「看取り士という仕事と同時に、一人一人が看取ることを認知するきっかけになれば」『みとりし』白羽弥仁監督インタビュー


 人生最期の旅立ちまで、住み慣れた家や希望する場所で、残された時間を過ごすため、心を寄せ手助けしてくれる「看取り士」。はじめてその名前を聞く人も多いのではないだろうか。様々な患者やその家族の間で、心穏やかな旅立ちを支えるベテラン看取り士と、新人看取り士の成長を描いた白羽弥仁監督最新作『みとりし』が、9月13日(金)より有楽町スバル座、9月14日(土)より第七藝術劇場、9月28日(土)より京都シネマ他全国順次公開される。  

 第2の人生を看取り士として生きる主人公・柴久生役の榎木孝明は、本作の企画段階から参加し、様々な看取りを体験してきたベテランならではの佇まいで、映画の核になっている。新人看取り士のみのり役には、新星・村上穂乃佳。透明感がある落ち着いた佇まいで、様々な看取りの現場を体験しながら一人前に成長していく様を瑞瑞しく演じている。  

 自らの死を看取ってもらうため依頼した一人暮らしのサラリーマン、実家の父親の在宅医療のため依頼した遠方に住む息子など、実際にあったケースを盛り込み、看取りの瞬間には、家族に死にゆく家族の手を取らせたり、背中に手を当て、その温もりを感じられるように導く。看取る者と旅立つ者の心のバトンをつなぐ姿は、自分の親を看取る時も、このように触れ合って看取りたいと思わせるほどだ。後悔しない看取り方、死に方を考え、今後間違いなく増えるであろう在宅看護や、行き過ぎた延命措置にも一石を投じる、死に方の物語でもある。 脚本も手掛けた本作の白羽弥仁監督に、お話を伺った。


■「生きることと同じぐらい、死ぬことも大事」主演、榎木さんの思い。 

――――主演の榎木さんは、原案「私は、看取り士。」の筆者、柴田久美子さんと交流があり、本作の企画者でもありますね。榎木さんから伝わった本作への思いは? 

白羽:榎木さんは生命力にとても興味を持たれている方です。最近公開されたインド映画『ガンジスに還る』に描かれていたように、インドのガンジス川沿いに「死の家」という死にゆく人たちが集まって、死ぬまでを過ごすホスピスのような場所があるのですが、榎木さんはそこにも行かれたそうです。生きることと同じぐらい、死ぬことも大事。榎木さんには、そういう思いがあったようです。  


――――確かに、看取り方の映画である一方、死に方の映画でもありますね。 

白羽:今後在宅で死んでいくことを希望される人が増え、国も在宅看護を推奨しているので、柴田さんがされている看取り士は喫緊のニーズがあります。都会であればあるほど、マンションで一人暮らしの人が多いため、孤独死が多い傾向にありますから、僕としては、社会問題としての死に方の映画は、研究して作る甲斐があると感じました。 



 ■脚本作りに工夫、モデルの柴田さんを3人のキャラクターに反映させて。 

――――ドキュメンタリーも含め、今は看取りや死に方をテーマにした映画が非常に多い中、オリジナル脚本で新たな視点で社会に死に方を提示する作品を作るのは、難しかったのではないですか? 

白羽:最初に嶋田プロデューサーと榎木さんのお二人に「ドキュメンタリーじゃないんですよね?」と聞きました(笑)原作がありませんから、亡くなる方のエピソードが膨大にある中で、そこから脚本を編み上げなければならない。僕が参加するまで、そのあたりがうまくまとまらなかったようです。そこで僕が考えたのは、柴田さんの人生を登場人物3人の設定に反映させること。幼い頃に父親を亡くしたというのは、村上穂乃佳さんが演じる新人看取り士のみのりに、その後大企業でバリバリと働いたものの、うつ状態となり、自殺未遂を起こすというのは、榎木さんが演じる主人公、柴に、その後、故郷に戻り、看取り士となってホスピスを運営するというのは、つみきみほさんが演じる、柴が同僚の墓参りで出会った看取り士に反映させています。墓参りでの出会いで、第二の人生は看取り士として生きていくことを決めた柴が、5年後に新人のみのりを引き受けるという構成を考えました。その上で、ある程度の年齢の男性と女性のコンビといえば、クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』があるので、これでいけると思いました。  


■芝居として成立することを考えず、注意深くその瞬間を見つめる撮影現場。 

――――榎木さんが演じる柴は、非常に穏やかで、仏のような何事にも動じない芯の強さがありましたが、キャラクター作りはどのように行ったのですか? 

