激動の2018年、沖縄の若者たちはどんな気持ちで基地問題に向き合ったのか。 『私たちが生まれた島~OKINAWA2018~』都鳥伸也監督、都鳥拓也プロデューサーインタビュー
岩手出身、岩手を拠点に活動している双子の映画作家、都鳥伸也監督、都鳥拓也プロデューサーが『OKINAWA1965』に続き、現在の沖縄を若者の視点で描いたドキュメンタリー『私たちが生まれた島~OKINAWA2018~』を完成させ、9月19日(土)からシネ・ヌーヴォ、9月25日(金)から京都シネマにて公開される。
政府の強硬姿勢の前に辺野古新基地反対運動の灯は大きく揺らぐ中、2018年から準備を続け、2019年に実施された県民投票で基地建設に「NO」を突きつけたが、その原動力となった元山仁士郎さんの活動や、村議会議員に立候補した3児の母・城間真弓さんの奮闘、激戦地となった伊江島育ちの高校生、中川友希さんが沖縄の過去に向き合う姿を映し出す。基地問題に対する複雑な心境や、様々な立場の人と対話しようとする姿勢から学ぶことは多いはずだ。本作の都鳥伸也監督(写真右)、都鳥拓也プロデューサー(写真左)にお話を伺った。
■ドラえもんの映画に刺激され、撮影現場に憧れた(拓也)
――――都鳥伸也監督、都鳥拓也プロデューサーのお二人共、幼少時代から映画に興味を持っていたのですか?
拓也: 小さい頃、『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』(85)で、スネ夫のビデオカメラを使ってのび太たちがみんなで特撮映画を撮るシーンから始まるのを観て、そういう遊びをやってみたいと思ったのが始まりですね。小学校時代に観たテレビドラマ「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」(89)は、初代ウルトラマン誕生の舞台裏を脚色したフィクションなのですが、この作品でこういう世界があることを知ったのも大きかったです。ゴジラブームでもあったので、そのメイキングにも興味を持ちました。トリック撮影やミニチュア作成など、撮影現場に対する憧れで、「こういう映画が作りたい」というより、「みんなで手作りの映画を作りたい」という感じでした。好きなバンドの曲を演奏するコピーバンドのような感じに近かったですね。
――――実際に映画を作り始めたのはいつ頃ですか?
拓也:小学校6年の時、同じような趣味、嗜好を持つ子が転校してきて、しかも当時僕たちは持っていなかったビデオカメラを持っていたので、これはチャンスだと思い、同じように映画作りを夢見ていた友達と一緒に「ゴジラを撮ろう!」と、みんなが持っているゴジラ人形を寄せ集め、最初はアドリブで作りました。そこからは自分の好きな怪獣をメインに書いたり、オマージュと言いながら完コピしたり。中学生になると「太陽にほえろ!」に興味を持ったので、怪獣映画とは違う層の友達が集まり、オープニング映像の完コピをして構造を学んだりしていました。クオリティをあげるのと反比例して参加人数は減り、高校時代は僕らを含めて5人になってしまいました。
■武重邦夫さんの地産青春映画制作、上映プロジェクト構想に刺激された(伸也)
――――日本映画学校に入学し、地域に根ざした映画づくりを目指すに至った経緯は?
伸也:日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、武重邦夫さんが主宰するTakeshigeスーパースタッフプログラムに参加しました。武重さんは今村プロで助監督を務めていた大ベテランで、学校の創設メンバーであり僕の担任だったんです。進路面談の時、普通は次の進路につながる先を薦めますが、ゆくゆくは自主映画を作りたいという話をしたところ「俺のプロジェクトを手伝わないか」と。武重さんは映画学校学校で多くの卒業生を送り出していく中で、活き活きとしていた学生たちが助監督経験を重ねていくうちに輝きを失っていくのが嫌だったらしく、20代で映画を撮るプロジェクトを立ち上げたのです。同プログラムは私塾のような形で、より深く映画の勉強をする中で演出他様々なことを学び、みんなで映画を作るのが狙いでした。でも実は、「青春百物語」と題し、全国47都道府県で地産映画、つまり100本の青春映画を作ろうというプロジェクトが武重さんの中にあったんです。その構想を聞かされたとき、僕も岩手出身で、東京発信中心で文化が作られていくことに不満を感じていたので、「これからは地方から東京に持ち寄る」という武重さんのコンセプトにとても共感できた。若い世代に向けて作るということも非常に重要ですし、超常現象やUFOなど不思議なものが科学的に解明されていく中、ワクワクし続けられるのは青春だとも思っていました。
拓也:武重さんのもう一つの考えは、シネマステーション構想ということで、全国各地に散らばっている卒業生に協力してもらいながら、映画発信の拠点を作るというもの。それぞれが上映会を開催することで、映画を広めてもらうんです。例えば、岩手の「青春百物語」は岩手のシネマステーションが作り発信、それを全国の仲間たちが広げるわけです。
