「今この時が『終う時』、元気な時に家族と何度も話し合って」 『人生をしまう時間(とき)』下村幸子監督インタビュー


 NHK BS1スペシャルで2018年6月に放送され、大反響を呼んだ「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」に、新たなシーンを加え再編集した下村幸子監督作『人生をしまう時間(とき)』が、10月5日(土)より第七藝術劇場、10月12日(土)より京都シネマ、11月9日(土)より元町映画館他、全国順次公開される。



  森鷗外の孫で、元東大病院の名外科医だった小堀鷗一郎先生が、現在勤務している堀ノ内病院(埼玉県新座市)の在宅医療チームと共に取り組み続けている在宅の終末期医療に密着。下村監督自らカメラを持ち、訪問診療や介護の現場を、その人生が終う瞬間まで丹念に捉えている。在宅介護といっても、老老介護や、母が娘を看取るケース、通いで在宅介護をするケース、全盲の娘が同居の父を介護するケースと、その数だけ、家族や医療チームとの様々なドラマがある。試行錯誤しながらも、人としての尊厳を大事にした在宅介護を経て、あの世へ旅立っていった人たちの穏やかな死に顔と、家族や親戚たちの充足感も滲み出る。在宅医療、在宅介護が本格化する日本で生きる私たちに大きな指針を与えると共に、人生の終い方についてもっと話し合うことが大事だと痛感するのだ。 60件以上のケースを取材し、今も取材者と交流を続けているという本作の下村幸子監督に、お話を伺った。 



■釣り番組で学んだ人間観察と、日常でない空間を生む「カメラの力」 

――――映画はノーナレーションですが、9月10日に発売された下村監督のノンフィクション『いのちの終いかた「在宅看取り」一年の記録』(NHK出版)では撮影しながら下村監督が感じていたこと、疑問に思って先生方に意見を求めたこと、咄嗟の出来事に対する様々な判断、そして取材者やそのご家族との関係についてが、きめ細やかに描かれており、映画への理解がより深まりました。いくつかの局面で過去の取材体験が生きたというお話もありましたが、具体的に過去の取材で学んだことを教えていただけますか。 

下村:振り返ると、今まで全ての現場で経験したことが、今回の撮影に生かされているなと感じます。私は人間を描くのが好きで、最初は「日本釣り紀行」を担当しました。釣り番組とは言っても、実はヒューマンドキュメンタリーなのです。というのも、釣れない場合、人はいろんな言い訳をし始めるんですよ。若い頃は釣ることにフォーカスしていたのですが、当時のプロデューサーに「釣ることが目的ではなく、実は何を言い訳にするかとか、逆に釣れない時を丁寧に撮り、その人間性を浮かび上がらせてほしい」と言われました。そこで随分、人間観察を鍛えられました。 また「人間ドキュメント」という一人の普通の人を描く枠で、青森で津軽三味線を必死になって弾く女の子を、自ら企画を出して取材したことがありました。企画を書く前に、彼女の家に泊まらせてもらい、話を聞くと、元々は千葉出身で津軽三味線を聞いた時、自分の中の血が騒いで、青森へ修行に来たそうです。でも実はお母さんは青森出身で、あらぬ濡れ衣を着せられたため、故郷を捨て、千葉に出てこられたことが分かりました。その真実を彼女自身は知らなかったのですが、最後に千葉の母校で津軽三味線の演奏会をするため彼女が帰った時、お母さんは故郷を捨てた理由を告白したのです。カメラがあるから、告白した部分もあると思います。まさにカメラの力ですね。


―――カメラを向けられると、言いたいことが言えなくなるのかと思っていましたが、逆に告白したくなるような「カメラの力」があるんですね。 

下村:カメラが入ることで、日常ではない空間が生まれます。その中で吐露するものがありますね。今回も2階の部屋から出てこない妻の介護を夫が行なっている夫婦のケースで、妻がカメラに向かって「うちのこと全部やってるんだもんね。めずらしいでしょ。南妙法蓮華経って拝まなきゃ。私みたいにだめなババアを面倒見てくれる人がいるなんて奇跡でしょ」と拝む仕草をされたんです。夫が神妙な顔をされていたので後で聞くと、あんなことを言われたのは初めてだったそうです。普段言えないとか、心の底にあったものがカメラの力で引き出される。津軽三味線の時の経験があったから、これだと思いました。 


■今回、自分一人でやりきる覚悟を決める基盤となった沖縄取材。 

―――本作以前に医療現場も取材されていますね。 

下村:沖縄で取材をした「こうして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修日記~」(2012)で、初めて自分でカメラを持ちました。ロケの前日にプロデューサーが机上にカメラの取扱説明書を置いていったのです。無言のプレッシャーを感じました(笑)。いつもはチームで行動し、スタッフと話し合いをするので、自分だけでやるよりも別の視点でも捕らえることができるのです。でも、その時は、医療現場ということもあり、自分で判断し、全てを撮るしかなかった。この番組は2013年度ギャラクシー賞選奨を受賞し、結果も出ましたから、自分の基盤になりました。今回、人が亡くなるという究極にプライベートの場面へレンズを向ける訳ですから、自分一人でやりきるという覚悟が必要で、自らそうすると決めたのです。 



