ゴッホと弟テオの関係性がモチーフ。少女の罪を通して現代社会の闇と希望を深遠に描く『種をまく人』竹内洋介監督インタビュー
大阪アジアン映画祭2018で日本初上映を果たした後、昨年より池袋シネマロサをはじめとする首都圏や愛知で公開されてきた竹内洋介監督初監督作『種をまく人』がいよいよ12月5日からシネ・ヌーヴォ、今冬京都みなみ会館、元町映画館にて関西凱旋ロードショーされる。
精神を病んでいた主人公・光雄を演じるのは、大阪アジアン映画祭2020で監督作の短編『Hammock』が芳泉短編賞を受賞した他、本作のカメラも担当する岸建太朗。光雄が退院し、弟・裕太とその妻・葉子の家を訪れるところから始まる物語は、姪の知恵、ダウン症の妹・一希らとの交流を経て、思わぬ不幸に見舞われることから事態が一変する。東日本大震災の被災地に咲いた一輪のひまわりに大きな癒しを感じたという竹内監督は、ゴッホの絵でも有名なひまわりを本作の中でも登場させ、そこに深い祈りを込めているように映る。テッサロニキ国際映画祭で見事最優秀主演女優賞に輝いた、10歳の知恵を演じる竹中涼乃の葛藤を抱えた演技にもぜひ注目してほしい。
本作の竹内洋介監督にお話を伺った。
――――竹内監督は、パリに行かれていた時期が長かったそうですね。
竹内:ずっと絵を描く仕事をしたいと思っていたのですが、学校で習ったことはなかったので集中して絵を描きたいと思い、2002年パリに行き、1年間小さなアトリエに通って朝から夕方までひたすらデッサンと基本のアカデミックな絵を描き続けていました。油絵も現地で描き始めたんです。美術館もしょっちゅう通っていました。
■現代日本にゴッホがいたらどのように生きたかを映画にしようと決めた。
――――ゴッホが好きだというのも幼い頃からだったのですか?
竹内:パリに行った時は他の画家が好きだったのですが、初めてオルセー美術館に行った時、印象派画家たちの部屋を回り、ゴッホの部屋に入った時に異様な空気を感じたのです。直接ゴッホが描いた絵を見て、ものすごい衝撃を受け、ゴッホに興味を持ち始めました。その後南仏のアルルを訪れた時、ゴッホが描いた場所に偶然行くことになったり、またパリから100キロぐらいのところにジベルニーというモネが睡蓮を描いていた家があって、そこに友人と野宿しながら3日間ぐらいかけて歩いて行きました。その途中にゴッホが最期の時間を過ごしたオーヴェル・シュール・オワーズという場所があり、ゴッホが描いた麦畑や教会、墓などを偶然訪れることになったりと、その時何かゴッホに導かれているように思い始めました。そしてその後ゴッホが弟のテオや友人とやり取りした書簡集を読むことになったのです。それはとても強烈でそれまでのゴッホに対するイメージを大きく変えることになりました。それを読んでからゴッホの芸術感や生き方にすごく惹かれていったのです。
――――それが映画作りにも繋がっていったということですね。
竹内:日本に戻って映画を撮ろうとした時に、自分の元になるインスピレーションは何なのかと考え、絵を描く主人公の短編を何本か撮ったのですが、初長編はゴッホの話を撮ろうと漠然と考えていました。ただ日本でそのままの形で撮るのはどうしても違和感が出てしまうので、現代の日本という設定で、絵を描くという行為を排除し、ゴッホという人物が絵画という表現を持っていなければどのように生きてきたかを映画にしようと考えたのが本作の発端です。時期的にはまだ東日本大震災が起こる前でした。
■ダウン症の姪の誕生が、障がい者を持つ親御さんの葛藤を描くきっかけに。
――――なるほど、本作ではオープニングで被災地の映像が挿入されますが、どの時期に現地へ行かれたのですか?