■地方では映画を見るという感覚自体を育てなくてはならない。(拓也)
――――映画館がないとか、遠くにしかないという地域では特に有効な上映活動ですね。
拓也:1回の自主上映会で集客できる観客数は、ミニシアターで1週間上映するより多いケースもあるんです。ミニシアターで1週間1000人も入れば大ヒットですが、1日の自主上映会のために懸命に宣伝、販売をして、1300人集客するということもできるんです。
2008年にプロデュースした『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』(小池征人監督)は地元の映画で、僕らが企画・プロデュースしたことも売りになり、地元のホールで昼間は満席の1300人、夜700人入ったのが少なく感じるぐらいでした。地方では映画館に通うという文化があまりないので、映画を観るという感覚自体を育てなくてはなりません。
僕ら自身も映画館がなく、自主上映で育ってきたので、武重さんが目指す終着点のイメージがつきやすかったですね。
■色々な考えを持つ人と議論をしたいという元山仁士郎さんの考えは、僕らの考えと近い(伸也)
――――前作『OKINAWA1965』と本作の関連性について教えてください。
拓也:『OKINAWA1965』(17)は写真家の嬉野京子さんが65年4月20日に撮った、小さな女の子が米軍のトラックに轢き殺されたときの写真をベースに作った作品です。映画の最後、現代につなぐため若い世代の方2名にインタビューしたんです。そのうちの一人が今回も登場している城間真弓さんで、当時はまだ保育士でした。
伸也:沖縄で映画を撮っていることを学校の同期たちに話すと、大体は「沖縄の基地問題はお年寄りの話で、若い人たちは生まれた時既に基地がある。基地がない頃の姿を知らないので、基地を返還するという発想になかなかならないのではないか」と。基地があることで得られる経済効果の方が大事なのではないかとか、基地を容認している人の方が多いのではないかと様々なイメージがついている。僕らも既存の報道や映画が右や左のどちらかに偏り過ぎていることに危惧を覚えているので、もっとフラットに、若い世代へきちんと伝えられる映画を作りたいというのが最初の発想でした。そういう背景から『OKINAWA1965』のラストは、嬉野京子さんに紹介してもらった伊礼悠記さんとその友人の城間真弓さんでした。そのご縁で城間さんには本作にも継続して出演していただくことになりました。また『OKINAWA1965』のPR時、応援してくださる団体の機関誌で新年対談企画に呼んでいただいた時、対談相手が元山仁士郎さんだったんです。対談する中で、元山さんはお互いの話を聞いて、そこから結論を導こうとする姿勢が見えました。元山さんは辺野古の基地問題では反対意見ですが、自分の気持ちが正しいのかを含め、色々な考えを持つ人と議論をしたい、触れ合っていきたいと考えている人で、僕らの考えに近いと感じたんです。
拓也:元山さんと出会ったのは、まだ彼が県民投票など考えていなかった頃だったので、東京で沖縄のことを伝える活動をしている人として映画に登場してもらうつもりでした。
伸也:そういう点では、僕たちはまだ元山さんがメディアに注目される前からカメラを回していたことになります。なので、初期から県民投票を取材していた映像メディアは僕たちだけだと思います。きっと県民投票については一番長く取材しているのではないでしょうか。県民投票の影響で元山さんはメディアからスーパーヒーローのように扱われるようになってしまったけれど、そうではない普通の大学院生としての姿を撮りたいというのが当初の狙いでした。城間さんも、本当は出勤前に辺野古で座り込み、その後普通の保育士に戻る姿を撮りたかったのですが、村議会議員に立候補する訳で、それぐらい沖縄にとって2018年は激動の年だったのです。翁長元知事が亡くなり、県民投票も11月の知事選に向けてやっていたものなので、翁長さんのご逝去を受けて色々な流れが変わり、予定通り動けている人は誰もいなかったんです。城間さんが「沖縄は半年先もわからないから」とおっしゃっていたのですが、そんな中で出会った人に取材をし、最終的には映画にしたメンバーが揃ったという感じです。
――――なるほど、県民投票に焦点を当てたのではなく、2018年の沖縄を描く中で、自然とそういう流れになったということですね。
伸也:『私たちが生まれた島』というタイトルにも込めていますが、本来やりたかったのはそれぞれの地域で育って生きてきた人たちの歴史も含めて提示したかった。なぜその人はそういう発想に至ったのかというベースや環境を、その考えの揺れも含めて見てもらいたい。そう思って見ていただくと、この作品の見え方が違ってくると思います。そういう意味で僕らの理想的だったのは、伊江島育ちの高校生中川友希さんらに伊江島を案内してもらったり、<高校生平和集会in沖縄>に参加しているシーンです。偶然島で声をかけて、お母さんに了解をいただくことができ、友達も連れてきてくれたので、本当に感謝しています。
