「重い障がいのある人や親、地域が互いに自立し合う、真の支え合いの意味を考えたい」 『普通に死ぬ~いのちの自立~』貞末麻哉子監督インタビュー


「どんなに重い障害を持っていても、本人とその家族も普通に生きる」という理念のもと重症心身障害者の家族が社会福祉法人を起ち上げ、生活介護事業所<でら〜と><らぽ〜と>を開所させるまでの5年間を追ったドキュメンタリー映画『普通に生きる~自立をめざして~』。その後のグループホームの運営やどんどん年齢を重ねる重い障がいのある本人とその家族を8年に渡って撮影した続編、『普通に死ぬ~いのちの自立~』が、11月12日(金)まで東京 キネカ大森、11月13日(金)よりイオンシネマ富士宮、11月28日(土)より大阪 シネ・ヌーヴォ、12月11日(金)より京都みなみ会館、12月18日(金)より宝塚 シネ・ピピア、2021年1月元町映画館、横浜シネマリン等全国順次公開される。

 11月3日(火・祝)第21回宝塚映画祭で関西劇場初上映となった本作。上映前に貞末麻哉子監督が登壇し、「死はネガティブなイメージで捉えられますが、生きることの先には死があり、生まれた時から死と向き合い続ける人たちが、多く映画の中に登場します。歩けなくなったり、認知症になったりと誰もがいつか必ず障がい者になりますが、その時自分が生きているのはどういう地域なのかと考えてほしい。映画では西宮と伊丹の福祉事業所の方が登場しますが、彼らは本当に革新的で面白く、“けったい”な人たちで、これからの日本の福祉や社会を変えていくのではないでしょうか」と挨拶。『普通に死ぬ』というタイトルに込められた「普通に生きる」ことを獲得することの大事さが感じられる、人間の尊厳の物語でもある。

 本作の貞末麻哉子監督と、映画で登場する向島育雄さんの兄、向島竜己さんにお話を伺った。(注:インタビュー文中、本編の内容に触れる箇所があります)




■重い障がいを持つ人がどうやって地域の中で自立して生活していくかに目を向けたい。

――――前作『普通に生きる』を撮ったきっかけは?

貞末:『普通に生きる』の前作『晴れた日ばかりじゃないけれど』の上映会を企画してくれた小沢映子さんが、富士市の議員の皆さんは重度障がい者の通所ケアや在宅ケアの現実を知らないので、娘と自分がどんな暮らしをし、親たちがどんな思いでいるかを撮って欲しいと頼まれたのがきっかけです。わたしは2002年に完成した『朋の時間~母たちの季節~』では日本で初めて厚生省が認可した知的障害者通所更生施設(現在は生活介護事業所)「朋」を記録する映画制作に参加したので、自分の中では障がいを抱える人やその親御さんたちの気持ちがどこかわかっているつもりになっていました。東京から日帰りで、数週間あれば撮れるのではないかと思って始めたものの、本当に知らないことや学ぶことだらけでした。1980年ぐらいからノーマライゼーションが叫ばれ始め、1986年に朋が初めて国に正式な事業所として認可されますが、当時の映画には「自立」というテーマは描かれておらず、親御さんたちが、お子さんたちの日中の時間を過ごせる場をつくることで精一杯だった。それから10数年が経ち、彼らがどうやって地域の中で自立して生活していくかが重要だと気づき、『普通に生きる~自立をめざして~』を作りました。


  • 写真:向島育雄さんに話しかける通所施設でら〜との当時副所長、坂口えみ子さん


■親も子も地域も互いに自立し合い、支え合わなければいけない。

――――本作は副題が「いのちの自立」となっていますね。

貞末:実際に重い障がいのあるお子さんの介護をする親御さんたちは、片時たりとも医療的ケアが必要なお子さんであればなおのこと、そばを離れることができないケースもあります。本人が自立することにより、親も自立できますし、親や兄弟姉妹の能力も社会に活かすことができる。それに、重い障がいのあるご本人さんも、実際には本当に周りのことを見ているし、色々なことがわかっている。今回「いのちの自立」という副題をつけましたが、親も子も、そして地域も、互いに自立し合い、支え合わなければいけないことをみんなで考えていただきたいのです。支え合うのが難しい事業所も全国的にありますし、そんな厳しい現実が立ちふさがってしまった通所施設でら〜との当時副所長坂口えみ子さんに、ぜひ “けったい”な李国本修慈さんや清水明彦さんに会っていただきたいと思って、兵庫県にお連れしたのです。


  • 写真:西宮 元青葉園園長 清水明彦さん


■コロナ禍の自粛生活で、障がい者の生活に対する想像力を豊かにしたのではないか。

――――“けったい”は関西ではある意味褒め言葉です。伊丹で在宅介護をはじめ多彩な支援活動をしている「こうのいけスペース しぇあーど」の代表・李国本修慈さんと、西宮社会福祉協議会事務局長(当時)で元青葉園園長の清水明彦さん。お二人とも非常にパワフルで、重症心身障害児者と呼ばれる人たちが地域で自立して暮らすための活動を早い時期から展開しておられます。

