京都で過去の時間とのつながり、撮影所スタッフとのつながりから生まれた意欲的な時代劇『CHAIN』を紐解く〜CHAINシンポジウム『映画0年と幕末0年を探る』
京都文化博物館(3Fフィルムシアター)とオンライン(公式動画配信サービス MIRAIL<ミレール>のハイブリッドで開催された第12回京都ヒストリカ国際映画祭。世界で唯一、歴史映画にフォーカスした映画祭として毎年人気の同映画祭のヒストリカスペシャルで、京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)映画学科の教授、学生、プロが協働で映画制作を行う北白川派第8弾にして初の時代劇となる『CHAIN』(2021年秋全国公開予定)が11月8日に世界初上映された。また上映後に行われたCHAINシンポジウム『映画0年と幕末0年を探る』では京都芸術大学で教鞭をとる福岡芳穂監督、脚本の港岳彦さんに加え、幕末維新ミュージアム・霊山歴史館学芸課長の木村武仁さんを招き、映画評論家の山根貞男さんが司会として登壇。初めて映画を作る学生たちと意欲的な時代劇を作り上げた舞台裏やその意義を語り合った。その様子をご紹介したい。
※写真左より山根貞男さん、福岡芳穂監督、港岳彦さん、木村武仁さん
<ストーリー>
新時代を目前に若者たちは様々な主義主張をぶつけ合い、血を流し争っていた幕末の京都。近藤勇(山本浩司)率いる新選組と、伊東甲子太郎(高岡蒼佑)率いる斎藤一(塩顕治)や藤堂平助(村井崇記)など御陵衛士が、七条油小路で抗争を繰り広げた事件“油小路の変”を背景に、それに巻き込まれる会津藩を脱藩した無名浪士山川桜七郎(上川周作)や花魁花香太夫(土居志央梨)、夜鷹お鈴(辻凪子)、阿片を売る胡弓の師匠(和田光沙)など、様々な庶民たちのその時代を懸命に生きた姿を描く。
■「痛みのあるキャラクターを作って」学生の脚本部に新撰組と御陵衛士に関わるキャラクターづくりを投げかける(港)
―――色々な要素が詰め込んである意欲作で、こんなに詰め込んだシナリオは最近読んだことがありません。こういう意欲的なシナリオを書いた経緯は?
港:プロデューサーの椎井友紀子さんと福岡さんから、北白川派の映画を作ると声がかかった時、「京都で時代劇だから。予算がないから股旅物とかいいんじゃない」と言われたのですが、20代に司馬遼太郎の「龍馬がゆく」をリュックに詰めて京都旅行をしたことがあったので、やるなら幕末の群像劇だと思っていました。新撰組前史が書かれている中村彰彦の「幕末入門」の中で、油小路事件では「とにかく陰惨で指がいっぱい落ちていた」とあり、新撰組は蕎麦屋に隠れ、伊東甲子太郎を殺しておびき寄せようと待っているというシチュエーションが映画になるなと感じたのです。募集をかけて10名ぐらい集まったのが脚本部としてクレジットされている学生たちで、新撰組と御陵衛士に関わるキャラクターを作ってもらいました。福島で被災し避難した学生がいたので、会津藩の話が全面に出てきたり、書いているものが屈折した子には、屈折したキャラクターを描いたらいいのではないかとアドバイスをし、痛みのあるキャラクターを作ってくれと学生たちに投げかけたのです。事件を時系列にし、キャラクターを並べ、次第にプロットが立ち上がっていきました。
―――群像劇で10人ぐらいそれぞれのドラマがある。新撰組と御陵衛士だけなら簡単ですが、そこに中心人物として会津の山川桜七郎、会津藩の脱藩浪士や陸援隊の中岡慎太郎と周りに広がっていきます。さらに町人代表で久留米から出てきた和菓子屋の松之助、町人でも武士でもない娼婦と蔭間と色々な階級の人たちが入ってくるのがおもしろいです。よく監督としてさばきましたね。
福岡:僕自身、群像劇が好きでよくやってきましたし、人間と人間の話ですから。映画だと主人公がいますが、我々が生きているときは誰も主人公の時間があるので、みなさんの描いたものは一人一人の時間を考え、その人物人物の時間を作ってくれた。その登場人物たちを僕は出会わせていっただけなので、難作業ではなかったです。
―――撮影は2週間と聞きましたが、よくできましたね。
福岡:プロデューサーから撮影は2週間で予備日はないと言われていましたから。学生と一緒にやるので撮影前に時間をかけられますし、1年ぐらい前からスタッフも俳優もリサーチし、時代劇の所作の指導を身につけながら役を作っていく時間をとりました。プロの俳優の皆さんも早めに来ていただいて、学生たちとのエチュードに付き合ってもらう。事前にある程度作り上げる時間を作ってもらいました。
■時代考証がしっかり、水野弥三郎役の福本清三さんに注目(木村)
―――木村さんは、幕末の専門家として本作をどうご覧になりましたか?