■医者のイメージを覆す小堀先生。「先生の後を追えば、絶対に色々なドラマがある」 

―――まず小堀鷗一郎先生のことを紹介されたことが今回の密着取材につながったそうですね。 

下村:最初、ロケハンで小堀先生に同行させていただくと、想定もしなかったような様々なケースに出会うのです。都会から抜け落ちたような場所にどんどん入っていかれるので、この先生の後を追っていけば、絶対に色々なドラマがあるなということが、長年の経験と勘で分かりました。小堀先生も訪問医療を多くの人に知ってほしいという思いで協力していただきましたし、患者さんやご家族には、私自身が関係性を作った上で撮影許可を得ていきました。 


―――小堀先生は、取材当時80歳だったそうですが本当に若々しく、患者さんも先生と話をするだけで元気になるぐらい、魅力的な方ですね。 

下村:私が持っていた「ザ・お医者さん」というイメージをことごとく崩して下さる存在でした。ヘミングウェイ風のちょっとダンディーで優しい目をした方で、最初に「下村さんは、全てを分かった上で撮影するタイプ?行ってみて感じたことを大事にするタイプ?」と聞かれて驚いたこともあり、ともすれば名プロデューサーみたいな素質もお持ちの方です。この先生をもっと追いかけてみたいという気持ちになりましたね。 


■「最期の瞬間に立ち会わなくてもいい。そこに至るまでの過程こそが大事」という言葉に救われて。

 ―――ずっと看護をしていても死ぬ時に孤独だったら家族が罪悪感を感じてしまうことが往々にしてありますが、そんな家族の気持ちを和らげる声かけがあったのが、非常に印象的でした。 

下村:映画の中でベテランケアマネージャーの方が「最期の瞬間に立ち会わなくてもいい」と言いますよね。孤独死は可哀想だという固定観念があるかもしれませんが、亡くなる本人は最期まで住み慣れた自宅にいることができてよかったと思っているケースもある。 「息を引き取るときに誰かが立ち会っていなくても、それまでに深いかかわりをもっていればいい。最期に至るまでの過程こそが大事だということです」とおっしゃられたインタビューに私もすごく救われました。  


―――映画の中でも、このケアマネージャーさんの言葉をまさに実証しているケースがありましたね。 

下村:在宅死はバラ色という映画ではなく、死をめぐる中で、親子や家族、夫婦の物語があり、その中で死について「あなたはどう考えますか」という問いかけをしています。死に対して逃げずに向き合ってほしいというのが、この映画のメッセージですね。  



■在宅介護は日常の中に死があり、死を迎える準備ができてくる。 

―――末期ガンを患う父と、在宅介護している全盲の娘。この親子の絆は特に強く、小堀先生の訪問診療を受けながら、最期に父の息の根が止まるのを娘が確認するまでカメラは密着しています。その後、駆けつけた親戚たちと共に、「みなさん、お疲れ様でした」と声をかけあい、在宅での看取りをやりきった清々しさすら感じられました。 

下村:日常に死があるので、娘さんもだんだんと覚悟ができてくるのだと思います。病院だと面会時間だけの点での繋がりですが、在宅介護だと日常の中に死の時間があり、毎日そこで生きていると、死を迎える準備ができてくるのでしょう。私が取材した中で、看取った後に家族が取り乱すようなケースはなかったです。 


―――200日に渡り、相当多くの方の看取りのときを取材され、相当大変だったのでは? 

下村:何度も心が折れそうになりました。長く通うとお別れの時間が近づいてくることが分かるので、泊まり込みで待機するのですが、その瞬間を待っている自分に対して罪悪感を感じました。そんな自分を助けてくれたのは取材をさせていただいた患者さんであり、そのご家族でした。大勢の親戚が集まられている中、私がカメラを回せなくなり、玄関で頭を抱えて座り込んでいたら、奥様が「みんなと一緒にお蕎麦を食べない?」と誘ってくださったんです。親戚の輪の中に入れていただき、お別れは悲しいけれど、悲しいのと嬉しいのが入り混じった気持ちで、「このような人たちに支えられているのだから、頑張って撮り切らなければだめだ」と思いましたね。 



■在宅医療において、アプローチの違う二人の先生を丁寧に追い、その答えを自分の中で見つけていく。 

―――小堀先生は割と早い段階から最期に向かいつつあることを知らせ、死と向き合うことを促します。死にたくない、家族が死ぬのを認めたくないという心理が働く中で、残された時間を自覚するのは大事なことですね。 

下村:特に小堀先生はそう心がけていらっしゃいます。ただ、命の時間の質を高めるためですから、逆算して、亡くなるまでの時間の猶予があるときに伝えています。映画で、全盲の娘さんに、「朝起きて、お父さんの顔を触って、冷たかったらもう終わりだと思いなさい」と先生が言ったときは、病院に帰ってから先生を問い詰めたんです。あの時、私が場数を踏んでいなければ、先生をとことん問い詰めていたでしょう。「なぜ、あのような事をおっしゃったのですか」と。 でも今なら、とにかく淡々と先生を追いかけていれば、そのうち自分の中で答えがでると思えたのです。ですから、先生のインタビューは、一言で終わっています。 人はすぐに答えを欲しがりますが、今回はそれをしませんでした。インタビューで答えてもらうのは簡単ですが、その事象を丁寧に追うことで答えがでることがあるのです。 その方が、観客の心に深く届くのではないかと考えました。 


