『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』国家の大嘘を暴くことの難しさ
1900年代に国家がひた隠しにしてきた虐殺の事実やその真相が近年ようやく明らかになりつつある中、経済発展と工業化、近代化のためにホロドモール(人工的な大規模飢饉)をひた隠しにしてきたレーニン率いるソ連の闇に一人で迫り、その真実を報道した勇気あるジャーナリストがいた。大恐慌時代を経て、各国が経済危機的状況にある中、新しい改革を強力に推し進めるソ連が国際的にも期待されていた時代であり、ドイツでヒトラーが台頭する中、まだアメリカがソ連と友好関係を結ぼうとしていた時代でもあった。インターネットのない時代、本当は”はりぼて”のソ連の情報を得るのは、ジャーナリストたちが書く新聞記事と、しっかりと行間から真意を読みとる小説でしかなかった。『ソハの地下水道』で知られるポーランドのアグニェシュカ・ホランド監督が、歴史に埋もれた悲劇と、命がけでその真実を伝えようとしたジャーナリスト、ガレス・ジョーンズの姿から、現在に通じる国家の嘘や、忖度報道をあぶり出す伝記映画。歴史から学ぶことはあまりにも多い。
1933年、若くして元英国首相ロイド・ジョージの外交顧問を務め、ヒトラー取材の経験もあったガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)は、ナチスの台頭に危機感を募らせていた。それを阻止するにはイギリスとスターリン率いるソ連が手を組むべきだと考えるが、ジョーンズはソ連だけ経済的に繁栄していることに疑問を抱く。財政危機から顧問職を解雇されたジョーンズは、フリーのジャーナリストとしてモスクワを訪れる。ジョーンズは、ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストで、ニューヨークタイムズ支局長のウォルター・デュランティ(ピーター・サースガード)を頼るが、スターリンへのインタビューを持ち出すや冷笑し、連絡を取り合っていたジャーナリストの友人、ポール・グレアが強盗に殺されたことを告げるのだった。
モスクワに入ってからの奇妙な雰囲気は、お互いを監視し合っている現代にも通じる空気感だ。特に、何かを調べるためにイギリスから入国したジョーンズを、先輩株のはずのデュランティが秘密の乱行パーティーに誘い、骨抜きにしようとする。明確な理由もなく、記者たちはモスクワからは出られないと告げられても、ただ何かを隠しているとしか思えないのは、記者ならずともわかることだが、それもスターリンに忖度した自主規制であり、もはや報道はスターリンの宣伝機関に成り下がっていることが見て取れる。スターリンではなく、一ジャーナリストのデュランティが「新しい世界を築くためには、個人を超越する」と、戦争に邁進したかつての日本と重なる滅私奉公的発言をすること自体がすでに由々しき問題だと気付くだろう。
デュランティのもとで働く、ドイツ人ジャーナリストのエイダとの交流から、ポールがウクライナに向かおうとしていたことを知ったジョーンズが、監視の目を盗んで列車に飛び乗ってからは、寒い冬の最中、食べるものもなく、時には人肉を食べることすら厭わないような壮絶な飢饉状態を目の当たりにすることになる。モスクワの様子とは一転し、荒れ果てた土地、飢えた人々の群れ、そして隠された事実のあまりにもの深刻さ。このシーンを描くことに時間をかけたホランド監督の、300万人以上とも言われる犠牲者に対する並々ならぬ思いが伝わってくるのだ。
真実を知り、それをきちんと記事にして読者に届けることがどれだけ難しいことか。しかもそれが国家の存亡や、国家間の駆け引きに影響を及ぼすものであればなおさらのはずだが、それでも真実は一つ。そこがあまりにもブレている今だからこそ、国家の嘘を疑い、国家の闇に迫るジョーンズの姿勢に、本来あるべき報道とその監視力がもたらす影響を感じずにはいられなかった。
<作品情報>
『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』”MR.JONES”
(2019年 ポーランド、ウラクイナ、イギリス 119分)
監督:アグネシュカ・ホランド
脚本:アンドレア・チャルーバ
出演:ジェームズ・ノートン、ヴァネッサ・カービー、ピーター・サースガード
8月14日(金) シネ・リーブル梅田、京都シネマ、シネ・リーブル神戸他全国順次公開
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