「故郷である北海道に今一度向き合い、制作することがすごく大事だった」 『アイヌモシㇼ』福永壮志監督インタビュー


 北海道阿寒湖のアイヌコタンを舞台にアイヌの血を引く14 歳の少年の成長を描き、トライベッカ映画祭国際コンペティション部門で見事長編日本映画史上初となる審査員特別賞を受賞した『アイヌモシㇼ』が、10月17日(土)より渋谷ユーロスペース、10月23日(金)よりシネ・リーブル梅田、12月11日(金)より京都シネマ、今冬元町映画館ほか全国順次公開される。

 監督は初長編作『リベリアの白い血』が世界で高い評価を受けた福永壮志。本作は自身の出身地である北海道の先住民アイヌを題材に、観光で人気の阿寒にあるアイヌコタンで撮影。キャストも現地在住のアイヌにルーツを持つ人たちが中心となっており、アイヌ文化の振興に務める第一人者、秋辺デボや、アイヌの歌い手でムックリ奏者の下倉絵美、弦楽器トンコリ伝承者のOKIらが出演している。ひときわ強い印象を放つ主人公、カントには下倉絵美の実の息子、下倉幹人が扮し、思春期ならではの繊細に動く心模様をその瞳で豊かに表現しているのにも注目してほしい。

 昨年、拠点をニューヨークから日本に移し、新たなスタートを切った福永壮志監督にお話を伺った。



――――福永監督は北海道ご出身ですが、ご自身の学生時代はアイヌについてどのように認識をしておられたのですか?

福永:僕は北海道室蘭市に隣接する伊達市出身なのですが、当時はアイヌのことを知る教育もされておらず、興味があっても触れる機会がありませんでした。同級生にアイヌの人がいても、聞いてはいけないことのように感じていました。



――――アメリカの大学に進まれ、劇中でカントが地元を出たいと望んでいたように、監督ご自身も日本を去っていますね。

福永:まずは日本を出たいという思いが当時は強かったですね。普通という概念や、こうでなくてはという一般論に縛られるのが嫌だという思春期ならではの感情を強く持っていました。全然違う価値観や文化に触れたいと思ったんです。一番多民族国家で多様性があるアメリカに行けば、色々な国の人と接することができるという気持ちもありました。意識はしていないけれど、そんな自分の気持ちがカントにも反映されていると思います。


――――日本でも最近は先住民族を題材にしたドキュメンタリーや劇映画を見る機会が増えましたが、映画を学ばれたニューヨークではそういう映像に触れる機会が多かったのですか?

福永:最初に学んだミネソタ州は先住民族をルーツに持つ人が多く住む地域で、知り合いもいましたし、全体的に先住民族に対する意識が高いと感じました。彼らの土地を奪って自分たちは今暮らしているという認識がしっかりとされていますし、今の日本におけるアイヌの状況とは全然違います。


――――そういう民族の多様性を肌で感じながら映画を撮る道を選んでいかれたのですね。

福永:日本では映画を撮ることに対する敷居が高く、簡単に手を出せないものだと思っていましたが、アメリカでは皆が本当に自由に自分を表現している。撮れるかどうか先のことは考えず、まずはニューヨークで好きな映画のことを学びたいという気持ちが大きかったですね。



■アイヌを題材にアイヌの人が自ら演じる映画を作りたい。

――――今回はかつて自身が触れられなかったという故郷のアイヌの人たちを題材に描いていますが、いつ頃から構想していたのですか?

福永:映画を勉強していた頃から漠然と考えてはいたのですが、2015年に初長編の『リベリアの白い血』が完成する前年には、次はアイヌを題材に撮ると決めていました。最近はアイヌを題材にした漫画(『ゴールデンカムイ』)や小説(『熱源』)等を通して、アイヌのことが以前よりも知られるようになりましたが、当時はまだまだ認知度や理解度が低かった。アイヌを題材とした劇映画は数少なく、その中ではアイヌの役を和人の俳優が演じてきたという歴史があるので、アイヌを題材にアイヌの人が自ら演じる映画を作りたいと思いました。個人的にも映画を作ることによってもっとアイヌのことを知りたい、知らなければいけないと感じていたんです。1本目では移民の観点で人間の話を描くという姿勢で臨みましたが、今回は自分の故郷である日本の北海道に今一度向き合って制作することがすごく大事に思えました。


――――改めて自分のルーツや、今まで見過ごされてきた根深い問題に向き合う決心をされたんですね。

福永:長い間アメリカにいると、自分の中の日本がどんどん薄れていく感覚がありました。自分のルーツをきちんと見つめ直して足場を固めたい。そうすることは個人としても映画監督としても大事なのではないかと思い、昨年夏に日本に拠点を移しました。


――――北海道全域でアイヌ集落がある中、阿寒湖畔にあるアイヌコタンを舞台に選んだ理由は?