 ―――もうお一人の堀越先生は、また違ったアプローチの仕方をされ、患者さんからの信頼も厚い方です。 

下村:小堀先生と堀越先生は太陽と月のように、お互いに持っていないものを補完しあうようなコンビです。堀越先生は死が近づいても、それを口にはされず、とにかく患者さんに寄り添います。それだけでも大事なケアになっているので、安心させるということに重きを置かれています。行為が同じでも、アプローチが違う。子宮頸がんを患っていた娘さんのケースでは、堀越先生の代診で来られた小堀先生が、残りの時間が短いことを告げることで、介護していたお母さんも覚悟が決まり、娘さんもそれまで打たなかったモルヒネを打つようになりました。 


―――先生たちの声かけを見ていると、患者さんが大事にしていることを汲み取り、人としての尊厳を非常に大事にしておられることが伝わってきました。 

下村:本当に色々な視点で見ることができる作品で、先生がどんな言葉遣いをしているかという医療者としての視点もあります。言葉のかけ方次第で患者さんは、本当に元気になられます。褒めたり、例えば昔の輝かしい時代の話を聞くと、本当にイキイキとしてこられるんです。小堀先生もそれを分かっているから、病気の話より若い頃どんなことをされていたのかという話の方が多いですね。私のようなディレクター業も他人の懐に入っていく仕事ですから、先生のテクニックは私も学ぶところが多いです。1日1日がすごく濃かったですね。 



■死にゆく人は必ず何かを遺してくれる。そのバトンをみなさんと分かち合いたい。 

―――この作品を見て我が身を振り返った時、私の祖母が、亡くなる直前の数年間、病室でたった一人延命治療を受け、ただ死の時を待っている姿が思い出され、親の介護をする時は悔いのないようにしなくてはと気持ちを新たにしました。 

下村:64件に及ぶケースを撮り、私が学んだことは、死にゆく人は必ず何かを遺してくれるということです。そういうお祖母様の姿が目に焼き付いているということは、お祖母様が見せてくれた、あなたへの(江口さん)へのバトンなのです。死んだ方が遺してくれた思い出は生きている私たちの中に残りますから、それは私たちにとっての「はじまり」でもあります。私も撮影する中で、色々な方からバトンをいただきましたから、この映画を見ていただき、私が受けたバトンを、みなさんたちと分かち合いたい。それが私のカメラに前に立ってくれたみなさんへの唯一の恩返しだと思っています。 


―――ありがとうございます。子育てと同様に、皆に訪れる人生のしまい方というのを、もっと積極的に個人個人で、また家族で考える必要がありますね。 

下村:今までは年を取るとアンチエイジングなど、若さを保つことに関心が注がれていましたが、2025年には団塊世代が後期高齢者になり、超高齢化社会が訪れ、本格的に在宅介護時代に入っていきますから、私たちも切り替えていかなければなりません。  


―――政府も在宅介護に向けた施策を順次打ち出していますが、逆に人手不足や、マニュアル化により、今小堀先生や堀越先生がされているような、一人一人に寄り添ったオーダーメイドの終末期医療は難しくなるのではないですか。 

下村:小堀先生も自分のやり方を引き継がれるのは難しいと、今後の在宅医療について危惧しておられます。何を大切にしていくかという揺るぎない軸を、みなさんが心の中に持っておかないと、誤った方向に行ってしまう恐れがあります。マニュアルに沿ったような在宅医療では、終いの時間は豊かなものにはなりませんから。 


■今この時が「終う時」、元気な時に家族と何度も話し合って。 

―――最後に、下村監督ご自身は、この取材をする前後で人生の終い方や在宅医療についての考え方に変化はありましたか。 

下村:もともと私の中で、「命」は大きなテーマではありますが、自分のことはもちろん、親の問題は早いうちから話をしておかなければいけないと思ったのが、多くのケースを取材しての実感です。実際に親とも終い方についての話をし、その意向を聞いて書き留めたり、姉妹とも話をしました。何が正解かというのはありませんから、元気な時に何度も何度も話し合うことが大事です。方向性が変わってもいいんです。普段、何気ない会話で話しておくことが、いざとなった時への指針になりますし、この映画がそういう家族との会話のきっかけになればいいと思っています。まさに、今この時が「終う時」です。 

(江口由美)



 <作品情報> 

『人生をしまう時間(とき)』 (2019年 日本 110分)  

監督・撮影:下村幸子 

プロデューサー:福島広明 

出演:小堀鷗一郎、堀越洋一他 

2019年10月5日(土)〜第七藝術劇場、10月12日(土)~京都シネマ、11月9日(土)〜元町映画館他全国順次公開