「さどヤンは次の時代にも活きるヒントを与えてくれる普遍的な人」 『淀川アジール さどヤンの生活と意見』田中幸夫監督インタビュー


 対岸に梅田のビル街を望む淀川河川敷。その地に自ら小屋を建て暮らし始めてから20年になる“さどヤン”とそこに集まる人たち、共に暮らす動物たちを描くドキュメンタリー映画『淀川アジール さどヤンの生活と意見』が11月28日(土)より第七藝術劇場、12月5日(土)より元町映画館、12月11日(金)より京都みなみ会館他全国順次公開される。


 監督は『未来世紀ニシナリ』『ITECHO 凍蝶圖鑑』『徘徊 ママリン87歳の夏』の田中幸夫。淀川にあるもの、捨てられたものをうまく使い、捨犬を世話しながら丁寧な暮らしをする一方、「河川敷停留所」という休憩所を作り、生きるのに息苦しさを感じる多様な人たちが集まる場所をも提供している。豪雨という自然の猛威に争うことなく、一からやり直せる“さどヤン”はまさに人生の達人。世の中がシンプルライフに注目する前から自ら実践し、どんな時にも生きることそのものが希望につながると信じて日々を過ごすさどヤンの変わらぬ精神は、コロナ禍で価値観が揺らぐ今、ぜひ多くの人に観ていただきたい。

本作の田中幸夫監督に、お話を伺った。




――――元町映画館とはもう6年来のお付き合いだそうですね。

田中:パリで『ITECHO 凍蝶圖鑑』を上映後、日本では普通だったら東京から地方に順次公開していくと思うのですが、僕は元町映画館の空気感がとてもいいなと思っていたので、どうせだったら神戸の元町映画館からスタートしようかと。電話して興味があればかけてもらえますかとお願いしてご挨拶に行ったところ、お団子頭の支配人がいらっしゃった。「あなたが支配人ですか」と僕も驚いたし、林さんも僕のこと最初はミュージシャンかと思っていたみたいですね。


――――モットーの「映画は風のようにやってくる」について詳しく教えてください。

田中:僕が劇映画を目指した頃は、日本映画が斜陽期で若手監督は日活ロマンポルノで撮りたいものを撮る時代でした。僕はそちらの方面にはいかず、企業のPR映画を作っているプロダクションでシナリオが書ける若い人材を募集していたので、とりあえずその会社へ行ってみました。最初は3日に1度ぐらいの割合で編集や撮影、録音の現場を見学するだけの日々が続き、2ヶ月後にPR映画のナレーションを書くことを任せられました。それからすぐ、脚本、演出で10本程作らせてもらいました。でも、機械のPR映画ばかりなので、つまらなくなって、10ヶ月で辞めてフリーになりました。それ以降、企業、行政、テレビを主戦場にありとあらゆる題材で映像制作をしましたが、何を撮っても面白かった。なので、その頃は劇場公開用の映画制作はあまり考えてなかったです。きっかけは2005年。部落差別をテーマに大阪西成が舞台の『未来世紀ニシナリ』(06)の撮影に入ったのですが、文化庁の助成金をもらうにあたっての条件が劇場公開だったのです。いっぱい書類も書きましたが、審査もすんなり通り、映画は翌年完成。それが初めての劇場公開でしたね。今回の『淀川アジール』は劇場公開作品としては10本目になるのですが、文化庁の支援を受けた作品は、そのうち4本です。

 僕は口の悪い友人から“産み捨て監督”と呼ばれています。作った後は尾を引かないタイプというか、とにかくいつも何かを作っていたいのです。『女になる』(17)は主人公の未悠さんの依頼からはじまりましたし、『徘徊 ママリン87歳の夏』(15)も『ITECHO 凍蝶圖鑑』の先行イベントの会場となったギャラリーの女性オーナーから突然に依頼を受けたもので、最初から認知症の映画を撮りたいと思っていたわけではなかったのです。そういう意味で「映画はいつも風のようにやってくる」。人であったり、シチュエーションであったり、題材はたくさん転がっています。その時に自分が感応するかどうかが大事。風が吹いてくるとそれに反応し、こんな風に作ろうかなとか、同じような題材なら今までにない文体で作ろうと考えたりしますね。それは若い時からで。例えば機械のPR映画など普通に作ればいいものを、こねくり回して変わったもの、でもとても面白く、もう一度見たくなるようなものを作っていました。まあ、根本的に今も変わりません。



■題材を感知し、反応することが大事。

――――田中監督のドキュメンタリーは、題材は違えど通底するものを感じます。

田中:職業監督なのでどんなものも作れます。でも、マイノリティから見た世界や時代、空気、人間など、自分の見たことがないものを見たい。上から見た世界じゃなく、下から見た世界という視点。成功した経営者のテレビドキュメンタリーなんかは全く面白くなかった。結局はお金の多寡で計られる世界ですから。それよりも、モノづくりの現場に強いシンパシーを感じることが多いですね。こちらも気持ちよく撮れるのです。



■磁力があるかのように、少し何かを抱えた人がそこに吸い寄せられていくのが見えていた。

――――本作の主人公、さどヤンとは長いおつきあいなんですか?