竹内:東日本大震災から半年ぐらい経った頃、主演で撮影監督の岸さんと写真家の方と三人で陸前高田の方からずっと海岸沿いを南へ下っていきました。途中、津波で崩壊した家屋の庭に一輪だけひまわりが咲いているのをみつけたのです。瓦礫の中に咲くひまわりの力強さに自分自身も救われた思いがしました。震災の翌年にダウン症の姪が生まれたことも僕の中では大きかったです。ダウン症に限らず、障がいを持った子どもを持つ親御さんは無意識のうちに追い詰められてしまうので、その部分も描こうと思いました。
――――その中で現代日本に生きるゴッホをモチーフにした人物を描こうとしたのですね。
竹内:ゴッホ自身も様々な障がいを抱えていましたし、今より差別の激しい時代に生き、異常者扱いされていたと言います。一方、今私たちはゴッホの描いた絵を見て感動するわけで、障がいを持つ人と持っていない人との境目は曖昧で、そもそも普通とは何かなんて定義できないはずなのです。今は「普通がいい」という社会で、普通になりたいのになれない人が苦しむ社会は続いている。こういう世の中で僕が思うのは「普通でいられる方が普通じゃない」。敏感で繊細な人ほど理不尽な社会に傷つき、心を病んでしまう。この映画を見てもらい、そういうことに気づくきっかけになってもらえればうれしいですね。
■光雄役の岸建太朗に課したのは「ゴッホになりきること」
――――本作で現代日本のゴッホといえる光雄を演じたのはカメラマンでもある岸建太朗さんですが、どのように役作りをしたのですか?
竹内:ゴッホになりきることが基本で、まずゴッホが弟のテオに宛てた膨大な書簡集を読むようにお願いしました。岸さんは毎日1ページずつじっくりと読み、光雄になりきって毎日日記を書くことを続けたそうです。岸さんは当時がっちりした体型だったので、30キロぐらいは痩せてほしいという無茶な要求もしました。結果的に半年ぐらいかけて23キロぐらい減量していましたね。衣装や靴も映画で着ているものを半年前から身につけてもらい、常にあの格好で着慣れてもらいました、歩き方も人の性格が現れるので、岸さんの歩き方についても矯正してもらったりもしました。
――――相当肉体的にも大変な役作りだったんですね。岸さん以外の人が光雄を演じるという選択肢はなかったのですか?
竹内:最初別の人でと考えたこともありましたが、震災後からお互いの映画を手伝いあったり、よく話し合ったりしていましたし、岸さんほどゴッホのことがわかる人はいないと思ったんです。それに半年をかけて役作りをしてくれる役者は今の日本映画ではなかなか難しいことなんです。
■時間の表現が一番大事〜ひまわりとタイトル「種をまく人」に込められた思い。
――――もう一つ本作で非常に大きな要素となるのがひまわりです。実際に竹内監督が種を蒔いて育てたそうですね。
竹内:一番重要なラストシーンをどこにするか。どこにひまわりの種を植えるべきかをスタッフたちと色々話し合いました。撮影の年の3月に被災地を再訪した時、思い描いていた道と偶然出会ったんです。そこは海沿いで、土はほぼ砂浜に近い状態で、ひまわりを育てるのはほぼ不可能でした。その時出会った被災地でひまわりを育てているボランティアのReRootsという団体の代表の方に相談し、全部土を変えること勧められました。それから少人数のスタッフと共に土を入れ替える作業をして約2000粒の種を蒔きました。咲くかどうかも分からない状況で、多くの困難にぶつかりながらも何とか、ラストシーンを35ミリフィルムで撮ることができました。
――――映画では途中で光雄が種を蒔くシーンもあり、タイトルの「種をまく人」はゴッホの絵と同じでもありますが、その関連性は?
