東日本大震災から10年、聞こえない人たちの生きる力や支援体制の変遷を映し出す『きこえなかったあの日』今村彩子監督インタビュー


 東日本大震災後、宮城の被災地に入り、聞こえない人の支援体制を取材しながら、現地で出会った加藤褜男さんや菊地藤吉さん、信子さん夫妻らと交流を重ねてきた今村彩子監督。その記録をまとめた『架け橋 きこえなかった3.11』(13)を経て、東日本大震災から10年の節目を迎えるにあたり、その後の加藤さんや菊地さん夫婦をはじめとする人々の暮らしの変遷や、日本全国で起こった災害の現地での支援体制にも密着したドキュメンタリー映画『きこえなかったあの日』が、4月16日(金)から出町座、4月1 7日(土)から第七藝術劇場、元町映画館他全国順次公開される。

本作の今村彩子監督に、お話を伺った。



■宮城で出会った加藤さん、信子さんに学びたいと思った

――――映画を観終わって、私が一番印象的だったのは加藤褜男(えなお)さんの生き切る力でした。今村監督が初めて宮城の被災地を訪れた時や、加藤さんと出会った時のことを教えてもらえますか?

今村:初めて宮城に行った時は、テレビの画面で見ていたのとは全く違い、360度どこを見渡しても本当に大変なことになっていたので、私自身どう受け止めていいのかわからなかった。その時に避難所で出会ったのが菊地信子さんです。信子さんは体調が悪そうでしたが、流されてしまった自分の家の跡まで私を案内し、撮影させてくださったのです。すごく辛そうに泣いておられたので、カメラを置いて、信子さんの隣で悲しみに寄り添いたかったのですが、そうすると撮影ができなくなってしまう。カメラを回しながら、心の中で「信子さん、ごめんね。信子さんが安心して暮らせる日まで通うからね」と約束しました。あれから10年が経ち、信子さんは娘さん夫婦の隣の家に引っ越され、ご主人と一緒に穏やかに暮らしておられます。

加藤さんと出会ったのは、2011年8月です。宮城県聴覚障害者協会会長の小泉正壽さんが、仮設住宅に住む加藤さんの元を訪れ、支援物資の扇風機を渡すところを撮らせていただいたのですが、加藤さんが説明書を読めないことにまず驚きました。しかも一人暮らしなので、震災のような非常時に大丈夫だろうかと心配になったのです。でも加藤さんのところへ何度も足を運び、仮設住宅の皆さんと楽しく交流している姿を見て、加藤さんがコミュニケーションを取れるかどうか心配だったのは、自分のおごりだと思い知らされました。私は聞こえる人たちに対して壁を作り、心を閉ざしていた部分があったので、加藤さんや信子さんから地域の人たちとどういう風につながっているのかを学びたい、知りたいという気持ちに変わっていきました。


――――最初に小泉さんのところに行かれたのは、そこに聴覚に聞こえない人の情報が集まってきているということですね。

今村:小泉さんのいる宮城県聴覚障害者協会に行けば、聞こえない人がどこにいるかが分かると思い、真っ先に伺いました。小泉さんは加藤さんをはじめ、色々な方のところに車で連れて行ってくださり、本当に感謝しています。宮城県でもやっと今年の4月に手話言語条例が施行されたのですが、長きにわたり条例成立のために尽力したのも小泉さんです。


――――映画の前半、『架け橋 きこえなかった3.11』(13)のシーンが登場します。同作を発表当時から、10年の区切りに映像作品を作る構想があったのですか?

今村:当時はなかったです。でも、『架け橋 きこえなかった3.11』の上映会の時、今の宮城の様子も映像で伝えたいと思っていたので、毎年現地へ行くたびに映像を撮りためていました。この映画を作ろうと思ったのは、2019年に豊橋市から、10年目となる2021年3月11日に『架け橋〜』の上映と、今の宮城の様子を話してほしいという依頼を受けたことがきっかけでした。10年というのは大きな節目になるので、前作を上映するのではなく、また新たな作品を作ろうと思いました。


■熊本地震、西日本豪雨取材で出会った、全国に広げたい取り組みとは?

――――熊本地震の避難所では、聞こえない人に対するケアが手厚かったですね。これは東日本大震災などを教訓に充実してきたのでしょうか?もしくは、県独自の取り組みの成果なのでしょうか?