白羽:看取り士が、ご臨終した依頼者の背中に腕を入れて、抱きかかえるシーンがありますが、実際に柴田さんに僕がやってもらうと、昇天しそうな、なんとも言えない安心感があったんです。その安心感を出す意味でも、淡々と演じてもらっています。また、榎木さんは映画で初めての白髪姿を披露しています。日頃染めていたのを止め、自然な姿で臨んでいただきました。あとは、録音部に「囁くようにしゃべるから、そのまま録って」と伝え、大きな声でハキハキとはしゃべらないように演出しました。芝居として成立することを考えず、注意深くその瞬間を見つめるという共通認識はありましたね。 


――――命の火が消え、静かに息をひきとるというご臨終のリアル感がありました。 

白羽:臨終前に「息子たちに言いたいことがある」と語る映画を撮影前に見たのが反面教師になりました。ドキュメンタリーもしかりですが、亡くなり方の描き方を見るのは勉強になります。後は、死の間際に弱る時は、がくっと弱るというのも参考になりました。ですから、看取り士の仕事の集大成でもある、最期を看取り、家族につなぐというシーンを嘘くさいものにしないことを心がけました。



 ■新人看護師みのりという役に溶け合う村上穂乃佳。 

――――柴のもとで看取り士として成長していくみのりを演じる村上穂乃佳さんの清楚さやひたむきさが印象的でしたが、どのようにキャスティングしたのですか? 

白羽:僕は20年近く映画の仕事をしていますが、きちんとしたオーディションをしたのは今回が初めてです。1200人が参加してくださり、最後は全員一致で、村上さんに決まりました。オーディションで演じてもらったので、脚本を一部分だけ渡していたのですが、村上さんは全て作ってきてくださった。みのりという役に溶け合っており、彼女自身がこの役柄に出会うのは必然だったと思います。村上さんも、自分の生き方とみのりの生き方が一致したと言っていました。 


――――本作は岡山県高梁市が舞台ですが、懐かしい風情の駅舎をはじめ、優しい気持ちになるような、瀬戸内海沿いらしい穏やかな田舎町でしたね。 

白羽:原案の柴田さんが所属する日本看取り士会の本部が岡山なので、ロケハンをして、高梁市に決めました。現地で分かったことなのですが、寅さんの撮影が2回もあった場所なんです。山田洋次監督が2回も寅さんをここで撮るなら、間違いないなと(笑)古い家並みが残っていて、山が町を囲んでいる。非常に良いロケーションでしたね。  



――――岡山といえば、岡山を舞台にした『ずぶぬれて犬ころ』(本田孝義監督)にも出演していた仁科貴さんは、本作ではみのりが初めて担当した患者の家族として登場します。白羽監督作品にも多数出演されていますが、仁科さんの魅力はどんな点ですか? 

白羽:僕の監督作5本のうち、3本も出ているのは仁科さんだけで、最多出演なんですよ。僕の場合、普通の人役として仁科さんをキャスティングするんです。印刷会社の人事担当とか、お好み焼き屋の息子とか、普通の人を普通に演じてもらいたいと思う時に合致する俳優です。柴の同僚の墓参りで出会った看取り士役のつみきみほさんは、33年前彼女が中学生だった頃に僕が渡辺プロダクションでライター見習いだったので、久々の再会だったんです。そういう意味でも、今回のキャスティングは楽しかったですね。  



