作ったのですが、撮影を始めて5年目にやっと話してくれたこともあります。作兵衛さんの絵は深くて広い解釈が必要なので、何度も作り直しをしており、作兵衛さんのお孫さんにも、一から作り直すことを報告しに伺うと、「実は筑豊出身と言えなかった」という話を初めてしてくれました。その後、上野さんからも、自身が体験した“炭鉱に対する外からの目”、も聞きました。そこで、この作品はできるかもしれないと、ようやく確信できました。私だけでなく、スタッフも、もう少し何かあるのではないかと思っていたはずです。 すでに東京から上映が始まっていますが、「筑豊から逃れるように東京に来たけれど、作兵衛さんのお孫さんの体験が自分の境遇にそっくりで、やっと自分の出身地を言えるようになった」というお声をいただきましたし、もっと若い方からも同じような声をいただくので、人には言えない、根深いものがあると思います。 


―――これで映画が作れるという確信を得るのに時間がかかった理由は、他にもあるのですか。 

熊谷:やはり炭鉱で暮らすことの皮膚感覚がないと、多分映画を作れないと思うのです。その皮膚感覚を持つのに時間がかかりました。また、三池のような日本一大きい炭鉱ではなく、筑豊は200〜300もある小規模な炭鉱なので、作兵衛さんの絵を除けばあまりにも遺っているものが少なすぎたこともあるでしょう。でも、これをきちんと完成させなければ、劣悪な環境の炭鉱で、危険と隣り合わせの中働き続けた坑夫たちがいたということが、後世に伝わっていかない。この人たちがいたおかげで、今の私たちの生活があるのです。



 ■104歳の元おんな坑夫、カヤノさんが語る「貧乏が一番、貧乏が鍛えてくれた。今が一番幸せ」 

―――本作では作兵衛さんを取り上げるだけでなく、元おんな坑夫の橋上カヤノさんに直接取材されていることに大きな意義があると思いますが、インタビューアーの熊谷さんの喜びや、カヤノさんの炭鉱で働いたことを誇りに思っていらっしゃる様子が伝わってきました。 

熊谷:104歳になろうとしている方が、自室で立って迎えてくださるとは思わなかったので、まずはそれに驚きましたね。最初は凄いと感激し、その後落ち着いてお話を伺った時に、「貧乏が一番、貧乏が鍛えてくれた。今が一番幸せ」とおっしゃるのを聞いて、この人の人生はなんて凄いのだろうと思いました。やはり炭鉱で働いていることを誇りに思えない人が多い中で、カヤノさんはそれを自然に受け止めて生きてこられた。色々と言われ、心の中でくそっと思うこともあったけど「負けんとよ」という気持ちで、子どもを抱えて頑張ってこられた方で、本当に生きていてくれて、話を遺してくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 



■作兵衛さんの絵に重ねた、本物の「音」 

―――常盤炭田の元坑夫、渡辺さんは、個人で炭鉱資料館を開き、当時使っていらっしゃったカンテラやツルハシがずらりと並べられていて、カンテラにも点灯されていましたね。 

熊谷:渡辺さんは、お会いした時からいつか是非撮りたいと思っていたので、今回はうれしかったです。まさかカンテラを点灯させてくださるとは思いませんでしたが(笑)。実は、この映画では、作兵衛さんの絵から掘る音が聞こえてくるので、余計な音は入れないでおこうと思ったのですが、そこだけは本物の音を付けようと、渡辺さんのところに撮影後、音録りのために再訪したのです。ちょうど敷地内に石炭層の出ている場所があったので、普通なら立って掘るところですが、ゴザを敷いて、坑道と同じように横になった姿勢で掘ってくださって。渡辺さんのおかげで、本当にいい音が録れました。 



■「軍隊と武器がある限り戦争はなくならない」 日記を読んで、作兵衛さんと日本を掘りたいと思った。 

―――タイトルの『作兵衛さんと日本を掘る』に込めた思いは? 

熊谷:64年の東京オリンピックが開催された当時は、炭鉱の閉山がどんどん進み、失業者が増え、東京だけはオリンピックで盛り上がっていました。多分、来年も東京は盛り上がるでしょうが、地方は未知数だと思います。日本が抱えている問題がずっと解決されないままですが、その中で記録を残すことが必要なのではないでしょうか。作兵衛さんが凄いのは、「500年先に伝えたい」とおっしゃっているのです。作兵衛さんのお孫さんもおっしゃっていましたが、「遺したい」のであれば親族が大事にしまっておけばいいのですが、「伝えたい」のです。 実は、最初からこのタイトルを考えていたのではなく、当初は作兵衛さんと対話を交わすように作品を作りたいということで、別タイトルにしていました。ただ、もう一度きちんと作兵衛さんの米騒動の日記を読み直すと、「皆富豪の番犬でアリ」とインクの色を変えて書いてあったり、スケッチブックの裏に「軍隊と武器がある限り戦争はなくならない」と書いてあったのです。それを読んだ時、作兵衛さんと日本を掘りたいと思ったんですね。 


―――対話より、より突っ込んだ「掘る」は怒りをも内在していますね。 

熊谷:これだけ長く作兵衛さんの絵と向き合っていると、気分はおんな坑夫のようになっているのですが、いつも劇場でお話するのは、「私だけでなく、皆さんが現代のおんな坑夫となり、このように足元にたくさん埋もれている事実を掘り出し、表に出し、未来に向かう坑道を掘りませんか」と。まだまだ埋もれている話がたくさんあると思いますから。  


<作品情報> 

『作兵衛さんと日本を掘る』 

(2018年 日本 111分) 

監督:熊谷博子  

朗読:青木裕子 ナレーション:山川建夫 

出演:井上冨美、井上忠俊、緒方恵美、菊畑茂久馬、森崎和江、上野朱、橋上カヤノ、渡辺為雄 

2019年7月20日(土)〜第七藝術劇場、京都シネマ(いずれも初日舞台挨拶あり)、8月10日(土)〜元町映画館他全国順次公開 

※ポレポレ東中野で、7月20日(土)~8月2日(金)前作の『三池 終わらない炭鉱(やま)の物語』も上映

公式サイト⇒ https://www.sakubeisan.com/