福永:色々な場所を回りましたが、一番しっかりとしたコミュニティがあるのが阿寒のアイヌコタンでした。観光という仕事を通して文化が息づいていて、住んでいるみなさんはお互い協力し合って生活しています。映画撮影を行うには地域のコミュニティからのまとまった協力が必要ですし、秋辺デボさんや下倉絵美さんのような役者も揃っている。アイヌコタンのみなさんが観光で見せるイメージと日々の暮らしのギャップ等も見えてきて、話を構築する上での設定のもとになる要素がたくさんありました。出演者のほとんどが実際にアイヌコタン在住の方達です。



■主役、下倉幹人のキャスティグ秘話。

――――下倉絵美さんの実の息子で、本作の主人公カントを演じた下倉幹人さんの目力に引き込まれました。最初から主役は幹人さんに決めていたのですか?

福永:最初、主人公は色々な人の話を聞いた上で架空の青年をイメージし、阿寒を出ていた主人公が戻ってくるという話を考えていましたが、なかなか適した人が見つからない。そこで主役も含め、先にキャスティングを決めてから話を作る方向に変更し、アイデンティティに向き合うというテーマを思春期の少年に重ねて書き直すことにしました。阿寒に滞在するときはいつも絵美さんにお世話になっていたのですが、幹人君がいつも近くにいたんです。幹人君は映画にも興味を持ってくれ、元々絵美さんを母親役にオファー済みでしたし、幹人君に主人公を演じてもらおうと思いました。近くに素晴らしい逸材がいました。


――――カントが亡き父のコレクションだったレコードからチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」を選び、中学校のバンド仲間と演奏しているシーンが印象的でした。

福永:幹人君が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公のマーティが演奏しているシーンを見てカッコいいと思い、既にバンドで練習していた曲でした。父親が愛した時代のカルチャーに触れたりして、なんとか父親に近づこうとしている主人公の設定があったのでちょうどよかったです。演技面でも僕が軌道修正をするうちに、何が自然で、何が自然ではないのかを感覚で理解してくれ、自分でも「今の表情は良くなかった」とわかるようになってきましたね。



■今のアイヌの多様性や過去と現在のギャップを、イオマンテを通して描けると実感。

――――本作はイオマンテについて描いているのも特筆すべき点です。実際には長年行われていないアイヌの伝統行事をまさに映画で復活させた格好になりました。実際に賛否が分かれる中、どのような思いでこのシーンを映画に盛り込んだのですか?

福永:イオマンテが公式に記録されているのは1990年に白老で行われたのが最後なのですが、お話を聞いた中でもイオマンテほどみなさんが色々な意見や特別な思いを持っている儀式は見当たりませんでした。イオマンテはアイヌ文化と精神世界の集大成と言われながらも、生活様式の変化や、政府からの禁止、動物愛護団体からの反対等様々な理由で長年行われていません。 アイヌの中でも賛否両論があり、その理由も様々です。イオマンテを通して、現代を生きるアイヌの様々な考え方や葛藤、過去と現在や世代間のギャップを描けると思いました。



■イオマンテから学ぶアイヌの精神とカムイが宿っているという考え方。

――――実際のシーンは様々な配慮が見られ、カントが自身のアイデンティティを見つめ直すきっかけになっています。

福永:儀式の核となる精神性に目を向けるように作っているので、見ていただければ何を描こうとしているのかきっと伝わると思います。アイヌという部分を脇に置いても、イオマンテには命をいただく行為の重さやそれに対する感謝が現れているので、現代社会を生きる人間としてそこから学べるものがあるのではないでしょうか。映画の中では主人公のカントの亡き父が生前イオマンテをやりたかったという設定で、カントにとってイオマンテは父親と、その先の自身のルーツに繋がるものでもあります。



――――アイヌは自然や動物の中にカムイ(神)が宿っているという考え方ですね。

福永:動物の体を殺してもカムイは死なないという考え方なので、イオマンテでクマを殺しても、神様がクマの頭の上に座り、人間たちの宴を楽しんでいる。その楽しかった思い出を矢の道しるべと共にカムイの国に戻って伝えてもらうと、またカムイが人間世界に戻ってきてくれるという考え方です。アイヌの文化や信仰は、縄文時代を経て大陸の文化とはほとんど交わらずに独自の発展を遂げて形成されました。アイヌを学ぶということは日本のルーツを学ぶことにも繋がると思います。


