「テレビも組織も、簡単には変われない。だから苦しんでいるんです」 『さよならテレビ』阿武野勝彦プロデューサーインタビュー


 『ホームレス理事長』『ヤクザと憲法』を世に送り出した東海テレビの阿武野勝彦プロデューサーと圡方宏史ディレクターコンビが、自社の報道局にカメラを向けたドキュメンタリー『さよならテレビ』。2018年9月に東海テレビ開局60周年記念番組として放送されるやいなや異例の大反響を呼んだ。同番組に新たなシーンを追加した待望の劇場版『さよならテレビ』が、1月4日(土)より第七藝術劇場、京都シネマ、1月18日(土)より元町映画館他、全国順次公開される。


 タブーなしを地でいく撮影は、報道デスクから強烈な反発に遭いながらも、働き方改革による非正規雇用社員の入社や、40代のニュースキャスター就任とその変化を追い続ける。あるべき報道と、視聴率につながる企画の狭間に悩む姿や、過去に犯した自社の不適切テロップ問題(セシウムさん事件)にも触れ、組織のありのままを切り取る。そこから、真に「変わらねば」という作り手の思いが伝わってくるのだ。

 本作の阿武野勝彦プロデューサーにお話を伺った。



―――契約社員と正社員の処遇的、精神的隔たり具合を見ていると、『さよならテレビ』は、『さよなら日本』と言ってもいいのではないかと思えるほどでした。

阿武野:テレビの中の人にカメラを向けているのに、日本の社会が見えてくるというのは確かですね。それと、見る人の立場によって感想が全然違うんです、この映画は。ベテラン契約社員の澤村目線で見る人もいれば、新人契約社員の渡邊目線で見る人もいる。アナウンサーの福島目線で見る人はさすがに少ないですが、地方局のアナウンサーなどは「福島さんを通して、表現することへの悩みや逡巡が身に沁みました」と福島君に自分を重ねたという人もいました。


■辞める覚悟でオンエア、「生の自分たちの姿をよくぞ出してくれた」という励ましの声が多かった。

―――テレビでオンエアされた後、どのような反応があったのでしょうか。

阿武野:2018年9月2日に東海テレビでオンエアされ、色々なご意見をいただきました。地域の方々からは「華やかと思っていたテレビ局が、実は自分の会社と変わらない悩みを持っていることが分かった」という親近感、それにニュースキャスターの福島君へは「彼を支えたい」という声もいただきました。テレビがこんなにひどいのかという反響が殺到して、社内が滅茶苦茶になったら、その時は責任を取って会社を辞めるつもりでいました。でも実際にそういう声はほとんどなく、生の自分たちの姿をよくぞ出してくれたという励ましの声が多かった。生の姿を描き出したことで、会社に居づらい状況は続きましたが、表立って責任をとれとか、叩かれることはありませんでした(笑)。



■社内では年代による考え方の違いが浮き彫りに。経営トップの後ろ盾で映画化へ。

―――映画でもデスクのトップの人たちは撮影を拒絶していましたが、オンエアする前に社内で見せた時の反響は?

阿武野:放送後に、社内でティーチインをしたのですが、前半に役員から「嫌なところばかり切り取って編集した。報道はこんなに酷いのか、酷くないだろう。東海テレビのイメージを著しく毀損した」と強い批判が出て、場内が静まり返ってしまいました。50代、60代はテレビの逃げ切り世代なので、自分のつま先だけ見ていればいいかもしれませんが、企業は永続性は大事なテーマですから、もっと視線を上げて遠くを見て欲しい。テレビがこれからどうすればいいかを、テレビマンとして性根を入れて考えてほしいと思い、「つま先だけ見てるんじゃねえ!」と、つい声を荒らげてしまいました。後半になってから、若い層から「これを面白いと言えない会社の雰囲気こそが問題だ」という意見も出て、年代による考え方の違いがまざまざと浮き彫りになったと思いました。果たして、テレビは変われるか…。


―――変わってほしいという願いを込めて作った番組が、変われないことを浮き彫りにし。皮肉な現実を直視する結果になりましたね。

阿武野:インタビューでも「この番組を通じてどう変わったか」とよく聞かれるのですが、そんなに簡単に組織は変わりませんよ。そうじゃないから、苦しんでいる。それでも、「御社は番組に経営のガバナンスが効いているのか」と聞かれた当時の社長(現在の会長)が、「信頼できるスタッフに番組を任せているのだから、現場にガバナンスを効かせないのがテレビの経営の最も高度なガバナンスだと思う」と言ってくれました。こういう言論と組織を分かっているトップがいることが、今回の映画化への大きな推進力になりました。


―――登場する3人にフォーカスした理由は?