■本人が死を選択する時代にニーズが大きくなる看取り士は、患者の甘えを叶えるのが仕事。 

――――看取り士という職業は、今後死に方の選択に大きな影響を与えそうですね。 

白羽:かつては延命治療をしないのは人殺しのような判断をされましたが、今はそうではなく、本人が死を選択する時代にようやく入ってきた。胃ろう(胃から栄養を入れる)も、今は減っていますから、医療側の変化も大きいです。これから看取り士も足りなくなるでしょうね。あとは映画でも触れていますが、家族が面倒をみないという孤独死のケースですね。看取り士の名刺を握りしめたまま、孤独死して長く発見されなかった老人のエピソードも、柴田さんが直接僕に「こんな話もあるんだけど…」と教えてくれたものです。発見された時には白骨だったのに、名刺を握りしめていたというのは孤独死のケースの中でも本当に衝撃的なものでしたね。 


――――仕事とはいえ、様々な患者やその家族とのやり取りの中で、心を落ち着けなければやっていけないような状況も描かれていますね。 

白羽:「あくまでも亡くなる人に寄り添う」と語っていますが、やはりワガママなことを言われるケースも多いそうです。でもそれはそばにいてほしいという甘えなので、看取り士はその甘えを叶えてあげなければいけない。一般の人が思う「そんなことはできない!」と思うようなことを、一つ一つ消していくのが看取り士の仕事なんです。一昔前は嫁の仕事と言われた看取りですが、もう時代が違いますから。



――――色々な患者に接してきたみのりが、3人の子どもを持つ主婦の患者を看取るにあたり、自分も幼い頃母親を亡くした事実を突きつけられ、「自信がない」と弱音を漏らします。

白羽:この看取りも実際にあったケースを元にしています。普通これだけ一緒に看取るご家族の人数が多いと、新人のみのりの仕事ではなく、柴の仕事になるのでしょうが、映画の中でラストケースとしてみのりが担当することになると、やはりそう簡単にできるはずがない。そう考えて、書いたシーンです。  


■一人一人が看取るということを認知するきっかけになれば。 

――――看取り士を題材にした映画を撮った今、この仕事に対してどのような思いを抱いておられますか? 

白羽:一人一人が看取り士になれるはずだと思いました。一人一人の親族、人間がいついかなる時も自分の親しい人が亡くなる時、看取り士になれるはずで、物の考え方次第だと感じたのです。映画の最後にマザー・テレサの言葉を入れていますが、「無駄な人生なんて一つもない」わけですから、そう思って生きるべきだと思うのです。ただ、今は日本に限らず、自分の人生をポジティブに捉えられない人が多いですよね。もう少し、穏やかに人のために生きることを考えなければ、自分が死ぬ時に誰も手を差し伸べてくれないのではないかと。看取り士という職業があり、看取り士が最後に手を差し伸べてくれるというのも大事ですが、一方で、一人一人が看取るんだということを認知していただけるきっかけになればと思います。 


――――看取った者にも、死んだ者の温もりや、その記憶が残り、死んでいく者も最後に家族や大事な人のぬくもりを感じて穏やかに逝ける。シンプルですが、とても大事なことを知ることができました。 

白羽:宗教的な概念もあるでしょうが、触ってあげるというのは、とてもシンプルなことなんですよ。看取り士だけでなく、色々な終末医療のケースを読んだのですが、一つ言えるのは、亡くなる人は誰でもいいから、とにかくそばにいてほしいのです。 


<作品情報> 

『みとりし』 (2019年 日本 110分)  

監督・脚本:白羽弥仁  

原案:柴田久美子著「私は、看取り士。」佼成出版社 

出演:榎木孝明、村上穂乃佳、高崎翔太、斉藤暁、仁科貴、藤重政孝、河合美智子、つみきみほ、金山一彦、宇梶剛士、櫻井淳子他 

2019年9月13日(金)~有楽町スバル座、9月14日(土)〜第七藝術劇場、9月28日(土)~京都シネマ他全国順次公開 

 (c)2019「みとりし」製作委員会