田中:さどヤンとの出会いのきっかけを作ったのは大黒堂ミロです。ドキュメンタリー映画『Pak-Poe 朴保』(09)のCDジャケットを担当していたミロちゃんはミックスルームという今では伝説となったバーも経営していたのですが、そこで出会った人たちに頼まれて作った映画が『ITECHO 凍蝶圖鑑』でした。で、そのファーストシーンが、まさにさどヤンのいる淀川河川敷の「河川敷停留所」だったんです。そこはまさに治外法権的な場所であり、河川敷に集まって、肩書きや属性を剥ぎ取った人間たちが交流する広場で、さどヤンがその場を提供していた。まるでそこに磁力があるかのように、何かを抱えた人がそこに吸い寄せられていくのが既に僕には見えていたんです。その頃から、ミロちゃんが「さどヤンを主人公にした映画を作ろうよ」というものだから、思案した末に、よしやろう!と。


――――さどヤンは「河川敷停留所」だけでなく、河川敷に住む自分の家も手作りし、河川敷にある資源や廃材、廃品を上手に使って、きちんとした暮らしをされていますね。

田中:人間は動けるうちはちゃんと働いて暮らせというのがさどヤンのポリシーです。1日5000円ほどの日雇いで月に3万ほど稼ぎ、日用品や食料、風呂などに使った残りで月に一度は王将で餃子とビールを食すのが楽しみという生活をしているんですよね。


――――ドキュメンタリーを撮るということでさどヤンに密着されていかがでしたか?

田中:さどヤンに対する印象は、最初から変わりませんね。他の映画でもそうですが、この人を撮ろうと決めたその時点でその人のほとんどが直感で分かっている。だから撮っているうちに「こんな人だったんだ」という驚きはないですね。




■自分の感覚を信用できるかどうかが全て。

――――最初の直感が全てということでしょうか?

田中:僕は何かを作る時に、自分の感覚を信用できるかどうか、自分を信じられるかどうかが全てだと思っているんです。23歳から映像を作り始めたといっても、実際の制作についてはほとんど何も知らなかった。ベテランのカメラマンや照明さんたちが助けてくれました。凄い人たちに囲まれて随分教えられ鍛えられ、プロの監督にさせてもらったという思いがあります。だから他人を真似るのではなく、当たり前でとても難しいことですが、自分の感覚を信じきること。そのことはいつも肝に銘じていますね。


――――撮りながら模索するという感じではなく、作りたいものが見えていたのですね。

田中:映画としてどう流れていくのが美しいかにこだわっていますね。きれいな画と澱みない編集。僕の映画は純然たるドキュメンタリーとはちょっと風合いが違うかもしれません。いわば劇映画風の編集ですからね。美しい画がもつ情感をとても大事にしています。


――――美しい画といえば、本作ではさどヤンだけではなく、淀川を散歩する人たち、淀川の夕日や淀川に生きる鳥たち、動物たちが佇むように映し出され、淀川に生きるものたちの人生賛歌のようですね。

田中:さどヤンは人に対しても、動物に対しても、ある種の距離感を持ちながら思いやっている。一視同仁(いっしどうじん)という言葉があるのですが、人を同様にみてあまねく慈しむという意味で、まさにさどヤンに宿る美徳を言い得ていると思いますし、それに感動して皆が近づいてくる感じがします。



■さどヤンは次の時代にも活きるヒントを与えてくれる普遍的な人。

――――さどヤンの生きるスキルが本当にすばらしく、まさにシンプルライフを実践されています。

田中:今、エコロジーが叫ばれていますが、さどヤンはそれを体現している人ですし、今を生きる人だけでなく、次の時代にも活きるヒントを与えてくれる普遍的な人です。ずいぶん前から近代文明や資本主義はそろそろダメだと思っている人は多いだろうけれど、なかなかそこから抜け出せない。人間ですから、いま暮らせているなら大きく変えたいと思わないでしょう。でもビルが立ち並ぶ都会と川を挟んだこちら側だと、こちら側はいつだってここから出発できるし、ここなら生きていけるのではないか。川向こうのビル街では再建ができないのではないか。そう思います。


――――2年前の西日本豪雨では淀川も大雨に襲われましたが、田中監督はすぐさどヤンの様子を見に行かれたのですか?