阿武野:長期にわたる撮影の中で、労働環境の大きな変化が目の前で起きた。それを作品に色濃く反映して、非正規雇用の二人にフォーカスしていったのだと思います。現代日本の大問題ですね。それと、福島君は、東海テレビには「セシウムさん事件」が根っこにあるので、そこを触らずにできないという、いわばこの作品の不文律です。ニュースキャスターの福島君が、2011年のセシウムさん事件の時、事件を起こした番組のMCでした。取材をしてみると、セシウムさん事件を最後まで抱え続けているのが実は彼だったことに気が付く。その姿を通して、カメラの前で表現をすることの大変さを感じてほしい。事件を克服するというこは、どういうことか考えたいという思いがありました。


■ニュースアナウンサーの最高峰で苦悩する福島アナウンサーに密着。セシウムさん事件を最後まで背負った彼が、自分を解き放つきっかけに。

―――福島さんがニュースキャスターに就任するタイミングだったことで、ニュースキャスターの任期内における彼の悩みや成長がまさに等身大で映し出されていました。

阿武野:福島君にとっては、この作品の取材を受けるというのは、いい機会だったと思います。夕方のニュースキャスターは東海テレビのアナウンサーとしての最高峰で、それをまだ30代後半という若さで担当することの辛さがまずありました。また、最高峰を引退した後にどうなるか。ローカルのアナウンサーの生き方は難しいです。福島君は、セシウムさん事件以降、表現を一生懸命に丸める方向に向かいましたが、それをもう一度解き放つかことを考える機会になったのではないでしょうか。


―――福島さんに代わり、テレビを熱心に見る60代以上が親しみを持てるキャスターということで、一回り上のベテランキャスターが就任されましたね。福島さんのがんばりを見ていると、そのまま続けてほしいという気持ちも芽生えましたが。

阿武野:福島君に代わってキャスターを担当しているのは、東海地方の「街道を歩く」シリーズをずっと続けているアナウンサー、高井一さん。ニュースキャスターの経験者です。街道を歩き、地域の人に出会っていく番組なのですが、テレビで高井さんが出ると、「この間、私の友達が会ったよ」と必ず誰かが言うぐらい、たくさんの人に出会い、知名度は抜群です。社内にいてお決まりのリポートをするだけではなくて、ゆったり街を歩き、街の風を感じ、人と出会うことを繰り返すことで、アナウンサーは生き返るのだと思います。すごくいいことだと思います。福島君も今は街に出ています。映画では管理職が「視聴者の年齢が・・・」みたいな理由を言っていましたが、本当は元ニュースキャスターで、街を歩き、地域の人たちに親しみを持たれている人にこそ、もう一度キャスターに戻ってきてもらうことに意味がありました。


■会社はすぐに視聴率や劇場入場者を、お金に変換してしまう。もう少し違ったコミュニケーションのあり方をテレビと地域が持たなければ、地域で生き残るテレビ局にはなれない

―――報道部長は日々視聴率について言及し、社員を鼓舞していました。確かに視聴率は収入源なので口を酸っぱくして言わざるを得ませんが、現場の大変さが逆に浮かび上がりました。

阿武野:視聴率はスポット広告料金に反映されますから、民放としては視聴率=収入なのですが、私たち作り手は、「視聴率はたくさんに人に見てもらっている、支持されていることを示すものだ」と一段前のところで思考を止めておかなくてはならないと思います。ニュースの分野まで視聴率に血道を上げなくてはならなくなったのは、リーマンショック以降のローカルのテレビ局が炭焼き小屋のようになるという刷り込みによるものだと思います。映画の場合も、すぐにお金へ変換がちです。『人生フルーツ』のように26万人の動員があると、興行収入は3億、純益1億何千万という、映画としては製作会社なのに作品の中身はどこかにすっ飛んでしまって、数字だけ独り歩きしてしまう。でも、それは26万人の方がわざわざ時間を作り、交通費を出して映画館まで足を運んでくれたということ。お金とは別の解釈に変えておかないと、当たる作品を作らなければとか、妙なところへ引きずり込まれてしまう。私たちが作りたいものは何かということが、一番大事だと思っています。いまは、マーケティングが大事だという声がよく上がります。マーケティングはいいけれど、そこで道を誤ることもあると私は思うんです。劇中でも「グルメもののニュースにすれば視聴率が上がるんじゃない?」というくだりが出てきますが、そうではない。もう少し違ったコミュニケーションのあり方をテレビと地域が模索しなければ、地域に本当に必要とされるテレビ局にはなれないと思います。


