女優、マチ子が主軸の連作長編で、映画界のパワハラ、セクハラ問題に一石を投じる。 『蒲田前奏曲』プロデューサー兼出演、松林うらら、穐山茉由監督インタビュー

 

 今、日本のみならず海外映画祭でも高い評価を得ている4人の若手監督による、女優、マチ子を主軸に連作した長編映画『蒲田前奏曲』が、10月16日よりテアトル梅田、京都みなみ会館、10月17日より神戸・元町映画館で公開される。松林うらら(『飢えたライオン』)が自身の地元である蒲田を舞台に企画、プロデュース、そして出演を果たした本作。蒲田に住む売れない女優マチ子を主軸に、マチ子の周りの人間模様を通して、”女”であること、”女優”であることを求める社会へ一石を投じる意欲作だ。


 最新作『静かな雨』をはじめ、海外でも高い評価を得ている若き俊英、中川龍太郎監督、徳永えり主演の長編デビュー作『月極オトコトモダチ』が大反響を呼んだ穐山茉由監督、『Dressing Up』(第8回CO2助成作品、OAFF2012)で長編デビューを果たし、現在は舞台の演出も手がける安川有果監督、最新作『叫び声』が東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門監督賞に輝いた渡辺紘文監督(大田原愚豚舎)の4人が、それぞれの個性を生かし、時代を超えて、生きづらさと闘う女優や女性たちを描き出す。伊藤沙莉、瀧内公美、福田麻由子、大西信満ら、旬の俳優が熱演。商店街や蒲田温泉など、かつて撮影所があった蒲田ならではの情景にも注目したい。

 3月に開催された第15回大阪アジアン映画祭で世界初上映を果たした本作の、プロデューサー兼出演の松林うららさん、第2話「呑川ラプソディ」の穐山茉由監督にお話を伺った。


――――松林さんが蒲田のご出身であることが、今回の企画にも大きな影響を与えていると思いますが、撮影所のある街に住んでいるという実感は昔からあったのですか?

松林:実家のあるのが蒲田の近くなので、地元感覚でよく蒲田にいました。映画好きの両親のもとで育ちましたし、『蒲田行進曲』もよく見せられていたので、蒲田に撮影所があったことは知っていました。今は商店街に「キネマ通り」と名付けられているぐらいで、撮影所跡は何も残っていないのですが、この映画のタイトルも『蒲田行進曲』にちなんでいます。


■女性であることの生きづらさ、権力ある男性に傷つけられた経験を映画で表現(松林)

――――女優として活動する中で、変えたい現実と、変えられない現実があったそうですが、具体的に教えてください。

松林:日本で女優として活動していく中で、自分が抱く理想と、まだまだ売れていないという現実がかけ離れている現状があり、自分の半径5m以内で起きている状況を描いてみたいと思ったことが企画の発端になりました。女性であることが色々な面で生きづらさにつながってしまうこともあれば、私はフェミニストではないけれど、やはり男性の方が権力を持っているがために、傷つけられたこともありました。女優もプロデューサーも監督も、この業界の女性は大変です。この映画には自分の体験を含め、色々なことが詰まっています。


――――企画、プロデュースということで、監督やキャスティングをしなければならない中、今回は連作スタイルに挑戦し、4人の監督にオファーをされています。

松林:本当に恐れ多いですけど(笑)。穐山さんは東京国際映画祭2018で『月極オトコトモダチ』を観て、本当に素敵な作品だと思い、「穐山さん、一緒に映画つくりたいです」と声をかけさせていただきました。

穐山:松林さんが映画を観てくださったことは知っていましたし。そうやって声をかけてくださり、今回この企画で改めてオファーをいただきました。俳優は選ばれてキャスティングされる立場ですが、その仕組みも含め、作るところから作品に携わりたいという松林さんの思いや、4人の監督が一人の女性の色々な面を、それぞれの感性で撮るのが面白いと思いました。しかも私は女子会パートなので。

松林:女子会パートは、穐山さんだなと思いました。



■女子会に誘われての実体験を盛り込んだ穐山さんの女子会パート(松林)

――――穐山さんが女子会を描くのはぴったりだと思いましたが、松林さんから内容面のオーダーをされたのですか?