木村:東京の関係者試写ではストーリーについていくのが精一杯でしたが、今日観て、前回の謎が解け、よりおもしろく感じられました。油小路の変のところで「ギョーさんの指が転がっている」と表現されたのもかなり時代考証がきちんと作られているなと感じましたし、刀を抜くとき鯉口を切る動作をされていたり、服部武雄が二刀流で登場するあたりもきちんとされているなと。他にもヤクザの親分、水野弥三郎を福本清三さんが演じ非常に味がありました。少しご紹介すると、もともと医者の息子に生まれ、子分が500人以上いた親分で、伊東甲子太郎と盟約を結んでいました。伊東が暗殺された後は彼の弟で赤報隊の鈴木三樹三郎と関係を深め、新政府軍へ援軍を依頼されると大量に子分を投入したにもかかわらず、彼らが乱暴狼藉をしたせいで、新政府軍にだまし討ちされ、獄中で失意のうちに自殺を遂げたそうです。
■「幕末の彼らと現代人との距離をどうやって解きほぐしていけるのか」実在の人物とフィクションの人物を交錯させて(港)
―――近藤勇 土方歳三や実在の元新撰組の名前がでてくる一方、山川桜七郎や松之助はフィクションです。実在の人物とフィクションとどうやって交錯させたのですか?
港:油小路の変をモチーフに、関わった人たちをリサーチするとある程度の事実関係があり、当初からそれをそのまま再現しないという考えはありました。実際に起きた油小路の変や新撰組にどうやって自分で作ったキャラクターを載せられるか。例えば実在の人物で大石鍬次郎は最初大きく扱う気はなかったけれど、わかっていないことも多く、膨らましがいがありました。久留米藩の松之助も、福岡さんと話していて当時の人が全て尊王攘夷とか倒幕に熱い想いがあるわけではないよねと話す中から生まれたキャラクターです。どの派閥の人間でも、今の目からみたらほとんど愚かしいことに命を削っていた人たちと映りますが、幕末の彼らと現代人との距離をどうやって解きほぐしていけるのかを考えていきました。
■問いかけあいを重ね、時代劇を他人事で終わらせない(福岡)
―――今の若い人が表立って言わないような「なぜ生きるか」というセリフや、今の映画ではあまり出てこないような近藤勇と伊東甲子太郎の印象的なセリフも出てきますが。
福岡:僕は子どもの頃から時代劇を観てきましたがどこか他人事だった。だから学生が関わるなら他人事にはしたくないと思ったのです。シナリオ段階から痛みを考えてもらったり、自分と置き換えたり、様々な問いを置いていき、学生たちが人ごとではないと感じられるように、我々と学生が問いを投げ合いました。そのプロセスやそこから生まれたものが、この映画とお客様との問いかけあいになるのではないでしょうか。「ああ時代劇だね」という他人事で終わらせないものになっているのではないかと思います。
―――専門家として幕末の動乱を舞台にした青春群像もので、名前がわかる人たちを虚構のものに落とし込んでいくドラマや映画をご覧になって感じることは?