今村:熊本地震の時は、「目で聴くテレビ」という手話と字幕のCS放送局で放映するために取材したのですが、東日本大震災を教訓にしておられるのかと思って話を伺うと、それよりも2016年4月に熊本県で障害者差別解消法が施行されたことが大きいようでした。施行された2週間後に熊本地震が発生し、本来なら県の方から避難所へ、障害のある人たちへの配慮に関する通知が届く予定だったのですが、実際には手が回らなかった。そこで熊本県聴覚障害者支援対策本部が試行錯誤し、「手話通訳や要約筆記が必要な方は、申し出てください」という内容のポスターを作ったのです。そのポスターを避難所の受付に貼っておけば、聞こえない人は支援を頼みやすくなるし、支援したい人もやりやすくなる。支援者と支援が必要な人をつなぐ、とてもいい方法だと思います。聞こえない人は外見ではわからないため、実際に支援が必要な人を見つけることが大変ですから。


――――いい取り組みですね。同じ避難所の様子でも、熊本地震の時は聞こえないことに対する不安が幾分和らいでいるような印象を受けました。

今村:私もそう思います。手話ができるスタッフやボランティアがいるので、安心されたと思います。映画に登場するご夫妻は、結婚した時のことを話してくれるほどでしたし。取材をしている場所の空気自体も東日本大震災の時とは違いましたね。


――――西日本豪雨の時は、広島で聞こえない人たちがボランティア活動の団体を立ち上げておられましたが。

今村:インターネットの動画ニュース取材で現地入りするとボランティア活動をされているろう者の団体に出会い、衝撃を受けました。そして、「聞こえない人たちは助けてもらう立場」と自分が無意識に思い込んでいたことに気づきました。以前から聞こえない人が個人でボランティア活動をするケースはあったのですが、ろう者がボランティア団体を立ち上げるのは全国で初めてなので、すごくいい取り組みだと思います。ボランティアをやりたくてもコミュニケーションが難しいというきこえない方がたくさんいるので、そういう人たちがアクセスしやすくなれば、ボランティア活動をする人も増えるはずです。全国にこの活動が広がっていけばいいなと思いました。



■「彼らを被災者としか見ていない」と指摘されて気づいた、震災とは関係ない生活ぶりから滲むもの

――――加藤さんといい、この作品を見ていると様々な思い込みの殻が破れる思いがします。今村監督が毎年通うことで、まさしく家族のような密度の濃い付き合いをみなさんとされていますね。編集の時、取材したみなさんを「被災者として見ている」と指摘を受けたそうですが、どのように編集方針が変わっていったのですか?

今村:今回編集協力をしてくださった映像作家の岡本和樹さんに編集した映像を見せたところ、「あなたは彼らを被災者としか見ていない。加藤さんや信子さんが被災をしたというのは人生のほんの一部で、それが全てではない」と指摘されたのです。言われてみれば、私は取材でも震災ことばかり聞いていて、それ以外の質問をあまりしてこなかった。そこで映像をもう一度見直すと、震災とは関係ない加藤さんや信子さんの生活ぶりに見入ってしまう自分がいたのです。信子さんが話している後ろで、いつも旦那さんがニコニコ座って聞いているという夫婦の空気感や、加藤さんの自転車エピソードなど、そういう場面を積み重ねていくと、観客は次第に「加藤さん」、「信子さん」というように一人の人として、名前で呼びたくなると思うのです。震災のことだけを盛り込んでいた時は84分だったのですが、今は2時間弱と長くなりました。ご覧いただいた方からは、人とのつながりが伝わってくるとか、加藤さんの人となりがすごくよくわかるという感想をいただきますね。


――――今村監督が加藤さんの手話を数字しかわからなかったのにも、手話はそんなにバリエーションがあると知らなかったので驚きました。その一方、今回通訳をしてくださった岡崎佐枝子さんは加藤さんの手話を理解されているんですね。

今村:岡崎さんは加藤さんと昔からの知り合いで、震災後に再会してからは一緒にいる時間が長かったのです。だから、手話を全部理解しているわけではなくても、何を言わんとしているのかを読み取ることができる。やはり手話以外の部分でも、伝わることがあるのだと思います。


――――縦軸には東日本大震災からはじまる10年間の災害時における聞こえない人への支援の充実ぶりが描かれ、それと同時に今村監督が10年間紡いできた人とのつながりとそこから生きる力が見えてきますね。実際に取材の中で、その間の色々な変化を実感されたと思いますが。