――――映画ではアイヌの伝統楽器を使った音楽や、アイヌの歌が使われており音楽の使い方にも感銘を受けました。

福永:アイヌの歌には考え方を含めたくさんのことが詰まっているので、英語版はアイヌ語にも字幕を入れました。舞台で歌っているのは元々イオマンテで歌う歌です。それ以外にもドラマを作るために劇伴が必要でした。アイヌの歌や音楽が流れる中、それらとのバランスが非常に難しかったと思いますが、ニューヨークの作曲家・チェリスト、クラリス・ジェンセンさんが素晴らしい仕事をしてくれました。


――――幹人君自身がカント役を演じたことで、自身のアイデンティティについて何か新しい感情が生まれたり、見つめ直すきっかけになったのでしょうか?

福永:それはこのあと分かることではないことでしょうか。絵美さんも幹人君が小さい頃からアイヌの歌や踊りに親しませてきたけれど、だからといって強制するつもりもないし、どんな道を選んでも小さい頃に親しんだものは何かしら残るものだから、あとは本人が決めればいいというスタンスです。映画でも彼の今後について決まった方向性は提示していません。



■海外スタッフの脚本アドバイスで、アイヌの予備知識がなくてもわかる開かれた作品に。

――――音楽や撮影と国際色豊かなスタッフとの仕事も福永監督らしい映画制作です。制作体制も日本、アメリカ、中国の3カ国合作ですね。

福永: この映画の企画開発中に、フランスの脚本のレジデンシーとエルサレムの脚本ラボに行きました。エルサレムでは最後にプレゼンの機会があり、それを見て気に入ってくれた中国人のプロデューサーが出資をしてくれました。今回エルサレムの脚本コンサルタントをはじめ様々な人達からアドバイスをもらって脚本を書き、ニューヨークで編集した時も何度もラフカットの上映会を開いて意見をもらいました。説明が多すぎても少なすぎてもよくないので、そのバランスには気を遣いましたが、そのプロセスを踏んだおかげでアイヌの予備知識がなくても伝わる作品に仕上がったと思います。


――――アイヌを題材にした作品を撮ったことで、これからご自身の映画制作に何か変化が起きそうですか?

福永:今回アイヌの話をたくさん聞き、学び、人のつながりもできました。アイヌに限らず他民族の人と理解し合う中で、わかった気になってしまうといけないと思うので、奢らずにこれからもさらなる理解を深めたいと思いますし、アイヌのことに関しては映画に限らずできることをやっていきたいと思います。

作品作りの面では今までドキュメンタリー要素の強い劇映画を2本を作ったのですが、そういうアプローチの制限も感じたこともあります。次回作は東北が舞台で全員俳優の劇映画の企画を進めています。その企画で、Nipkow Programというベルリンで行われる脚本レジデンシーへの参加が決まったので、来年早々に3ヶ月間ベルリンで脚本を書く予定です。



■自分と題材の立ち位置の繊細さや大事さを改めて学ぶ。

――――『アイヌモシㇼ』を撮る中で、ご自身の映画制作についても様々な気づきがあったんですね。

福永:今回は繊細な題材で、アイヌの話をアイヌの方々に出演してもらって撮るというのが大事な部分を占めていたので、できる限り現実に寄り添い、出演者のみなさんが自然にいられる作り方を最優先にしました。何かいい影響があればと思って題材を選び映画を作ってきましたが、自分が撮りたいという動機から始まったことには変わりありません。僕が「アイヌのためにやりました」と言ってしまうと違うことになってしまう。制作に取り組みはじめた時はその気持ちの持ちようの順番を踏み違えていた時もあり、題材に対する自分の立ち位置の繊細さや大事さを改めて学びました。

(江口由美)


<作品情報>

『アイヌモシㇼ』(2020年 日本・アメリカ・中国 84分)

監督・脚本:福永壮志

出演:下倉幹人 秋辺デボ 下倉絵美  西田正男 松田健治 床州生 平澤隆二 廣野洋 邊泥敏弘 山本栄子 西田香代子 平澤隆太郎 OKI 結城幸司 / 三浦透子 リリー・フランキー

10月17日(土)より渋谷ユーロスペース、10月23日(金)よりシネ・リーブル梅田、12月11日(金)より京都シネマ、今冬元町映画館ほか全国順次公開

公式サイト⇒ainumosir-movie.jp

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