竹内:ゴッホの作品の元はミレーの絵、「種をまく人」で聖書にある種をまく人からきている作品です。ゴッホ自身は、教会は批判していたけれどキリスト信者だし、ミレーも尊敬していてミレーの模写をたくさん描いています。種を植えるということの意味については聖書の中でも哲学的なことが書かれているのですが、土地によって(植えた種が)良く育つこともあれば、うまく育たないこともあるという、キリストの教えに対する比喩でもあります。この映画では苦境に陥っているゴッホに見立てた光雄という人物がどうしたらいいのかを考えた時、種を蒔くしかないのではないか。植物は自然に芽が出るのがある意味救いでもあり、どんなことがあっても時間が経てば自然と癒される。時間の表現が一番大事なところで、この映画のテーマでもあります。どんな辛いことがあっても時間や場所、人との出会いによって癒されることがあるのではないでしょうか。
■知恵役が台本なしで臨んだ結果生まれた名シーン。
――――もう一人の主人公、光雄の姪でダウン症の妹・一希を持つ姉・知恵を演じた竹中涼乃さんの演技も素晴らしかったですが、途中までしか台本を渡していなかったそうですね。
竹内:前半の遊園地で事故が起こる前までしか台本は渡さず、後のシーンはその場で状況を説明してやってもらいました。その為にほぼ順撮りで撮影したのですが、竹中さんだけは何が起こるかわからない状態で、まさに反応してもらうように演技をしてもらうため、周りの役者たちに協力をしてもらい、台本の方向に導いてもらったんです。竹中さんはすごく反射神経が良くて、オーディションの時から泣く演技も凄かったので、僕の中では第一印象で竹中さんだと決めていました。一希を演じた僕の姪と竹中さんや他の役者たちとも一緒に過ごす時間を多く作り、撮影前に仲良くなってもらいました。撮影の前半はダウン症の姪にみんなすごく癒されていましたが、遊園地の事故の後は徐々に緊張が張り詰めて行きましたね。特に竹中さんは一希役の姪とすごく仲良くなったので、台本なしで臨んだ事故のシーンでは感情のままにやっていいと伝えると、本当に生の感情を出さざるを得なかった感じでした。一瞬何が起きたのか分からなかったようで、無表情のあとの自然と溢れ出す彼女の涙は本当に素晴らしかったです。
■光雄と裕太の関係は、ゴッホと弟テオとの関係。
――――事故以降、光雄が周りから白い目で見られるようになる中、当事者でもある光雄の弟・裕太は兄に寄り添い続けます。非常に強い絆で結ばれた兄弟ですね。
竹内:光雄と裕太の関係は、まさにゴッホと弟テオとの関係なんです。ちなみにテオの妻がヨーという愛称だったので、裕太の妻の名前は葉子にしました。ヨーも最初はゴッホを歓迎していたのだけど、だんだん煙たがり、夫のテオがいつまでもゴッホにお金を送り続けるものだから夫婦仲が悪くなってしまった。テオは兄と妻の狭間ですごく追い詰められたのですが、そのあたりの夫婦関係がこじれていく様も裕太と葉子に重なります。ゴッホの手紙を読んでから本作をご覧になるとまた違う面白さがあるかもしれません。
――――何度か知恵が通う小学校のシーンが登場し、『僕の帰る場所』(17 藤元明緒監督)に出演している在日ミャンマー人のカウン・ミャッ・トゥさんが出演していますね。
竹内:知恵は学校であまり友達がいなくてしゃべる友達がおらず、あのような事故が起きた後何が救いになるのかと考えた時、当たり触らずの状態になるともっと悪い状況に陥ってしまうと思うのです。関係のないことでも話しかけてくれるような存在や、ちょっとした声かけは救いになるのではないかと思うのです。
――――現代社会の生きづらさや、その中でのささやかな歓び、そして罪を犯した人の償いなど、色々な要素が深いところで絡み合う、味わい深いヒューマンドラマになりました。
竹内:映画を見ていて良く思うのは、わかりやすいハッピーエンド、わかりやすい光を見せるのはとても嘘くさくなってしまう。そういう展開に無理やり持っていっても成り立たないと思うのです。闇の中のわずかな光は何だろうと考えると、時間であったり、ちょっとした優しさといった何気ない出来事こそが救いになるのではないか。そういう考えからラストシーンは生まれました。
■コロナ禍の今思うのは、「一つの基準で相手を決めつけないでほしい」
――――最後に、コロナ禍で誰もが不安な気持ちを抱える今、誰かを責めるのではなく祈りを捧げようとするこの作品の公開は非常に意味があると感じますが、竹内監督が今思うことをお聞かせください。
竹内:最近周りでもよく聞く話なのですが、コロナ禍で人件費を削るために企業が誰かを解雇しなければならない時、効率のよい仕事ができないとか、高齢の人が対象となってしまうことにすごく疑問を感じているのです。そういう人たちを解雇してしまったら、彼らはどう生きていけばいいのだろうかと。誰にも得意、不得意がある中、仕事ができる、できないで人を簡単に決めつけないでほしい。人は不安な状況になると余裕がなくなり、第一印象で相手のことを決めつけてしまいがちですが、それが全てではないということを今一度考えてほしいし、一つの基準で相手を決めつけないでほしいと願っています。
(江口由美)
<作品情報>
『種をまく人』(2019年 日本 117分)
監督・脚本・編集:竹内洋介
出演:岸建太朗、足立智充、中島亜梨沙、竹中涼乃、杉浦千鶴子、岸カヲル、鈴木宏侑
12月5日(土)からシネ・ヌーヴォ、今冬京都みなみ会館、元町映画館他全国順次公開
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