最終的に県民投票は多くの方に支持される形になりましたが、当初は若者の動きに対して疑問を覚えている方もいたんです。どうして自分たちが若い頃のように声をあげないんだ、アツくならないんだと。でも元山さんや城間さんは、自分が育ってきた環境の中で色々な意見を持っている人がたくさんいることを既に知っている。例えば自分の大事な友達が辺野古に土砂を運ぶダンプの運転手だったり海上保安庁だったりすると、やはり口をつぐんでしまいます。60年代の安保反対一色と今とは状況が違いますから、今の若い人たちの考えを伝えたい。県民投票にこだわって観るのは、すごくもったいない見方になっているなと感じます。
■見終わった後に議論が起こるような映画を目指した土本典昭監督のDNAを受け継いだ。(拓也)
――――確かに非常にフラットな作りで、あえて誘導しないドキュメンタリーです。
拓也:ノーナレと言っても、編集で煽っているドキュメンタリーはたくさんありますが、僕らは煽ったり、誘導する映画は作りたくないのです。自分が作り手なので嘘をついているのはわかるし、本当にそうなのと疑問を持ってしまう。テレビは顕著ですよね。できるだけそのまま、その人の言葉や思いを伝えたい。監督が何を考えているのかわからないと指摘を受けることもありますが、その並びや繋ぎ方、映画の中の仕組みの中に実はいろいろと入れ込んでいるんです。結局それを見てどう感じるかの答えは、観客の皆さんそれぞれが出すものだし、この作品を通して意見を交わしてほしいという気持ちで作っています。
『いのちの作法』で現場を共にした小池征人監督(『人間の街-大阪・被差別部落-』、)は記録映画作家、土本典昭監督の弟子だったので、よく土本監督の話を僕たちにしてくれました。小池監督は“観終わった後に議論が起こるような映画になればいい”とよくおっしゃっていたので、僕たちはしっかりとDNAを受け継いだなと思っています。元山さんが県民投票で目指したのも、意見をぶつけ合う場づくりをしたかったのであり、本当はハンストで目立ってはいけなかった。若者たちが議論する場を作ったり、映画には入れていませんが県議会議員の人たちと討論会もしていることの方が重要だったと思います。
――――県民投票署名活動のキックオフ集会で、元山さんが様々な意見に耳を傾けている様子に、対話をしたいという気持ちが伝わってきました。
伸也:元山さんはみんなの答えを聞かせてほしいと思っているだろうし、その意見に僕らも納得できる。基地問題も辺野古問題に特化し、まずは一歩踏み出すところに注力しています。例えば辺野古ではなく、本土のどこに移してもいいし、米国占領時は東京をはじめ本土にもたくさん米軍施設があったという歴史があります。だから、そこまで立ち返り、辺野古である必要はないということをもっとこちらも訴えていかなければ、辺野古ゲート前で座り込みをしている人たちの疲弊もより激しくなり、沖縄と本土の分断が深まるばかりで、解決できることも解決できなくなってしまう。だから、僕らの中ではこれ一本で終わっていないんです。
■次の映画は沖縄が県民投票の結果を本土に投げたものを、どう受け止めたのか本土側を取材。(伸也)
――――では『私たちが生まれた島』に続く作品を考えておられるんですね。
伸也:県民投票の結果を受け、沖縄の人たちは辺野古に基地を作ってほしくないという結論を出した訳で、本土にボールを投げたというスタンスなんです。だから本土の僕たちはそれを受け止めなければいけない。次の映画ではそれをやりたいんです。辺野古がテーマだけれど、次に描くのは沖縄県外の人たちで、まさに日本全国駆け回る予定でした。
例えば「基地のお陰で恩恵を受けられる」というのなら、「基地誘致はどうなの?」とか国防というのなら沖縄よりも的確な地域があるのではないかなど、様々なことをみんなでフラットに考えていく形ですね。『OKINAWA1965』は沖縄の歴史を撮り、『私たちが生まれた島』は沖縄の若者たちの今を撮った。未来どこに向かうのかを描くには、本土の米軍基地の歴史にも触れるでしょうし、日米地位協定も含まれるでしょう。
拓也:小川紳介監督が三里塚のドキュメンタリーを定期的に作っていたのに近い感覚かもしれません。原一男監督のように10年を撮影に費やしてしまうと、その間の変化に翻弄されてしまう。それなら小分けに作った方が、後にトータルで見た時絶対に意味があると思うのです。僕らの師匠たちから現場でドキュメンタリーとはそういうものだという話を聞きながら育ったので、その影響は本当に出ていますよね。3本で連なってやっと意味がわかるのかもしれません。
<作品情報>
『私たちが生まれた島~OKINAWA2018~』(2019年 日本 141分)
企画・製作・監督:都鳥伸也
企画・製作・撮影・編集:都鳥拓也
ナレーター:小林タカ鹿
9月19日(土)からシネ・ヌーヴォ、9月25日(金)から京都シネマにて公開。
公式サイト⇒http://longrun.main.jp/okinawa2018/index.html
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