松林:私も女子会は結構誘われることがあり、参加しています。周りが会社勤めでそれなりに稼いでいる中、女優という自分の立場はお金もないし、ちょっと下に見られているのではと感じる部分が自分の中にあって。誕生日会もすごく高いレストランで、皆着飾って来るというのは、まさに穐山さんの「呑川ラプソディ」で描かれていることそのままです。女子会で話題になる結婚のことも含めて、穐山さんと話し合いながら、シナリオ開発をしていきました。私も穐山さんも女子校出身なので、結構同じような経験をしていることも分かりましたね。


――――「呑川ラプソディ」では、松林さん演じるマチ子がきまずい雰囲気を変えるために蒲田温泉でリフレッシュすることを提案します。宴会場もあるような温泉があるんですね。

松林:女子会に加え、もう一つのテーマが「蒲田」でした。蒲田温泉で、みんなが丸裸になっていく様を22分で表現してくださって、面白くて本当に大好きなパートです。


―――― キャリアウーマンの道を突き進む同級生を伊藤沙莉さんがキレッキレの演技でぶった切れば、福田麻由子さんはその神経を逆なでするような「婚約中」の同級生をねちっこく演じ、面白かったです。

松林:皆さん、すごく楽しんで演技をしてくださいました。こういう子いるよね〜って。

穐山:本当の女子会みたいに、わちゃわちゃと撮影していました。福田さんは、初めてできた彼氏と婚約していることを女子会でカミングアウトする役を、ニヤニヤと楽しそうに演じていましたね。

松林:結構華やかなパートですが、結構ドロドロとした人間模様が見えたり、「こういう子いるよね〜」って思わず納得するような部分もあります。

穐山:場の雰囲気が気まずくなるシーンで、狙ったかのようにカラスが「カーカー」とリアルに泣いていて、本当にすごいタイミングでしたね。


■複雑でいつ壊れるかわからないようなバランスをなんとか保つ姿が面白い(穐山)

――――他のパートは全て映画業界ものですが、「呑川ラプソディ」は一般的な30代前後の女性がぶち当たる壁であったり、仕事、結婚とそれぞれの価値観がより明らかになる様が描かれ、観客も入り込みやすいですね。

穐山:女子校時代の同級生で、その後それぞれの道を歩み、現時点ではそれぞれ違う生活を送っている人たちが集まるという設定になっています。学生時代のフラットに仲良しだった感覚がまだ残ってはいるけれど、他の人の現状に対して嫉妬心もあったり、とても複雑なんです。いつ壊れるかわからないようなバランスをなんとか保つ姿も面白いと思います。それぞれ、同級生には知られたくない秘密があり、悟られないように見栄を張っているんですね。



■安川監督パートのMeToo編は、アドリブの応酬でみんなギラギラ(松林)

――――安川有果監督の「行き止まりの人々」は、非常にリアルなパワハラ、セクハラが描かれています。

松林:安川さんのパートは実際に私が体験したことをMeToo編として表現してもらうようにお願いしました。 MeTooの映画を作るためのオーディションで、大西信満さんが監督役で、女優たちにしつこく演出をし、追い詰めていくのですが、女優がイライラするような監督像を見事に演じてくださいました。オーディションでのやり取りは大西さんのアドリブが多いのですが、大西さん自身が現場でご一緒した様々な監督のエッセンスを取り入れていたそうです。


――――マチ子が一緒にオーディションを受ける黒川を瀧内公美さんが演じていますが、迫力が半端なかったですね。

松林:瀧内さんはパワーがあり、「行き止まりの人々」の現場はいい意味で動物園のような激しさがありましたね。みんなギラギラしていたと思います。女優が男に審査されているところを描きたくて、オーディションに取り入れることにし、あとは安川監督にお任せしました。



■中川監督パートのオーディションシーンに生きづらい日々を重ねて(松林)

――――冒頭の中川龍太郎監督のパートでも、オーディションのシーンが登場しますね。

松林:どうしても俳優というのは受け身で、能動的になれない。オーディションはまだ能動的かもしれないけれど、それも事務所のマネージャーから受けるように促されたりと、すごく生きづらさを覚えていたんです。実際にたくさんのオーディションを受けていることもあり、劇中でもオーディションとバイトの往復というマチ子の生活をベースにしてもらいました。