貞末:清水さんは本当にパッションの方で、言葉が心に響くんです。コロナ禍で多くの皆さんが自粛生活を余儀なくされましたが、その一方で障がい者の生活に対する想像力を豊かにしたのではないかと思っています。障がいのある方々はもともとみなさんが体験した不自由不便な生活を、普通に生きてこられたのです。コロナ後、地域社会にこの体験をどうやって生かしていけばいいのかと思った時、ずっとコロナ禍の感染予防対策をし続けてきた障がい者の家庭からは学ぶことがたくさんあるはずです。支えていると思っているご家族に地域が支えられる・・・そこに清水さんの「共に生き合う」という言葉を支柱にしていけたら、世の中が少し変わるのではないかと。清水さんは昨年福祉の功労者に与えられる糸賀一雄記念賞を受賞されていますし、この言葉を絶対に伝えたい、このけったいなパッションを広めたいと思い映画に入れました。

もう一つ、前作には登場されなかったでら〜と利用者の向島育雄さんの兄、向島竜己さんは、私が参加できない関西での「普通に生きる」の上映会に京都から立ち会ってくれ、色々なご感想を伝えてくれるのですが、その中に『普通に生きる』には障がい者の兄弟姉妹が登場はするけれど、きちんと描かれていなかったという指摘があったのです。その反省やアドバイスを踏まえて本作では育雄さんと竜己さんや、進行性の重い難病のある沖茉里子さんと姉の侑香里さんという「きょうだい」を描いています。ただ、「きょうだい」の負担を重くするのではなく、障がいを持つ人のことをよく知っている「きょうだい」の声に社会でもっと耳を傾けていこうという姿勢で取り入れています。


  • 写真:向島育雄さんと母 宮子さん


■病気のためケアができなくなって気づく「親子それぞれの自立が必要」

――――育雄さんの母、宮子さんは自分がガンの治療を受けることになって、はじめて育雄さんを独り立ちさせる必要性に気づきます。母子二人でがんばってきた強い絆を感じると共に、子離れについても考えさせられました。

貞末:宮子さんは元々ご自身のことを積極的に語る方ではありませんし、『普通に生きる』の撮影の時から施設でよくお会いしていましたが、シャイな方で、撮らないでというオーラが出ていたので前作ではほとんどカメラを向けなかったのです。今回は竜己さんに声をかけてもらい、一度会うことになった矢先に宮子さんがガンだとわかってしまった。だから私が会いに行った時は、「うまくしゃべれる方ではないので、全てきちんと映してくれるならいいですよ」と言っていただきました。手術後の説明もご家族と一緒に聞きましたし、また、先生が今後の治療方針を宮子さんに伝える時にも同席して撮影しました。辛いシーンではありますがぜひ映画で見ていただきたいです。


――――グループホームができたときには、入所が思い浮かばなかったという宮子さん。親の立場からすれば、他人に任せることに罪悪感を覚えてしまうのでしょうね。

貞末:それと、生まれた時から手のかかる日々の暮らしが「あたりまえ」になってしまっている。そういう現実もあるんです。さあ、子どもが大きくなった、自分も年をとってきた、だから自立だという具合にはスムーズに考えることは難しいのでしょう。でも、他人に任せることで本人にとっての自立になるし、自分もきちんと治療を受けてきちんと自立する。家族が看なくてはいけないことが当たり前の自己責任が前面に出た社会ではなく、お互いに立ち会うということを考えていける、支え合える社会を目指していくべきなのです。決して内向きではなく、社会が外に繋がっていく動きにしていきたい。それをお伝えするためにも、この映画も時間をかけて日本の各地で上映して回りたいと考えています。


■育雄は喋れないからこそ自分の態度で示す(向島)
育雄さんは患者ではなく生活者(貞末)

――――映画で改めて弟、育雄さんの表情を見て、何か感じることはありましたか?

向島:感情がとてもよく出ていますね。喋れないからこそ自分の態度で示すところがあり、嬉しければ笑顔を見せるし、気に入らなければ全身が緊張し、踏ん張って、棒のように動かなくなったりする。助けて欲しい時は「早く助けろよ」と言わんばかりに大きな声を出していました。逆に母親が腕をさすると、ゆっくりではあるけれど緊張がほぐれてきたり、耳を触ったりというスキンシップをすると表情が変わっていましたよね。

貞末:支援って何だろうと思った時に、李国本さんも清水さんも「支援するとか支援されるという立ち位置ではない」とおっしゃる通り、対等な立ち位置でお互いに向き合わなければ本当の介護はできない。行政が上から目線で色々なことを決めたり、国が上から目線で「寄り添う」と表現するのは違うと思うのです。やはり支えるのは人ですから、マンパワーに対し国から支援を広げてほしいですね。