田中:僕は密着派のドキュメンタリストでもなければジャーナリストでもないので、豪雨後すぐには行かないです。画的には観客の関心を引くであろうことはわかっていても、人の不幸は撮りたくない。人が前向きに覚悟をもって生きていく姿を撮りたいのです。


――――確かにさどヤンは「一からやり直しやわ」とサバサバとした口調で言いながら、黙々と作業しておられましたね。

田中:怖いとすれば自分の体力ぐらいで、さどヤンにはそんなに怖いものはないんです。今までありとあらゆる底辺の人たちを見て知っているので、自分のことが相対化できている。さどヤンは自分一人が不幸で悲しいなんて、全然思っていません。逆に幸せは何かと聞けば「そんなん、わからへんがな」と言うでしょうけれど。僕はさどヤンとすごく重なるところがあるので、さどヤンの言うことがすごくわかるんです。




■ドキュメンタリーは人間の喜怒哀楽を通してテーマが浮き上がる。

――――どんなところが、さどヤンと重なると思われるのですか?

田中:ある距離感をもって人と接するところ、動物に優しいというところでしょうか。さどヤンは妊娠中の犬の面倒を見たり、老犬の介護もしています。僕も1年間猫の介護をしていたことがあるんですよ。ドキュメンタリーは人間の喜怒哀楽を通してテーマが浮かび上がる、でも、ことさら深いテーマは必要ないと、僕はどこかで思っています。例えば、どこかに出ていって面白い人に出会い、それを帰ってきて家族に話す。いわばそういうことの延長線上の映画だけれど、見てきた僕にすればものすごく伝えたいことで、色々な人に見てもらい、ある種感動する話であったり、考えさせられたりするかもしれない。今の社会や時代に通底しているテーマを感じる人がいるかもしれないし、そこまでいけば僕もうれしいです。



■ゆるい人間関係が成立するだけでも、社会はすごく安定する。

――――さどヤンの言葉で一番印象に残ったものは?

田中:「食糧や、人間にとって一番大事なんは」ですかね。これからの時代を言い当てています。地球の温暖化は止められないところに来ていて、エコバックぐらいでは解決できない。食料問題にしろ水問題にしろ、これからは争奪戦がはじまるし、食べられない人が出るから自国優先で輸出を制限してしまう時代にもう来ていますから。

一方、どういう環境であろうが、そこで生きようとしている人間はその時代のなにがしかを必ず背負っているわけです。今は河川敷にバーベキュー広場があるからそこから炭や肉を仕入れてくることができる、豊かな時代のホームレスです。それがなければ空き缶集めをしなければならないけれど、逆に空き缶は主婦やタクシーの運転手が持って行くこともあったりと争奪戦の時代でもあります。そんな世界で、よくわからないけれど悪い奴でもなさそうだしというゆるい人間関係が成立するだけでも、社会はすごく安定すると思いますよ。だから今、さどヤンの生き方にぜひ触れてほしいですね。



■過去も未来も映り込む「古びないドキュメンタリー映画を作る」

――――コロナ禍で今までの価値観が大きく揺さぶられている今この作品を見ることで、視野が開ける気がしました。

田中:ドキュメンタリー映画は今を映しているけれど、過去も未来も映り込んでいます。この作品も予兆の映画だと思っています。今は簡単にドキュメンタリー映画が作れます。カメラを回すと音が付いているので、下手に切っても映画としてつながる。でも音を外して映像だけで見ると、話がさっぱりわからないというものがほとんどです。映すといってもただ映っているだけで、必然のアングルが考えられているようなきちんとした画をあまり見ません。僕の矜持は「古びないドキュメンタリー映画を作る」ことです。

(江口由美)


<作品情報>

『淀川アジール さどヤンの生活と意見』(2020年 日本 73分)

監督・撮影・編集:田中幸夫 

企画:大黒堂ミロ

11月28日(土)より第七藝術劇場、12月5日(土)より元町映画館、12月11日(金)より京都みなみ会館他全国順次公開

※第七藝術劇場、11/28(土)12:20の回上映後、田中幸夫監督、大黒堂ミロさんの舞台挨拶あり

※元町映画館、12/5(土) 18:30の回上映後、田中幸夫監督、小林真由美さん(トランスジェンダー)、アンダーラインさん(アーティスト)舞台挨拶あり

※京都みなみ会館 12/12(土)上映後 田中幸夫監督、坂田かおりさん(人権テイクルート代表) 舞台挨拶あり