――――中川監督のパートは、監督自身が詩人でもあるので、ポエジーな雰囲気がある一方、蒲田の街の中をドキュメンタリーのように映し出していました。

松林:古川琴音さんが演じる節子が、レトロな雰囲気で、とても素敵でした。マチ子と節子はある種の時空をこえた姉妹みたいな。節子が見たかった明日の積み重ねを我々は生きているし、人は皆、何者かを演じ、その場の環境において自分を取り繕ったり、何者かの振りをして生きている。”俳優”という職業にも照らし合わせて、窮屈な世の中で本物とは何か、まるで光が舞い込んでくるような美しい作品を描いてくださいました。

今回は新しい試みとして、連作長編にしたかったので、4つの物語を、マチ子という主軸が繋ぐという形にしました。出来上がって気づいたことですが、4つの物語の時間軸が全部違う。中川さんの「蒲田哀歌」は過去の話、穐山さんの「呑川ラプソディ」は現在の話、安川さんの「行き止まりの人々」は過去とトラウマ、渡辺さんの「シーカランスどこへ行く」は子役のリコちゃんが主人公なので未来の話だと思うのです。それぞれの監督にお任せして出来上がった4作品から新しいものが生まれたなと感じています。


■大阪アジアン映画祭で観た異色群像劇『視床下部すべてで、好き』が、インスピレーションの源(松林)

――――「オムニバス」ではなく「連作」にこだわったと伺いましたが、その理由は?

松林:大阪アジアン映画祭が、インスピレーションの源です。というのも、昨年観たフィリピン映画『視床下部すべてで、好き』に、とても感銘を受けたのです。ヒロインのアイリーンを演じたイアナ・ベルナルデスさんは、今年の大阪アジアン映画祭コンペディション部門出品作『女と銃』(ラエ・レッド監督)のプロデューサーでもあります。この話が興味深いのは、アイリーンはヒロインだけど、主人公ではなく、彼女に妄想を抱く4人の男たちの群像劇である点です。日本にはこのタイプの群像劇はあまりないので、4人の監督にお願いし、最初は撮る監督によってマチ子の見え方が違うという主観的な話でしたが、もっと膨らませて、今の形になりました。


――――それはうれしい言葉ですね。『視床下部すべてで、好き』はマニラの街がもう一つの主人公でしたが、本作も蒲田という街がもう一つの主人公でもあります。

松林:蒲田の街もそうですし、各パートごとに色々な主人公が含まれている映画ですね。穐山さんのパートだと、伊藤沙莉さん演じる帆奈が主軸で闘う女性がメインになっていきますし。



■渡辺監督のパートでは、ラップで東京中心主義を批判(松林)

――――ラストの渡辺さんのパートは、今まで積み上げてきたものをぶっ壊すぐらいの勢いで、現在映画界への批判や、撮影シーンのあるあるが、大田原を舞台に描かれています。

松林:渡辺さんはいつも大田原で映画を撮る方なので、マチ子を大田原出身にし、東京中心主義を批判してもらいました。私は東京出身ですが、全てが東京に詰まっていることに疑問を覚えていますし、東京オリンピックが間近ということもあり、「渡辺さんのいつものラップをやってください」とオファーしたんです。渡辺さんのパートは軽妙なように見えて、案外深いものがあります。例えば渡辺さん演じる映画監督が撮影の空き時間にしりとりをするシーンでは、大人たちは色々言っているけれど、子どもたちの心に戻るべきというテーマが内在しているのではないかと。


穐山:私はトップバッターの撮影でした。脚本がある程度固まったら、あとはそれぞれの監督の裁量に任せていただいたので、自分のパートのことは分かるのですが、最終的には4作繋いでどうなるのかなという冒険をしているようでした。マチ子が松林さんの目線に近い形でずっとそこにいてくれるので、色々な人の世界にいるマチ子を見る体験って新しいなと感じましたね。


――――3人の監督の作品の中で、ブレずにマチ子としているという体験はやってみていかがでしたか?

松林:キャラクターとして通したのは、媚びない女性です。何事にも負けないマチ子を表現したかったので、強い意志を持って演じていましたね。


■予想もできないことが起こった時に映画が面白くなる(穐山)

――――大阪アジアン映画祭で世界初上映となったクロージング上映で、初めて連作として繋がったものをご覧になったそうですが、どんな感想を持たれましたか?