今村:最初は避難所、次に仮設住宅、そして加藤さんの場合は災害公営住宅に入居したのですが、その度に人間関係が変わることによる影響をすごく感じました。加藤さんは仮設住宅の時は住民の方たちと顔と顔が見える関係で、すごく楽しそうにしていました。しかし、災害公営住宅は壁が分厚く、あまり人の気配がしない、シーンとした寂しい場所でしたので気持ちが落ち込み、精神的に不安定になっておられた。そんな時は「撮影をやめてほしい」と正直に言ってくださったので、一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたりして過ごしました。



■コロナ禍で感じた聴覚障害を持つ人への情報格差について

――――この作品は災害だけでなく、昨年、コロナ禍での聞こえない人に対する取り組みも取材されていますね。

今村:コロナも大きな災禍の一つだと思います。東日本大震災や熊本地震と違うのは、日本人全員が体験しているということです。その中で聞こえない人は、マスクのために口元が見えないという、聞こえる人とは違うところで困っている部分があり、それも伝えたいと思いました。また全国の市役所などで手話通訳者が配置されているのも大きな変化なので、合わせて伝えたかったのです。


――――今村監督から見て、聞こえない人の情報格差は少しずつ改善されているのでしょうか?

今村:なくなってきている部分もあれば、より格差が広がっている部分もあります。聞こえない人たちの交流の場の一つが手話サークルで、実際に集まって生活に密着した情報交換をするのですが、コロナ禍ではそれができない。同じ聞こえない人たちでも若い人はSNSやオンラインの場を利用することで情報を得ることもできれば、交流もできるのです。そういう面での格差はありますね。


――――加藤さんのように一人暮らしで高齢の方は、コロナ禍で情報格差が広がったということですね。

今村:ただ加藤さんが仮設住宅で暮らしていた時は、色々な人と会っていたので、多分大丈夫だったと思います。加藤さんは元々生きる力、繋がろうとする力があったのだと思います。



■若い人には、対面でコミュニケーションすることに慣れてほしい

――――人と繋がろうとする力は、本当に大事ですね。

今村:そうなんです。高齢者はデジタルに馴染めないという問題がある一方、若い人は、LINEなど何かを通してのコミュニケーションは慣れているけれど、実際に対面でのコミュニケーションには慣れていないと思います。今、大学で手話を教えているのですが、知らない人とのコミュニケーションに慣れていないし、おとなしいなと感じますね。ペアで手話の練習をさせても、覚えた手話を使ってどんどん積極的に話をする人が少ないのです。手話は目的であり、若い人たちにはコミュニケーションをとりあうことに慣れてほしいし、話が通じ合うということはすごくうれしいことだと実感してほしいですね。


――――確かに手話は手段であり、まずは相手とコミュニケーションをとりたいという気持ちを持つことがその第一歩です。

今村:手話は「コミュニケーションを取れた」という体験がしやすいものだと思います。一生懸命覚えた手話で相手と会話し、手話で応えてもらえると、伝わったんだなという喜を感じることができます。この体験ができた学生は、どんどん積極的に覚えようとしますから。


――――前作『友達やめた。』もそうですが、今村監督の作品の根底にはやはり、コミュニケーションというテーマがありますね。最後に今後はどんな作品を考えていますか?

今村:まだ具体的に何を撮るとは決めていませんが、今まで目を向けてこなかったマジョリティに目を向けた作品を考えています。そこには私の思い込みを払拭するものがあると思いますから。

(江口由美)



<作品情報>

『きこえなかったあの日』

(2021年 日本 116分)

監督・撮影・編集:今村彩子

出演:加藤褜男、菊地藤吉、菊地信子、小泉正壽、岡崎佐枝子他

4月16日(金)から出町座、4月1 7日(土)から第七藝術劇場、元町映画館他全国順次公開

※出町座、4/17(土)上映後、今村彩子監督と立木茂雄さん(同志社大学社会学部教授)によるトークイベントあり

※第七藝術劇場、4/18(日)上映後、今村彩子監督と近藤誠司さん(関西大学社会安全学部教授)によるトークイベントあり

※元町映画館、4/18(日)上映後、今村彩子監督と舞子高校環境防災科のみなさんによるトークイベントあり

公式サイト → http://studioaya-movie.com/anohi/

©2021 Studio AYA