一般病棟に入院している時の育雄さんの撮影は、今までの撮影人生の中で一番辛かったです。育雄さんは患者ではなく、私たちと同じ一生活者ですから。相模原障害者殺傷事件で植松被告は重い障がいを持つ人を「心失者」と呼んでいましたが、そうでしょうか。話すことができないだけでなく、顔の表情を全然動かすことができない人でも自分の意思を伝えるために血中濃度で表現することがあります。この映画でも体を自由に動かしづらい中で、彼らがどんな意思表示をしているかをぜひご自身の目で確かめていただきたい、そしてぜひその答えをご自身で感じてほしいですね。


  • 写真:沖 茉里子さん(母 眞須美さんの遺影を抱いて成人式)


■母の死を受け入れることは、育雄が自立するために必要だった(向島)

――――「きょうだい」と呼ばれる障害を持つ兄弟や姉妹をもつ人のネットワークも広がっているそうですが、向島さんご自身の体験をお聞かせください。

向島:育雄とは、一言でいえば母を取り合うライバル関係でしたね。僕は弟がいないとき母に甘えるし、逆に僕が母としゃべっている時は育雄が機嫌を損ねて怒る。育雄は甘えん坊で、母は自分一人のものと思っているんですよ。

映画の中で母の葬儀のシーンがありますが、育雄には、母の死に立ち会わせてやることができなかった。だからこそ、葬儀の時に、母の死に顔を見せてやりたかった。育雄に母の死をわかってもらうためにそれが必要だし、しいては彼の成長のためにも必要で、それを受け止めてくれれば、育雄は自立できると、自分も兄貴も思ったのです。他人は、それを育雄が受け止めるのは無理だと思うかもしれないけれど、自分の弟だから理解してくれるだろうという信頼関係がありました。口数の少ない男兄弟特有の、言葉ではなく態度で気持ちを通わせる感じです。

貞末:本来ならば危篤の時に駆けつけ、母の死を看取るべきなのでしょうが、そんな残酷なことを体験させられないという一部の支援者の思いもあれば、親を看取ることはあたりまえのことだ、という前述の清水さんのような考え方もあります。 実際には、入所中の育雄さんを病院へ連れて行く人の手配も簡単にできない。ただそれを乗り越えても27歳のひとりの男性が、母親の最期に立ち会えないという現実は、あきらかに普通ではないと私は感じました。だからこそ、母・宮子さんの葬儀のシーンは重要だと思っています。


――――もう一組の姉妹、進行性の重度障がいを患う沖茉里子さんと、姉・侑香里さんのエピソードでは、茉里子さんを支援するための会議が度々開かれます。

貞末:あの会議で、姉・侑香里さんが流した涙は非常に重いと思います。支援を断られる機会が非常に多く、その先に未来が見えない不安や、その度に感じる支援側と家族の温度差を痛感しながら、多くのご家族が流す涙です。


  • 写真:貞末麻哉子監督


■死をみつめた先にある命と向き合うことを見据えたケア。

――――会議で坂口さんが度々訴えた「家族にできるケアは、職員も担っていこう」という姿勢は、この先、どんどん数が増えてゆくであろう医療的ケアが必要な方々が生まれ育った地域で生ききるために重要な考え方だと思いました。

貞末:坂口さんは、死を恐れるのではなく、関係性の中で信頼し合うという考えのもと、親御さんができる支援を支援者が引き受けていこうとする姿勢を教えてくれました。実際、親御さんが自宅でされているケアは、時には病院で医療職の方が行う医療行為より的確で精密だったりするのですが、坂口さんはその技術を習っていこうという姿勢を示されたのです。さらにそれを、医療者だけではなく、ヘルパーも担っていこうと。それはきちんと死をみつめた先にある命と向き合うことであり、親御さんとの信頼関係があればこそ生まれるものでもある。そのことをきちんと考えていかなければ親御さんの負担は減らないし、医療的ケアの問題は解決しないと思っています。

(江口由美)


<作品情報>

『普通に死ぬ~いのちの自立~』(2020年 日本 119分)

制作:マザーバード/CINEMA SOUND WORKS

プロデューサー:梨木かおり/貞末麻哉子

監督・撮影・構成・編集:貞末麻哉子

ナレーター:余 貴美子(特別協力)

11月12日(金)まで東京 キネカ大森、11月13日(金)よりイオンシネマ富士宮、11月28日(土)より大阪 シネ・ヌーヴォ、12月11日(金)より京都みなみ会館、12月18日(金)より宝塚 シネ・ピピア、2021年1月元町映画館、横浜シネマリン等で、全国順次公開。

公式サイト⇒http://www.motherbird.net/~ikiru2/