木村:職業病で大河ドラマでも「本当はこうなのに」とか、「いないはずなのにいる」と思うことがありましたが、『CHAIN』はゾクゾクしたシーンがありました。伊東甲子太郎は大石鍬次郎に、実際は槍で首を突かれて致命傷になりますが、映画では奇襲ではなく伊東が刺客に囲まれる。突かれるのを肌で感じる本物の恐怖感があり、個人的には一番の見どころでした。それまで信念のあるもの同士の殺し合いは陰惨なものであってほしくないという希望的なものがありましたが、やはり陰惨でホラーよりも怖いと映画に教えてもらいました。
■「生きるに意味などいらぬ」は明日に向かっていける言葉(福岡)
―――新撰組と伊東、どちらが正しいかわからないという感じが出ていましたが。
港:全員の正義がぶつかるのが劇作の基本です。新撰組のドラマを見ていると伊東が裏切ったという卑怯者扱いのイメージが強いですが、僕はあまりそれに乗れなかった。油小路事件 で伊東は歌集を残しています。学生がそれを現代語訳してくれ、過激なことも言っていますが、不完全で人間臭いところに魅力を感じました。
木村:伊東が「生きるに意味などいらぬ」と言うのはパワーワードです。死にたいと思っている山川が生きる意味を考えていて、伊東はわざと梅の花を書かず、来年書くと。
福岡:「生きるに意味などいらぬ」は僕が書いたセリフで、自分のことなんです。僕がしんどくなった時期に、「生きてて意味なんかない」とぽろっと言ったら、後輩の監督に「福さん、生きるのに意味なんてないんだよ」と言われてどこかで腑に落ち、気持ちが楽になったことがありました。それぞれが生きる意味や居場所を見つけ出そうとして見つけられない、得ることに必死になるがそのことで悩んでしまう。そんな時に頑張れというより、そういう言葉をもらった方が明日に向かっていける気がしたのです。
■『CHAIN』は時間のつながり。京都の街でふっと出会う歴史に、もっと違う時間や空間、風景が別のレイヤーであるのではないか(福岡)
―――多くの人が問題に思うのは、現代の京都タワーが見えたり、山川と斎藤が2階から今の京都の通りを見ているシーンです。幕末の時代劇なのに、今の風景と重なる。現代と合わせる試みは当初から想定していたのですか?
福岡:僕が書こうとするたびに港さんに却下されましたが(笑)。
港:準備稿から現代の風景を入れるのが問題になっていて、僕はなぜそれを入れるのかわからなかった。でも京都という町のおかしさはそれなんです。歩いていると歴史が何千年単位で現代の下に幾重も埋まっている。現代のイメージの中に写っているのが京都の魅力で、今日映画を見たときに「そうそうこれだ」とようやく腑に落ちました。
福岡:僕らがいる空間は時間が内包しています。京都は繁華街を歩いていてもちょっと横に逸れるとタイムスリップするし、鴨川河川敷を歩いていても、時々ここに飢饉や災害の時の死者がいたんだなと感じる。時代劇は時間の設定をして描かなくてはいけませんが、『CHAIN』ですから時間のつながりなのです。自分の記憶すら本当なのかと思う中、僕らが信じ込んでいる歴史は本当なんだろうか。京都の街でふっと出会う歴史に、もっと違う時間や空間、風景が別のレイヤーであるのではないかと思いますし、時代劇を他人事にさせないためにも、そこを結びつけていいんじゃないかと思いますね。
―――こういう時代劇が京都でもっと作られていいし、もう少し増えてほしいですね。今日のシンポジウムが何かの役に立てばと思います。
福岡:今回撮影所のスタッフの方とやらせていただき、伝統を表現に生かそうとする方がまだいらっしゃることを実感すると共に、学生たちをそこに結びつけたことで彼らの視野が広がり、大変いい経験になりました。今後、時代劇の見方が変わってきてほしいし、人的な資産、財産をさらに繋げていく若い人たちが出てきてほしい。そんな彼らが新しい時代劇を生み出してくれるのではないかと願っています。
(江口由美)
<作品情報>
『CHAIN』(2020年 日本 113分)
監督:福岡芳穂
出演:上川周作、塩顕治、村井崇記、和田光沙、辻凪子、土居志央梨、大西信満、山本浩司、渋川清彦、高岡蒼佑
配給:マジックアワー
©北白川派
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