―――本作のディレクター、圡方さんは通常は報道デスク担当だそうですが、ドキュメンタリーに携わることで、通常のデスクと、どういう違いが生まれているのでしょうか。

阿武野:人それぞれですから、何とも言えませんが、圡方は、弱い立場にいる人たちへの視線をきちんと持っています。ですから悩んでいる若いスタッフは、彼のところへ教えを請いに来ることが多いですね。言うときはズバリと言いますので、若手の力をうまく引き戻していると思います。ドキュメンタリーに携わると、自分の作品が根底から批判されることがあります。命がけで作ったものを批判されるのですから、気持ちは揺さぶられます。でも、冷静に判断すべきところや、どういう立場の人であろうと「それは違う」と熱く言うべきところがあるということを体験します。これはメディア人として、いい経験だと思います。


■ドキュメンタリー映画で才能を開花させた圡方さん。「色々な形の人間が活躍できる場にするには、人間力や教育力が不可欠」と会社の人間に感じてもらいたい。

―――弱い立場にいる人たちに対する視線をきちんと持っているという点で、非正規社員の渡邊さんに密着した理由も頷ける気がしました。社内では厳しく叱咤されることも多かったですが、密着する眼差しに優しさが感じられました。

阿武野:ありがとうございます。圡方が以前、制作部にいた頃は、結構生きづらさを覚えたそうです。人と人との関係で、力を持つ側が、彼をネグレクトして能力を伸ばせなかったんでしょうね。型にはめなくていいドキュメンタリー映画の世界で『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13)を作った時に、才能豊かだと分かりました。人はそれぞれ違う能力を持っていますから、それを伸ばせばいいのですが、どうも一つの形にはめようとする。包容力のない集団だと、上手にはまらない人間は弾かれてしまう。この作品を見て、「色々な人間が活躍できる場にしたい、それには人間力や教育力が不可欠だ」と感じてもらえればいいのですが。実際は自分たちの今のフォーメーションを変えたくないから、なかなか組織とは、人間とは難しいものです。


―――働き方改革を会社からの号令として推し進めようとする報道部長に対し、報道デスクからは取材もままならなくなるという意見が挙がっていましたが。

阿武野:働き方改革は、巡り巡ってジャーナリズムの足腰を弱くすることにつながっています。その中にドキュメンタリーも含まれますから、舌鋒鋭くではなく、まろやかになってしまう。政治権力からすれば、そういう効果を狙っての改革としか思えません。このドキュメンタリーは、取材対象を身内にてしていますから、より刃物を研いで切らなくてはなりませんでした。報道部長の物言いが格好悪いという人もいましたし、中間管理職の悲哀を感じたという人もいました。大事な仲間ですから、格好悪く描きたくないし、傷つけたくもない。でも、組織を描く、人間を描くとは、こういうものだということは、みんな分かっていると思います。格好悪かろうが、その役割を担っている人を描くことに躊躇してはなりません。特に、身内に甘くなった途端、「さよならテレビ」「さよならドキュメンタリー」になってしまいます。


■メディアは、政権がどうなっても何も言えない鈍な存在になってしまうことに「サヨナラ」しなければいけない。

―――『さよならテレビ』というタイトルは阿武野さんの直感でつけられたそうですが、テレビ、しいてはメディアはこれからどのように取り組むべきだとお考えでしょうか。

阿武野:メディアが弱い社会は、恐ろしい社会です。しかし、信用を失ったメディアは、退場していくものです。では、メディアが力をつけるにはどうしたらいいか。それはコツコツと、自分の足と目と耳で取材するしかないです。ネットで何でも判ると思ってしまう時代は、もうすぐ終わります。最後は、取材した人の肌感覚が大事なだというところに行きつくはずです。今のテレビは、メディア不信の波に漂っています。そこを乗り越えるためにはどうすればいいかを一度裸になって考えることが必要だと思います。隠すことが一番ダメですから、オープンに色々なことが開示できるメディアであるべきです。地域の人々も、大切にメディアを育ててほしい。メディアが力を失うと、無力感の泥沼の中にどんどん引き込まれてしまう。政権が右でも左でもきちんと物を言うのがメディアの役割のはずなのに、どちらがどうなっても何も言えない鈍な存在になってしまう。それにはサヨナラしなければいけないと思うのです。

(江口由美)


<作品情報>

『さよならテレビ』(2019 日本 109分)

プロデューサー:阿武野勝彦

ディレクター:圡方宏史

2020年1月4日(土)〜第七藝術劇場、京都シネマ(いずれも1月5日舞台挨拶あり)、1月18日(土)〜元町映画館他全国順次公開

公式サイト⇒http://sayonara-tv.jp/