穐山:自分のパートが、こんな風に地続きで、また違う作風の中で繋がっているんだという発見がありました。全く想像しない感じで、私はそれがすごく面白いです。撮っている時もそうですが、予想もできないことが起こった時に映画が面白くなりますし、そういうことが大事だと思います。見方によって違う作品になったというのは、私の意図していないところに、作品が自分の力で向かっているのを目撃している気がして、貴重な体験ができました。


――――ありがとうございました。最後に、コロナ禍で映画界を含むエンターテインメント業界のあり方が問われ、さらに映画界のパワハラ問題を抜本的に見直す必要性が迫られている今、この作品をどんな気持ちで届けたいと思っていますか?

穐山:映画を撮るということ自体、ハラスメントや搾取がとても近くに潜んでいるので、私自身、他人事ではないという緊張感があります。ここ数年、そうした問題への意識をアップデートする時期が来ているように感じます。変化の時は、摩擦が起こりますよね。「呑川ラプソディ」でもそれぞれの考えを持った人達が登場し、摩擦が生じます。悪いものを悪い、と言うのは簡単ですが、様々な立場がある状況の中で何が問題か、何を改善すべきか、を思考していく必要があると思います。映画を含めエンターテインメントにはそうした思考のきっかけになる力があると思っていますし、この作品もそうなれたら嬉しいです。

松林:時代は変わり、多様性や選択肢が増えていく一方で、社会はまだ男性性があったり強かったりしています。自由な世の中であるはずなのに、何かを妥協したり、手放さないといけないのはどうなんだろうと感じます。それは男性がトップにいるから故に私たちが本当にしたい事が疎外される事が多い。第二番「呑川ラプソディ」では女性が持っているいくつかの選択ができる事を表現していると思っています。自分の意志で選択するという事。プレリュード(前奏曲)という言葉は即興曲という意味でも使われます。”自由の曲”です。女性はもっと自由に生きていいし、男性はもっと体感して欲しい。マチ子という環境によって違う顔を持つ一人の女性の生活の色々な場面を描くことで、今、現状の立場におかれているそれぞれの女性の像が描かれているのではないか。善や悪とか、明日からひっくり返って変わる問題ではないし、一概に測ることはできないけれど、こういう映画を通して何か考えるきっかけになってほしいです。

(江口由美)


・中川龍太郎監督から「蒲田哀歌」に対するコメント

人間はいつも何者かを演じている。演じつづける裂け目に、時たま「本当らしさ」を感じさせる自分や他者が垣間見える。自分自身も含め、多くの人が神経質になり、ノイローゼとなってしまった現代において、僕たちは演じるというテーマについて何を描き出せるのか。蒲田という街と、素敵な仲間たちの胸を借りて、そのことに挑戦いたしました。


・安川有果監督から「行き止まりの人々」に対するコメント

プロデューサーの松林さんからmetooを題材にした映画を作ってくれないかとの誘いを受け、悩みました。思うところがある題材だからこそ、まだ映画にするには心の準備が整っていないように感じたのです。しかし、声をあげる人が増えてきた今、自分から見たこの問題を映画に残しておくことには意義があるのではと思いました。一人の俳優を巡る4つの短編を繋ぎ合わせた時に何が見えてくるのか、ぜひスクリーンで体感していただきたいです。


・渡辺紘文監督から「シーカランスどこへ行く」に対するコメント

大田原愚豚舎が『蒲田前奏曲』の参加を決めたのは女優・松林うららの強い意志と映画への愛情に共鳴したからです。勝ち目があるわけでも、成功が保証されてるわけでもない、それでも闘わなければならないものがあるから闘う。苦悩し、のたうちまわり、不条理な目にあい、時に踏み潰されそうになりながらも、映画界に孤高に立ち向かい、闘おうとする松林うららの決意表明であり、宣言であり、叫びであるこの前奏曲が多くの人々に届くことを願っています。


<作品情報>

『蒲田前奏曲』“Kamata Prelude”

2020年/日本/117分

脚本・監督:中川龍太郎、穐山茉由、安川有果、渡辺紘文

出演:古川琴音、須藤蓮(「蒲田哀歌」)

伊藤沙莉、福田麻由子、川添野愛、和田光沙、葉月あさひ、山本剛史(「呑川ラプソディ」)

瀧内公美、大西信満、吉村界人、二ノ宮隆太郎(「行き止まりの人々」)

久次璃子、渡辺紘文(「シーカランスどこへ行く」)

松林うらら

10月16日よりテアトル梅田、京都みなみ会館、10月17日より神戸・元町映画館で公開。

作品紹介ページ http://www.oaff.jp/2020/ja/program/cl.html

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